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第47話:候の接見②

 


 グレイとククリは構えをとき、それまでとはうって変わって、枝を持つ手をだらりと下げた。二人の視線はただ一点にそそがれている。その視線の先、ぼんやりとした暗さのなかから、小さな声がした。


「もう終わり? とても面白かったのに」


 その澄んだ声色は美しいといえなくもない。だが感情めいた抑揚がなく、氷のような冷たさを感じる話し方である。何よりも目を見張るのが、夕闇のなかでさえ分かる、その声の主の姿であった。


――子供!?


 グレイは信じられないものを見る目で、その姿を見た。

 人が住まず、魔物がいつ現れてもおかしくないササールの地に、ただ一人子供がいるなど奇異としか言いようがない。グレイやククリも、年長者から見ればまだまだ子供である、と言われるであろう年齢なのだが、いま目にしている者は、暗がりに浮かぶ影の大きさからしてもっとずっと幼い。せいぜい十歳を越えるかどうか、といったところのはずだ。


――魔物か。


 魔物を恐れないのは魔物しかない。即座に思い至るのは、それである。

 眼前の子供は、そうしたグレイの心を見透かしたかのように、再び冷たく澄んだ声を発した。


「私は魔物じゃないわ」


 子供の影は首を小さく振った。影の輪郭から、長い髪が揺れるのが見て取れる。暗がりで良く見えないが、口調といい、子供は少女なのかも知れない。しかし、だからと言って、グレイが警戒を解くわけはなかった。いや、かえって警戒の色を強めたといえる。魔物らしいおぞましさから程遠い少女という姿は、余計に不気味でさえある。


「魔物でなければ、どうやってここまで来た」


 グレイは突き刺すように言い放ち、手の中にあった木の枝を捨て、腰の剣に手をかけた。

 

「歩いてきたのよ」


 子供は殺気立つグレイなど意に介さないように、変わらず冷徹な言いかたを変えない。歩いてきたなどという人を食ったような言葉に、グレイは奥歯をぎりぎりと鳴らした。

 そんなグレイの様子とは対照的に、ククリはまあまあ、とグレイの肩を叩いた。グレイはぎろりとククリを睨むのだが、ククリはそんなグレイをよそに、少女に優しく声をかけた。

 

「お嬢ちゃん……かな? どこから来たんだ?」


「あっちよ」


 少女がゆっくりと手を上げ、山の方角を指さした。グレイの目が冷たく光る。山といえば、いま魔物が結界によって動きを封じられている場所である。


「やはり魔物か。叩き斬ってやるから、そのままでいろ」


 グレイは目を怒らせ、すらりと剣を抜いた。だが、少女は相変わらず身じろぎひとつしない。ククリは、剣を持つグレイの腕をつかんで制した。


「まあまあ、もし俺たちに害意があるなら、とっくに襲い掛かっているはずだろ。まずは話を聞こうじゃないか」


「俺たちを油断させようって魂胆に決まっている。ククリ、手を離せ。怪我をするぞ」


 戦意に燃えるグレイは、まるで聞く耳をもとうとしない。

 やれやれ、といった風にため息をついたククリは、グレイの腕を掴んだまま少女へ促す。


「早く事情を話せ。もう俺の相棒を抑えられそうにない」


 コクリ、と少女は頷いた。


「私はあの山の魔物のことで、あなたたちの軍を率いている人に話があるの」  


「話とは何だ」


 すかさずグレイの鋭い声が飛ぶ。やはり、魔物の一味であったか、とつり上がったまなじりが、さらに険しくなった。ククリは今にも斬りかかりそうなグレイの腕を、さらに強い力で押さなくてはならなくなった。


「それはあなたたちの中で一番偉い人に話すわ。お願い。私をその人のところまで連れて行って」


「馬鹿な」


 グレイはあざ笑った。言うに事欠いて総大将と話をさせろ、とは。この軍を率いているのはササール候であるが、グレイですら一目で怪しいと疑う少女をササール候が近づけるはずがない。そもそも、頼む相手も間違っている。グレイやククリのような一兵卒が、ササール候に直接願い出るなどできようはずもない。ましてや、二人は勝手に軍に紛れ込んでいる。当然、そうした事情を少女が知るはずもないのではあるが、どうであれササール候に取り次ぐなど不可能であることに変わりはない。


「頼るとしたら、将軍かな」


 ククリはにやりと口の端をあげてグレイをかえりみた。将軍とはヒューバート=ヘイエルのことだとは、二人の事情を知るのは彼しかいないため、すぐにグレイも思い至る。


――ヘイエル将軍か。


 ヘイエルならばこの少女を見て何と言うであろうか。そうと考えると、グレイの思考は急激に冷えてきた。冷静になって考えれば、独断でこの子供を処断するべきではなく、まずは報告するべきであろう。


「好きにしろ」


 しばらく迷ったグレイは、舌打ちと共に自らの腕を掴んでいるグレイの手を乱暴に振りほどいて、剣を鞘におさめた。グレイを押さえ込んだククリは得意顔になって、


「俺の名前はククリ。こっちの怖い顔してるのがグレイだ」


 と名乗った。


「私は……」


――アンジェリカ。


 ぽつりとした少女の声だが、わずかだけ感情の温かみがこもったようであった。




 苦虫を噛み潰したような顔をぶら下げたグレイは、すでに闇に染まった陣へ戻って将軍ヘイエルを探した。少女を陣の中に入れてうろつく訳にもいかず、かといってククリを呼びにやって、結果グレイがアンジェリカと二人きりで待っている、というのも嫌だったため、仕方なくグレイがヘイエルを呼びに行くこととなったのである。だが、ヘイエルは軍務大臣グゼット=オーアと共に山へ魔物の将を捕らえに行ったまま、まだ戻ってきておらず不在であった。


――さて。どうするか。


 間もなく夜の哨戒の兵が出る頃である。陣のすぐそばでククリとアンジェリカと名乗る少女が見つかれば、なにかと厄介なことになることは目に見えている。


「急がなくちゃな」


 だが肝心のヘイエルが不在であるならば、他の者にあたるしかない。陣中のかがり火に照らされながら、誰に頼るべきかグレイはしばらく思考をめぐらした。

 

「おや、あなたは……」


 そんなグレイの背後からふいに声がした。

 振り返ってみれば、そこには大人しそうな青年の姿があった。とたんに大量の猫の像がグレイの脳裏に浮かび上がった。


「ああ、猫嫌いの王子さまか。久しぶりだな」


「その節はお世話になりました」


 王の兄であり、宰相という重職に就くアルバート=パンダールは、礼儀正しくグレイに頭を下げた。彼はかつて養父であるマスター・ウォルサールに命を狙われたところを、グレイたちに救われている。そのあたりの事情を知らないアルバートの護衛兵らは、たちまち表情を怪訝なものにして、グレイの無礼な態度と言い方を咎めようとするのだが、アルバートが、恩人です、と言ってそれを制した。


――そうか、この王子さまがいたな。


 彼ならば力になってくれるに違いない。グレイはふっと表情を明るくした。


「実は折り入って頼みがあるんだ」


 アルバートは、なんでしょう、とにっこりと笑顔を見せ、招き寄せるグレイの口元へ耳を近づけた。



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