第47話:候の接見①
ササール候軍の陣のそばには、ゆったりとした流れの川がある。この川は中央ササールを東西に流れる川で、ちょうど陣のある位置から南に湾曲し、山向こうとなる新ササール城の建設予定地を通って西の海へとそそぐ。
その川べりで、兵士として紛れ込んでいる冒険者のグレイとククリは、束の間の休息をとっていた。休息、と言っても特別な事は何もない。ただぼんやりと寝そべっているだけである。あたりはもう夕闇が迫ろうとしていた。
「それにしても、俺たち、全然戦ってないよな」
頭の後ろで手を組んだ格好で仰向けになっているククリは、紅の空に小さく見え始めた星を見つめながら抑揚なく言った。彼らはずっと将軍ヒューバート=ヘイエルの別動隊にいたため、先の魔物の大軍との戦闘には加わっていない。
ククリの横で同じく寝そべっていたグレイは、上体を起こすと、手元にある小石を拾い上げ、川へと投げ入れた。
「これなら王都にいて、魔物らと戦っていたほうが良かったかも知れない」
血気にはやる若い二人にとって、この行軍は退屈であった。魔物との戦闘が目的であったはずなのに、王都を出てからというもの一度として魔物と戦っていない。剣の柄の感触すら、すでに忘れてしまいそうであった。
「ヒューのやつの方が当たりだったかな」
ククリは苦笑まじりに言った。
ササール出兵の噂が聞かれてきた昨年末から、未知なる魔物との戦いを求め、軍に加わるつもりでいたグレイとククリに対し、同じく冒険者のヒュー=パイクは、二人の誘いを断固として拒否した。
ヒューいわく、
「金にならんのなら興味はない」
のだという。養うべき妹サテュアが城仕えするようになっても、こうしたヒューの姿勢はずっと変わらない。逆にヒューは仕入れてきた儲け話をしはじめたのだが、さほど金への執着のないグレイとククリは、ろくに内容も聞かずにその話を断った。結局ヒューはグレイたちに先んじてその儲け話のために旅立った。ヒューの方が当たりかも知れない、とククリが言うのはそのことである。
そんな話をしていると、川の上を冷たい風が流れ始め、ククリは小さく身震いした。
「腐ってても始まらない、か。冷えてきたし、さっさと陣に戻ろうぜ」
ククリは迷いに踏ん切りをつけるような言い方をしてから、立ち上がって尻についた草を払った。グレイはククリを見上げ、ふと思いついたような顔をした。
「なあ、一度立ち合ってみないか」
「ん?」
ククリは意味が分からないという風である。それに構わずグレイは目の前の川へ行き、流れ着いた木の枝を二つ拾うと、一方をククリに放った。
「考えてみれば、俺たちが戦ったことってなかったよな。なあに、ちょっとした気晴らしさ」
グレイはそう言って木の枝を剣に見立てて構えをとった。対するククリはそれでようやく合点がいったようで、久しぶりの休憩だというのに物好きな、と笑ったあと、表情を引き締めて同じく構えた。
「本気でこいよ」
グレイはわずかに笑って言ったあと、やはり表情を張り詰めたものにした。ククリはそれが耳に入ったかどうか。互いに枝を握った二人は、にらみ合ったまま、動かない。相対する間合いを、川からの冷たい風が吹き抜ける。
しばらく見合ったのち、グレイが足を擦るように動かした。砂利が小さな音をたてる。
「む!」
それが合図であるかのように、先に動いたのはククリである。
大きく踏み込み、鋭く風を切る音と共に、矢のような速さの枝がグレイの頭目掛けて飛んだ。
かん、とグレイがそれを枝で受け止めた音が響き、鍔迫り合いのような格好になる。が、それも一瞬である。すかさずグレイはククリの枝を脇に受け流し、反撃の太刀を浴びせた。
当然それを読んでいたククリはさっと後ろに飛んで、グレイの枝の間合いの外へと逃れる。グレイの枝はわずかにククリの胸元をかすめ、空を斬った。
そこへ再度斬り込もうとしたククリであるが、グレイが素早く横に回り込んだために咄嗟に攻撃を中断せざるを得なくなり、繰り出そうとした枝がわずかに下がった。その隙に乗じてグレイが斜め上から枝を振り下ろすのだが、ククリは慌てて身体を捻り、辛うじてその一撃を受け止めると、力で押し返すようにしてグレイとの間合いを広げた。
再びにらみ合う形となった二人は、どちらからともなく笑った。
「腕を上げたな、ククリ」
「グレイこそ、俺の動きについてきているじゃないか」
久しぶりに血が沸き立つような興奮の喜びからこぼれる笑いである。
元々、剣の腕ではグレイの方が優れていた。だがククリも、剣自体の腕を補って余りある身体能力と、独特とも言える野生の感覚を持っている。両者は冒険者として魔物と戦い続けることで、さらにその戦闘力に磨きがかかっていた。初めて手合わせをすることで、それを互いに確認した、というところである。
「さあ、まだいくぞ」
「よし」
息一つ乱していない二人は、再び黒い影となったかと思うと、また互いに激しく枝を打ち鳴らした。枝のぶつかる乾いた音。そして時折聞こえる空を斬る音。まともに身体に当たればただでは済まない威力を持っているであろうことは、その音で充分過ぎるほど分かる。それでも、いや、だからこそというべきか、二人は玩具で遊ぶ子供のように目を輝かせて、持てる剣技を尽くして戦い続けた。
やがて何十合とも知れず続いた打ち合いが終わったのは、体力が底をついたためでもなく、闇が辺りに広がったためでもない。思いがけない異変に二人が気付いたからであった。