第46話:魔将①
魔物の軍勢を撃ち破ったササール候軍は、戦勝を喜んだのも束の間、戦死した兵たちの埋葬を済ませると、山を離れていったん街道まで下がり、そこで野営をおこなった。一部の哨戒に出た兵を除き、全軍の武装をほどき、休息をとらせたのである。だが、そんな中でも将たちは休む間もなく、すぐさま軍議を開いた。そこには、戻ってきた別動隊の宰相アルバート=パンダールと、将軍ヒューバート=ヘイエルも加わった。
ササール候レイモンド=オルフェンは、各将を見渡すと、まずはねぎらいの言葉をかけた。
「皆さんのお陰で、勝利することができました。まずはお礼を言わせてください」
ありがとうございました、と最後に言ったレイモンドの声は、高くもなく低くもない。勝利の熱を胸にしたまま、頭脳は冷えたままに保とうとしているかのようである。レイモンドの言葉に触れた各将は、やや表情を引き締めると、ゆっくりと頷いた。
そして、レイモンドの口から、今後の方針が告げられた。それは、山を迂回して反対側に至り、そこに新たな城を築くというものである。これは従来の予定であるため、確認という意味合いが強い。それに対して、みな何か言いたそうな顔をしたが、真っ先に口を開いたのは、軍務大臣グゼット=オーアであった。
「城を築くのは良いが、あの大量の魔物はどうする」
魔物の軍勢は、ことごとく結界術にはまり、その身体の自由を奪われたままである。今でも軍議の行われている幕舎を出て、山の方を見れば、林立する魔物たちが沈む陽に照らされて、禍々しい石像のようにその輪郭を浮かび上がらせていることだろう。今はいいとして、仮に結界が破れるようなことがあれば、ササール城の建造などと言っている場合ではなくなる。すなわち、まずは結界で動きを封じた魔物たちの処理が先決である、とオーアは言っている。
そこまで理解しているであろうレイモンドは、軽く頷いた。
「実は、それに関してひとつ、ご相談があるのです」
――相談?
オーアの顔が微妙に曇った。普通に考えれば、火などをつかって魔物の命を断ってしまえばいい。もしくは、時間はかかっても、身動きの取れない魔物たちを一体ずつ倒せば、後顧の憂いを断ち切ることができる。それであるのに、相談とは何か。オーアは嫌な予感がした。
そんなオーアの心を知ってか知らずか、レイモンドは意外なことを口にした。
「あの軍勢の中に将がいるはずです。その将と話がしたいのです」
「馬鹿な!」
オーアは思わず声を荒げ、立ち上がっていた。
「確かに言葉を解する魔物はあの中にいるかも知れない。だが、話してどうする。命乞いをすれば助けてやるのか。それとも、虜にしてずっと飼っていくのか」
何より危険すぎる――最後にオーアはそう言ったあと、にわかに怒気をおさめると、済まぬ、と押し殺したようにつぶやいて、再び腰を下ろした。対するレイモンドには気を悪くした様子はない。それどころか、微笑さえたたえた。
「おっしゃる事は当然です。ですが、我々は魔物の事を何も知らない。これから戦っていく以上、もっと魔物の事を知ることが必要だと思うのです。もちろん、問いただした所で答えてくれるとは限りませんが」
「だから会ってみなければならない……という事か」
オーアは大きく息をついて、他の将を眺めた。意見を求める眼差しである。目が合ったのはヘイエルであった。
そのヘイエルは、軽く肩をすくめると、
「私はササール候に賛同いたします。たしかに我々は魔物のことを何も知らない。そのことは丞相閣下も仰せだったではありませんか。とりあえず話を聞いてみて、連中が何か言ってくれば、その時考えればいい。私はそう思います」
ヘイエルめ……と、オーアは苦い顔をしたが、返す言葉が見つからず、むう、と唸っただけであった。確かに、ヘイエルに魔物の将の存在を語ったのはオーアであり、
――我々は魔物のことを何も知らない。
というレイモンドの言葉を教えたのもオーアであった。
一方、オーアの味方をするのは将であるフラム=ボアンである。
「もし候の身に何かあったらと思うと、とても賛成はできません」
その声には、本人が気付かぬうちに深刻な響きがこめられていた。
フラムの脳裏には、あの南の砦での戦いの一件が離れないでいる。魔物の急襲から女王キュビィ=パンダールを守るべく身を挺したレイモンドは、魔物もろとも橋から転落した。急ぎ手を伸ばしたフラムであったが、掴んだレイモンドの手を引き上げることが出来ず、共に川に流された。その記憶は、今でもフラム胸に痛みをともなって浮かんでくる。無論、その後二人で過ごしたササールの日々には、甘い喜びが沁みているのは確かではあるが。
ともかく、フラムは強い眼差しを持ってレイモンドを見据えた。その視線は言うまでもなく諫止の意味がこめられている。
――レイモンド様を脅かすものは、すべて排除する。
心の奥で、フラムはそう叫んだ。南の砦の戦いでレイモンドを救えなかった思いがそうさせたと言っていい。フラムの鋭い剣気のような気迫が、たちまち幕舎に充満する。
そんなフラムの気迫にあてられたのか、レイモンドは若干たじろいだように半歩ほど後ずさった。
「な、何もそんなに怒ることはないじゃないか、フラム」
なだめるように言うレイモンドではあるが、フラムの剣気はおさまらない。おさまるとすれば、レイモンドが魔物との接見を諦めたときであろう。
「怒ってなどいません。魔物の将を近づけるなど危険すぎます」
フラムは突き刺すように言う。
横で聞いていたヘイエルは、普段大人しいフラムがそこまで強硬に意見するのを訝ったようで、
――いや、どう見ても怒っている。どうしてまた?
と、二人を良く知るオーアへ探るような目を向けるのだが、オーアはヘイエルの視線に応えず、表情を硬くしている。
「はは、まいったな……」
後ろ頭をかくしかないレイモンドであったが、そこへ思わぬ助け舟が現れた。
「ならば、魔物の将の首から下を結界術で縛った状態でお会いになれば安全でしょう。少々時間がかかりますが、できないことはありません」
と言ったのはアルバートである。フラムが発した鋭利な空気を、ゆるやかに和らげるような口調であった。ふっと幕舎に張り詰めていた空気が軽くなる。
「候が安全ならば……」
途端にフラムは威勢を失い、下を向いてしまった。アルバートは再び穏やかな口調で、
「忠義に厚いフラム殿がオルフェン候の身を案じるのは良く分かります。ですが、剣の達人であるフラム殿の護衛があれば、いかに魔物の将とはいえ、オルフェン候を傷つけることなどできないでしょう。微力ながら、私も結界術でお手伝いさせてもらいます」
と言った。フラムは叱られた子のように、小さく頷くと、差し出がましいことを申しました、とレイモンドへと頭を下げた。レイモンドは笑ってフラムに手を振る。
これで残る反対派はオーアだけである。
「やれやれ、アルバート殿下までがそうおっしゃるならば、仕方ありませんな。魔物の将とやらをここに引っ立てるとしましょうか」
オーアはそう言って立ち上がると、レイモンドとフラムの肩を軽く叩き、ヘイエルを呼んで、幕舎を出ていった。呼ばれたヘイエルは、訳が分からないといったふうに幾度も首を傾げながら、オーアの後を追うのだった。