第45話:逆転の秘策②
将軍ヒューバート=ヘイエルの元に本隊からの連絡が入ったのは、彼らが食事を終えて間もなくの事であった。折りしも、本隊へ向けて魔物の大軍が猛攻を開始した頃である。
――あのままでは、まずい。
誰もが本隊の苦戦に言葉を失い、やるかたなく拳を固めることしかできなかった。そうした、もどかしさを含んだ視線の横から、不意に近づいてくる騎馬の音があった。ようやくの伝令である。
ヘイエルはやっとか、と内心で毒づくも、伝令にやってきた人物に驚いた。てっきり本隊で戦闘に参加しているものとばかり思っていた宰相アルバートその人だったからである。
「どうして殿下自らが伝令に?」
ヘイエルは第一声でそう聞いた。
アルバートは護衛の兵たちと一緒であったが、それでも単にレイモンドからの指令を持ってくるだけならば、宰相がわざわざ来ることもない。いや、王兄であり宰相であるアルバートだからこそ、集中攻撃を受けている本隊から離れることになったのだろうか。ヘイエルは頭の片隅で、いかにもそうした配慮をしそうなレイモンドの事を思った。
そんなヘイエルに、アルバートがにっこりと微笑んで口にした言葉は意外なものだった。
「実は本隊は囮なのです。そして敵を一網打尽にする策を、オルフェン候から預かっています」
戦闘下にあるというのに、相変わらずゆったりとしたアルバートの言い方である。
「本隊が囮……? 敵を一網打尽にする策……?」
ヘイエルは意味が分からない、といった風にアルバートの言葉をくりかえす。アルバートは一枚の紙を取り出した。
「将軍は偵察のためこの地に先行して潜んでいらしたから、この地図が示す場所はご存知でしょう」
ヘイエルが受け取った紙は、戦闘が行われている山の周辺地図であった。そして、地図上にはいくつかの印が施されている。その印のある場所を順に回れば、ちょうど山を一周するような格好となっていた。
「この印がある場所を回れ、という事ですか」
「さすがは将軍、お察しの通りです」
一旦は魔物の軍勢に囲まれ身動きが取れなくなったヘイエルたちではあったが、本来の任務は偵察である。包囲から抜け出した後、ヘイエル隊は一層の用心をしながら、魔物が潜む周辺の偵察を行っていた。そのため、地図に示された地点はおおよそヘイエルの記憶の中にある。
「では、行きましょうか。将軍たちの馬は用意してあります」
アルバートは一緒に連れてきた馬をヘイエルに示した。ヘイエルたちは魔物の包囲を逃れる際、馬を捨ている。
「殿下もご一緒に?」
アルバートの役割が伝令だけだと思っていたヘイエルは、軽い戸惑いを覚えた。だがその後すぐに、別動隊であるヘイエルたちの任務の内容が、ぼんやりと見えてきたように思えた。アルバートが同行するという事は、結界術がらみである、という事だ。案の定、アルバートは頷く。
「私が行かなければならないのです」
静かにそう言うと、アルバートはさっさと馬を進めだしたため、ヘイエルは慌てて馬にまたがり、その後を追った。
ヘイエルら別動隊は山を迂回するように進路をとり、全力に近い速度で馬を飛ばした。
本来、王国にとって馬は貴重であるため、巧みに操る技術を持つ者は限られている。だが、ヘイエルは偵察を行うにあたって馬を操る技術は最も重要である、と言って、兵たちに徹底して馬術を叩き込んだ。彼らはかなりの距離を移動することになったため、幸いにして馬に乗る時間はいくらでもあった。気付けば、ヘイエルの部隊は、教えた当人が驚くほどの移動速度を誇るまでになっていた。
「なるほど、どうしてオルフェン候が将軍に別動隊をお命じになったのか、分かりましたよ」
ついて行くのもやっと、という風に手綱を忙しく動かしながら、宰相アルバートは苦笑う。血筋だろうか、女王キュビィと同様に、アルバートも馬が不得手のようであった。
「馬術は幼少からやっております。養父に厳しく教えられましたので、これだけは自信があります」
アルバートと轡を並べたヘイエルは、照れた笑いを浮かべる。だが反対に、アルバートの目がわずかに憂いにくもった。
「良いお養父上を持たれたようですね」
アルバートの言葉に、ヘイエルは、はっと顔色を変えた。アルバートにとっての養父と言えば、あのマスター・ウォルサールである。ウォルサールが庭園事件で女王キュビィを亡き者にしようと目論み、処刑されてまだ間もない。アルバートの心には、いまだ鮮明にその傷跡が残されているのだろう。ヘイエルは自らの浅慮を恥じた。
「申し訳ございません」
「いえ、良いのです。私も養父にこの結界術を仕込まれました。お陰でこんな私でも王国の力になることができる……そういう意味では感謝しているのですよ」
言いながらアルバートは、その端正な顔に複雑な色あいを浮かべたが、またすぐに笑顔をつくった。
「この別動隊に私がいるのも、あの魔物の軍勢を倒すためなのですから」
「はい」
アルバートの言葉を、ヘイエルは神妙な顔つきで聞いている。
ヘイエルは知らなかった。結界術には二種類の使い方があるのだという事を。それをアルバートから聞かされたとき、ヘイエルの脳裏に、ようやくレイモンドが描いた必勝の策が、明瞭な輪郭を持って浮かび上がってきた。
「二種類といっても、厳密には同じことなのです。結界術とは境界をつくるということ。結界を外に向ければ魔物を払うことができる。そして内に向ければ……」
「……動きを封じることができる」
ヘイエルは知らずに身震いをした。
すなわち、魔物をすべて本隊の方へ集中させておき、その間に別動隊を使って内向きに働く結界を施し魔物全体を囲う。そうすることで、その一切の動きを封じようというのだ。内向きの結界の規模は、山全体を覆い尽くす程になる。
「本隊を魔物から守る簡易結界ですら、そのための布石だったという訳ですか」
呟くように言うヘイエルに、アルバートは頷いた。
「そもそも移動式の結界というのが、私には思いつきませんでした」
本隊が使用した結界は、即席で大型の結界を生み出すことが出来る工夫がなされていた。あらかじめ陣形を結界の形におき、城に見立てた櫓を準備して行軍する。後は魔物の強襲を待って、それぞれが結界の急所となる場所に杭を打ち、中央に櫓を立てれば、王都のような巨大結界が発生する、という仕組みであった。これによって魔物の伏兵による強襲を見事に防いだのである。
――恐るべきはササール候……か。
ヘイエルは内心で一人ごち、遠く見え始めてきた最初の目的地へと目を凝らした。