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第43話:魔軍 ①


「下手に動くと、発見される」


 周囲を山に囲まれた窪地のような場所で、ヒューバート=ヘイエルは焦る兵を、そうたしなめた。

 目的地である新ササール城建設予定地へは、山ひとつ分を隔てた位置。

 にわかに現れた魔物の群れは、ちょうどヘイエルの部隊を取り囲むように展開し、気付いた頃にはすっかり周りを囲まれてしまっていた。

 

――まずい。


 と気付いた時にはもう遅かった。

 もと来た道を引き返そうにも、既に背後には魔物の影があった。発見されるわけにはいかないため、その場に留まるしかない。

 それでも、こちらの発見が早かったのが幸いだった。

 魔物より先に相手の存在に気付いたため、少なくとも見つからないように潜むことができる。とは言え、嫌でもヘイエルたちの方が早く気付いただろう。それだけ、魔物は大群であった。


――こんな数の魔物など、見た事がない。


 山を埋め尽くす無数の魔物。

 獣のような姿の魔物もいれば、トカゲのような見た目の魔物もいた。それぞれが驚くべき大きさのため、距離の離れたヘイエルからでも、その異形を認めることができた。


――これほどの魔物がいたのか。


 ヘイエルは身体からじっとりと嫌な汗が吹き出るのを感じた。

 問題は敵の数だけではなかった。一体一体の大きさも、ヘイエルがこれまで戦ってきた魔物とは比べ物にならない。

 果たして、あの巨大な獣のような魔物の牙を、ヘイエルの鎧は防げるのか。あの巨大な爬虫類のような魔物の鱗を、ヘイエルの槍は突き通すことができるのか。


――そのうえ、ササール候が言うように、奴らが統制の取れた動きを見せたとしたら。


 ヘイエルは、レイモンドに倣って、魔物の将になりきって戦略を考えてみた。

 魔物の中に、一際目をひく巨大なトカゲがいる。人の住む家ほどの大きさはあろうと見える。

 まずヘイエルならば、その大トカゲを先陣に据える。そして、有無を言わせぬ勢いで、人の軍へと突進させる。人の軍が密集していれば、ひとたまりもないだろう。

 それでも、左右に分かれて大トカゲの突進から逃れる兵がいるはずだ。そこへは、獣の姿の魔物を差し向ける。大きさは人とさほど変わらないようだが、想像するに、獣は大トカゲよりも敏捷であろう。素早く人の軍を左右から包囲し、ようやく大トカゲの攻撃を避けた兵たちへと、その素早い獣の爪と牙で襲い掛かる。

 

――深く考えるまでも無い。たったこれだけで、我が軍は全滅だ。


 おびただしい魔物の群れは、ササール候軍の数倍になろう。そこには、緻密な兵法など無意味である。少々攻め方を考えただけで、容易に王国軍を撃破できてしまう。その勢いによっては、下手をすると、急造の結界に逃れる暇さえ無いかもしれない。


――まるで洪水に飲み込まれる小さな村のようだ。


 と、ヘイエルは思った。大水が来ることが分かっていても、どこへも逃れようが無い。それは、有無を言わさぬ猛威という表現が相応しい。

 ヘイエルに付き従う兵たちも、大軍の魔物に飲まれたように、それぞれ等しく青ざめた顔をしている。

 これまで魔物に対して、ヘイエルはここまでの恐怖を感じた事は無かった。

 いや、一度だけあった。

 ヘイエルの脳裏に、遠い昔の色あせた光景が思い浮かんだ。




 燃え盛る炎が暗闇を真っ赤に照らし、周囲には人々の悲鳴と、魔物の咆哮が響き渡る。少年だったヘイエルは、住み慣れた町並みの中、逃げ惑う群衆の流れに飲み込まれて、まるで恐怖という熱病に冒されたように無心で走っていた。

 振り返ることもできなかった。そのために生じたわずかな隙のうちに、真っ黒な魔物の手が追いついてきて、いきなり襟首を掴まれる、そんな気がして仕方がなかった。

 それに、少しでも逃げる足に遅れが生じれば、たちまちのうちに、後続の群衆に踏み潰されてしまう。

 誰も、他人に注意を払う余裕など無かった。だが、それは大人たちだけではない。子供であるヘイエルもまた、恐怖にかられて絶叫を発しながら、ただ、おのれが生きるためだけに走っていた。


――死ぬもんか! 魔物に殺されるもんか!


 ヘイエルは必死だった。必死だったからか、息が苦しいとか、足が痛いとか、そうしたものは何も感じなかった。ただとてつもない恐怖に支配されていた。

 走りに走って、ふと我に返った時、ヘイエルの周りには誰もいなくなっていた。

 いや、何も無かった、と言うべきかも知れない。暗闇の荒野の中にただ一人だけあって、遥か後方には、赤く燃え上がる町が見えるだけである。夢中で逃げるうち、いつしか町を抜け、いずれとも分からない場所までたどり着いていたのであった。

 呆然と遠い火を見ながら、荒い息のままヘイエルは立ち尽くしていた。

 すると、にわかに暗闇から猛然と走る馬車の音が近づいてきた。その馬車に、ヘイエルは、危うく轢かれるところであった。

 馬車はヘイエルに気付いたと見え、慌てて停まり、中から一人の男が降りてきた。


「町から逃げてきた子供か?」


 男は、ヘイエルにそう聞いてきたが、ヘイエルは放心していて、言葉が出てこない。

 ヘイエルが黙りこくっていると、時間がない、と焦れたように男は言ってヘイエルの手を引き、馬車へと乗せると、再び疾走した。

 荒々しく揺れる馬車からは、炎に巻かれた町が次第に小さくなっていくのが見えた。住み慣れた町である。

 

「あ」


 ヘイエルは声をあげた。

 今まで押し黙っていたヘイエルの声に驚いた男が、どうした、と聞いてくる。

 

「町の名前が……思い出せない」


 ヘイエルはそこでようやく、自分が記憶を失った事に気づいた。

 生まれ育った町の名を聞いたのは、王都に逃れた後であった。


「ササール。それが、ぼくの生まれた町……」




 それから二十年が経った。

 ヘイエルは、目を上げると、辺りの山々を眺めた。どの景色も、見覚えなどない。

 ササールの記憶がわずかでも残っているかと思ったヘイエルだったが、どうやらそれは無いらしい。


――抜け道でも思い出せればいいんだが。


 少年だったヘイエルに迫った魔物の恐怖は、その頃の記憶をすっかり奪い去ってしまっていた。

 むろん、記憶を失っていなかったとして、魔物に包囲されたこの土地の事を知っていたとは限らないのだが。


――それにしても、この包囲から抜け出せるのか。


 ヘイエルが目の当たりにしている絶望的な状況を、一刻も早くササール候レイモンド=オルフェンに伝えねばならない。

 だが、不用意に動こうものなら、たちまちにして敵に発見されてしまう。そうなれば、まず間違いなく命はない。それどころか、後ろを行軍している本陣をも危険にさらすことになる。


――これでは、何のための偵察だか分からないではないか。


 ヘイエルは歯噛みした。

 このままでは、レイモンドを助けるどころか、足を引っ張る結果となってしまう。


「将軍、どうしましょうか」


 そんなヘイエルの様子が伝わったのか、不安げに兵が聞いてきた。

 ヘイエルに従ってきた兵はさほど多くは無い。それでも、それぞれ勇気を振り絞って危険な偵察を志願してきたのである。できる限り彼らを生還させたい、ともヘイエルは思う。何より、偵察の任務はなんとしても遂行せねばならない。

 ヘイエルは決断した。


「よし。抜け道がないか、探れ。多人数で移動しては目立つから、二人に出てもらう。当然馬は使うな」


 ヘイエルは二人の兵を選び出すと、手薄と見られる東側へ遣った。

 この二人が魔物に見つかれば、即座に殺されるばかりか、待っているヘイエルたちも発見される恐れがある。くれぐれも慎重に行動しろ、とヘイエルは言い含めた。

 

――さて。後はうまくいくかどうかだが。


 身を低くして茂みに隠れているヘイエルたちは、魔物に動きが無いか、息を飲んで見守った。抜け道を探しに出た兵が見つかれば、当然、魔物たちが騒ぎ出すはずである。ヘイエルは祈るような心持ちで二人の兵を待った。

 やがて、無事二人は戻ってきた。成果は、表情から分かった。


「駄目です。方々探りましたが、すべて魔物に塞がれています」


「どこも駄目だったか」


「幾度も道を変えましたが、同じです」


 ヘイエルは内心で落胆したが、ここは二人の兵が魔物に見つからなかっただけ良しとせねばならない。ねぎらいの言葉をかけると、ヘイエルは二人の兵を休ませた。

 

――さて、どうしたものか。


 思案しているうちに、日が落ちてきた。

 魔物の軍勢には、相変わらず動きが見られない。わずかな動きでもあれば、布陣に隙ができ、その間を縫って脱出ができるのでは、とヘイエルはかすかな望みを抱いていたが、どうやらそれは期待できそうになかった。


「ともかく、今は様子を見るより他にはない」


 重苦しく兵たちにそう告げると、ヘイエルは魔物の群れを睨んだ。やがて、深い闇が彼と彼の部隊を包んでいった。 



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