第41話:南進 ①
日が昇る前に、ササール候レイモンドは兵を率いて砦を出発した。
これによって、ついに王国は辺境の王都を出て、ササールへと進出したことになる。
しかしながら、その進軍速度は極めて遅かった。というのも、目的地である新ササール城建設地へ向かうのと同時に、そこへ到るまでの道々に、結界を施しながら進むためである。
隊列は街道に長く伸び、すべての兵が工作兵となって、幾本もの丸太を地面に突き刺していく。
こうなると忙しいのは宰相アルバートで、彼は先頭から最後尾までを何度も往復して、結界の敷設の細かい指示を行っていった。
前後に伸びた隊列というのは、敵の強襲に弱い。そのため、アルバートを除く主だった将は、わずかな手勢を引連れて、周囲の哨戒にあたる事となった。
軍務大臣グゼット=オーアも例に漏れず、街道から少し離れた丘陵の上にあって、魔物の出現に目を凝らしていた。
そこへ、背後から馬を寄せてくる者がある。ヒューバート=ヘイエルであった。
「なんだ、伝令か?」
目を向けるオーアに、ヘイエルは首をすくめて見せた。
「いえ、ちょっとお話に来たんです」
ヘイエルも将であるので、本来ならばオーアのように哨戒を行っているはずである。
持ち場に戻れ、とオーアは言いそうになったが、とりあえずはその話を聞いてやることにした。
「手短に話せ」
と少し不機嫌に言ったオーアに、ヘイエルは顔色を変えることも無い。
「閣下の御意見を伺いたいんです。これって、不効率ではないですか」
「不効率だと?」
ヘイエルはうなずくと、視線を街道の方へ向けた。
「せっかく砦を出たというのに、こうして道々に結界を張りながら進んだのでは、目的地に着くのがいつになるか分らないではないですか」
事実、後ろを見れば、まだ砦はしっかりと視界の中にある。日は随分と高くなってきていた。砦を出たのは夜明け前である。
「だがな、城を一つ築くとなれば、膨大な資材と人員が必要になってくる。ササールには人が住まん事を考えれば、現地調達にも限界がある。それならば、どうしたって王都から持ってくるしか無かろう」
そのための道が必要なのである。言うなれば、王都とササール城を結ぶ生命線であり、心臓から血液を手足に送るための動脈とも言える。新たに建設するササール城が王都から孤立すれば、その血のめぐりが絶え、腐っていくことになるだろう。
「それは分かります。だから、本隊は砦に置いたままにしておいて、先に街道に結界を施すための部隊だけを派遣して道を整える。全軍を動かすのはそれからでも遅くはないでしょう」
「つまりは、いきなり全軍を繰り出して道を整えながら進むのは、不効率だ、と言いたいのだな」
「そういうことです」
「まあ、それも一理あるな」
言いながらオーアは口の端を上げた。
確かに、街道に丸太を打ち込んでいく全軍の姿を見るに、進軍なのか土木工事なのか判然としないところがある。
全軍を動かすとなれば、多くの労力と物資を消費してしまうだけに、先に少数の工兵で街道の整備を行っておく、というのはやり方としてはまずくない。当然その場合は、工作兵を守るための警護としての兵も一緒に行動することになるだろう。それを加味したとしても、全軍を動かす場合と比べて、消耗は少なくて済む。
――目の付けどころは、悪くない。
オーアはそう思った。
やはりレイモンド配下の将として推薦して良かった、という目でヘイエルを見た。
「実を言うと、オレもそう思っていた」
「おお、やはりそうですか」
オーアの言葉に、ヘイエルは表情を明るくする。
が、オーアはそれとはまた違った意味でニヤリと笑った。
「既にレイには伝えたのだ……が、却下された」
「それはまた、どうしてです?」
ヘイエルの眉が怪訝そうに寄った。
「お前は砦の戦いを知らんだろう」
ヘイエルが将になったのは、王都南の砦を奪取した後の事で、それまでは王立学校で教授をしていた。むろん、砦攻略戦を知ってはいるが、参戦はしていない。
「オレはな、そこで人間の言葉を話す魔物を見たのだ」
ヘイエルは目をむいた。
「まさか」
「そのまさかだ。しかもオレだけじゃない。レイも、フラムも見ている。オレは手傷を負わされたし、レイなどは、そのしゃべる狼男と戦って川に落ちたのだからな」
「知りませんでした」
砦の戦いについては、その詳細が一応、軍務大臣オーアによって、報告書という形でまとめられていた。
だが、そこに人語を話す魔物に関する記述はなかった。しかし、それは隠されていたのではない。それについて、誰も重大な事とは思わなかったのである。それは書いたオーアであっても同様であった。
そのため、実際に戦いに参加していないヘイエルがその事を知らなくても、無理のない話であった。
「オレはそんな魔物に驚きはしたが、脅威とまでは思わなかった。気味の悪いやつもいるもんだな、とな。だが、そんな魔物の事を、警戒するやつが一人いたんだ」
「……ササール候、ですね?」
オーアは黙ってうなずく。
「レイは言った。オレたち人は、魔物の事を知らない、とな」
「魔物の事……」
ヘイエルは幾度かその言葉を反芻するように呟いてから、意図がつかめない、という顔をした。
「魔物でしたら、何度も戦っています。それは閣下も同じでしょう」
言うまでも無い、とヘイエルは苦笑まじりに言った。
ヘイエルは砦の修復中、幾度も押し寄せてきた魔物を撃退している。オーアの経験を言えば、ヘイエルのそれを上回るのだ。おかしなことを言う、とヘイエルは言いたげであった。
それに対して、オーアは小さく首を振る。
「いや、それは魔物の上っ面をなぞっただけかも知れん。つまり、お前が倒してきた魔物は兵に過ぎなかったのではないか、という事だ」
「兵……。魔物の兵……ですか」
ヘイエルは思いがけない、という風に言った。表情が複雑に変化する。オーアの言葉がどういう意味を持つのかを考えているのだろう。
「つまり魔物にも……将がいる、と」
「そういう事だ。そして、言葉を話す魔物がまさにそれだろう。今まではオレも深く考える事など無かった。砦には敵の将がいて、それを倒せば、砦は落ちる。そんな風にしか考えていなかった」
砦を守っていた魔物は、人語を解し、剣を振り回す、二足歩行の大きな狼であった。その魔物を討ったのは、フラム=ボアンや、ロック=パタをはじめとした冒険者たちである。
それを聞いて、ヘイエルはわずかに首を傾げた。
「それに何の不思議もありませんが。砦があって、魔物がいる。それならば、そこを守る将がいてもおかしくはないでしょう」
「まったくその通りだ。しかしな、一方で、魔物は滅多やたらと攻めてくる、と、そんな風には思ってはおらんか」
オーアの言葉に、ヘイエルは少し考えてから、
「そうですね。私が見た魔物は、確かに考えなしに向かってくる印象があります」
と答えた。
事実、砦を襲ってきた魔物は、ある程度のまとまりで行動しているものの、それぞれの動きがばらばらで、好き勝手に攻め寄せてくる、という具合であった。防衛にあたったオーアやヘイエルは、冒険者や兵の陣形を整えて、逆に魔物の手薄な部分を突けば良かった。もっと言えば、連携とは程遠い敵の動きを逆手に取るのが常道だったとも言える。要するに、魔物の群れは、将に統率されていない、という事である。
オーアは、低い声でヘイエルに言った。
「考えなしに攻めてくる魔物だけを見れば、奴らに将がいるなど驚きだ。だが砦の事を思うと、将がいて当然だと感じる。……我々の認識は矛盾しているのだ」
ヘイエルはハッと気付いたような顔を見せた。
オーアはその表情をちらと見ると、再び話を続けた。
「妙だとは思わんか。連中は、砦を守らせる将のような魔物がいるのだ。なぜ攻めるにいたっては将を立てず、いわば雑魚だけがやって来るのか」
「それは……」
当然、ヘイエルにその答えはない。だが、ようやくオーアの言わんとするところが見えたのか、その鋭い眉を上げた。
「もしかしたら、今後、魔物が組織的に迎撃に出るかも知れない……そう言うことですか」
「ああ。王国軍がササールに踏み込んだ今の状況を、魔物は脅威と取るかも知れん。そうなれば、敵も相応の抵抗を見せるだろうし、我々も備えが必要なのだ」
オーアの言う内容は、そもそも王都が魔物に攻められない理由として考えられていたものでもある。今では、その理由が王都に張られた結界にある事が分かっている。しかし、ササールの地には、まだ結界がない。そうなれば、強力な魔物が組織的に迎え撃ってくる可能性もまた否定できない。
レイモンドがわざわざ全軍をもって進軍するのは、敵が打って出た時に備えての事なのだ、とオーアは言っている。
しかし、まだヘイエルは腑に落ちない、という表情を崩さない。
「ならば、軍に冒険者を入れておくべきでした。彼らはこの軍の主力になる」
ヘイエルの言葉に、オーアはフッと笑う。
「そこが難しい所よ。確かに冒険者は心強いが、悪く言えば借り物の兵だ。立ち上がったばかりで、まだ完成しているとは言えないレイの兵には、まず独力で物事を成す事が重要なのではないか。それによって結束が生まれる。オレはそう思う」
ササール軍は、まだ完成していない。その言葉に、ヘイエルは胸を突かれたような顔になった。
「確かに、私にしても、まだササール候の事を良く存じません」
そうだろう、とオーアはまた笑うと、
「そろそろ持ち場へ戻れ。この行軍に、レイは色々な意味を込めているのだ」
と言って、ヘイエルの肩を軽く二度叩いた。