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第38話:無位無官

 

 フラム=ボアンが心配したように、レイモンドの処遇は、次第に微妙な具合になっていった。

 宰相はいまや王兄アルバートがつとめ、その経験不足は、左右の丞相、オーアとギュールズによって磐石に固められている。そして、大臣はといえば、新たに加わったノウル=フェス商工大臣の、十六歳という異例の若さが目を引くが、考えてみれば並み居る大臣たちはパンダール史上もっとも若い顔ぶれなのである。そんな若い大臣たちは、それぞれの職責をしっかりと果たしており、もっとも古くからの王国を知る師範マスター・シバいわく、


「大いに治まっている」


 と太鼓判を押す。

 それまで魔物が跳梁した野にも、少しずつ結界が張られ、次第に人が活動できる場所も広がってきた。

 商工大臣フェスは、王都の古地図を引っ張り出すと、かつて資源を産した場所に、片っ端から冒険者を派遣し、その現状を探った。そしていまだに資源を産出すると見るや、直ちにその場所へ重点的に結界を張り、それからそこへ続く街道にも結界を施して、速やかに工人を送り込んだ。


「ヴァート様から引きついだままを行っているだけです」


 これについて、フェスはいつもそう言って笑う。

 いっぽうで、農務大臣アデュラ=パーピュアは、結界の中心地である王都から波状にその効果を広げ、農地を拡大させた。その範囲内には、森林も含まれており、鉱石と共に不足していた良質な木材の供給量が一気に向上させることができたのは、大きな成果であった。


「まあ、レイモンド君が行方不明になる前から準備してたからね」


 この件を聞かれたアデュラは、そう言って艶のある唇をほころばせる。

 このように結界の効果は絶大であったため、宰相アルバート=パンダールは常に大忙しであった。そして、その功績は言うまでも無く多大であり、


――王城に、新宰相アルバート殿下あり!


 と、城下でもその声名は一挙に高まることとなった。

 ところで、結界の監修のためにアルバートが王都中を駆け巡ることになるので、彼の手の回らない政務に関しては、左右の丞相が行った。

 中でも右丞相ハロルド=ギュールズは、財務大臣として培った手腕をいかんなく発揮し、砦の修復で不在がちなオーアの穴を見事に埋めている。

 まさに適材適所、というべきか。マスター・シバの言を借りるまでも無く、王都は安定していた。

 話を元に戻すと、そこに今、難題が突きつけられたのである。帰還した元宰相、レイモンド=オルフェンの処遇、であった。


――さて、どうしたものか。


 朝議の席。

 左丞相ハロルド=ギュールズは、そう言って頭を抱えた。

 その隣にあるべき右丞相グゼット=オーアは、宴の翌日には既に砦へと発っている。寡黙なアルバートは弁が立たないため、朝議はギュールズだけで進行させるのが、通例となっていた。

 ギュールズは大臣たちの顔を見渡した。どうやら苦渋の顔をしているのは、ギュールズだけのようである。思わず、ギュールズから、ため息が漏れた。

 この問題の複雑なところは、人によって、問題の大小の捉え方が違う、という所にある。

 大したことでは無い、といった顔をしている筆頭は、玉座に収まった女王キュビィ=パンダールなのが、いっそう都合が悪い。キュビィからしてそうなので、事態を重くとらえている者は少なく、それがまたギュールズの胃痛の種となっていた。


「ともかく、オルフェン殿に、何かしらの役職に就いて頂かねばなりますまい」


 ギュールズは繰り返し言うのだが、キュビィは、


「そうでもなかろう。ずっとわらわの側におれば良いではないか」


 と、不思議そうな顔をギュールズに向けるのである。

 またギュールズの胃がきりきりと鳴った。


――一緒にいたい気持ちも分からんではないが。


 レイモンドの手腕は、ただ陪臣としてキュビィの側に居るだけに留まらせる訳にはいかない、とギュールズは思っている。

 その上、何の落ち度もないのに、実質降格という形をとらせる訳にはいかない、という思いも強い。本人は一向に意に介していない様子ではあるが、官職というのは、そうそう単純なものではないのである。


――信賞必罰は、厳格に保たれねばならない。


 というのがギュールズの信念であった。

 そうした秩序の元、王権は保たれ、国は安定するのである。

 功のあるレイモンドを無位のまま捨て置くのは、それに反するのだ、とギュールズは言いたかった。


「オルフェン殿は稀に見る出世をなさっております。実は、それが王城にある臣下一同に、希望を与えているのをご存知ありませんか」


「希望……」


 ギュールズの言葉に、キュビィはぴくりと反応した。人々の希望、『光の女王』と呼ばれるキュビィだからこそであろう。

 その様子に思わず目を光らせたギュールズは、すぐに続けた。


「失礼ながら、オルフェン閣下は、特別に家柄が良い訳ではありません。にもかかわらず、その才能を陛下によって見出され、その辣腕ぶりは、広く王都に聞こえております。皆が思うのです。実力があれば、宰相にでもなれるのだ、と」


 言いながら、有力貴族の出である自分が言う事に、ある種の滑稽さを感じたものの、間違ったことは言っていない、という自負がギュールズにはある。

 希望こそが、今の王都に活力を生み出しているのだ、と。レイモンドはその象徴であるのだった。


「賞罰を確かにし、臣民に功罪を明らかにする事が、王国を治める根本でありましょう」


 と、ギュールズは言い切った。

 たちまち、キュビィは不機嫌な顔をあらわにした。

 もしこの場にレイモンドがいれば、子供がふくれっ面をしている、と慣れたものであったろうが、大臣たちは違った。

 途端に朝議の場が凍りつく。


「レイの……いや、オルフェンの事は、考えておく。これ以上、わらわへ意見すること、まかりならん」


 と、苛立った言葉を残し、早々に玉座を立つと、奥へと引っ込んでしまった。

 それを見送った大臣たちの視線は、一斉にギュールズに注がれたが、そのギュールズは、胃を抑えたまま、蒼白の顔から滝のような汗を流したまま、固まっていた。




「レイよ! レイはおらぬか!!」


 ドスドスと音を立て、少女が部屋へと入ってきた。

 明らかに機嫌は最悪である。


「あの、ここにおりますが、先程から」


 頼り無さそうな若い男が答える。

 その男――特別やる事の無いレイモンド=オルフェンは、朝からキュビィの執務室にあって、書類などの整理を行っていた。


「レイよ、何か欲しい官職はあるか?」


 怒りのおさまらない様子の少女、女王キュビィ=パンダールの唐突な質問である。

 しばらく、考えをめぐらせた後、レイモンドはあっさりと答えた。


「ありませんね、特に。……突然、いかがなさいました?」


 キュビィの怒りは尋常ではない。それに普通ならば、まだ朝議が行われている時間だ。

 なにやらレイモンドは嫌な予感がした。


「ギュールズがな、お前を遊ばせておく訳にはいかん、と言って、わらわをいじめるのだ」


 ――いじめる……。


「ギュールズ殿は陛下のためにおっしゃっているのでしょう。それに、私への気遣いも。それを、そのような言い方は……」


 というレイモンドを、キュビィはキッと睨む。


「お前はわらわの気持ちが分からんから、そんな事を言うのだ」


 鋭いキュビィの声に、思わずレイモンドは身を硬くした。


――だが、ギュールズ殿の言うことも分かる。


 と、キュビィに首をすくめて見せるレイモンドは、内心で思った。

 元宰相が宙ぶらりんの状態であるとは、危険極まりない、と外部からは見られるであろう。

 人臣の極みに達したものが、突然その座を追われた、となれば、謀反すら起こしかねない、と考えるのが普通の感覚である。

 当然、レイモンドにその気はまったくないが、そう思われること自体に問題があるのだ。


――悪い噂ほど、良く広がる。


 もし、まことしやかにそうした話が広まれば、内部に問題を抱えた王国の政治は、不安視される。その不安が、まるで大樹に取り付いた虫のように、じわじわとその根を腐らせていってしまうのではないか。

 そうした危惧は、レイモンド自身も考えていた。

 だが、肝心のキュビィにその気がまるでないし、仮に役職につけようとしても、宰相は人臣の極みであるのだから、それ以上となれば、相応しい官職はもう無い。だからと言って、現宰相のアルバートを罷免するなど問題外である。

 仮に新しい役職をつくろうにも、既にヴァートによって、丞相という新しい重職が増えたばかりなのである。これ以上の重職の乱造は好ましいとは言えない。

 目の前のキュビィは、そこまで考えているのだろうか。

 随分と女王らしくなってきたと思っていたのだが、目の前のキュビィは、子供っぽく頬を膨らませている。


「なんと言われようとも、わらわはもう、レイと離れるのは嫌なのだ」


 と、腕組みをしながら、怒りのこもった言葉を、誰にとも無くぶつけている。

 その言葉に、レイモンドは何と答えていいのか分からない。

 南の砦で再会したとき、もう離れないと二人は約束した。

 その約束は王国の未来よりも優先されるものなのか、と自らに問えば、レイモンドの心は暗くならざるを得ない。

 レイモンドにしても、キュビィを大切にしたい気持ちに偽りはない。だが、王国の運命は、すなわちキュビィの運命にも直結する。王国を覆うであろう暗雲を払うことは、すなわちレイモンドがキュビィを守ることになるのである。

 とはいえ、自ら官職を欲するという事は、レイモンドはしたくなかったし、そうした欲も無い。

 結局のところ、


――成り行きを見守るしかない、か……。


 という結論に、いつも至るのであった。


「陛下。陛下が私を任じたくなった時はいつでもおっしゃって下さい。どんな役目であっても、それを務めるまでです」


 というと、キュビィはにわかに怒りの色を鎮め、にっこりと微笑んだ。


「そんな時がくるものか」


 というキュビィの目の底には、どこか悲しみの色が沈んでいた。




 一方で、女王が抜けた後の朝議はうまく進行せず、そのままお開きという形になった。

 ギュールズは青いような、暗いような顔をぶら下げ、自らの執務室に戻ろうと廊下を歩いていた。

 そこへ、同じく自分の部屋に戻る途中の、農務大臣アデュラ=パーピュアが声をかけた。


「ギュールズ殿の言いたいことは分かるのですが、実際にレイモンド君をどんな役職に就けようとしているのですか」


「私の丞相職を譲っても良いと思っている。私には財務大臣という職もあるし、そもそも丞相とは、宰相であるアルバート殿下を補佐するための役職なのだからな。私でなくてはならないという事はないのだ」


 ギュールズは、さらにオーアも同意してくれるなら、左右の丞相を一つにし、そこへレイモンドを据えればいい、とも付け加えた。共に、本来の大臣職に専念すればいいのだ、という事である。

 

「恐らく、オーア殿も、同じ思いだろうと思う」


 言いながら、ギュールズは胃の辺りを押さえて、苦痛に顔を歪めている。


「問題は、それをレイモンド君と陛下がよしとするか、ですね」


 痛いところを突かれたのか、胃が余計に痛んだのか、ギュールズはいっそう顔をひきつらせると、


「陛下が何と言おうと、オルフェン殿には、まだまだ王国の力になってもらわねばならん」


 と言った。

 その言外には、個人的な希望だけで国事を決めてはならない、という、女王に対するやや批判的な意味が込められている。好転してきているとは言っても、パンダール王国が立たされている危機的状況はさほど変わってなどいないのだ。


――有事なのだ、今は!


 と、言いたいくらいなのである。人の好き嫌いなどを言っている場合ではない、とギュールズは思うのだった。

 そんなギュールズに、アデュラは、微笑した。


「ギュールズ殿。きっと陛下は分かっていると思いますよ。……レイモンド君にはまだまだ活躍してもらわなくてはならないことが、ね」


 アデュラは自信ありげに言った。

 女の勘、というのだろうか。

 アデュラは思う。キュビィは、すべてを良く分かった上で、レイモンドを今の状態にしているのではないか、と。

 

「もしかしたら、迷っているのかも知れませんよ」


「だといいが、そうなら、はやく決断してもらいたいものだ……失礼」


 ギュールズは胃の痛みに耐えかねたようで、アデュラに断ると、足早に歩を進め、自室へと戻っていった。



   

「言われなくても、分かっているのだ」


 王城の中庭。

 レイモンドが戻ってから再開した、お茶の時間である。

 手入れの行き届いた庭園には、昼下がりの陽が暖かく降り注ぎ、この空間だけ時間の流れから隔絶されたかのように静かで、穏やかであった。とても数ヶ月前にはあのマスター・ウォルサールによる事件があったなど、信じられない。

 そんな中、ぽつりとキュビィが呟いた。

 レイモンドはお茶を注いでくれた侍女サテュアに礼を言って下がらせ、キュビィに目を向けた。心なしか、キュビィの目に憂いの色があるように見える。


「どうなさいました」


「ギュールズのいう事。本当は分かっているのだ」


「先程の話ですね」


「うん」


 キュビィは、力なく頷いた。

 ただでさえ小さなキュビィの身体が、さらにか細く、弱々しく見える。白い肌は、透き通り、まるで消え入りそうであった。


「本当は、もう、私の処遇を決めていらっしゃるのですね?」


「うん」


 キュビィは頷いた後、迷うように、じっと黙っている。

 レイモンドも何も言わず、ただキュビィの言葉を待った。庭園には、木々の揺らぐ音と、小鳥のさえずりだけが聞こえている。

 

「レイ」


「はい」


 やや時間を置いて、ようやくキュビィは口を開いた。

 その顔には、決然としたものがあった。


「ササールに……行ってくれないか」


「ササール……」


 レイモンドの脳裏に、荒涼とした大地と、ライナスたちの顔が思い浮かんだ。

 キュビィの瞳は見る見るうちに潤み、悲しい光を放っていた。


「またレイとは離ればなれになる。もし嫌なら断っても……」


 レイモンドはかぶりを振った。


「陛下らしくありません。命令は絶対だ、とおっしゃって下さい」


 それを聞いたキュビィは、レイモンドの胸に顔をうずめ、肩を振るわせた。

 胸に熱い涙を感じたレイモンドは、キュビィの肩を優しく抱き、しばらくの間、そのままでいた。 



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