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第37話:王都帰還

 

 女王キュビィ=パンダールが、レイモンド=オルフェンとフラム=ボアンを連れて王都へ帰ると、南の砦は再び改修の作業に入った。

 いまだ結界は完全ではなく、時どき思い出したように魔物の群れが襲撃してきたりする。

 その度に、工事は中断され、軍務大臣グゼット=オーアと副官ヒューバート=ヘイエルは兵士や冒険者を率い、その迎撃にあたっていた。

 襲ってくる魔物の数は、常に百を超えることは無いが、さすがに王都周辺に出没する魔物とは比べ物にならない獰猛なものもあって、それなりに脅威であった。

 しかしながら、対抗する兵士も冒険者も、既に対魔物戦においては幾ばくかの経験を得ており、苦戦することも無く、順調に撃退してきている。

 なかでも、冒険者には、オーアが唸るほどの実力を備えている者も少なくなく、戦いを経るごとに彼らの活躍が際立ってきた。

 そのため、迫ってくる魔物の数が知れている時などは、指揮をヘイエルに任せ、指折りの冒険者たちを中心に編成した精鋭部隊で、敵にあてることがあった。

 そうすることで、ヘイエルに指揮官としての経験を積ませ、猛者である冒険者や兵士をさらに鍛え上げ、連戦に疲労した兵士がいれば休ませることができた。

 激戦であった砦の戦いで、かなりの死傷者を出した王国は、その戦力を減退させていた。

 あれから三ヶ月。

 兵数は当時に戻りつつあり、その質は格段に向上している。

 これは、王城でのマスター・シバの訓練が引き続き成果を挙げていることだけでなく、やはり繰り返される実戦によって、生きた鍛錬が施されている結果であろう。

 こうした成果は、軍務大臣であるオーアを満足させないではいられない。


「こうなると、いよいよ、ササールへの出兵を考えねばならんな」


 修繕の音がかまびすしい砦の上から、遥か南を眺めるオーアの表情は明るい。

 眼下では、ヘイエル率いる部隊が、つい今しがた襲い掛かってきた魔物たちを蹴散らしている様子が見れた。まるで危なげない戦いぶりである。

 彼らの成長ぶりに目を細めるオーアだが、今の心をもっとも弾ませている事がもう一つあった。

 何より、レイモンドと、フラム=ボアンの生還が嬉しかったのである。

 奇跡の再会を果たしたのは、何も女王キュビィだけではない。オーアも涙を流してレイモンドと固く抱き合い、再会を喜び合った。フラムにしても元部下である。


――しかし……。レイのやつ、フラムの秘密を知っただろうか。


 隠しているが、フラム=ボアンは実は女である。

 兵士として仕官してきた時も、その事を隠していたため、当然オーアは気付きもせず、他の兵と何ら変わらず接した。

 いや、むしろ、当時まだ将軍であったオーアが、単なる一兵卒に向ける意識など皆無であった。

 オーアがフラムの事を知ったのは、とある事件があったからだった。

 その事件とは、兵士同士の私闘があり、たった一人によって、十名もの兵が重傷を負ったというものだった。

 当然、軍法によって、兵士の私闘は厳しく禁じられている。

 軍は、規律がなによりも重視される。もしそれが乱れれば、兵たちはたちまち機能しなくなる。機能しない軍ほどもろいものは無い。

 だからこそ、この事件は、極めて重大な事態であった。

 当時の軍務大臣であった父から調査を命じられたオーアは、その犯人である兵士が実は女性であった事を知った時、驚いたのと同時に、その処遇に困った。

 長い黒髪のその兵士は、オーアを前にしても動じる素振りもなく、はっきりと言った。


「悪いのは、私に不埒な真似をしようとした、あの者たちです」


 美しいと言っても差し支えないその表情は、落ち着き払っていた。が、冷静な顔の下に、激しい怒りの火がくすぶっているのをオーアは見た。

 黒髪の兵士は淡々とした口調で語った。正体が女と知った部隊の兵士たちは、それを元に脅迫し、寄ってたかって暴行を加えようとしたのだ、と。

 オーアは眉を寄せた。

 女性に暴行をはたらこうとするなど、兵士にあるまじき行為であり、当然処分するに充分な罪状である。だが、兵士間の私闘が禁じられているのもまた事実であった。

 しかし、なによりオーアが困ったのは、フラム=ボアンと名乗る者が、女である事を隠して兵士として仕官したことにある。

 その事が表沙汰になれば、同時に軍の手落ちを宣伝するようなものであり、万一、王レクスの怒りを買えば、その影響はどうなることか考えただけでも、オーアには恐ろしかった。

 判断に迷ったオーアは、ありのままを軍務大臣である父に報告することにした。それを聞いた父は、


「そうか。ご苦労」


 と、表情も変えずに言った。

 オーアは、その後の処遇を父から聞かされないまま、日々の職務に埋没していった。

 それからひと月が経った頃、他の者から、暴行をはたらこうとした兵士がすべて処刑され、フラムは兵士を辞めさせられた、という事を聞いた。フラムが女である事は完全に秘せられ、フラムが女である事を知るものは、軍にはオーア父子しかいなくなった、という事になる。


「フラムという者の腕は惜しかったな。お前でも勝てまい」


 処分の詳細を聞きに行ったオーアに、父はそれだけしか言わなかった。

 オーアは、すぐにそれが真実かどうかを試しに行ったが、果たして父の言ったとおりになった。オーアはフラムに敗れたのである。

 それまで剣において父以外に負けたことが無かったオーアだったが、負けた悔しさよりも、フラムの腕が野に埋もれるのを惜しいと思うほうが強かった。


「フラムよ、軍に戻らんか? その腕があれば将軍になるのも夢ではない」


 そう言うオーアに、フラムはかすかに笑っただけで去っていった。黒い疾風が吹きぬけたようであった。

 それにしても、父はどうしてフラムの実力を知っていたのだろうか。その時はまるで気になどならなかったが、今自分が同じ軍務大臣になってみると、一兵卒の力をどうして知りえたのかが不思議と言えば、不思議である。

 そんな風に考えている時、オーアの背後で足音が近づいてきた。


「オーア閣下、こちらでしたか」


 ヘイエルの声に、オーアは振り返った。


「おお、ヘイエル。ご苦労だった」


「いえ。まあ、暇つぶしにはもってこいですよ」


 ヘイエルは微笑をたたえてそう答え、歩を進めてオーアの隣に並んだ。目の前に、砦の上からの眺望が広がる。

 魔物の襲来を防ぎ、若い副官はたったいま揚揚と引き上げてきた所だった。最近のヘイエルの用兵ぶりには、まるでそつがなく、オーアも安心して見ていることができる。

 魔物撃退の労をねぎらい、その戦いぶりをオーアが褒めると、ヘイエルは兵や冒険者が良いのだ、と肩をすくめた。


「特に、あの時……赤と白の旗を同時に振った連中は飛びぬけてますね」


 赤と白の旗が同時に振られた時――レイモンドが還って来た時の事がすぐにオーアの頭に浮かんだ。


――魔物が出れば赤、安全ならば白い旗。その両方が振られたという事は……。


「幽霊かも知れぬ、と言っておったな。フフフ、なかなかに面白い事を言う奴よ」


 さも可笑しそうにオーアは笑った。

 その冒険者とは、グレイ、ククリ、そしてヒューの三人である。彼らが見張りの番に付いている時にレイモンドとフラムを見つけ、赤と白の旗を同時に振ったのであった。


――死んだはずの二人が帰ってきた!


 興奮して報告する三人の顔が思い出される。

 眼下に視線を移すと、そこには、明るい笑い声とともに、先程の戦いでの武勇伝を、冒険者仲間に語って聞かせる三人の姿があった。




 レイモンド=オルフェン帰還の報は、またたく間に王都中に広まった。

 三ヶ月前、訃報に沈んだ王城も、信じられない奇跡に、喜び、沸きかえった。

 なかでも、女王キュビィの喜びようは凄まじく、王城に帰るや、片時もレイモンドを離さず、いかなる際にも彼を側に置いた。まるで、これまで離れていた時間を取り戻すかのようである。

 そして、レイモンドが城に戻って二日目には、盛大な宴が催され、王城に在る人すべてから、その無事を祝福された。

 なお、急遽砦から駆けつけた軍務大臣オーアの提案によって、女王キュビィの十四歳の誕生日も一緒に祝うこととなった。


「わらわが十四になってから、だいぶ経つ。無用であろう」


 キュビィはそう言って却下しようとしたが、群臣から『是非に』との声があがり、ついにキュビィは抗し得なくなり、観念して、恥ずかしそうに笑って許した。

 オーアいわく、


「誕生日の頃の陛下は、とても宴を催される雰囲気ではなかったものな」


 と言って笑うと、群臣も笑い、キュビィの顔は紅に染まった。そしてそんな女王を見て、また笑い声が王城を満たした。

 和やかな雰囲気で催された宴。

 そこで周囲の注目を浴びたのは、主役の二人、女王キュビィとレイモンドとの舞踏であった。

 軽やかに舞うキュビィに対し、その相手をつとめるレイモンドの足元はどこか頼りない。


「フフ、レイモンド。こればかりは、わらわに分があろう」


 キュビィはレイモンドが踊りやすいように導きながら、器用に語りかける。


「舞踏は苦手です。いつ陛下の足を踏んでしまうことか……」


「では、明日から、わらわと二人で練習だな」


 そう言ってレイモンドの目を見つめるキュビィの瞳が潤んでいる。

 しばらく会えなかった間に、あどけなかったキュビィの顔は、少し大人びたようにレイモンドには見えた。


「そういえば、砦でお会いした時の、あの体術もお見事でしたね」


 言いながら、レイモンドは、自分の関節がきしむ音を思い返し、苦い笑いを浮かべる。


「アデュラに教えてもらったのだ。護身のためにな」


 キュビィは悪戯っぽく笑った。

 農務大臣アデュラ=パーピュアがキュビィに体術を教えることになったのは、マスター・ウォルサールによる庭園事件が発端であった。

 ある程度自分の身は自分で護りたい、というキュビィの言葉に、指南を頼まれたオーアは大いに困った。剣や槍を教えて、怪我でもされれば大変である。

 そこで財務大臣ハロルド=ギュールズが、アデュラに体術の心得のあった事を思い出した事で、渡りに舟とばかりに、オーアは早々にアデュラの承諾を得て、窮地を脱したのだった。

 だが、そんないきさつを知らないレイモンドは、素直に感心している。もちろんキュビィは得意満面である。

 やがて舞踏曲が終わった。周囲から、キュビィの見事さと、どうにかやり遂げたレイモンドへ暖かい拍手が送られる。

 キュビィの足を踏まずに済んだレイモンドは、ホッと安堵の息をついた。


「まあ、それは褒めてやろう」


 キュビィは笑い、レイモンドも笑った。

 二人にとっては、まさに至福のときであった。

 



 宴の翌日には、レイモンドは女王護衛官に復帰したフラム=ボアンと共に、ササールでの出来事を報告書にまとめる作業に時間を費やした。

 フラムはライナスの村を出るときから、既に姿を元の男装に戻している。

 その事を特にレイモンドは何も言わなかったが、そのことがフラムの心を少しだけ暗くしている。

 その上、あのキュビィとの再会の様子。

 フラムはただ茫然と立ち尽くすことしかできないでいた。王都への帰途へつく時、その時の事を想像したりもしていたし、覚悟も出来ていたつもりでいた。

 だが、実際に目の当たりにすると、笑顔を作れなかったどころか、涙を堪えるのに必死であった。

 おそらくそんなフラムの様子には誰もが気付かなかっただろう。


――私は、男なのだ。


 そういう事実がある。いや、真実は違うのだが、周囲にはそう思わせている。

 しかし、女である事を捨てようとすればするほど、それを拒もうとするもう一人の自分がいる事に気付かされる。そしてその葛藤が、鈍い痛みをもってフラムの胸を苦しめるのであった。

 そして、痛みを意識すればするほど、もがけばもがくほど、その痛みはさらなる痛みをもたらすことになる。

 かつてはそんな事はなかった。


――閣下と会ってからだ。苦しいのは。


 だが、人を愛するというのは、苦しみだけではない。こうして二人で一緒にいるだけで、何事にも変えがたいほどの喜びが満ちていくのである。

 そう考えれば、ずっとレイモンドの側にいることができるだけでも、幸せと言えるのかも知れない。そう考えるのは、あまりに卑屈であろうか。

 煩悶とするフラムを他所に、人の気も知らないレイモンドは報告書の草案をまとめると、フラムに意見を求めた。

 フラムが目を通した報告書には、ルネの能力の事はおろか、ライナス一家の話がごっそりと割愛されていた。


「それは、文面には残さず、直接陛下にだけお伝えするつもりだ」


 それだけ、王国にとって重要な話である、という事だ。

 フラムはレイモンドに同意し、簡単な補足事項を伝えた。


「ありがとう」


 と言って、さっそく修正するレイモンドの横顔を見ながら、フラムは新たな疑問がわいた。


――閣下はこの先、どうするのであろうか。


 既に宰相がキュビィの兄であるアルバートに変わっている事は知らされていた。

 女王の兄が生きていた事にも驚いたが、フラムにはそれよりも、レイモンドがもう宰相の座にないという事実に驚かされた。

 当のレイモンドは、


「死んだと思われていたんだから、当然だよ」


 と、一向に意に介さず、平然として、執着はまるでないらしい。


「宰相ではなくても、陛下のお力にはなれるからね」


 と、取り澄ましている。

 それどころか、


「トッシュが下野したことが衝撃だよ。なんだかあいつらしくない」


 と、仲の悪かったはずのトッシュ=ヴァートの方が気になる様子であった。

 しかし、フラムにしてみれば心配なのはレイモンドである。

 ほんの少し前まで、宰相という国の重職にあったのだ。一時は死んだと思われたとしても、生きていた事が分かればまったくの無位無官という訳にはいくまい。 

 もし、無官のままであったなら、何か不吉な事が起きる気がしてならない。古来より重職を外された能臣は、危険な存在であるとして、誅殺の対象となってきた。いかに女王キュビィの信任が厚いレイモンドとはいえ、その災禍に見舞われないという保証はない。

 何よりも、


――女王陛下に閣下を独占されたくない。


 という思いもフラムの心のどこかにあった。

 宰相という激務から解放されたレイモンドは、自由な時間を手にする事になり、そのため、常にキュビィの側に侍ることになるだろう。

 現に今も、キュビィはレイモンドを片時も離さない。帰還してから、フラムがレイモンドの顔を見たのも、この報告書の作成ために会ったのがはじめてであった。

 フラムがそんな事を考えているうちに、


「できた」


 と、レイモンドは嬉しそうに声をあげ、笑顔でフラムを見た。

 フラムは、その笑顔に対してどんな表情を返したのか分からなかった。




 報告書を仕上げたレイモンドは、果たしてフラムが思ったとおり、それからは何もやることがなくなった。

 フラムは抱いた不安が現実になりそうで、大きく嘆息したのだった。



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