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第36話:再会


 馬車の中は窮屈である。乗り心地も悪い。

 だが座席は特別柔らかく上等なシートがしつらえられており、少しでも快適に、という気遣いが感じられる以上、文句をいう訳にもいかない。だいいち、馬に乗るのが不得手な上、歩けといわれても、丸一日もかかる行程を踏破するのも嫌である。

 車はゴトゴトと音を立てて走り、随分と揺れる。

 それでも気分は軽かった。

 最近は外出の機会が増えたとは言え、王城から外へ出るなど、滅多にない事である。なにより、遠出など十四年の人生でも二度目のことであった。


――砦の戦い以来か。


 三ヶ月前の凄惨な戦いを思い出すと、遠出に弾む心が急速に冷えた。

 何よりも大切なものを失った戦い。

 その悲しみを乗り越えるのに、随分と時間がかかったように思う。いや、本当に乗り越えたのであろうか。かつての自分と、今の自分。それは、同じものなのか。立ち直ったとは、以前の自分に戻ることなのだろうか。


――いや、きっとそうではないだろう。


 悲しみを乗り越えることで、かつてとは違う自分になった、と思っている。

 どこが違うのか、と誰かに問われても、明確には答えられない。だが、半身を失ったような、そしてその失った半身を取り戻すため、また違う半身を取り込んだような、そんな感じがする。もしかしたら、新たな半身など無く、残った半身がその密度を薄めて全身に広がり、空虚な自分になっているのかも知れない。そしてそんな空疎な身体に、寒風が通り抜けていくような、耐え難い寂しさを覚えるのであった。


「いかがなされました、キュビィ様」


 車の向かいに座ったサテュアが、心配そうに顔を覗き込んだ。


「……いや。なんでもない」


 女王キュビィ=パンダールはそう言うと、顔色を見られまいとするかのように、車窓へと顔を向けた。

 しかし、その景色はまったく頭に入ってこない。

 砦に近づくにつれて、王城を出るときとは反対に、心はじめじめと暗くなっていく。

 その心情を表すかのように、空はにわかに厚い黒雲が広がり、やがて細かい雨が降り始めた。


「あ、雨」


 サテュアが小さく呟いた。


「馬車にいれば濡れませんが、外の兵隊さんは可哀相ですね」


 当然ながら、キュビィの馬車は多数の兵に護られて進んでいる。

 今では、王都から南の砦へ向かう街道の両脇に、大木のような鉄柱が不規則に幾本も埋め込まれており、それが結界を生み出している。それゆえ、街道沿いには魔物が現れる事はなく、多数の兵による物々しい護衛がやや不釣合いに見える。だが、それでも女王の身を脅かす存在が魔物だけであるとは限らず、念を入れた警戒態勢となっているのであった。

 馬車に付き添って歩く兵士たちは、小雨には眉ひとつ動かさない。それでも、雨に濡れれば装備はより重くなる。

 サテュアが気の毒がるのも分かる。


「可哀相か。確かにな」


 キュビィは軽く頷くと、また沈鬱な表情に戻った。緑色の瞳には、雨粒がうつろに映りこんでいる。

 サテュアは、そんなキュビィを気にしながらも、話しかけてはいけないような空気を感じ取ったのか、時どき様子を窺うようにチラチラと見るほかは、黙って座っている。

 この旅には、高齢のクラウディアを連れて行くわけにはいかなかったため、若い侍女として、最近仕えたサテュアが付き添っていた。彼女は王城を去った元商工大臣トッシュ=ヴァートが推薦した。

 ふと、キュビィは目を上げた。


「サテュア。出仕するようになってから、どのくらいになる」


「明日で、ちょうど二ヶ月になります」


 黙っていたかと思えば、急に話しかけるキュビィの声に驚いた様子も見せず、サテュアは即座に答えた。


「二ヶ月……もうそんなになるのか」


 サテュアがやって来たのは、ヴァートが下野したのと入れ違いであった。つまり二ヶ月というのは、キュビィの治世が新たな顔ぶれで行われた期間と等しい。

 キュビィは、自らが感じた時間と、実際に流れた時間の違いに、思わず戸惑いを覚えた。


「早いものですね」


 そう言って相槌をうつこの若い侍女は、元々は、貧しい家の生まれだという。

 だが、ヴァートの見込んだとおり、なかなか細やかな気配りができる、とキュビィは感心している。もともと、生まれの貴賤など気にしないキュビィであるのだが、なによりサテュアを気に入ったのは、彼女が城下町の様子に詳しいからであった。

 それがキュビィの目を引いたのである。

 キュビィは、政策を吟味する時などは、時どき、サテュアに意見を求めたりする。その時、決まってサテュアは民の視点から答えるので、キュビィはハッと胸をつかれたように思うことがある。大臣達の献策は、時としてサテュアに意見を聞くことで、机上の空論であると気付かされたり、また血が通ったように活き活きとしたりすることがある。


――ヴァートも、良い置き土産を残してくれたものだ。


 キュビィはそう思っている。

 レイモンド亡き後の宰相として、キュビィは、ヴァートを高く評価していた。

 絶望の底であえぐ自分を、彼なりのやり方で励ましてくれたこと、ウォルサールの乱でも、キュビィの命を救う手立てを打ったこと。ヴァートはレイモンドにも決してひけを取らない宰相ぶりであった、と思っている。

 官職を辞したいと言ったヴァートの意思が頑強であると分かった時、強引にでも引き止めず、黙って行かせたのは、キュビィなりの感謝のしるしであった。

 去り際、ヴァートはキュビィにひとつだけ願いがある、と言った。


「侍女として、一人の娘を推挙したいのですが」


 それがこれまで王城仕えをしたこともないサテュアであった。


「侍女をひとり召抱えるくらい、わけはない。しかし……それだけで良いのか?」


 キュビィが聞くと、ヴァートは満足そうに笑って頷き、


「その者をできるだけ、陛下のお側にお置き下さい」


 とだけ言った。

 その時のキュビィには、ヴァートの意図がまるで分からなかったが、しかし、今は分かる気がする。


――ヴァートよ。わらわに民の声を聴け、と言いたかったのだな。


 目の前で、不安げに女王を案じる侍女を、キュビィは改めて見た。

 年齢はキュビィより一、二歳上、といった所であろう。大人しそうな顔立ちではあるが、聡明そうな眼差しには、強い意志が潜んでいるようにも見える。


「……確か、サテュアには兄がいたな」


「はい。兄は冒険者をしています。ちょうど今、南の砦にいるんですよ」


 それからサテュアは、久しぶりに兄に会える、と嬉しそうに笑うと、ハッとした表情をして、すみません、と謝った。

 キュビィは少し表情を和らげると、構わない、と言ってから、


「冒険者か。心配ではないのか」


 と、言った。優しさを含んだ声である。


「ええ。仲間のかたが、強いんです。とても」


「そうか」


 彼女の兄であるヒュー=パイクは、かつて南の砦の戦いの時、キュビィが率いる第三部隊に属していたのだが、当然、キュビィはその事を知らず、サテュアも知らない。

 もっと言えば、マスター・ウォルサールによる庭園事件の際に、キュビィの命を救った冒険者の中にヒューがおり、その後、彼らに恩賞を与えたりしているので、当然顔は知っているはずなのだが、そのヒューがサテュアの兄だ、という事までは知らなかった。

 馬車の二人の顔を、さっと陽の光が照らした。

 先程までの雨が、空へ逆流するかのようにあがって、晴れ間が広がった。


「通り雨だったようですね」


「うん」


 キュビィは、視線を下に落とすと、サテュアが言った『冒険者』という言葉を心の中で繰り返し呟いた。キュビィにとって、その言葉には特別な響きがある。

 それは言うまでも無く、勇者計画を実行したレイモンドのことが嫌でも思い出されるからである。

 いまや、パンダールの酒場や冒険者は王国にとって無くてはならない存在となった。

 冒険者と聞くたび、その黎明の記憶がレイモンドの姿をともない、いつも複雑な色合いでキュビィの胸に広がるのである。


――しかし。


 女王という立場が、感傷に浸っているだけの自分を許してはくれない。

 王はパンダール大陸にキュビィただ一人であり、すべての人々の命運はその女王一人に懸かっているのである。

 かつてレイモンドに言った――女王という運命を受け入れると決めた、と。

 それは、レイモンドがいない今、キュビィにとってある種、誓いのような意味合いを持っていた。亡きレイモンドとの約束である、と言ってもいい。その約束を守ろうとすることで、キュビィは顔を上げ、前を向き、女王であることができた。

 

――共に歩くことは出来なくとも、約束を果たすことは出来る。


 そう、キュビィは信じていた。

 誓いの中に生きる。

 それが、レイモンドとの最後の絆のように思えた。か弱く、儚い絆かも知れない。だが、十四歳の少女には、それが心の奥底で、小さいながらもはっきりとした輝きを保っている。


「あ、陛下。外を」


 急にサテュアが明るい声を出して、窓の外とキュビィとを交互に見ている。キュビィはつられるように外へ顔を向けた。

 そこから見える青空には、色鮮やかな橋がかかっていた。


「虹か……」


「きれいですね。きっと、いいことがありますよ」


 サテュアは目を輝かせている。

 いいことがある、と本当に信じている者にしかできない表情である。その顔を見て、キュビィも本当にいいことがある様な気がしてきた。


「そうだな。……きっとそうだ」


 キュビィは陰鬱な考えを振り払うように笑い、再び虹を眺める。そうしていると、心にも大きな虹がかかったような気がした。

 その時、がくんと馬車が急停車し、眉を寄せたキュビィに、車内を覗き込んだ御者があわただしく告げた。


「道の向こうから早馬がきます」


 進行方向から来た馬であれば、すなわち砦から発せられたとしか考えられない。急使を立てたのはオーアであろう。最前線である砦の異変は、重大事である可能性が高い。

 胸騒ぎを覚えたキュビィは、即座に御者に命じた。


「呼び止めて、話を聞くのだ」


 報せは、キュビィの危惧したこととは別の事であったのだが、聞くなり顔色が一変した。

 キュビィは取りつかれたように御者席に飛び乗ると、御者を押しのけ、狂ったように自ら馬へ鞭を入れた。




 砦の城壁の上から、兵士が大声で何事かを叫んでいる。

 その声に気付かされ、顔を上げると、遠くに細長く土煙が起こっているのが見えた。


「馬車だ」


 隣ではオーアがそう言っている。やや声が興奮に上ずっているのが分かる。

 周りの兵士たちからも、一斉にどよめきの声が起こった。


――あの馬車に、陛下が乗っている。


 そう考えた直後から、音が消え、すべての意識が遥かに見える土煙だけに注がれた。

 聞こえるのは、己の鼓動の音のみ、である。

 だが、馬車はいまだ遠く、なかなか近づいてこない。

 一瞬が、何年もの月日のように感じられる。

 無意識のうちに、誰かの馬の手綱をひったくって、その背中飛び乗ると、力いっぱい腹を足で蹴っていた。馬のいななきさえ聞こえない。


――陛下! 陛下!


 土煙に向かって、夢中で駆けた。

 馬は全速力に違いない。それでも、手綱を上下に動かし、さらに速く、速くと馬を急がせた。

 気が遠くなるほど長い時間をかけたように感じたが、ようやく馬車が見えるだけの距離にまで近づくことができた。

 その御者席に、光が見えた。


「陛下―!!」


 思わず叫んでいた。いや、叫んだかどうかさえ、定かではなかった。

 だが、次の声ははっきりと聞こえた。


「レイー!!」


 ずっと聞きたかった声。

 その声を聞いたレイモンド=オルフェンは、わき起こる感情に身を震わせた。

 もう、周りの景色も見えない。ただ、視界には、美しい金髪の、可憐な少女だけが映っていた。遠くても、それは明確に分かる。

 何度も互いを呼び合う。その声が次第に大きくなっていった。気付くと、レイモンドは馬を捨て、地を走っていた。キュビィも既に馬車から降り、同じように走っている。

 そして、ついに、その距離は至近にまで迫った。

 ふたりの足が止まった。


「陛下……」


「レイ……」


 互いに息を荒げ、肩で息をしながら、しかし、目だけは、しっかりとそれぞれを見据えている。

 そして、キュビィは再びレイモンドに向かって走り出した。その勢いは、あと数歩でレイモンドに達するという位置まで来ても、衰えなかった。

 キュビィは力いっぱい地を蹴ると、飛び上がった。


――陛下!


 次の瞬間、レイモンドは目を疑った。

 顔の前に迫ったのは、キュビィの愛らしい顔ではなく、その靴の底であったからである。

 直後に、レイモンドは思わず声を発した。


「ごべっ!」


 それが正確な表記となるかは分からない。

 だが、声にならない声、であった。

 すなわち、女王の強烈な蹴りが、レイモンドの顔面を捉えたとき、蹴られた本人が意図せず発した音声であった。

 もんどりうって、地面に転がるレイモンド。

 キュビィはすぐに体勢を立て直すと、倒れた拍子に後頭部をしたたかに打ちつけ、両手で顔と頭を押さえて悶えるレイモンドの上に乗った。


「レイの馬鹿! だいッ嫌いだ!」


 叫ぶやいなや、レイモンドの首と肩に両腕をかけ、力の限り、引き絞った。


「ぐぶぅ……」


 たちまちレイモンドの首の骨と関節が、ギリギリと不気味な悲鳴を上げた。

 首に強烈な力を加えられ、言葉はおろか、息もできないレイモンドは、足をばたばたとさせ、ぐう、という苦しい声を上げた。


「本当に死んだと思ったんだぞ! お前なんか! お前なんか……」


 激痛に苦悶の表情を浮かべるレイモンドの顔に、ふと、痛みとは違う、暖かい感触があった。頭はがっちりと固定されているので、目だけを動かし、キュビィの顔を見た。

 その瞳からは大粒の涙が降り注いでいた。


「レイの……馬鹿。わらわがどれだけ……」


 次第にキュビィの腕の力が弱まる。

 レイモンドはキュビィに組み敷かれたまま、ようやく発せられるようになった声を絞り出した。


「陛下……、遅くなりましたが、お約束は何とか守れました……」


 約束。

 それは、南の砦の戦いを前に、キュビィとレイモンドが交わした約束。


――死ぬな、わらわを守れ、絶対に勝て。


 レイモンドは関節技から解放され、ようやく口の端に微笑をたたえた。キュビィの涙は、組みしかれたレイモンドの頬を相変わらず濡らしている。

 約束……? とキュビィは呟くと、うつむいた。


「愚か者。それは約束ではなく命令だ。王命を果たすのは当たり前ではないか」


 今度はキュビィの拳が、容赦なくレイモンドの顔に降り注いだ。レイモンドの両腕はキュビィの足で固められているため、その拳を防ぐことが出来ない。


「痛、いた、イタ! 陛下、お慈悲を!」


 キュビィの攻撃の手が止まったのは、いつの間にか二人の周りに砦の皆が追いついていて、オーアがレイモンドの解放を求める声を上げたからである。


「陛下、恐れながら、それ以上は、レイモンドが本当に死んでしまいます……」


「死んだら……打ち首にしてくれる」


 と言いながら、キュビィはレイモンドを解放すると、ようやく上体を起こしたレイモンドの頭をその両手で抱いた。

 柔らかい感触と、甘い匂い、そして暖かさがレイモンドを包んだ。

 レイモンドも思わず腕をキュビィに回し、その身体を強く抱きしめた。


「陛下、私の罪は万死に値します」


 囁くようなレイモンドの声が、キュビィの髪を揺らした。キュビィの腕の力が強くなる。


「わらわを一人にするなど、重罪も重罪だ。もう、二度とわらわから離れることは許さん」


「……かしこまりました」


 ところで、こんな場面を見せ付けられた臣下は、どうしたら良いだろうか。

 はじめこそ、奇跡の再会に、一様に胸を打たれたのだったが、固く抱き合った二人は、そのまま身じろぎもしないので、徐々に皆の顔が困惑の色に変わっていった。


――お止めするべき……か?


 そう思ったのは、軍務大臣グゼット=オーアや、その副将ヒューバート=ヘイエルをはじめとした、その場にいる全員であろう。ただ一人、悲しい笑顔を見せるフラム=ボアンを除いては。

 やがて、しびれを切らしたオーアが盛大な咳払いをすると、ヘイエル以下それにならい、二人の身体が離れるまで、咳払いの合唱は続けられた。

 なお、そののち、砦の視察に訪れたはずのキュビィは、


「帰る」


 と言って、レイモンドとフラムを伴い、その日のうちに王都へと帰っていった。

 オーアがいろいろな意味で、ホッとしたのは言うまでも無い。


「いやあ、陛下もオルフェン閣下も、初めてお会いしましたが、いいものを見せていただきました」


 気楽に言うヘイエルの頭を、オーアが小突いた。


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