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第32話:宴と美姫の舞

「そろそろ日が落ちるな」


 ルカは、同じ部屋のライナスの声で、テーブルに突っ伏してた顔を上げた。

 同時に鼓動が速くなる。


「いよいよだね……」


 外はライナスが言うように夕日に染まりつつあった。

 西日が部屋の中にも入ってきている。

 

「そういえば、ルネは?」


 部屋を見渡すに、ルネの姿が見えない。


「外にいるよ」


 ライナスはぼそりと言った。

 手にした剣を布で拭きながら、鈍い光に吸い込まれたようにじっとその剣身を見つめていた。

 随分長い時間、ライナスはそうしている事にルカは気付いた。きっとルカと同様、ライナスの気持ちも昂ぶっているのだろう。それを鎮めるための儀式のようにも見える。


「私、ルネを見てくる」


 何となく落ち着かないルカはそう言って、屋敷を出た。

 外に出るなり一層強くなった夕日の光に、思わずルカは目を細める。


「ルネ?」


 周りを見渡すが、ルネの姿はない。にわかに不安がよぎる。

 が、ルネは夕日を背にした格好で、ルカの方へと歩いてきた。逆光のため表情は見えないが、どこか悠然とした風にルカには見えた。


「ちょっとルネ。どこ行ってたのよ」


 聞いたルカは、次にぎょっとして思わず身を引いた。

 ルネの足元には、無数の甲虫が蠢いていたからである。その上、その甲虫の大きさは通常のそれとはかけ離れている。すべてが大人の頭ほどの大きさがあるのだった。


――魔物!?


 もうルネはルカの目の前にまで近づいてきていた。逆光とは言え、その顔が見えるほどの距離。

 ルネはルカに答えるように、ニッコリと笑いかけた。まるで、心配いらない、と言っているかのようだ。それから、甲虫の群れは、ザザザと音をたてながら、ルネから離れて森のほうへと帰っていった。

 ルカは、少し困ったように言った。


「……そろそろ出かける時間よ。こっちはあんたが主役なんだから、すぐに支度しなくちゃ」


 と言って、ルネの手を取り、屋敷へ戻ろうとした。

 が、屋敷の方を向いて歩き出したルカの手を、ルネが引っ張った。思わずルカは体勢を崩しそうになる。


「ちょっと、なんなのよ」


 言いながら振り向いたルカは驚いた。ルカの目に飛び込んできたのは、屋敷の方へ近づいてくる数人の馬上の男たちであった。


――ピケの手下!?


 こんな時に! とルカは舌をならした。

 すぐに小声で、そして早口にルネに言った。


「ライナスの所に戻ろう」


 二人は屋敷へと駆け出した。




「一体、何の用だ。こんな時間に。また脱走者か?」


 ライナスは押しかけてきたピケの手下を、憮然とした顔で見渡した。手下の人数は三人。その気になれば、力ずくで何とかできない人数ではない。

 その男の一人が、ライナスに話した。

 

「いや。上からお前たちの様子を見張っていろ、と言われてな」


――まさか、露見したのか!?


 ライナスは感情が表に出るのを隠すのに苦労した。とにかく、必死に平静を装い、状況を聞きださなければならない。


「……我々を見張る? どうした、集落で乱でもあったか」


「いや、理由はわからねえんだがよ。スネイルがどうしても、って言うからさ」


 と、男たちも頷きあう。どうやら、集落に潜入しているであろうレイモンド達の事は知らされていない様子である。

 

――スネイルの差し金か……。


 ピケの右腕、スネイル。

 頭が切れ、油断ならない男。まるで蝸牛スネイルのように、殻にこもったように固く、常に表情を変えることがない。

 ライナスはある意味ピケよりも、この切れ者を誰より警戒していた。


――恐らく、潜入したレイモンドさんたちに疑いを持ったのだろう。


 いや、レイモンドを頭から信用したとしても、用心深いスネイルのことである。念のためライナスとの関係を疑って動向を探らせに来ても、不思議ではない。とにかく、ライナスとしては、潜入したレイモンドが上手くやっている事を祈るのみである。

 そして、目の前にいる手下どもを何とか片付けなければならないのだが。


「そうか、まあいい。……どうだ、今から夕食なのだが、見張りがてら、一緒に食べないか?」


「何?」


 男たちは思いがけないようで、思わずお互いの顔を見合わせている。

 ライナスは疑いを持たれないよう、笑顔を絶やさない。


「ちょうど、鳥を一羽つぶした所なんだ。そいつを肴に、一杯どうだ?」


 いかにピケの手下とはいえ、家畜の家鴨などそうそう口にできるものではなかった。男たちの喉がゴクリと鳴るのがライナスにも分かり、内心ほくそ笑んだ。


「そ、そこまでいうなら仕方ない」


 男たちは迷う素振りも見せず、ライナスの誘いに乗った。

 言うまでもないが、男たちが家鴨にありつく事はなかった。その代わり、ルカによる鍋の一撃が、男たちの後頭部に盛大に振舞われたのであった。




 一方、集落では、王国の使者を歓待する宴が盛大に催されていた。

 気の荒い男たちとは言え、宴会は好きと見え、卓上に所狭しと置かれた珍味に舌鼓を打ちつつ、皆なみなみと注がれた麦酒を胃に流し込んでいる。陽気な雰囲気が部屋を満たし、六十人近い男たちは談笑に興じている。

 上座にあるピケもまた上機嫌で、酒を幾杯も空にしていた。


「ご使者も、遠慮することはない」


 そう言ってピケは使者であるレイモンドにも酒と食事を勧める。

 だが、集落の人々の暮らしを僅かとは言え目にしたレイモンドは、とてもではないが、その食事を口にする気にはなれなかった。

 それはフラムも同じであるらしく、宴が始まって以来、一度も食器に触れていない。

 そんなフラムにレイモンドは耳打ちする。


――少しでも食べなければ、怪しまれる。


 それを聞いて、ようやくフラムは食事に手を付けた。レイモンドも我慢をして、住民の娘の酌を受けている。

 娘は怯えきった様子で、レイモンドの杯へ酒を注いでいる。その目には、レイモンドへの侮蔑の色が浮かんでいるようにさえ見て取れた。

 人々は疲弊しきっている。宴での会話から、恐らく娘もレイモンドとフラムが何者であるかは感じ取っているはずだ。王都の使者であっても、非道を働くピケに組するのか、と落胆したような、そんな表情が娘の顔にも表れている。

 その目は、美しく着飾ったフラムにまで向けられていた。

 ライナスに用意してもらったそのドレスは、貴族らしい質のいい布地で織られ、豪華な刺繍は眩しいばかりに光り輝き、身にまとったフラムの美しさを引き立てていた。

 それだけでなく、大きく開いた胸元と背中は、白く滑らかな肌を存分に露出させ、フラムの黒い髪との明暗コントラストを強調してやまない。ピケでなくとも、そんな極上の女を前にすれば、男には目を逸らすことは至難の業といえた。


「酒もいいし、食事も大変結構ですな」


 レイモンドはピケに不審に思われないよう、宴を堪能している事を少し大げさに言った。

 フラムも、


「本当に」


 と言って、レイモンドに合わせた。

 ピケは満足そうに頷いている。

 レイモンドから見てピケの向こうには、冷たい目を光らせたスネイルが静かに控えていた。スネイルは食事には手を付けず、杯も持たずに、まるで監視するかのように、レイモンドとフラムの様子を窺っていた。

 ピケも、そんなスネイルの様子に気付き、


「お前も、そんな仏頂面せず、少しは飲んだらどうだ」


 と、酒を勧めた。

 スネイルはいつもどおり表情を変えることなく、そうですな、とだけ言って、娘の酌を受けた。


「その方は」


 レイモンドはピケにスネイルについて聞いた。

 彼の様子が他の手下とは違うという事に、レイモンドも不安を抱いていた。

 ピケは一笑して、レイモンドに答える。


「ああ、こいつは堅物でな。優れた手腕の持ち主なのだが、ご覧の通りの鉄仮面で。まあ、気になさるな」


 そうですか、とレイモンドは答えたが、やっぱりスネイルは表情を崩さない。

 スネイルの油断を期待していたレイモンドは、内心落胆し、その上、不安がいや増した。氷のように光る目は、たくらみを含んだレイモンドの心を見透かしているように見え、落ち着かなくさせた。

 しかしながら、レイモンドが落ち着かない理由はそれだけではなかった。


――宴が終わるのは、思ったより早いのではないか。


 既に月は空高く上り、外はすっかり闇に包まれていた。

 美姫を献じる、といった手前、ピケがフラムを欲せば拒否することはできない。宴がたけなわを過ぎ、お開きとなった瞬間、ピケはフラムを伴って寝所に篭るのは目に見えている。

 事を起こすのは、何としてもその前でなければならない。

 

――ピケの酒が早すぎる。


 それもレイモンドは気になっていた。

 フラムの美しさを、ピケが気に入ったのは計算どおりであったが、ピケの飲む早さ、というのは想定外であった。

 次第にレイモンドは焦り始めていた。

 そんな様子にスネイルは気付いたかのようであり、たちまち眼光を鋭いものにした。


「何か、落ち着かないご様子ですが」


 と、レイモンドにチクリと言ってきた。

 レイモンドは骨を折りながらも、平静を保ちつつ、


「いえ、べつに」


 とだけ言って、杯をあおった。

 そんな攻防とは別に、ピケの手下の男たちは余興を始め、まさに宴はたけなわ、といった格好になった。


――ライナスさん、ルカ、ルネ、急いでくれ。


 レイモンドはピケに向ける微笑の下で、嫌な汗が背中に流れるのを感じていた。


 


「遅くなった。ルネ、急いで」


 漆黒の闇に包まれた山の中。

 以前、レイモンドを連れて集落の様子を見に来た場所である。

 ルカは弟ルネをそう急かした。

 ルネは頷いて、目を閉じると、意識を集中させるように少し下を向いた。

 そんなルネを見て、ルカは遠く離れ集落にいるであろうレイモンドを思った。


――レイのやつ、また頭痛くなってんのかな。


 顔を青くしてうずくまる、いつかのレイモンドの姿が目に浮かんだ。

 レイモンドの事を考えると、不思議とルカは、言いようの無い満ち足りた気持ちになる。ずっと、レイモンドと一緒に居たくなる。顔を見ていたい、そう思う。

 

――これって、恋、なのかな。


 ルカは男が嫌いであった。

 まだ集落で暮らしていた時の事。ピケの手下に襲われそうになった事がルカにはあった。

 その時は、ライナスによって事なきを得たものの、それ以来、男という生き物が嫌で嫌で仕方がなかった。

 初めてレイモンドに会った時、ルカはレイモンドがフラムを襲っているのかと思い込んだ。それは過去の思い出したくもない記憶が原因であると言っていい。

 そんなルカの心に、いつの間にか、あの冴えないレイモンドが居た。

 ルカにとって男とは魔物に等しかった。有無を言わせず、飛び掛ってくる、禍々しい魔物。だが、レイモンドはその対極にあるように、ルカの目には映った。そんなレイモンドに惹かれたのかも知れない。

 ライナスはどうやらそんなルカの気持ちに気付いているらしい。だが、ルカはそうした思いを隠すどころか、大きな声で叫びたかった。


――私は、レイモンドが好き!!


 そう言えたら、どんなに楽だろう。

 その思いをレイモンドに言えたら、どれだけ楽になるだろう。

 心の中にあるレイモンドへの想いは、楽しいだけでなく、説明のつかないような苦しい気持ちもまたあるのであった。


――恋って、苦しいんだな……。


 いずれレイモンドが王都に帰ってしまう事を思うまでもなく、そう考えずにはいられない。

 それにしても、フラム=ボアンはレイモンドとはどういう関係なのだろう。恋人、というのはレイモンドは否定はしていたのだが。それでも、レイモンドには、心に決めた女性がいるような気がしてならなかった。

 悶えるルカの服の裾を、クイクイと弟のルネが引っ張る。

 ハッとしたルカが、弟の視線の先を見ると、集落の周りに、いくつかのかがり火が動いているのが見えた。

 どうやら、ルネは魔物を呼び出し、集落を襲わせる、という事に成功したらしい。かがり火は、そんな魔物と戦うピケたちによるものであろう。

 怪訝な顔で姉の顔を覗き込むルネに対し、ルカは顔を赤らめながら、軽く咳払いをすると、


「これで、とりあえずは計画通りね」


 とルネに言った。

 ルネはコクンと頷く。


「後は、レイとフラムさんに任せるしかないわね」


 暗闇と、そこに揺らめく火を見ながら、ルカはそう言ったのだった。




 少し時間は戻る。

 ピケの宴の盛り上がりは最高潮を過ぎ、ピケの酒量も目に見えて落ちてきていた。

 瞼の動きを見ていると、随分と重くなっているらしく、とろんとした目で、傍らのフラムを見ている。

 げへへ、と気味の悪い笑い声を漏らしながら、フラムの細い手を取ると、ゴツゴツとした手のひらで撫でるのであった。

 それを見るレイモンドは、今すぐにでもピケを叩き斬りたくなる。が、それを全力で耐え、そのうえ笑顔さえ浮かべた。

 フラムも、困惑した表情をして、時折レイモンドの方をチラチラと見る。フラムが嫌がっているのが分かるだけに、レイモンドも居たたまれない思いがわきあがる。


――ルネ、ルカ。早くしてくれ!


 そう、レイモンドは心の中で叫んだ。このままフラムをピケのような者に手篭めにされる訳にはいかない。


「お頭。そろそろ……」


 傍らのスネイルが、宴の終わりをピケに促す。

 それを聞いたレイモンドには、冷や汗が流れた。


「そうだな……」


 レイモンドの思いに反して、ピケはスネイルの言に頷きかけた。


――どうする!?


 レイモンドは、いつものように頭の中を引っかきまわして、それから逃れる術を探した。

 だが、妙案は浮かばない。

 これまでか、と思った瞬間、今まで、まるで言葉を発しなかったフラムが口を開いた。


「ピケ様。楽しい宴のお礼に、舞などを披露しとうございます」


 まるで快い鈴の音が響いたかのような、男心をくすぐる声色であった。

 その言葉を聞いて、岩のようなピケの顔がふにゃりと崩れた。


「良い。舞など、この何十年も見ておらん。王都仕込みの舞を、我らに見せてくれ」


 上機嫌のピケは手を叩いて喜んだ。


――フラム、さすがだな。


 レイモンドは首の皮一枚繋がった、というような思いで、周りに分からないようにホッと小さく息をついた。


「では」


 フラムは艶やかな身のこなしで、ピケの身体にぴったりと密着すると、いつの間にかピケの剣を抜き、部屋の中央にまで進み出でた。


「ほう、剣舞か」


 ピケはまるで疑いを持たず、フラムの残り香を楽しむような顔をして、その美しい肢体に注視した。

 フラムは、しばしの間をおいて、流れるように舞いはじめた。

 その様は、レイモンドも思わず見とれてしまうような、柔らかくも激しい舞であった。それは、剣を合わせている相手が見えるようであり、時には、花が匂うようでさえあった。

 

――これは……。


 これほどの舞を、フラム=ボアンはどのようにして身につけたのか。

 以前、フラムを育てたのはマスター・シバであるとの話を聞いているレイモンドは、恐らく、シバが授けたものであろうとの見当をつけつつも、シバであってさえ、これほど優美に舞えるものなのか、とも思った。

 ともあれ、その場に居た者すべてがフラムの舞に魅了された。舞が終わるのが惜しいほど、この時間が永遠に続いて欲しいと思うほど、フラムの舞はそれだけの魔力を秘めていた。

 だが、そんな甘美な時間も、突如部屋に入ってきたピケの手下によって打ち破られた。


「お頭!」


 部屋にいた全員がハッとした。フラムも舞うのをやめた。

 無粋な部下に気を悪くしながらも、ピケは、


「何事だ」


 と言った。

 いや、ピケだけではない。部下も等しく、その報告に現れた男を睨んだ。

 男は怯むそうになりながらも、伝えるべき内容を口にした。


「魔物です! それも大軍の!」


 レイモンドは、今までフラムの舞の美しさに忘れていたのか、その声でようやく頭痛に気付いた。と同時に、安堵の息が漏れる。


――ルネがやってくれたか。間に合った。


「者共! 我に続け!」


 途端にピケの顔に巌のような厳しさが戻った。

 今までフラムの舞に飲まれていた手下も、我に返ったように、おう、と答えると、ピケの後に続いて部屋を出て行った。残ったのは、およそ半数近くである。

 すかさず後に残ったスネイルの声が飛ぶ。


「お前らは後詰として、いつでも戦える準備をせよ」


 おう、と残った三十人足らずの手下が答えた。

 レイモンドはフラムを見た。

 フラムは小さく頷くと、舞のための剣の握りをずらし、戦うための深い握りに変えたのだった。

 

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