第30話:暗い森
フラム=ボアンの怪我は日が経つにつれて、順調な回復を見せた。
一ヶ月も過ぎた頃にはベッドから起き上がることができるようになったし、二ヶ月も過ぎれば杖を使って歩くこともできるようになっていた。
その間、ライナスの屋敷から離れた小屋で、ずっとフラムはレイモンドと一緒に暮らした。
幸いにして、近隣に位置する集落を支配するジェイルズ=ピケ一党に見つかる事もなく、無事に過ごしている。
それにしても、フラムには不思議に思うことがあった。
――もしや、閣下は私が女だという事をお忘れになっているのではないだろうか。
そう思わずにはいられないくらい、レイモンドの態度は以前とまったく変わることがなかった。フラムが女であるという事は、既にレイモンドに知れてしまったはずである。それを本人にも確認している。
――意識してしまっている私のほうがおかしいのだろうか。
と、フラムは思ってしまう。
つまり、狭い小屋で年頃の男女が二人きり、という状況にも関わらず、王都の宰相執務室で一緒だった時のようにまるで何事もなく過ぎていったのである。
不安だっただけに、ホッとしたフラムではあったが、同時に、どこか複雑な感情も覚えていた。そして、そんな事を考えていると、いつも顔が熱くなるのが自分でも分かるため、あわててその考えを振り払うのであった。
第一、不安の中身がフラム自身にも良く分かっていない。ただ漠然とした不安なのである。それは女だと知られていなかった以前では、感じた事の無い感覚であった。
「もう少しで、杖も要らなくなるでしょう。順調、順調」
毎日のように往診に来てくれるライナスが、フラムに言った。
「ありがとうございます」
フラムはそう礼を言った。
本当にこのライナスには礼を言っても言い足りない。もしライナスに会うことができなかったら、一体どうなっていたことか。
フラムはレイモンドと違って、ライナスたちの生活の足しになるような手伝いができないため、何の恩も返していない。それがより一層、心苦しかった。
そんな心苦しい心境を謝っても、ライナスは笑って首を振るのみである。
「ま、その分はレイに働いてもらってるからね」
ライナスの横のルカが言った。彼女はちょくちょく来ては、レイモンドと話したり、食料を持ってきてくれたりする。
言われたレイモンドは、
「いや、役に立ててるかどうか……」
と、顔を赤らめている。
往診から帰るライナスとルカを見送ると、フラムは隣のレイモンドに、
「もう少しで剣も振れるようになります」
と言った。その言外には、集落のピケと戦えるようになる、という意味を含んでいる。
レイモンドはそれに無言でうなずく。
既にフラムはレイモンドから、王都から軍が来る前に集落を落としたい、とはっきりと聞かされていた。
フラムにしてみれば、レイモンドの命ならば、集落に居座るピケ一党と戦う事は迷うようなことではない。しかし、今度ばかりはライナスたちへの恩返しが自分の力でできる、というのもやはり大きい。
とは言え、まったく心配がない訳ではなかった。
――小さいとは言え、集落ひとつをたった二人で攻め落とすなどという事が可能なのだろうか……。
それを可能にする策があるのだろうか。だがそれについては、まだ詳しくレイモンドから話を聞いていない。恐らく、レイモンド自身も、考えがまとまっていないのではないか、とフラムは思っている。
その証拠に、レイモンドに集落の攻め方を聞いた所で、
「うん。今に話す」
と、曖昧に言うだけなのである。
それでいて、二人で居るときに、ふと、ジッと考え込んでいたりもする。
「閣下……」
と、フラムが呼ぶと、ようやく熟慮していた事に気付いたように、
「や、やあ、フラム」
などと、とぼけた返事をするレイモンドなのであった。
レイモンドがそんな調子なので、ある時フラムは思い切って聞いてみた。
「あの……閣下。実は集落を落とす方法がまだ決まっていないのではないのですか?」
それにも、レイモンドは、少しだけ笑顔を見せるだけであった。
「大丈夫。フラムは身体を治すことを考えてくれればいい」
レイモンドはフラムの体調をとても気遣ってくれる。時どき、フラムのために、ルカと共に薬草を採りにいってくれたりもする。
「お気遣いは嬉しいのですが、何か戦略でお役に立てないかと……」
そうフラムが言うと、やはりレイモンドは逡巡した風であった。
これでは埒が明かないため、フラムは聞き方を変えた。
「普通、少数で多数を攻める場合は、その首魁を倒すのが常道だと思うのですが……」
「うん。まあ、そうだね」
「では、集落に潜入なさるおつもりですか?」
「うん。まあ、ピケ一人だけをおびき出すなんて不可能だから、そうなるね」
レイモンドはフラムの問いかけに頷くだけである。
「問題は潜入するための方法ですか?」
「いや、そこは多分大丈夫だろう」
てっきり問題点はそこだと思っていたフラムは、少し意外であった。
「ではその先……、ピケに近づく方法ですか?」
「いや、そのさらに先だよ」
その先、の意味をフラムは考えた。
普通ならば、ピケに近づき、捕らえてしまえば手下たちは手出しが出来なくなるはずである。
そうしておいてから、手下の武装を解除してしまえば良い。
「それが果たしてそう上手くいくか、という事ですか?」
「うん。力で押さえつけているだけのピケに、手下がそこまで心服しているのかが疑問なんだよ」
そう言われてみれば、確かにそうかも知れない。
力だけで人を屈服させている連中である。そんな無法者の集まりならば、ピケの後釜を狙う手下がいてもおかしくは無い。ピケの喉元に剣が突きつけられようとも、そんな手下どもは平然と襲い掛かってくるだろう。
「ライナスさんの話では、実際にそんなヤツがゴロゴロいるらしいんだ」
そう言ってレイモンドは笑って首を振った。
「なるほど、確かに一筋縄ではいかないようですね」
そう言ってフラムは六十人を一度に相手にする事を想定していた。
勝てない、とは言い切れないが、逆に言えば、勝てるとも言い切れなかった。
「イチかバチか、なんて戦いはやるべきじゃないからね」
そのレイモンドの意見に、フラムも賛成である。
だが、そうなれば、結局の所は王都からの兵を待つより他に無くなってしまうのではないか。だからこそレイモンドは頭を悩ませているのだろう。
しかし一方で、
――もしや、策は既に決まっているのではないのだろうか。
と、フラムは思いはじめていた。
レイモンドは方法を探している、というよりも、何かを迷っているように、フラムには思えてきたのだった。
迷う、という事は、すでに方法は思いついている、という事である。その上で、その策を取るかどうかを迷っている。そんな風に見えてならない。考えがすぐに顔に出るレイモンドを毎日のように見ているフラムには、何となくその辺りが分かるようになってきた。
だが、迷っている中身までは当然だが分からない。それをレイモンドはフラムに言ってくれない。
まだまだ閣下の信任が足りないのだろうか、とフラムは思わず表情を暗くした。
それをレイモンドは横目で見て、心の中でため息をついた。
――すまない、フラム。まだルネの能力の事は言えない。
フラムを信用していないからではない。
それをいったん口にしてしまえば、ルネの能力を前提でしか策を考えられなくなってしまう事をレイモンドは恐れていた。
――あの子は、魔物を操れる。
ライナスたちがその事を隠していることは明白である。にもかかわらず、恩ある人へ戦の協力を強引に仰いでいいものか。それがレイモンドを悩ませていた。
ライナスの事であるから、恐らくレイモンドが協力を申し入れれば、引き受けてくれるだろう。だが、それが本当にライナスたち本心なのかは分からない。危険を冒さずとも、平穏に暮らして王都からの兵を待つ。長らく中央ササールで暮らしてきた彼らからしてみれば、そのくらいの時間など一瞬に過ぎないだろう。
そこまでのリスクを負うことが果たしてライナスたちにとって望ましいのだろうか。レイモンドにはその答えが出せないでいた。
だが、そんなレイモンドの迷いに反して、意外にも話はライナスの方からあった。
日も落ち、小屋に夕食を届けにきたライナスは、レイモンドを外へと連れ出した。
レイモンドはライナスの顔に只ならぬ気色が現れているのに気付いた。
「集落を攻めるのですか」
押し殺したような、ぼそりとした声である。
ただでさえ暗い森の中。ライナスの顔に差した影は、より一層深刻さの輪郭を際立たせているように見える。
集落攻めをはっきりと伝えたわけではなかったが、すでにレイモンドは集落の様子や、ピケたちについてライナスに根掘り葉掘り聞いている。自然に伝わったのだろう。
「はい。フラムが戦えるようになれば、二人でピケたちと戦うつもりです」
「たった二人で……。そんな事が可能なのですか」
「え、ええ。まあ……」
だが、戦ったとしても勝てる見込みは五分といったところだ、とレイモンドは見込んでいる。自然と答えは歯切れが悪くなった。
それ察したのか、ライナスは、
「どうやら難しいようですね」
と言った。だが、その声に落胆はない。むしろ何か決意のようなものを含んでいるようだった。
「ルネの能力について、レイモンドさんはもうお気づきなのでしょう」
その言葉にレイモンドの鼓動が大きく反応した。
どうやらレイモンドの動揺が何よりの答えになったらしく、ライナスは大きく頷いた。
「やはり。……レイモンドさん。我々家族をその戦いに加えて頂きたい」
「え!?」
これにはレイモンドの方が驚いた。当然嬉しい申し出ではある。だが、ライナスは別にしても、まだ年端もいかぬルカやルネを戦いに巻き込んでも良いものか。
レイモンドは一瞬その事を考えたが、すぐさまライナスは言った。
「私もかつては軍医でしたから、剣の心得は多少あります。ルカにしても、レイモンドさんが剣の稽古をつけて下さっていることは存じております」
そして、ルネの存在。
若干十歳だが、その能力を使えば、フラムを軽く上回るほどの戦闘力を発揮するだろう。それはライナスの言葉を待たずとも、レイモンドには理解できる。
レイモンドは密かに思っていた。
――ルネは世界の救世主たりえる。
大陸に住まうすべての人々の敵である魔物を意のままに操る。そんな事ができる者を救世主と言わずして、何と言おう。
そう考えると、レイモンドの脳裏に王都の女王キュビィの顔が思い浮かぶ。
――わらわと共に、勇者をつくろう。
キュビィの治世が始まってまだ間もない頃。王の執務室でキュビィに抱きつかれ、その可憐な顔を間近にされて聞いた言葉である。彼女の身体の軽さは、まだレイモンドの腕が覚えている。
まだ半年ほどしか経っていないというのに、随分と昔のような気がしてならない。レイモンドの胸に、にわかに王都への郷愁が去来する。
――いや、王都に帰りたいのでは無い、陛下に会いたいのだ。
心の中でそう言葉にすると、その思いはより強いものとなった。レイモンドの胸の辺りがぎゅっと締め付けられる。キュビィに、会いたい。
そのためにも、集落の戦いで命を落としたり、負傷したりしてはならない。勝利を確実なものとするためには、ライナスたちの力が必要だった。
レイモンドは目を閉じて、じっと考えていたが、瞼をあげると、ライナスに言った。
「分かりました。是非ご協力をお願いします」
「ありがとうございます。これで積年の思いが果たせます」
暗闇の中であったが、ライナスの笑顔はレイモンドにはっきりと見えた。表情が声に現れている。万感の思いがこもった声だった。
「お礼を言うのは私の方です。あなたが居なければ、私達は今こうして生きてはいませんから」
レイモンドには、集落を攻めずに帰る、という選択肢など、始めから無かった。命の恩人であるライナスたちに、その恩をどうしても自分の力で返したかったのである。
だが同時に、ライナスの戦いたいという気持ちも良く分かった。
彼はピケとの間に忘れえぬ過去がある。裏切り者の汚名まで着せられ、その心に負った傷は容易には癒されるものではないだろう。普段は温厚なライナスから、強い意志が伝わってくるようだった。
二人の頭上に僅かにあった細い月が雲に隠れ、ただでさえ暗い森は漆黒と化した。近くで夜の鳥の声が聞こえてきた。
「今日はもう遅い。明日、詳しい話をしませんか?」
というレイモンドの提案に、ライナスはかぶりをふった。
「いえ、こういう事は早いほうがいい。今から私の所でやりましょう。もちろんフラムさんも一緒に」
「ですが……」
「私もライナスさんの意見に賛成です」
レイモンドが声のする方を振り返ると、そこにはフラムが杖に寄りかかるようにして立っていた。
フラムは立ち聞きを謝ったが、恐らく小屋の中にまで聞こえていたのだろう。それだけ暗い森の中は静けさに満ちている。
レイモンドはライナスの方へ向き直った。
「フラムは王都でも随一の剣士なんです。恐らく相手が三十人くらいなら、容易に対抗できるでしょう」
レイモンドがそう言うと、ライナスは心底驚いたような声をあげた。
「三十人……。それは凄まじい使い手だ。じょ……」
女性なのに、という言葉を恐らくライナスは飲み込んだのであろう。
確かに、はじめからフラムを女だと知っていれば当然の反応なのかも知れない。
「ピケの手下は六十人。つまり、あと三十人をどうやって分断するかが問題なのです」
と、レイモンドは言った。
だが、その問題の解決策は既にある。それこそがライナスたちの存在……とりわけ、ルネの存在なのだ。
それから三人はライナスの屋敷へ行き、作戦会議をひらいた。その中には勿論ルカとルネもいる。
打ち合わせが始まってすぐ、まずレイモンドが言い出した言葉に一同は驚いた。
「女性のドレスが一着あれば、ピケに勝てます。できるだけ上等のものがいい」
ルカなどは、驚いたというよりも呆れていた。
ドレスなど、戦いとはまるで関係ないではないか。やはり王国の大臣とは嘘だ。そんな目でレイモンドを見ている。
思わず、
「……馬鹿なんじゃないの」
と言ってしまった。
「ルカ」
と、ライナスは静かにたしなめると、レイモンドの方を見た。
「この屋敷はかつて貴族の別荘だったようで、所有者のものと思われる服が多数残っています。それをお使いになってはいかがですか?」
「それは好都合です。……では、具体的に説明しましょう」
レイモンドはそう言って、怪訝な表情の一同を見渡したのだった。
どうも、イチロです。
リニューアル後一発目の更新です。
不具合など、お気づきの点ありましたら、お教え頂けると嬉しいです。
まだリニューアル版に慣れておりませんので……。
では前回から引き続き、質問のお答えを。
Q.グレイやククリは腕っぷしが強いのに、どうしてきこりや農業といった仕事に就かず、危険な冒険者になったんでしょうか?わざわざ危険な仕事についてお金を得ることもないと思いますが。
A.一言で言えば、そういう奴らだから、でしょうか。
真面目にコツコツ仕事をやる気などはないのです。
強い刺激を求める彼らですので、冒険者稼業に魅力を感じた、という訳です。
冒険者にならなかったら、将来は酒場にいた荒くれ者のようになっていたかも知れません。
今回で質問のお答えはおしまいです。
ほかにも質問あるよ、という方はお気軽にどうぞ。




