第28話:軍医と無頼の村
レイモンドは一瞬の中で幾通りも男共との戦いの道筋を思い描いた。だが、頭の中の光景は、どれもいい結果は生み出さなかった。
じりじりと男たちはレイモンドに近づいてくる。レイモンドは木の枝を握る力を強めた。
しかし、そこでレイモンドに異変が起こった。
――なんだこれは……?
それは耳鳴りであった。
しかし、ただの耳鳴りではない。頭を割られるような強烈な衝撃が突如としてレイモンドを襲った。害意を持つ者を前にしながらも、刺すような痛みに、レイモンドは思わず両手で頭を押さえ、膝を落とした。足元に棒切れが転がる。
「レイ!」
悲痛な叫びがルカから発せられた。頼みにしていた者が突然うずくまってしまえば、誰でもそうであろう。
一方、男達はレイモンドの急変に気味悪く思ったように少したじろいだが、すぐに好機と思い直したと見え、互いに顔を見合わせると、品の無い笑い顔を浮かべてレイモンドへ刃を向けた。
しかし、本当の異変はその後に訪れた。
「み、見ろ!」
男の一人が、空を指差した。ルカがつられるようにその指の先を見る。
そこには、人の大きさもあろうかというカラスが大量に舞っていた。
「カラスの魔物!?」
距離はそれ程離れてはいない。すぐにでも襲い掛かってきそうな所で、円を描いて飛んでいた。魔物は、一同が身構えるよりも早く、滑空してきた。
辺りに悲鳴が響く。
「に、逃げろ!!」
男達は、乗ってきた馬もそのままに、わき目も振らず逃げ出した。
その後をカラスの魔物が恐るべき速さで追う。
やがて断末魔の叫びを遠くに聞きながら、ルカが閉じていた目を開けた。そこには、うずくまるレイモンドと、青い顔をしたライナスの姿。
ルカは男の悲鳴がした方をしばらく見ていたが、再び魔物が現れる様子はない。幸いにも、魔物は男達だけを標的としたようだった。
一瞬の出来事であった。
ほんの短い間で、五人の男が消えてしまった。
「助かった……」
ルカがぺたんとその場に座り込んだ。
ライナスがすかさずルカへ駆け寄ってきた。大丈夫か、と聞くが、当然ルカには怪我をするような要素は何も無い。むしろ、いまだに頭を抱えて顔色を青くしているレイモンドの方が心配だった。
ルカはライナスと共に、レイモンドの方へと走り寄った。
「レイ、どうしたの!? もう大丈夫だよ」
ルカは心配そうにレイモンドの肩に手を置いた。その声にレイモンドは薄く目を開け、ああ、と唸るように答えたが、額には汗がにじみ、いまだ苦しげな表情は変わらない。
「きっと極度の緊張で気分が悪くなったのだろう。奥で休ませよう」
ライナスがそう言って、レイモンドの肩を担ぐと、屋敷の中へと入ろうとした。
その時、担がれたレイモンドが開けた薄目に、窓から不安げに覗くルネ少年の姿が見えた。が、ルネは目が合った事に気付くと、サッと身を隠した。
ベッドに寝かされたレイモンドであったが、ものの数分もしないうちに、耳鳴りも頭痛も嘘のように消えていた。
――一体、なんだったんだろう。
屋敷を取り囲んだ男たち。そして、連中だけを狙った魔物の存在。ササールの地で一命を取り留めたレイモンドだが、思えば昨日目を覚ましてから、分からない事だらけである。その辺りの疑問を、ライナスに聞かなくてはならないだろう。
レイモンドがそんな事を考えていると、ライナスが部屋にやってきた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、頭痛もすっかりおさまりました」
レイモンドはそう言ってベッドから身を起こした。
それは良かった、とライナスはニッコリと笑って頷くと、急に表情を引き締めた。
「お話しておかなければなりません。昨日、追い追い話す、と言った、周辺に住む人々の事です」
王都以外にも人が住んでいるというのは、正直レイモンドにとっても驚くべき事であった。レイモンドは頷いて先を促した。
「二十年前、今の王都へと魔物から逃げる際、逃げ遅れた人々はこの辺りに隠れた……という所までは話しましたね」
そこまでは、昨日聞いた内容である。
レイモンドが黙って頷くと、ライナスは続けた。
「魔物の群れが去った後、我々はこの近くに集落を作りました。そうしておいてから折を見て王都へ行くつもりでした」
だが、王都南の砦は魔物に占拠されていた。集落の人々は移住を断念し、この地で暮らさざるを得なくなってしまった。
「ここでの暮らしは厳しいものでした。食べる物や住む所もそうですが、何より魔物の存在です」
ライナスは表情を暗くして当時を振り返る。恐らく、レイモンドの想像を絶する苦労があったのだろう。それはライナスの表情から充分に汲み取れた。
「隠れ住んだ者は魔物に襲われ、次第にその数を減らしていきました。ですが我々もそのまま魔物の餌食になるのを待っている訳にはいきませんでした」
集落の人々は団結し、武力で魔物を追い払う事にした。初めのうちは、命を落とす者が続出したが、戦闘を繰り返すうち、徐々にではあるが、魔物に対抗する事ができるようになっていった。しかし、力が幅を利かせ始めると、自然とそれを誇る者が現れ、そうなると人々の間に格差のようなものが生まれてくる。
ライナスはここまで語ると、再び顔をしかめた。
「単純な貧富の差ならまだ良かったのですが……」
不幸にも、集落で台頭したのは、残虐で強欲な男であった。
「名は、ジェイルズ=ピケ」
普段は柔和なライナスの顔から憎しみがにじんでいるのがレイモンドにも分かった。
ライナスは話を続ける。
ピケは同じように粗暴な者と徒党を組むとその首領格におさまり、恐怖と圧力で人々を縛るようになった。人々からすれば、魔物に対抗する事ができることで見えかけた希望の光が、また遠ざかった格好である。まだ魔物の影に怯えていたほうがましだ、と言うものさえいた。だが、ピケ一党に逆らおうものならば、たちまちのうちに殺された。
「そのうち、ピケたちから主権を奪おうという気運が高まりました。そこで反抗の指導者として推されたのが私だったのです」
ライナス=ルトリューは元々王国軍に籍を置く軍医である。剣の心得もそれなりにはあった。
レイモンドから見ても穏和な彼が、自然と人々の信望を集めるのも納得できる。
「ですが……、それは行動に出る前に失敗しました。……内通者が出たのです」
それも、内通者は一人ではなかった。反抗はすぐに露見し、関わった人間のうち、特に主だった立場にあった者の命がいくつも奪われた。しかし、筆頭であったはずのライナスだけは処罰されなかった。それはピケの策略であった。
「つまり、私を内通者の一人だった、と人々に見せるためです」
指導者の中でも中心人物だった者が裏切った、と人々の目には映ったのである。当然それは事実に反するのだが、いくらライナスが無実を訴えた所で、人々の心に芽生えた疑念は容易に払拭できるものではない。そして、それは再び反抗しようとする気運を大いに殺ぐのに充分過ぎた。人々の微かな希望はまたしても奪われた。そしてその代わりに、やり場の無くなった人々の恨みがすべてライナスに向けられた。
集落に居られなくなったライナスは、逃げるようにして、集落から離れたこの屋敷へと移り住んだのだった。
一方で、ピケは集落に住む人の出入りを厳しく管理するようになった。ピケの圧制に耐えられなくなり、ライナスと同じように集落から出て行こうとする者が続出したからである。そのため、脱走は重罪とされ、逃げ出した者はどこまでも追いかけて連れ戻し、そして見せしめのように殺されるようになった。
ただし、ライナスだけは違った。この屋敷に暮らすことを黙認されたままだ。ライナスの持つ医術が惜しかったのかも知れないし、もしかしたら裏切り者としての汚名を着せたままにしたかったのかも知れない。
「先程、ここに来た男たちも、脱走者を捜しに来たのです」
当然ライナスは脱走者をかくまっていたわけではない。だが、屋敷の中にはフラム=ボアンが居る。何をしでかすか分からない男達に、フラムの存在を知られる訳にはいかなかった。
そこまで聞いて、レイモンドは寒気を覚えた。もし、駆けつけるのがもう少し遅かったら、そして、運よく魔物がやってこなかったらどうなっていただろう。これまで魔物といかに戦うかを考えていたレイモンドであるが、今回ばかりは魔物に感謝しないではいられなかった。
「……事情は分かりました」
レイモンドは辛い過去にも関わらず話してくれたライナスに感謝した。
そして二人同時にため息をつく。
何ともやりきれなかった。
レイモンドは遠く王都を思い出していた。ならず者達がのさばる事で治安が悪化していた王都では、勇者計画によって劇的な改善を見た。だが、王都の時と違うのは、ライナスたちの場合、そのならず者達に実権がある、という事である。
それは決定的な違いだ。
もしピケ一党に対抗しようとするならば、小さな力を用いて、大きな力に立ち向かわなければならない。その実現は言葉以上に難しい。
しかし、何よりも大きな問題は、集落に住む人々の心である。
ライナスの話からすれば、ライナスと集落の人々を離間するピケの策略によって、人々は反抗する気持ちをすっかり無くしてしまっている。これこそが最大の障害だとレイモンドは思った。
「集落には、どのくらいの人が住んでいるんですか?」
レイモンドは眼差しを真剣なものにして聞いた。
「随分と減りましたから、今では二百人くらいでしょうか。それを六十人ほどのピケ一派が支配しています」
――たったの二百人。
レイモンドから、思わずため息が漏れる。
しかし、この二百人の人々も、恐らくピケ側から見たら貴重な労働力であろう。それだけに住民の逃亡を恐れているとも考えられる。
――つけいるとしたら、この部分だろうか。
知らず知らずのうちに、レイモンドは、ピケに支配された集落をどうにかしなければならない、と考え始めていた。なぜそう考えるのかはレイモンド自身にも分からない。だが、そうなると、どうしても集落をその目で実際に見てみたくなった。
「その集落へ、行けませんか」
レイモンドの言葉にライナスは驚き、すぐさま首を振った。
「無茶です。連中に見つかったら、それこそどうなるか分かりません」
危険は承知の上、とは言い難いレイモンドは口をつぐんだ。
レイモンドの身に何かあったら、怪我で身動きの取れないフラムまで危うくしかねない。そうなれば、必ずこのライナス一家までにも災禍が振りかかることだろう。
危険を言うなら、まだある。
フラムが完治するまでの間に、今回のような形でレイモンドたちが見つかってしまうかも知れない事だ。その時また偶然に魔物が襲い掛かってくれることなど、まず無いだろう。いや、もしかしたら、先の五人の男達にしても、何人かが集落へ逃げ延び、既にレイモンドたちの存在が知られてしまったという事もないとは言えない。ともかく、ずっとライナスの屋敷にいるのは危険である。
ライナスもレイモンドと同じように考えたのか、
「この屋敷も危険になりました。別の場所にフラムさんを移しましょう」
と言った。
当然レイモンドは賛成である。
「しかし、そんな都合の良い場所があるんですか?」
レイモンドが聞くと、ライナスは頷いた。
「本当はもう少しフラムさんが回復してから移そうかと思ったのですが。……大丈夫、心当たりはあります」
「何から何まで済みません……」
ライナスに頼る他ないレイモンドは、すべてを任せる事にした。
明くる日の昼。
ライナスの屋敷からしばらく行った森の中に、古い小屋があった。ルカに案内され、レイモンドはその様子を見に来ていた。ここを隠れ家にしよう、というのである。
「前は倉庫にしてたんだけど、このところはほとんど使ってないからね」
ルカがそう言う通り、あまり頻繁に使われていないようで、小屋の中は薄暗く埃っぽい。戸を開けると同時に舞った埃を手で振り払いながら、ルカが軽く咳をした。小屋の内部は狭くてガランとしており、何も置かれていない。
「ライナスが、いずれこっちにフラムさんを移すからって、中にあった物を運び出してくれてるから、あとは掃除するだけだね」
ルカはそう言うと、はい、と布きれをレイモンドに手渡してきた。掃除をしろ、という事なのだろう。
「私も手伝うから」
ニッとルカは笑った。しかし、実はライナスから小屋の掃除をするように言われていたのはルカなのであった。うまくレイモンドに手伝わせよう、という魂胆である。当のレイモンドはそんな事を知る由も無い。
「ありがとう、ルカ」
「いいって、いいって」
笑顔で感謝するレイモンドに、ルカは機嫌良く答えると、嬉々として掃除を始めた。しめしめ、といった所だろう。レイモンドもルカに倣って床を拭いた。
小屋には何も置かれていないが、埃は多く、少し拭くとすぐに布は真っ黒になった。何度も水拭きしなければならず、なかなかの重労働であった。
互いにしばらく作業に没頭していたが、ふとレイモンドは思っていた疑問を口にした。
「森に行った時、魔物は出ない、って言ってたよね」
「でないわよ」
「でも、近くの集落ではまだ魔物が出るんだろ?」
ルカの手が止まった。振り返ってレイモンドの方を見ている。
「ライナスから聞いたの?」
「そう……だけど?」
レイモンドの答えに、ルカは、ふうん、と言って再び床を拭き始めた。
「あっちには出るみたいだけどね。家の周りにはでないのよ」
「この辺りだけ出ない……?」
レイモンドの心にわずかにあった疑問が、大きく膨らんだ。
そんな事があるのだろうか。何か決定的な理由があるはずだ、とレイモンドは思った。
「それはどうして?」
気になって仕方ないレイモンドは聞かずにはいられない。
だが、ルカは興味無さそうに、相変わらず床を擦りながら、
「さあ」
と、知らん顔である。
だが、そう言うルカの横顔に、僅かながら緊張の色が見えた気がした。何かを隠している、そんな気がしてならない。
思わずレイモンドはじっとルカを見た。
レイモンドを無視してせっせと床を磨いていたルカだったが、次第にレイモンドの視線に耐えられなくなったと見え、
「なんなのよ!」
と立ち上がってレイモンドを睨んだ。
その声でようやく我に返ったレイモンドは、いや、と首を振った。が、ルカの声の荒げ方はやはり普通ではない。意を決して、レイモンドは聞いた。
「ルカ……。本当は何か知ってるんじゃないのか?」
「……え?」
ルカの動きが止まった。
二人の間に沈黙が流れる。
が、やがて、
「何にも知らない!」
と怒鳴ると、ルカは小屋を出て行った。
取り残されたレイモンドは、ルカが置いていった黒く汚れた布を見つめていた。
やはり何か隠しているのは間違いない。……のだが、それと同じくらい気になる事があった。
「……残りは全部、私がやるのか……?」
手伝ってくれるはずだったのに、と、こぼしながら見回した小屋の中は、まだ半分以上が埃をかぶっていた。
ようやく小屋の掃除を終え、ライナスの屋敷に戻ったレイモンドを待っていたのは、ルカとルネの二人だけであった。外はもう暗くなっており、ルカは夕食の準備をしていた。香ばしい匂いがレイモンドの鼻をくすぐる。
「いい匂いだね」
「昨日採れた木の実でパンを焼いたのよ」
ルカは先程の小屋での出来事が何もなかったかのように、自然な様子である。どうもルカは気持ちの切り替えが早いようだ。
――陛下もそうだが、年頃の女の子は難しい……。
ため息まじりに少年ルネをチラと見ると、あわててルネは視線を逸らした。
こんな時ライナスがいれば、もう少しましなものを、とレイモンドは心で嘆いた。
「……ところで、お父さんはどこに行ったんだい?」
「ライナスは集落へ馬を返しに行ったんだって」
と、ルカ。
馬とは、ピケの手下が置いていった馬であろう。
「奴らに探しに来られたら厄介だからね」
と、ルカは苦々しげに言った。
確かにそのとおりである。
だが何よりも、『集落に行った』という言葉に、ピクンとレイモンドは反応した。
ライナスには止められたが、どうしても集落を見てみたかった。そして、そこに住む人々の力になりたかった。それは王国宰相としての義務感なのか、ライナスたちへ恩を返したいのか、レイモンドにはやはり分からない。だが、目の前で苦しんでいる人がいるのに、指をくわえて見ている事はレイモンドにはできなかった。
「ルカ、私も集落へ行ってみたいんだが」
「集落へ?」
ルカは目を丸くした。
だが、すぐに眉を吊り上げると、怒ったように言った。
「無理よ。すぐに奴らにとっ捕まって殺されるに決まってるわ!」
「やっぱりそうか……」
ライナスにもそう言われた、とレイモンドは下を向いた。
ルカは腕を組んで唸っている。迷っているようにも見える。望みありか、とレイモンドがチラと目を上げると、仕方ない、といった風にルカは言った。
「遠くから見るだけだよ。近づいたら危ないんだから」
「いいのか!?」
大喜びのレイモンドに、呆れたようにルカは頷いた。
「行くのは明日。ルネも連れて、こっそり行きましょう」
と言うルカは、ただし、最後にライナスには内緒だ、と付け加えることは忘れなかった。
どうも、トキイチロです。
この『勇者をつくろう』に関して、メッセージで質問を頂きました。
返信先がなかったので、この場をお借りして、お答えしたいと思います。
もしかしたら、他の読者の方も疑問に思っているかも知れないので。
Q.
ライナスたちは自給自足生活をしてるようですけど、どうして命からがら逃げ延びたはずの王都では貨幣経済が成り立っているんですか?
A.
今キュビィたちがいる王都には、もともと住んでいた人たちがいました。そこへ、魔物に追われた旧王都の人たちが逃げ込んだのです。
つまり、はじめから貨幣経済が成り立っている所へ大挙して人がやってきたのです。
逃げた人の中には王族や貴族がいましたから、当然、お金などの貴重品はある程度持って逃げてきたんですね。ただ、辺境に突然人が増えたわけですから、最初のうちは経済は混乱したでしょうね。
ライナスたちは一から自分達で生活を始めましたから、貨幣経済から完全に隔離された存在です。なので、自給自足しなければ生きていけないのです。
ちなみに、ライナスの屋敷はかつて貴族が住んでいた空き家、という設定です。
質問の続きは、次話以降で。