第25話:新たな旅立ち
マスター=ウォルサールが王兄アルバートに成りすまし、女王の命を奪おうとした事件は未遂に終わった。
宰相補佐官ノウル=フェスは、女王キュビィ=パンダールと、宰相代理トッシュ=ヴァートからの命で、一人、この一件の顛末をまとめる作業に携わっていた。相変わらず主のいない宰相執務室で、彼はあちこち資料をひっくり返しては、筆を走らせていた。
この事件は後に『庭園事件』、または『ウォルサールの乱』と呼ばれる事になる。フェスはまず事件の首謀者であるマスター・ウォルサールについての報告から着手した。
マスター・ウォルサールについて詳しく知っていた人物は、王都には二人いた。一人は宰相代理トッシュ=ヴァートの父、トルード=ヴァート。そして、もう一人が、マスター・シバであった。トルードは既に殺されているため、ウォルサールがどのような人物であったかは、主にシバの証言が元となった。
シバによれば、旧王都時代、ウォルサールは先王レクスの直属という形をとってはいたが、実際にはトルードが彼に命を下していたらしい。主に王の身辺警護を行っていたという事ではあるが、陰では暗殺など、血なまぐさい事柄に関わっていたのではないか等、様々な噂が囁かれていた。この辺りの真偽に関しては、シバも良く分からないらしい。
そもそもウォルサールは、当時から謎に包まれた異質な存在であったという。彼の出自に関しては良く分からず、いつから王城にいたのか、そしてどこからやってきたのか、誰も知らなかった。はっきりしているのは、ある日突然、トルードが連れてきたという事だけだった。
「ウォルサールには、ある噂があった」
シバはそう、かつてを振り返った。
その噂とは、ウォルサールはシュロという王族の子ではないか、というものである。
シュロは女王キュビィの先々代の王ミヒャエルの弟である。彼は兄ミヒャエルとの後継者争いに敗れ殺された。シュロの妻や子も同じく殺されたのだが、たった一人、末子だけはその誅殺の魔の手から逃れ、行方をくらましていた。
ミヒャエル王が没し、レクス王が即位する際、突然ウォルサールが現れたのである。かつてを知る大臣の一人が言った。
――彼はシュロの子ではないか
新王レクスはミヒャエルの子である。その治世が始まろうとしている時において、シュロの子の存在は危険でしかない。だが、その噂を真っ向から否定したのが、宰相トルード=ヴァートであった。権力者である彼は風説を押さえつけ、ウォルサールを重用した。そのため、いつしかウォルサールに関する噂は、王城内の禁忌とされるようになった。
だが、シバは引っ掛かっていた。その思いを強くしたは、庭園事件の際、ウォルサールがキュビィに言った言葉である。ミヒャエル王とその弟シュロの件を持ち出し、正統な継承者は自分なのだ、とウォルサールは主張した。
「もしかしたら、本当にウォルサールはシュロ様の子だったのかも知れん。奴の目的は、父の復讐を果たし、その血脈を持つ自らが王位に就くことではなかったか、とも思えてくる」
調査のため話を聞きに行ったフェスに対し、シバは遠い目をしてそう語った。
――でも、もう本当の所は分からない……か
フェスは内心でそう一人ごちた。
庭園事件で捕らえられたウォルサールは、その罪を厳しく追及され、王位簒奪を目論んだ事、元宰相トルード=ヴァートの殺害を指示した事など、そのすべての罪状を認めた。そしてその結果、斬首に処せられた。だが、事件を起こした理由についてはその一切を語らず、すべては闇に葬り去られたのである。アルバートの変装を解いたウォルサールの顔は、物静かそうな老人であったという。
ちなみに、彼に加担した兵士たちも、軍務大臣グゼット=オーアと王城警備責任者のガルシュによって全員縛り上げられ、ウォルサールと同じ末路を辿った。
キュビィの治世になってから、これらが初めての死刑執行であった。
――マスター・ウォルサール。彼はただ王位簒奪が目的だったのだろうか
少しだけ、フェスにはそういう思いがあった。砦の戦いに参戦したウォルサールが、狼男に殺されそうになった冒険者を救った、という報告を目にしたのがきっかけであった。
たったそれだけの事ではあるのだが、フェスには、ウォルサールが根っからの悪人では無いように思えてならなかった。もしかしたら、途中までは本当にアルバートのためを思って行動していたのではないのか。そうで無ければ、わざわざ二十年もの間、ウォルサールがアルバートを育てる理由などないし、ジラーフィンから遠く王都まで連れて旅をする意味もないはずだ。
ふう、と息をつくと、フェスは筆を置いた。女王キュビィの殺害を企てるなど、勿論許される事ではない。だが、フェスの心にはやりきれない気持ちが残っているのもまた正直な所であった。
光の女王と呼ばれ、王国に住まうすべての人々からの絶大なる人気を誇る女王キュビィ。彼女が光だというのならば、ウォルサールや、その父と思われるシュロなどはまさに影であろう。そんな歴史の闇に沈んでいった者たちへの、ある種同情めいた感情に、フェスはやりきれない思いを拭いきれなかった。
フェスは気分を変えたくなり、今度は王兄アルバート=パンダールの書いた報告書を取り出した。
アルバートは、庭園事件の後、二つの報告書を作成していた。一つは『結界術』について。もう一つは、ジラーフィンから旧王都、そしてササールを旅した時の事をまとめたものである。どちらも、王国には非常に重要な情報であった。
まずフェスは結界術の報告書に目を通した。
結界術はかなり古い時代に廃れた秘術であり、それを再び復活させたのがウォルサールであった。この術は当時の王国としても、かなり極秘に扱われたようで、その存在を知る者はごく限られた者だけだったらしい。
当時の王国がこの術を広く普及させなかったのは、会得するのが非常に困難だという事と、何よりもその恐ろしい威力のためであった。強すぎる力というのは、時として均衡を崩してしまうものである。
だが、何より目を見張るのが、今の王都にはこの結界術が施されており、そのため、これまで魔王の侵攻に晒されなかったのだ、とある部分である。
この部分を特に重要視したのは宰相代理トッシュ=ヴァートであった。ヴァートはすぐさま南の砦の改修計画を作成し、朝議にかけた。南の砦に結界術を施し、文字通り魔物の侵入を阻止するための砦としよう、というのである。この計画に対し、財務大臣ハロルド=ギュールズから資金面での課題も出されはしたものの、女王キュビィの強い希望もあり、実行される事となっていた。
そして、もう一つのアルバートの報告書、王都外の大陸の状況に関してである。
この二十年来、この辺境の王都から出入りをしたものは一人もいない。つまり、誰も王都の外がどうなっているのか分からなかった。それだけにアルバートが見てきた内容というのは、あらゆる人々の関心を誘った。
だが、その報告書を読んだフェスは衝撃を受けた。
アルバートが見たすべての城、街はすべて破壊し尽されており、すべてが廃墟と化していた。その上、王都周辺に潜む魔物などとは比べ物にならない程の強大な魔物が跋扈し、とても人が住めるような場所では無くなっている、というのである。ウォルサールとアルバートは、そんな魔物の群れを、結界術を駆使して逃れ逃れて、ようやくこの王都にたどり着いたのだった。
「この王都以外に、人はもういないのか……」
フェスは、重々しく呟くと、アルバートの報告書から顔を上げた。王国が全大陸を支配していた頃、全人口は一体何人居たのだろう。そして、そのうちの何人が生き残ったのだろうか。魔物侵攻以前の資料はほとんどすべて失われてしまったため、正確な数は分からない。だが、生き残りは全盛期の一割にも満たないのではないか。そう考えると、身体中から血の気が引いていくのを、フェスは感じていた。ある程度は予想していたものの、今こうしてその事実を突きつけられる、というのはやはり堪えるものである。
暗い話ばかりに、すっかりフェスは気が滅入ってしまい、報告書を置いた。深いため息を吐くと、思わず机に突っ伏した。その時、執務室の戸を叩く音が聞こえ、フェスは顔を上げた。
「どうぞ」
入って来たのは、トッシュ=ヴァートであった。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
そう言って、ヴァートは少し笑ったが、フェスの前に並んでいるアルバートの報告書を見つけると、納得したように頷いた。
「なるほど。殿下の報告書か。確かに、驚いたよ。まさか生き残った人間が王都にいる我々だけかも知れないとはな」
ヴァートは宰相の椅子には座らず、来客用の椅子に腰掛けた。そして、でもな、と話を続ける。
「人間というのは、そんな簡単に滅びるものでは無い、という気もするんだ」
「どういう事ですか?」
「案外しぶとい……という事さ。アル殿下自身にしたって、とっくに亡くなっていたと思われていたのが、生きていた。大陸は広い。どこかで息をひそめて生き残っている人がいてもおかしくは無いとは思わないか?」
「そうでしょうか」
フェスは首を傾げるが、言われてみればそんな気もする。ウォルサールとアルバートは、かつての街や城を辿ってこの王都にやってきたらしい。彼らが通らなかった辺境にはまだ人が残っている可能性も否定できない。
「南の砦の改修が終われば、次はいよいよ砦からさらに南、ササールへ兵を出す。そこで城を建て、街を作る。そうすれば、今まで隠れていた人々は必ず集まってくる。私はそう思っている」
ヴァートは真剣な表情で言った。
その言葉に、胸に希望がわいてくるのをフェスは感じていた。今の王都のような都市を大陸にいくつも作る。そうしていけば、いずれは魔物の手から大陸を奪い返す事ができるはずである。
「そのためにも、アル殿下の結界術の力が不可欠なのだ。……そこで、相談ごとなのだが」
急に声を低くするヴァート。フェスは只ならぬ雰囲気を感じていた。
「私は宰相代理を辞するつもりだ」
「何ですって!?」
突然、何を言い出すのか。フェスは思わず叫んでいた。
「そんなに驚く事はあるまい。元々、私は代理であって正式な宰相ではない」
「ですが……」
ヴァートの功績は、誰しもが知っている事である。前宰相レイモンド=オルフェンの戦死に揺れる王城の混乱を鎮め、失意の底にあった女王を立ち直らせた。さらには、ウォルサールの乱を防ぎ、王兄アルバートを救い出した。いまやトッシュ=ヴァートは前任のレイモンドに劣らぬ名宰相だ、とフェスは思っている。
「問題はアル殿下の存在なのだ」
ウォルサールの害を除いたとは言え、やはり女王の兄の存在は危険な面もある。すなわち、アルバートの力を利用しようとする者は今後も必ず現れるはずである。だからこそ、何の実権も持たせないのではなく、逆に力を与える事で、女王側に引き込もう、というのだ。
「既に陛下にはお話しているのだ」
「……そう、ですか」
フェスはどう言っていいのか分からなかった。だが、ヴァートの言葉からは強い決意の程がうかがい知れる。恐らく、フェスが説得したとて、気が変わる事はないであろう。女王キュビィもきっと同じように思ったに違いない。
「相談というのは、空いたポストの事なのだが」
ヴァートは改まってフェスに言った。
フェスはまた首を傾げた。
「空いたポスト? 閣下の後の宰相には、アルバート様が就かれるんですよね」
「いや、宰相ではない。兼任している商工大臣の事だ」
フェスにはますます解せない。どういう事ですか? とヴァートに聞く。
「私はすべての官職を辞し、城を去る。商工大臣の後任には、フェス、君を推薦しておいた」
「は?」
フェスの頭は真っ白になった。
「あの、おっしゃっている意味が分からないのですが……」
「言葉通りだ。私の後の商工大臣はフェス、君にやってもらいたい」
「ええ!? 私はまだ16歳ですよ!?」
「年齢は関係ない。陛下だってまだ13歳だ」
そういう問題ではない、とフェスは言いたかった。いつもヴァートは強引である。
「まさか、この話は陛下も……」
「当然、話しておいた。陛下も賛成なさっている」
フェスはクラクラと眩暈を覚えた。
「す、少し考えさせてください……」
「もし断るのならば、私ではなく、直接陛下に言うといい」
そう言ってヴァートはニヤリと笑った。女王キュビィ相手に断る事ができるならな、と暗にヴァートは言っているのだ。
――この人たちには敵わない……
フェスは仕方なく覚悟を決める事にした。
トッシュ=ヴァートは宰相執務室を出ると、自室である商工大臣執務室に戻り、そこで二人の重臣を待った。ややあって姿を見せたのは、財務大臣ハロルド=ギュールズ、軍務大臣グゼット=オーアである。
二人を前に、ヴァートは一枚の資料を出した。
「人事の変更案です」
ギュールズとオーアは顔を見合わせると、その資料を見た。
「これは!?」
たちまち二人の表情が変わる。
その資料には先程ヴァートがフェスに伝えた内容が盛り込まれていた。当然、宰相にはアルバートの名が、商工大臣にはフェスの名が記されている。これにはギュールズとオーアも仰天した。
「私はすべての官職を辞し、城を出ます。これは庭園事件の責任を取っての事です」
庭園事件の主犯は言うまでも無くマスター・ウォルサールである。だが、その遠因を招いたのはヴァートの父トルードであり、その責任を子が取るのだとヴァートは説明した。
「しかし……」
オーアもギュールズも絶句した。
だが、ヴァートの決意は固い。それを汲み取ったのか、ギュールズは険しかった表情を少し和らげ、口を開いた。
「宰相代理殿のお気持ちは分かりました。ですが、アル殿下は王城に来てから日が浅い。すぐには宰相の重職は全うできないでしょう。その辺りはいかがお考えですか?」
「そこで」
ヴァートはペンを取り出すと、資料にある宰相アルバートの部分から二本の線を引いた。その線の先を、同じく紙面に書かれたギュールズとオーアの名に結ぶ。
「お二人には、殿下の補佐をしていただく。宰相の役目を二つに分け、殿下が慣れるまで、実務はお二人にお任せします」
そうして資料に記されたギュールズとオーアの名の上に新たな文字を書き加えた。
「新たな役職、『丞相』を置きます。左丞相にはギュールズ殿。右丞相にはオーア殿。それぞれ今の大臣職と兼任して頂きます」
つまり、女王キュビィを頂点として、そのすぐ下には宰相アルバート、そしてそのすぐ下には丞相ギュールズとオーア。さらにその下に各大臣が配される仕組みである。
「今の王国の柱は、レイモンドが作り上げた勇者計画です。それにはお二人が深く関わっておいでだ。そして新たにアルバート殿下の結界都市の建設をもう一つの柱としたい」
そのためには、この仕組みが最も良い、とヴァートは考えたのである。
勇者計画はギュールズとオーアで進め、王国の版図を広げる。そして、平定した地域に結界都市を建設するのだが、これにはアルバートの全面的な監修が必要となる。
当然そこには、防衛と資金という問題が必ず付いて回る。それだけに丞相にはギュールズとオーアが適任であるとヴァートは判断したのだった。
「……むう」
オーアは難しい表情のままである。
「オーア殿は反対ですか?」
ヴァートは聞いた。
「いや、この案自体は良い。だが、トッシュ。お前はそれで本当にいいのか?」
オーアはまっすぐにヴァートの目を見ている。
「無論、未練はありません」
ヴァートはそれだけ言った。
だがな、といいそうになったオーアを、ギュールズが制した。
「ヴァート殿の決意は固い。説得は無理ですよ、オーア殿。これ以上言っても、ヴァート殿を困らせるだけです」
そのギュールズの言葉を聞き、ヴァートは礼を言うようにして、彼に頷いた。
しかしオーアはやはり納得がいかない様子だった。
「レイもいない。トッシュもいなくなる。……これでは陛下が可哀相ではないか」
しかし、ヴァートは女王キュビィを思えばこそ、その責任を取りたい、と考えていた。未遂に終わらせたとは言え、キュビィの命を危険に晒してしまったのである。その原因が自分の父親にもある、という事がヴァートには許せなかった。ずっと権力にしがみつき、こだわり続けてきたヴァート家に対する、ある種の反発心のような物もあるのかも知れない。
――これで、ヴァート家を終わらせる事ができる
そんな思いもヴァートの胸にはあった。
「ともかく、今後の方針については今のうちにしっかりとその基盤を作っておきましょう。それから、心置きなくヴァート殿を送り出したい」
ギュールズはそう言ってオーアの同意を求めた。オーアは仕方ない、といった風にようやく首を縦に振ったのであった。
それから一ヶ月の後。
ヴァートの去った王城では新たな人事が発表された。当然、その内容に接した者は、一様に驚かされる事となる。
女王キュビィの治世の、新たな旅立ちであった。
そして13歳の女王だったキュビィは、14歳の女王になっていた。