第21話:宰相の馬車と光の女王
宰相レイモンド=オルフェンが王都に戻ってくる、という話はまたたく間に王城内に広まった。
衛兵から侍従に至るまで、およそ王城に身を置く者で、この話を知らぬ者はいないと言って良かった。
当然、各大臣の耳にも、その話は届くことになる。
大臣達が集まるこの日の朝議でも、真っ先に上ったのは、やはりその話題であった。
「早馬を飛ばし、南の砦に残してある者に確認をしてみた所、どうやら本当のようです」
軍務大臣グゼット=オーアは、各大臣達を見渡し、そう告げた。
レイモンドの帰還は、この上ない吉報である。彼の元気な顔を見れば、病に臥している女王も回復するだろうし、そうなれば、女王の兄を名乗るアルバートの問題も一気に前進するであろう。
同じく朝議の席にある財務大臣ハロルド=ギュールズは、うーん、とうなってオーアに問いかける。
「宰相殿が王都に着くのは、いつ頃ですか?」
「それが、今日の夕方には着く、という話ですから、すでに宰相を乗せた馬車は、向こうを出発しているでしょう」
早馬を出しただけあって、オーアの答えはかなり具体的である。
南の砦から王都へは、徒歩でおおよそ丸一日かかる。
馬車を使って夕刻に着くというのであれば、ちょうど今くらいの時間に出発を始めたくらいであろう。
「もし本当ならば、これ以上喜ばしい事はありませんな」
そう言うギュールズではあるが、言葉ほど嬉しそうな顔はしていない。
彼は真偽の程に疑いを持っていた。
いや、ギュールズだけでなく、大臣達は皆、疑っていた。レイモンドが川に飲まれてから、すでに二十日近く経過している。それが今になってひょっこり現れるというのは、にわかには信じがたい。
「まあ、いずれにせよ夕刻には分かることです。それまでは、宰相殿の無事を祈ろうではありませんか」
宰相代理トッシュ=ヴァートは、各大臣を見渡して言った。
大臣達は、半信半疑ながらも、ヴァートの言に頷く。だが同時に、レイモンドが戻った場合、宰相代理であるヴァートはどうするのか、といった空気が、朝議の場に微かに流れた。
それを敏感に察知したヴァートは、先回りして口を開く。
「もとより緊急なればこそお受けしたのです。当然、宰相殿が無事に戻られたら、喜んでこの代理の肩書きは返上させて頂く。是非、そうあってもらいたいものです」
ヴァートの声には、真実の響きがあった。事実、ヴァートはそう思っていた。
それが良く分かるだけに、大臣達はヴァートの無私なる気持ちに対し、賛辞を送ったのだった。
大臣達が、噂に疑いを持つ一方。城内で語られる話は、次第に真実味を帯びて人々話題に上るようになってきた。
いかに信じられない話であっても、何度も語られ、何度も耳に入れば、まるで本当のことのように思われてくる。
その上、人々が『そうあって欲しい』という願望が強ければ強いほど、その話は事実のようにして語られるものである。
そうした噂が噂を呼び、大きな潮流となり、さらにはオーアの遣わした早馬の報告の件もあいまって、その日の昼過ぎには、城内をひっくり返したような大騒ぎになっていた。
――宰相レイモンドが帰ってくる!!
女王キュビィが病に倒れているせいもあって、王城は普段の雰囲気を取り戻せてはいない。そんな中にあって、この嬉しい報せは人々の耳に鮮烈に聞こえた。
鮮烈だからこそ、狭い王城内のすみずみにまで、話の仔細が行き渡ったとしてもなんら不思議はなかった。
そうなってくると、大臣達も平静ではいられない。
皆そわそわと落ち着かず、財務大臣ギュールズなどは、自らの執務室の窓から見える城門の様子を、事あるごとにチラチラと見る始末である。
「まだ、宰相を乗せた馬車は来ぬのか?」
廊下でギュールズに聞かれた衛兵も、困った顔を向け、はあ、と返事をするしかない。
陽も随分と傾いてきた。ギュールズは矢も盾もたまらず、思わず城門まで出てみた。
「なんだ、これは?」
門に集まる、人、人、人。
レイモンドを乗せた馬車を待ちきれないのは、ギュールズだけではなかった。
侍女やら、衛兵やら、料理番やらで、城門はごった返している。
ギュールズは、その中で、大臣の一人に声をかけられた。
「あ、これはオーア殿」
「やはり気になったと見えますね」
軍務大臣オーアはにやにやとギュールズの顔を見ている。
噂を信用していなかったギュールズは、オーアに見つかり、少々ばつの悪そうな顔を作った。
「ま、まあ、噂を頭から信用する訳にはいきませんが、信じたい、という気持ちは私にもありますから」
そう顔を赤らめるギュールズに、笑顔でオーアは頷き返す。
オーアとしても、予期せぬ親友の生存の話が、本当であって欲しいと切に願っているのである。
「それにしても、ものすごい人の数ですね」
ギュールズは辺りを見渡し、嘆息する。
周りには、200人を越える人数が集まっていた。普段は各自の持ち場についている城内の者が、こうして一つの場所に集まることなど、まずない。
こんなにも城内に人がいたのか、と、少々呑気なことをギュールズは考えてしまう。
「これも、レイモンドの人望が厚いからなのでしょう」
オーアは満足げにそう言う。
やがて、他の大臣たちも、城門に集まってきた。皆、先に来ていたオーアとギュールズに、まだか、とたずねる。
「朝に砦を出ているなら、もうそろそろでしょう……あ!」
左手をひさしにして、刺すような西日から目を守りながら、遠くを見つめるオーアが声をあげた。
皆、一様にオーアの目線の先を見る。
「馬車だ!」
城門からは南の城下町が見える。町の中央を縦断し王城に続く石畳の通りに、遠く馬車らしき点が見えてきた。
いよいよ城門に集まった群衆から歓声が沸き起こった。
馬車の姿が大きくなるにつれて、自然その歓声も大きくなる。
ふと、ギュールズは周りを見渡してみた。皆、笑顔で馬車が城までやってくるのを待っている。
――おや?
ギュールズが視線を止めた先。
そこには、久しく見なかった姿があった。
「あ!!」
白いドレスを身にまとい、柔らかな金色の髪を風になびかせ、白い肌は夕日に赤く照らされている。
細く、小さな姿。
ギュールズは息を飲んだ。
「陛下……」
そのギュールズの声に、今まで声をあげていた者の視線が、一斉にそこへ集まった。
場は、一瞬にしてしん、と静まり返った。そして、口々に、陛下だ、と囁きあった。
キュビィはその声に答えない。そして、まっすぐに群集に向かって歩き出す。群集は真っ二つに分かれ、城へとやってくる馬車の方向へと一直線に通り道ができた。
その通り道を、キュビィは唇をかたく結んで歩く。やがて群集の先頭に出た。
「レイモンド……」
小さな口から漏れる、微かな声。群衆は静まり返っているので、その声すらはっきりと聞き取れる。
その音はわずかに空気を震わせただけに違いない。だが、端で聞いていたギュールズには、万感が込められた声色に聞こえた。
女王キュビィは群集が目に入らないかのように、ただただ遠くから近づいてくる馬車だけを見つめている。
ふと、ギュールズは彼女の背後にいる人物に気付いた。
目が合ったのは、宰相代理ヴァートである。彼もまた、一言も発さずに、ギュールズに対して目で頷いた。
そうするうちに、馬車は音を立て、目前まで迫ってきた。
「レイ!」
突然、弾かれたかのように、キュビィが走り出した。
「陛下!」
ギュールズやオーア、そしてヴァートなど、大臣達もキュビィを追って走った。まっしぐらに馬車へ向かう。
馬車はキュビィの姿を認めると、急停止し、御者は慌てて車から降りた。
「レイモンド!」
キュビィは息を荒げ、馬車の戸を力いっぱい引いた。
「あ!」
女王キュビィに遅れて到着した大臣達は、馬車の中を見て固まった。
そこには、宰相レイモンド=オルフェンの姿は無かった。
代わりに、剣と割れた鎧だけが、冷たく座席に置かれていた。
「レイモンドはどこだ? どこにいる!?」
キュビィは叫び声のように、御者に質問を浴びせた。御者は、平伏し、恐る恐るキュビィに答える。
「……閣下は見つかりませんでした。ですが、川下から、閣下の剣と、鎧の一部が見つかりましたので、お持ちしたのです……」
その言葉を聞くなり、キュビィはがっくりと膝を落とした。
後ろの大臣達は、そんな女王の姿を見て、悲痛に表情をゆがめ、目を伏せた。
「わあああああ!」
キュビィは泣き崩れた。
鞘に収まった剣、そして硬い鎧の破片に取りすがり、絶叫した。
城門に、女王の慟哭する声が響く。
その声に、集まった王城の者は皆、泣いた。大臣達も泣いていた。
宰相を乗せて戻ってきたと思った馬車は、かえってレイモンドが死んだという事実をはっきりと伝えたのである。
もしかしたら、生きているかも知れない。そんな一縷の望みを、完全に断ち切ってしまった。
沈み行く夕日の中、ただただ、大勢の泣き咽ぶ声だけが辺りを満たしていった。
空には大きな月が浮かんでいる。
その月明かりが、さらさらと風に鳴る草花を照らし、神秘的な色を見せていた。
「こちらでしたか……」
財務大臣トッシュ=ヴァートは、月を眺めている少女に、そう声をかけた。
女王キュビィ=パンダールは、城の中庭にあって、夜空に浮かぶ満月を眺めているところであった。
「ヴァートか……」
緑色のその瞳は、いまだに涙に潤み、月の光を、悲しく映している。
キュビィは、自らが座る椅子の向かいを、目でヴァートに勧めた。
「わらわはいつもこうして、レイモンドと一緒にお茶を飲んでいた……。不思議だ。もう随分昔のような気がする……」
「存じております。侍女から聞きました」
そうか、とキュビィはつぶやいた。
ヴァートは、キュビィの向かいに座りながら、夜の中庭を見渡す。いつかの夜が脳裏に浮かんでくる。
「実は私にとっても、この中庭は思い出深い場所なのです」
「……思い出?」
城の中庭には、王族しか立ち入ることができない。キュビィは少し不思議そうな顔をヴァートに向けた。
「はい。昔の話です。……私はいつもこの庭に忍び込んでいました」
キュビィは真剣にヴァートの話を聞いている。
ヴァートはわずかに微笑みながら、話を続けた。
「私は父に叱られる度に、ここにこっそりと入って、今みたいに真っ暗になるまで、ずっと泣いていたんです。ここに来ると、なんだか嫌な事も忘れられる。そんな気がして」
「……良かったらその話、詳しく聞かせてくれぬか?」
キュビィの小さな声。
ヴァートの目に、少年時代に見た、色鮮やかな花々に彩られた庭園が浮かんできた。
遠く、寂しく、悲しい思い出。
「またレイモンドに負けたのか!」
そう父の叱責を受けるたび、ヴァートは家を飛び出しては、この中庭にこっそり入り込んでいた。
王の一族にしか、中に入ることは認められていないという事は知っていた。だが、この場所は、この場所だけは、傷ついたヴァートの心を癒してくれる。
そして、何よりもヴァートが心待ちにしている、あの人に会える。
「花がお好きなのですね」
忍び込んだヴァートに、叱るでもなく、そう優しく笑顔で声をかけてくれた、美しい女性。
その日以来、二人はよく中庭で会い、お茶の時間を楽しんだ。
彼女は、ヴァートの話をいつも優しい笑顔で聞いてくれた。幸せな日々であった。
だが、そんな楽しい時も長くは続かなかった。
ある日を境に、突然その女性は中庭に姿を見せなくなったのである。
必ずまた会える、と信じ、ヴァートは彼女が現れるのを待った。王立学校が終わると、毎日のように中庭に忍び込んでは、暗くなるまで息を潜めていた。
パンダール王妃キャスリーン=パンダールが王女を産んだ直後に亡くなった事を聞いたのは、それから一年近く経った頃であった。
ヴァートは泣いた。レイモンドに負けるよりも、父に叱られるよりも、ずっと悲しかった。
部屋に閉じこもり、一日中涙を流した。食事も喉を通らず、すべての物が色あせて見えた。
王立学校にも行かないヴァートに、父親も厳しい言葉を投げかけるのだが、この時ばかりは、頑として部屋から一歩も出なかった。
ある夜更け。突然、部屋の窓を叩く音が聞こえた。ヴァートの部屋は二階である。
窓を開けると、目の前に、見知った顔があった。
「レイモンド!」
ヴァートは叫び声を飲み込んだ。深夜である。家人に知られれば面倒だ。
「お前、どうやってここに……」
見れば、レイモンドは、梯子を使い、二階のヴァートの部屋の窓を叩いたのだった。
「トッシュ、来い!」
レイモンドは強引にヴァートを窓から引っ張り出すと、梯子から降ろした。
ヴァートは当然、何をする! と抗議するが、レイモンドは聞く耳を持たない。ヴァートの腕を掴むと、無理やり走り出した。
「どこへ行く!?」
ヴァートは引っ張られながら、問いかけるが、レイモンドは答えない。
やがて、たどり着いた場所は、ヴァートの良く知る場所であった。
「庭園……」
あの女性……パンダール王妃との、思い出の場所である。
レイモンドは息を切らせながら、ヴァートに言う。
「王立学校を辞めて、王城に仕える事になった。……そのお別れを言いに来たのさ」
「お前……なぜここを……?」
庭園は月に照らされ、咲き誇る花々は神秘的な輝きを放っている。
「まあ、いいじゃないか。せっかく綺麗な場所なんだ」
そう言うと、レイモンドは大輪の花をひとつ手繰り寄せ、香りをかいだ。しかし、息が切れているため、ゲホゲホと咳き込む。
「馬鹿が」
ヴァートはつぶやき、庭を眺めやる。王妃と一緒にお茶を飲んだテーブルと椅子が、妙に懐かしく感じる。
目を閉じると、あの優しい笑顔を鮮やかに思い起こす事ができた。
「実はこれを預かってきた」
そう言って、不意にレイモンドが手を突き出してきた。そこには手紙があった。
「まさか……」
ヴァートは手紙をひったくると、慌てて封を開けた。
月明かりでようやく読めるその手紙には、綺麗なつづり字で、短いメッセージが書かれていた。
――会えなくてごめんなさい。元気な赤ちゃんを産んだら、また一緒にお茶を飲みましょう。
「キャスリーン……様」
ヴァートは、またポロポロと涙を流した。涙が、手紙の上に落ちる。
別に約束など交わしている訳ではないのに、『ごめんなさい』などとヴァートを気遣う言葉に、生前の王妃の優しさが、時を越えて感じられた。
「昨日、王城に行った時、侍従の人から頼まれたんだ。ヴァート家の少年にこれを渡してくれって。王妃様は、ご懐妊されてから、ずっと体調が思わしくなかったらしい」
ヴァートは涙を拭って、レイモンドを見た。
「お前なんかに、礼は言わん。だがな……城でせいぜい頑張るがいい」
最後は何を言っているのか、ヴァート自身も良く分からなかったが、レイモンドはただ、うん、とだけ言った。
「あれから13年。私は、王国の力となるべく、努力をして参りました。それもこれも、あの時王妃様とお会いできたからです。今にして思えば、それがずっと心の支えでした」
レイモンドに勝つためだけでなく、純粋に王国の力になりたいと思った契機。
いつの間にか、ヴァートはその事を忘れていた。いや、忘れようとしていた。美しくも悲しい思い出に、ヴァートは心に蓋をしていた。今、こうして当時のままの中庭にいると、その時の事が、昨日のように蘇ってくる。
なぜ、気持ちを封印してしまったのか。なぜ、レイモンドへのわだかまりを捨て、素直に王妃の愛した王国に尽くそうと思えなかったのか。そうしていれば、レイモンドともっと分かり合えたかも知れない。大臣として、共に王国のためにもっと力を尽くせたかも知れない。
言いようの無い後悔の念が、ヴァートの胸に去来する。
「心の支え……。わらわにとっては、レイモンドこそが、そうであった……」
ずっと黙って聞いていたキュビィが口を開く。
キュビィは、彼女を産んですぐに亡くなった母、キャスリーンの記憶は、当然無いはずである。恐らく、生まれた時から仕えてきたレイモンドこそが、母であり、兄であり、師だったのであろう。
ヴァートには、キュビィの心の痛みが、じりじりと伝わってくるようであった。
「陛下。今、王都の民が、陛下の事を何と呼んでいるか、ご存知ですか?」
ふと、ヴァートはそうキュビィに問いかける。
キュビィは首を振った。金色の髪が、月の光を受けて、キラキラと輝く。
「光の女王、と」
「光の女王……」
キュビィは繰り返してつぶやく。
ヴァートは頷いた。
「宰相補佐官のノウル=フェスから聞きました。今、城下では、陛下を希望の光だ、光の女王だ、と言っているそうです」
「わらわが、皆の希望の光……」
希望の光。それは、砦の戦いに向かう途中で、女王護衛官フラム=ボアンも言っていた。
キュビィは希望の光なのだ、希望の光で皆を照らせ、と。
「レイモンドが陛下の支えだと言うのなら、王都の民にとって、陛下こそ支えなのです。人は支えあわなければ生きていけない、弱い生き物かも知れません」
ですが……、と言うヴァートの言葉を、キュビィが先に言った。
「人は、強くなれる」
キュビィの目に、光が宿っている。先刻までの悲しみの光ではない。希望の光と呼ばれるに相応しい、力強い光。
その輝きを見、ヴァートも負けずに力強く頷く。
「分かった。わらわは、レイモンドを胸に、皆の希望として女王の責務を全うする。それをここに誓おう」
月明かりに照らされた彼女は、強く、美しい。その姿は、紛れもなく光の女王、キュビィ=パンダールであった。
ヴァートは心の中で、その姿を亡きキャスリーン王妃に重ねつつ、椅子から降りると、膝をついて臣下の礼を取った。
ヴァートはキュビィと今後の方針について話し合った後、彼女を部屋に送り届けると、自室に戻ろうとした。
ちなみに、落ち着きを取り戻したキュビィは、同時に、やんちゃな気質をも取り戻したと見え、『母上を好いておったのか? 初恋は母上か?』とからかうように何回も聞いてきたのだけは、ヴァートの計算外の事であった。ヴァートは、女王をお転婆に育てたレイモンドに対して、久しぶりに怒りを覚えた。
商工大臣の執務室への廊下の途中を、大柄な男が道を塞いでいた。
「オーア殿」
それは軍務大臣グゼット=オーアであった。
オーアは、小さく微笑をたたえている。
「あの馬車。お前の差し金だろう。レイモンドの剣も鎧も、後から同じものを用意したな? 商工大臣のお前なら、職人に依頼すれば可能なはずだ」
「……良くわかりましたね。その通りです。陛下には申し訳ないですが、多少強引でも、ああしてレイモンドの死を受け入れなければ、立ち直れないと思ったのです」
それはヴァートの賭けであった。
侍女クラウディアを使って噂を広め、オーアが負傷のため軍務大臣の政務を行えない間に南の砦に剣と鎧を送っておき、この日、馬車で城まで届けさせたのであった。
なお、蛇足ではあるが、砦から馬車を出す時の合図が、オーアが出した早馬であった。ヴァートは砦の者に、次のように命じていた。『宰相帰還の真偽を問う早馬が来たら、剣と鎧を乗せ王城に向けて馬車を出せ』と。
オーアは納得したように頷いた。
「王城全体を巻き込んでの大芝居……。陛下にとっては荒療治、という訳か。で、首尾は?」
ヴァートは、笑顔を作って見せた。
「明日からの朝議、玉座が空いている事はないでしょう」
「フフフ、それは良かった……が、きっとお前のたくらみに、陛下は気付いていらっしゃると、オレは思うんだがな」
え!? と、ヴァートは狼狽した。
オーアは、剣を取り出した。夕刻に馬車で運ばれてきた、レイモンドの剣である。
「レイモンドはな、左利きなんだよ」
「何ですって!?」
オーアは剣を実際に身につけて見せた。レイモンドの剣は、背中に背負う型の片刃の剣である。その鞘には、固定されたベルトが付いていた。右肩を負傷しているオーアは左肩にベルトをかけたが、指の形に合わせて作られた柄の窪みが、左手の握りの逆を向いてしまっていた。
要するにこの剣は、右利き用なのである。
「陛下がレイモンドの利き腕を知らない訳は無い。案外、だまされた振りをしているだけかも分からんぞ?」
オーアはニヤニヤした顔を、ヴァートに向ける。
まさか、とヴァートは言いつつも、あながち否定もできず、苦笑せざるを得なかった。