第20話:混乱 その2
商店が立ち並ぶ繁華街。王都の城下町は、活気に沸いていた。
それというのも、それぞれの店が趣向を凝らして王国の戦勝を祝う特別販売を行っており、記念品あり、特価販売ありで、普段にはないお祭り騒ぎになっていた。道々は人で溢れかえり、威勢のいい売り子の声が響く。
そんな雑踏から少し外れた所にある、古い工房。
その中で、宰相補佐官ノウル=フェスは、遠くに聞こえる賑わいに耳を澄ませながら、工房の職人が現れるのを待っていた。
「お待たせしやした。あっしがここで親方をやっているモンです」
出てきたのは、頭を手ぬぐいで巻いた、50歳代と見える、小男であった。
細い身体は日に焼け、いかにも職人といった頑固そうな面構えから、小さな目がフェスを見ている。
「王城にて宰相補佐官を務めております、ノウル=フェスと申します」
フェスが名乗ると、お若いのにご立派で、と親方は顔をくしゃくしゃにして人懐こく笑った。強面のわりに、笑顔は無邪気である。
「これをご存知ですか?」
フェスは大事に持ってきたアルバートの腕輪を親方に渡した。
親方は大層な手つきで受け取ると、色々と角度を変え、じっくりと舐めるように腕輪を見た。
「ははあ、これは二十年前、あっしが作ったモンですな。アルバート殿下がご誕生になった時です」
「間違いありませんか?」
フェスが念を押す。
親方は胸を張り、ドンと叩いて、間違いありやせん、と自信満々に答えた。
「あっしが作ったモンは、すぐに分かりやす」
それから親方は、昔話を始めた。
旧王城が、魔物の手で陥落した時には、職人の命と言える仕事道具を担いで命からがら逃げ延びた、とか。ようやく行き着いたこの王都で、工房を構えようとしたが、金が無く露天からはじめた、とか。女王陛下が誕生した時に、王冠の製作を依頼されたときには、飛び上がって喜んだ、とか。
その話は延々続くかに思われ、フェスは正直、辟易するも、なかなか話を終わらせる事ができなかった。
「……良くしゃべる人だ……」
ようやく話を打ち切らせ、工房を出ると、フェスは二つの意味で、深いため息をついた。
やはり本物だったか……。
フェスは足取りも重く、王城への帰途についた。
ノウル=フェスは、城に着くと、商工大臣の執務室に向かった。
そこでは、宰相代理トッシュ=ヴァートが、山と積まれた書類を、黙々と処理している所であった。
「フェスか。……何か分かったか?」
ヴァートは手を止め、フェスを見た。
レイモンドがいた頃と比べると、少しヴァートの雰囲気が違う、とフェスは何となく感じた。物腰が少し穏やかになったような気がする。
「この腕輪ですが、本物でした」
フェスの報告に、そうか、とヴァートは両手で顔をおおい、天井を仰いだ。
「ですが、この腕輪が本物だったとしても、例の侵入者が、陛下の兄君だと決まった訳では……」
「その通りだ。ところで……私の方でも、少し手がかりを掴んだ」
ヴァートは、かつてアルバートの侍女であったクラウディアの話をした。
その話を聞き、フェスは飛び上がらんばかりに驚く。
「さ、早速、話を聞いてきます!」
ヴァートは執務室を飛び出していくフェスの後姿を見送った。
「やれやれ……。あいつがこの書類の処理を手伝ってくれたらな……」
そう言って、書類の山に埋もれ、ヴァートは一人、苦笑うのであった。
女王の部屋は、王城内でも最も奥まった所にある。
フェスは息を切らせながら、廊下を走った。そのため、何度か侍女達とぶつかりそうになった。
急いでいるフェスの耳には、ぶつかっていれば話すキッカケができたのに! という若い侍女達の悔しそうな声は、当然聞こえない。美少年の彼は、侍女の間でも密かに人気が高かった。
フェスが女王の部屋の前に着いた時、侍女達が数人集まり、部屋の前で何事かを話しこんでいた。
その輪の中に、クラウディアはいた。
「ク、クラウディアさん。ちょっと、お話が」
フェスは息を荒げ、苦しそうに侍女の達の話に割って入る。
女王の侍女であるクラウディアと、宰相補佐官であるフェスには、当然、面識があった。
クラウディアは、フェスに頷きかけると、今まで話していた侍女たちを散らした。
「ええ。お待ちしておりましたよ」
クラウディアは真剣な顔で、フェスに答える。
そうして、二人は場所を、主の居ない宰相執務室に移した。
辺境に位置する王城は、さほど大きな城という訳ではない。
それでも、一応の城壁がある。その上に登れば、南側からは城下町が一望でき、北側に回れば、遠く海を臨む事ができた。
城壁の上は強い風が吹いていて、少しばかり肌寒い。
訓練所師範代のマスター・シバは、そこで白い髪をなびかせている。
彼は軍務大臣グゼット=オーアと共に、合同訓練所から、この城壁に話の場所を移していた。
「ワシ以外にも、かつて達人と呼ばれた男がいた事を知っておるか?」
風にマントをひるがえさせながら、オーアは、唐突なシバの話に、目を見開いた。
「い、いえ。存じ上げません……。マスターの称号を持つのは、師範だけだと……」
「それがワシ以外に一人だけいたのだ。……名は、マスター・ウォルサール」
マスター・ウォルサール……。
オーアの記憶に、その名は無い。
「……初めて聞く名です」
驚くオーアに、シバはそうだろう、という風に頷いた。
「奴は表舞台に出てくる者ではなかった。主に政治の裏……いわゆる諜報や暗殺に関わる王国の裏の部分に携わっておったのだ」
淡々と話すシバ。その目は遠くを見つめている。
だが、オーアの耳に入ってくるその話は、まるで現実味がない。
「かつての王国は、とても平和だったはず……。それなのに、そんな……暗殺などという陰惨な事がなされていたとは、到底思えませんが」
シバは、フッと笑った。
「若いな……グゼットよ。いかに表向きは明るく見えようとも、その実、裏がどうなっているかなど、到底分かったものではない。それが政治、というものではないのか」
「そういう……ものですか」
オーアは信じられないといった風につぶやく。
少なくとも、今のキュビィに仕える臣下には、そのような者はいない。皆、キュビィの力となるため、力を一丸とさせている。
「それは、今の女王陛下のご人徳だろう。それから、あの亡くなった宰相閣下のな」
レイモンド……。
オーアの胸がギリギリと痛む。
「平和な時ほど、人はくだらない事を考えるものなのだよ。……今は、ほとんど戦時下に等しい。危機が迫ったとき、人の団結は強くなる。兵もそうだろう」
オーアは頷いた。
砦での戦いがまさにそうであった。兵たちの士気の高さは、オーアにとって大きな助けとなった。女王キュビィの力、そして、滅亡の危機に瀕した、人としての絆。
そのすべてがあったからこそ、王国軍を勝利に導けたのだ、とオーアは思っている。
「ともあれ、ワシは当時、マスター・ウォルサールが実際に暗躍したのかどうかは知らぬ。色々と噂はあったがな……」
シバの話を耳にしながら、オーアは手元の長い針を見つめた。
「この針は、そのマスター・ウォルサールが使っていたもの……という事ですか」
「そうだ。それを使って不思議な術を操る。ワシも味わった事があるがな」
不思議な術!
オーアが聞きたいのは、まさにそこであった。
「実は、ある者からその針を投げつけられました。針は足元に突き刺さり……」
「身動きが取れなくなった……?」
オーアの話の途中で、シバは先回りして答える。
シバの表情はいつになく険しい。
「もう一度聞く。それをどこで手に入れた。術を使ったのは誰だ?」
低く、重いシバの声。
少しためらいながらも、オーアは口を開く。
「場所はこの王城内。相手は……アルバート=パンダール殿下を名乗る者です」
「何!?」
シバの顔が見る見るうちに青ざめていった。
ただ事ではない反応に、逆にオーアが驚いた。
「まさか、そんなはずはない……」
「一体どうされたと言うのです?」
シバは両手で顔を覆うと、ふるふると首を横に振っている。
「アル殿下は……ワシが死なせたのだ」
「え?」
城壁を吹き抜ける風は勢いを増し、ビュウビュウと音を立て、二人の間を吹き抜けていった。
二人はにらみ合うように顔を見合ったまま動かない。
遠くの空に、黒い雲が沸き起こったかと思うと、見る間に空に広がっていった。
「これは雨になるな……」
財務大臣ハロルド=ギュールズは、雲行きの怪しい空を眺めながら、日課としている王城周辺の散歩に行こうか、行くまいかを考えていた。
黒い雲は、次第に空を埋め尽くして行き、日は完全に隠れてしまった。
ギュールズは政務に疲れると、王城周りをぐるりと散歩するのが好きであった。それが、いつの間にやら日課となっており、一日の大事なひと時として、密かな楽しみとしていたのである。
「やれやれ……今日は取りやめるとするか」
道楽と言えば、普通の男ならば酒の一つでも嗜むものであるが、下戸であるギュールズには楽しみと言えばこれしかない。やや不満顔で、城内に戻ろうとすると、衛兵たちが何事か立ち話をしているのが聞こえてきた。
アルバートの出現で、こういった話に敏感になっているギュールズは、思わず聞き耳を立てる。
「ハンナも、ジョセリナも言ってたんだから、間違いないだろう。宰相殿が砦から戻ってくるって話だぜ」
「でも、ガルシュさんが言うには、南の砦を必死で探したけど、見つからなかったらしいじゃないか。そんなの、根も葉もない噂話だよ」
どうやら、レイモンドに関する噂のようだ。
ギュールズは聞き流そうかと思ったが、内容が内容だけに、気になって仕方が無い。
「あー、ちょっとそこの者」
我慢しきれず、思わずギュールズは、立ち話をしていた兵士に声をかけた。
サボっているのをどやされるのかと思ったのか、兵士たちは、急に姿勢を正した。
「な、何でありましょうか。財務大臣閣下!」
「ああ、そんなにかしこまらなくても良い。……今の話、詳しく聞かせてくれないか?」
ギュールズ家は名家である。その上、宰相に次ぐ位にある財務大臣を知らぬ者は、この王城にはいない。
そんな偉い人物に突然話しかけられ、兵士たちはしどろもどろになりながらも、先程の話題について説明をした。
「オ、オルフェン宰相閣下が近く王城に戻ってくる、という話です」
「宰相殿が……戻ってくる?」
ギュールズは首を傾げた。もしそれが本当ならば、そのような重大な話が、ギュールズの耳に入らぬ訳はない。
「その話は、誰から聞いた?」
「は! この城の侍女達からであります」
「では正式なものではないのだな?」
問いただすと、兵士たちは互いの顔を見合わせながら答える。
「え、ええ。ですが、近く正式に砦からその報告が来る、っていう事ですが……」
ギュールズには訳が分からなかった。
王都から南の砦はかなりの距離がある。正式な連絡よりも早くに、その噂が流れる……その話に信憑性はあるのだろうか。時期が時期だけに、かなり微妙な話である。
(ともかく、オーア殿に聞けば、事の真相はすぐに分かる……)
ギュールズは衛兵に礼を言うと、足早に軍務大臣の部屋へ向かった。
何となく、ただの噂話では済まされないような胸騒ぎを感じたからである。その疑念を一刻も早く振り払いたかった。
しかし、オーアは部屋におらず、留守であった。
やり場の無い思いにかられながら、ギュールズは、仕方なく自らの執務室へ戻る事にした。
散歩が出来なくなって落胆していた事など、既にすっかり頭から無くなっていた。
ところで、王城の警備責任者であるガルシュは、王族の部屋に閉じ込めてある自称アルバートの監視に腐心していた。
相手は一人で謁見の間まで容易く侵入できる恐ろしい男である。下手をすれば、監視している衛兵たちが、まとめて身体の自由を奪われ、その隙にアルバートに逃げ出されてしまう恐れもある。
とは言え、もし本当にキュビィの兄だった事を考えると、罪人のように枷をつける訳にも行かず、一応の礼は取らねばならない。
ガルシュの本心としては、この気味の悪い賊の体中をぐるぐる巻きにして、地下牢へ放り込んでやりたい所である。
(とりあえず、今のように王族の部屋に監禁するくらいがせいぜいの所だな……)
ガルシュは一時間ごとに、アルバートを閉じ込めている部屋の様子を見に行った。
その度に衛兵は、異常ありません、と報告するのだが、実際に自分の目で確認しなければ、とても気が済まなかった。
警備責任者に取り立てられた喜びに、もう少し浮かれていたかったガルシュだが、そんな気持ちは、アルバートの出現によって無残にも打ち砕かれてしまった。
今は、戦々恐々として、生きた心地がしない。
ガルシュは、そんな思いを抱えつつ、慎重にアルバートを軟禁している部屋の戸を開く。そこには、退屈しきったかのような、自称王子がベッドに身体を投げ出していた。
「ねえねえ、酒ちょーだいよ。こんな所にずっといたら、それこそ頭がおかしくなっちゃうよ」
神経を尖らせているガルシュにはお構いなしに、言いたい放題のアルバート。
最初はおとなしくしていたのだが、次第に本性を現し始めたのか、対応に文句をつけるようになってきた。
様子を見に来たガルシュに向かって、ベッドに横になったアルバートが、子供のように手足をばたつかせて、不満をぶつける。
「酒は駄目だ。食事はきちんと与えているだろう。それで我慢しろ」
「やだやだ!」
アルバートはまるで聞き分けのない駄々っ子のようだ。ガルシュのイライラは募るばかりである。
「ねえ、もしかしてあの時、動けなくしたのを根にもってんの?」
アルバートはベッドに寝転がりながら、ガルシュの顔を覗き込むようにして、ニタリと笑った。
ガルシュは憮然として答えない。それに勢い付いたか、アルバートはさらに続ける。
「あんた、この城の警備責任者なんだって? とてもそうは思えないなあ……。きっとボクの方が強いと思うよ」
「だまれ!」
ガルシュのイライラは我慢は限界に達し、アルバートを怒鳴りつけた。
それでも、相変わらず、アルバートはニヤニヤと笑っている。
「フフン、いいのかなー? そんな事を言って。ボクが本当に王子だって事がわかったら、真っ先にキミをクビにしちゃうなあ」
「ぐっ! ……でも、酒は駄目だ」
アルバートの見下した態度に、ガルシュは再び怒鳴りそうになったが、彼が王族であるかも知れない以上、何とかそれを堪える。
その様子を見て、またアルバートはカラカラと笑った。
「ホント、分かりやすい人だねーっ!」
これ以上同じ部屋にいたら、殴りつけてしまう、とガルシュは肩をいからせながら、無言で部屋を出た。バン、と戸が大きな音をたてる。
「絶対に目を離すなよ!」
軍務大臣オーアを思わせる怒声を衛兵に浴びせるガルシュ。
元同僚であり、現部下である衛兵たちは、うろたえながらも、はい、と答える。
「あんな奴、絶対に陛下の兄君な訳がない!」
ドスドスと足音を響かせ、ガルシュは王族の間を後にしたのだった。
宰相補佐官ノウル=フェスが、再び商工大臣の部屋を訪れたのは、もう夜半であった。
夕刻から降り始めた雨が窓を叩く。その音が部屋に響いている。机の上に山となっていた書類は昼間の半分ほどになっており、一区切りをつけたのか、ヴァートは雨に濡れる窓の外を眺めていた。
「ヴァート様……夜分遅くにすみません。報告にあがりました」
「うむ。構わん。結果を教えてくれ」
報告は、無論、アルバートに関する調査についてである。フェスはその調査結果を総合し、ヴァートに報告した。
はじめは静かに聞いていたヴァートだったが、次第にその顔色は険しいものになっていった。
聞き終えると、ヴァートは深いため息をついた。
「その話を他の者には?」
「……もちろん、話していません」
そうか、とヴァートが重苦しくつぶやく。
二人の間に、沈黙が流れた。雨音が一層大きくなって聞こえる。
ふと、思いついたように、ヴァートは俯いていた顔を上げた。
「フェス。悪いが、もう一つ頼まれてくれないか?」
ヴァートは声をひそめて、フェスに依頼内容を伝える。
話を聞いても、いまひとつその依頼の意図が汲み取れなかったフェスではあるが、怪訝な顔をしながらも、ひとまず頷き、依頼を了承したのだった。