第19話:混乱
「アルバート殿下を名乗る者を、王族の部屋へ移動させました」
騒ぎも一段落した謁見の間に、警備責任者ガルシュが、報告に現れた。
王族の部屋とは、その名の通り、王の一族に割り振られる城内の部屋である。現在は、城にいる王族はキュビィだけであり、彼女は王の部屋を使っているため、8部屋ある王族の部屋はすべて空室となっていた。その一室に、アルバートを軟禁した、というのがガルシュの報告であった。
「監視を怠るなよ」
という軍務大臣オーアの言葉に、ガルシュは、はっ! と身を固くし、謁見の間を退出した。ガルシュにしてみれば、警備責任者としての初日の失態である。これ以上の失敗は許されないという決意があった。
ガルシュが出て行くのを見届けると、オーアは財務大臣ギュールズに向き直る。
「陛下に兄君がいた、とは初耳です」
大臣一同、頷いた。
ギュールズは神経質な顔を、困ったように歪めている。
「私が城に仕え始めた頃の話ですからね……。今の王城には、殿下の事を知っている者はほとんどいないでしょう……」
「ギュールズ殿が仕え始めた頃というと……」
オーアが指を折って計算しながらたずねる。
「私が18歳の時ですから、20年前です」
「20年前!」
ギュールズの答えに大臣一同がざわめく。
20年前と言えば、ちょうど魔物の侵攻があった時である。ギュールズは大臣達の反応を察し、頷いた。
「そうです。魔王軍の侵略によって、旧王都は落城し、皆、命からがら城から脱出しました。幼かった殿下は、その時はぐれてしまい、行方不明になった、と聞いています」
そして、落胆した先王を気遣い、王城内でアルバートの話は暗黙のうちに禁忌となった、とギュールズは説明した。
しかし、ヴァートが疑問を呈する。
「都落ちの時、魔物の追撃は凄惨を極めたはずです。幼児がそんな中で取り残され、生き残るなど可能だったのでしょうか?」
当時、ヴァートはアルバートと同じ5歳である。うっすらと記憶に残る、逃亡時に迫り来る魔物への恐怖。
各大臣たちも、当時の恐ろしい出来事を思い出したと見え、顔をしかめたり、首を振ったりしている。
「……無理でしょうな。もし助かったとしても、相当な奇跡でしょう」
大臣の中で最年長のギュールズはそう言って眉をゆがめた。大臣達の中で、彼が最も当時を良く憶えているであろう。
その脳裏には、鮮明に当時の光景が浮かんでいるに違いない。その時、逃げ遅れた者は、間違いなく魔物の餌食になったと言っていい。
つまりは、王城に侵入してきた、あの軽薄そうな男がアルバート=パンダールである可能性は極めて低い、という事になる。
「だが、それではこの腕輪の説明がつかない……」
ヴァートは手の中にある腕輪を見つめた。
王家を示す紋章。そしてアルバート=パンダールの刻銘と、その誕生日とみられる日付。
「ともあれ、調査しなくてはなりますまい。この件は私にお任せ下さい。……次は農務大臣殿の案件を進めましょう」
そう言って、宰相代理トッシュ=ヴァートは各大臣の動揺を鎮め、何事もなかったように、議題を次に移した。
侵入者の身柄を拘束できたのならば、事の真偽はゆっくりと確認すればいい。まだ足元のおぼつかない王国にとって、目の前の問題が急務である事には違いなかった。
「……という訳で、実際の所を調査してもらいたい」
商工大臣の執務室。
その部屋の主であるトッシュ=ヴァートから説明を受けた彼は、そのつぶらな目を白黒させた。
「え?」
そう言って、顔を引きつらせているのは、宰相補佐官のノウル=フェスである。
「ええっと、その侵入者が、20年前に行方不明となったアルバート様と同一人物か……を調べるんですよね?」
「そうだ。君の生まれる前の話だから難しいかも知れんが、これは今後の王国を左右する非常に重要な問題だ。それだけに、あまりこの話が広まるのもまずい。そこで、できうる限り内々に調査を行って欲しいのだ」
ただでさえレイモンドという支えを失い、女王キュビィも回復の目処が立たない王国に、それ以上の動揺を与えるわけにはいかない。ヴァートは侵入者の存在に関して、徹底的な箝口令を敷いていた。
しかし、フェスには疑問が残る。
「なぜ……調査するのが私なんでしょう?」
フェスの疑問に、ヴァートは小さく笑った。
いつもの嫌味な笑い方ではない。
「君が適任だと思ったからだよ」
フェスは、ヴァートから宰相代理の仕事の協力を依頼されているが、考えさせて欲しい、とだけ言い、まだはっきりと返事はしていない。
もしかしたら、フェスの返事を待たず、協力の既成事実をつくろうとしているのか、とフェスは勘ぐる。
だが一方で、ヴァートも言うように、これは王国全体に関わる非常に重要な問題である事も、フェスは認識している。
「……わかりました。調べてみます」
王国の危機とあっては、フェスが手をこまねいている訳にも行かなかった。多少不満はあるものの、自分に出来る事があるならば、やろう、という結論に至ったのである。
ヴァートは、フェスの答えに、短く、頼む、とだけ言った。だがその表情は、どこか満足そうであった。
フェスは早速調査を開始した。
手がかりは、手元にある腕輪だけ。
まずは、その真贋から調べる事にした。
宰相執務室の横に、資料室がある。そこには、日々の政務で発生する資料や、報告書、または奏上書など、ありとあらゆる文書が管理されているのだが、そこに入れるの者は限られている。
宰相補佐官であるフェスは、そこへ入る権限を持っていた。
鍵を開け、中に入ると、そこは古い紙のにおいが立ち込めていた。
むっとするにおいに耐え、フェスはそこに踏み込むと、最も古いであろう書類を探した。
「やっぱり25年前の資料は残っていないか……」
腕輪に刻まれている年号は、今から25年前である。
20年前の魔王侵略以前の資料は、見つからなかった。
「旧王城が落ちるときに、そんな余裕はないってことだな……」
命からがら逃げるという時に、資料まで持っていく者などいるはずも無い。恐らく、城と共にすべて灰になってしまったのだろう。
フェスは肩を落とし、ふと、まだ新しい資料に目を留めた。
その資料には宰相レイモンド=オルフェンの署名があった。
「閣下……」
フェスには、未だレイモンドが死んだ、など信じられない。
まるで実感がわかず、今も宰相室に行けば、レイモンドがにっこりと笑いかけてくる、そんな気がする。
レイモンドの残した資料を手に取り、パラパラとめくる。そこには、細かい事案に関する報告書やら、申請書やらが記されている。余人からしてみれば、味も素っ気も無いただの書類だろうが、フェスにとってそれは、レイモンドと過ごした思い出深い日々の記録であった。
――閣下……
ポツポツと、資料に涙が落ちる。
慌ててフェスは目を拭い、資料を元に戻した。
「陛下もお辛いだろう。僕ばかりがメソメソしてちゃ駄目だ」
生まれた時から、女王キュビィはレイモンドと一緒だったと聞く。きっと、レイモンドを失った悲しみはフェスが感じているものとは比べ物にならないだろう。
だからこそ、病に倒れ、政務も行えないでいる。
(まてよ……、陛下……?)
フェスは何事かを気付き、13年前の資料を探した。
「あった……」
13年前。キュビィが生まれた年。
アルバートが生まれた時に腕輪が作られたとするならば、妹のキュビィが生まれた時にも、同じように作られているはずである。
フェスが見つけた資料。そこには、城下の職人によって、キュビィの『冠』が作られた事が記載されていた。
「冠……」
フェスは、手元の腕輪を見た。
金色の腕輪は、年月を経たせいか、輝きを鈍いものに変えている。形状を見るに、確かに冠だったとしてもおかしくはない。それを、アルバートは腕輪として身につけていたのだろう。
「そもそも、赤ちゃんの時に作られたんだもんな」
フェスは、飛び出すように資料室を出て、城下へと向かった。
同じ頃。
宰相代理トッシュ=ヴァートは、オーアの元を訪れていた。
「珍しいな。ヴァート」
オーアは言葉とは裏腹に、ヴァートの来訪を予期していたかのようだった。
「レイモンドの事……です」
うむ、と頷き、オーアは表情に影を落とした。
「本当に……残念だ」
オーアとレイモンドは、幼馴染である。短い間ではあるが、国政を担うようになってからも常に苦楽を共にしていた。
ヴァートにも、その事が分かっているだけに、オーアが気掛かりであった。
「親友を失うというのは辛い事だ。オレが、陛下に出陣を頼みさえしなければ、こうはならなかったかも知れん……」
オーアは顔を悔しさにゆがめる。
「お察しします……ですが、ご自分を責めないで下さい。誰も先の事など分からないのですから」
そうだな、とオーアは力なく笑う。
ヴァートにとって、こんなに小さく見えるオーアは初めてであった。いつも強気で気さくなオーアは、性格の違うヴァートにも気軽に接してくる。ヴァートはそんな彼に敬愛の念を覚えていた。
「ところで、陛下のお加減が悪い事はご存知ですね」
「ああ……。無理もない。陛下の目の前での事だったんだからな……」
オーアはそう言って首を横に振った。
「ですが、このままでは王国は立ち行きません。何とか政務に復帰して頂かなければ」
「……オレも、ご機嫌を伺いに行ったのだが、面会を断られた。ずっとこの調子なのだろう?」
ヴァートは、伏し目がちに頷く。
南の砦から戻って以来、キュビィは公式の場には、一切姿を見せていない。彼女の姿を見ているのは侍女のクラウディアだけである。
「こんな時だというのに、アルバート殿下を名乗る者が現れるとはな……」
オーアは深いため息をついた。
「本物かどうかは、私の方で調べております。ですが、もし本物だった場合、今の陛下の状態では……」
ヴァートはその先を言うのをためらったが、オーアが続ける。
「王位が危ない……という事だな」
「はい。そうなれば、最悪の場合、政争が起こるやも知れません」
「政争……」
平和なパンダール王国には、これまで無縁な問題である。
それこそ、はるか昔、勇者マリーンの時代にまでさかのぼらなければ、出てこないような話だ。
しかし、今の大臣達は若い。王城には、彼らよりも年長の臣がたくさん居る事を考えると、もし彼らが権力を欲し、アルバートと結びつけば、必ず政争は起こる。
女王キュビィに忠誠を誓うもの、王兄アルバートを担ぎ出して権力を得んとするものが争えば、王国は真っ二つに分かれる事となる。
「そんな事になれば……国力はガタ落ちだぞ」
「ええ。せっかく砦を落とし、魔王討伐への勢いがある今、それだけは何としても避けねばなりません」
そのためには、一刻も早くキュビィが復帰し、政務を取り仕切って、リーダーシップを発揮せねばならない。
アルバートが現れようとも、小揺るぎもしない確固たる女王の座を。
「何とか、陛下を盛り立てていきましょう。前へ進むのです」
ヴァートの目は、まっすぐにオーアの目を見ている。
ああ、と答えた後、ふとオーアは笑った。
「それにしても……お前、少し変わったな」
「そうですか?」
キョトンとするヴァートの肩をバン、と叩くと、オーアはいつものように、豪快に笑った。
ヴァートが去った後の軍務大臣室。
オーアはある事について、考え込んでいた。
手元には、細長い針がキラリと光っている。
今朝、アルバートがオーアの足元に突き刺した物である。その直後、オーアの身体はまったく動かなくなってしまった。
そんな技など、当然オーアは聞いた事がない。
針自体に、何か仕掛けがあるかと思ったが、どうみても、何の変哲もないただの針であった。
あれは一体、何だったのか。
「こんな事を知っているとすれば、あの人しかおるまい……」
オーアは支度を整えると、部屋を後にした。
馬を飛ばして、オーアが向かった先。
それは、王国兵士と冒険者の合同訓練所であった。砦の戦いが終わってまだ日も浅いが、この日も訓練は行われており、兵と冒険者たちの、元気な声が空に響いていた。
「シバ師範」
オーアは、そこで兵士に訓練を施す白髪の老人に声をかけた。
「おう、グゼットか。もう、傷は良いのか」
「ええ、まあ。……師範、少し痩せられましたか?」
シバは、心なしか頬ががこけ、やや目が落ち窪んでいるように見えた。
「……いや。ワシももう、年かな」
シバはそう言って誤魔化した。
砦の戦いで、レイモンドと同じく激流に飲まれたフラム=ボアン。シバがそのフラムの育ての親だという事を、オーアは知らない。
我が子のように育てたフラムを失い、さすがのシバも堪えていた。
「師範。これを見て頂けますか?」
オーアは、懐から、袋に包んだ針を取り出した。
指の長さの二倍はあろうかという針。それを手に取り、シバはじっと見つめている。
「詳しくはまだお話できませんが、これが何かをご存知ありませんか?」
「これを……どこで?」
シバの白い眉が、ピクリと動くのを、オーアは見逃さなかった。
「ご存知なのですね?」
「……うむ。知っておる」
そう言って、シバは周りを見渡し、訓練にいそしむ一人の男を呼び止めた。
その、桁外れの巨体の持ち主を、オーアも知っている。
「おお! ロック=パタ!」
パタとは砦の戦い以来である。オーアとパタはがっちりと握手を交わした。
オーアの身体も大きいが、パタはさらに一回りも二回りも大きい。二人が揃うと、小さな身体のシバは完全に姿が隠れてしまうほどだった。
パタはひとしきりオーアとの再会の挨拶を終えると、シバへ向き直った。
「お呼びですか」
「ワシはこれから軍務大臣と出かけてくる。後を頼む」
パタは、承知、と短く答えると、再び訓練へと戻っていった。
その後姿を見ながら、あんなに無口な男に、後事を託せるものだろうか、とオーアは少し不思議に思う。
「城に行って話そう。ここでは、ちょっとな」
そう小声で言うと、シバはさっさと歩き出した。
オーアの部屋から戻ったヴァートは、財務大臣の部屋で、ある人物がやってくるのを待っていた。
やがて入り口の戸を叩く音。
「入りたまえ」
戸を開け、入ってきたのは、女王の侍女、クラウディアであった。
ヴァートはクラウディアに椅子を勧めると、声を落として話し始めた。
「まずい事になった」
「とおっしゃいますと……?」
クラウディアは深く皺の刻まれた顔を、怪訝なものにさせる。
「陛下の兄を名乗る者が現れた。陛下の回復を待つ、などと、悠長な事は言っていられなくなった」
ヴァートの話に、クラウディアは両手を口にあて、驚いている。
「まさか!? アル殿下が!?」
「知っているのか?」
王城内で最年長であろう侍女である。冷静に考えれば、クラウディアがアルバートの事を知っていて当然であろう。
クラウディアは深く頷くと、少し遠くを見るような目をした。
「二十年前。殿下がいなくなる前までは、私がお世話をしておりました」
「なに!?」
今度は、ヴァートが驚く番であった。
「昔のお城が落城する前、アルバート様の侍女をしておりました……もう20年前の話です」
「何と……」
ヴァートは絶句した。
だが、これは大きな手がかりになるかも知れない。
「よし! アルバート様について、宰相補佐官のノウル=フェスが調べている。後で、彼に話を聞かせてやってくれ!」
「わ、分かりました」
思わず、ヴァートの口調が強くなる。その勢いに、少しクラウディアは押され気味になった。
それに気付いたヴァートは小さく咳払いをし、居住まいを正すと、ゆっくりした口調で再び口を開く。
「とにかく、多少強引でも、陛下とお会いする機会を作らねばならぬ。それだけ事態は切迫しているのだ」
ヴァートは最後に、『あれをやる』とつぶやくように付け加えた。
とたんにクラウディアの表情は曇る。
クラウディアは少し迷いながら、やがて思い切ったように、口を開いた。
「私は……あのやり方には反対です。かえって陛下を傷つけてしまうのではないでしょうか……?」
「ああ。だが、他に方法はない」
そう言って、ヴァートは切羽詰ったように、クラウディアの目を見つめる。
クラウディアは、ずっと俯いていたが、やがて観念したように、首を縦に振った。