第11話:女王の外出
練兵所の改築が開始された。
改築、とは言っても、古くなった兵士宿舎を解体して、大きな宿舎を増設するというだけの話ではあるが。
そして同時に、パンダールの酒場へは、合同訓練参加の案内が流された。
さらにランク上位者には個人宛に女王からの親書として、参加を促す旨の連絡がなされるという徹底振りであった。
「さすがに宣伝の甲斐あって、ものすごい反響だそうですよ」
例によって、宰相補佐官ノウル=フェスの報告を聞く宰相、レイモンド=オルフェン。
良い反応、とあって、ひとまずは胸をなでおろす。
「よかった……。とりあえずは順調ってとこか」
「後は合同訓練所の落成を待つのみですね。来週には完成する見込みです」
フェスも嬉しそうに言う。
最近のレイモンドの元には、色々な人が訪れるようになっていた。
それは、勇者をつくる計画が、多方面に影響を及ぼし始めた事を示している。
この日も、来訪者は後を断たなかった。
「レイモンド! これを見てくれ!」
荒々しく宰相の部屋の戸を開けるのは、商工大臣トッシュ=ヴァートである。
珍しい客が、突然部屋に飛び込んできたとあって、レイモンドとフェスは目を丸くした。
「どうしたんだ、トッシュ? 珍しいな」
「この剣は、あの東の鉱山の鉄で作られたのだ」
そう言って、ヴァートは手にした剣をレイモンドに渡す。
レイモンドが鞘から抜くと、ギラリと光る剣身が姿を現した。剣に詳しくないレイモンドでも、それが非凡なものである事が分かる。
「どうだ? なかなかの物だろう? 実は、再開発と共に、職人の加工技術も向上させておいたのだ。鉱石の供給が安定してきたら、これが量産できる。そうなれば、冒険者の戦力もさらにアップするぞ」
「いや、さすがだよ、トッシュ。これだけ素晴らしい鉱石が、もう出てきたんだな」
採掘が再開されて、まだ一週間も経っていない。こんな早さで報告してくる、と言うことは、要は、ヴァートは自分の手柄を自慢しに来たのだ。
レイモンドはそれが分かっていながらも、素直に感心して見せた。仲が良くないとは言え、同じ目標に向かう仲間である事には違いない。
「武器屋の増築ももうすぐ終わる頃だ。これで税収はますます期待できる」
武器屋の拡張は、財務大臣ハロルド=ギュールズとヴァートが進めていた案件である。
ヴァートは得意顔でそれだけ言うと、じゃあな、とレイモンドの部屋を出て行った。
「すごい勢いでしたね……。結局、あの剣を見せにいらしたんでしょうか?」
フェスが呆然とそう言った。
レイモンドは苦笑する。
「そうだろうな。あいつなりに私に報告に来てくれたんだ、と思っておうこうじゃないか」
はあ、と、フェスはため息ともつかない返事をするのだった。
次に現れたのは、財務大臣のハロルド=ギュールズである。
「宰相殿、ちょっとご相談があります」
「なんですか、ギュールズ殿」
かつての天敵であった財務大臣ギュールズであるが、今や、すっかりレイモンドの良き理解者になっている。
『何をするにもカネがかかる』勇者計画をすんなり進められているのも、このギュールズの協力によるところが、余りにも大きい。
「実は、冒険者の数が増えるに従い、宿屋の数が足りなくなっています。そこで、さらに宿屋の数を増やそうと考えています」
「いい話ですね。……でも、予算は大丈夫なんですか?」
今までとは真逆に、今度はレイモンドが費用を心配する。
「ははは、ご心配には及びません。ちゃんと予算内に収まるようにしますから。税収も格段に増えていますので、この程度なら大丈夫ですよ」
ギュールズは笑って答える。レイモンドは少し顔を赤くした。横目に、フェスが笑いを堪えているのが見える。
「これは、余計な事を言いました。では、進めてください。冒険者たちも喜ぶでしょう」
「はい、お任せ下さい」
ギュールズは一礼すると、静かに退室した。
次は、農務大臣アデュラ=パーピュアがやって来た。
アディラは、34歳の、唯一の女性大臣である。
本来、大臣は男性が務めるのが王国の通例だが、先代の農務大臣と本人の強い意向によって、女だてらに大臣となった。
当然、異例な事であったが、元々アデュラは王城仕えで、有能である事が知られていたため、特段の反対意見も出ることも無く今に至っている。
「レイモンド君、ちょっといいかしら?」
アデュラは、明るい栗色の髪を肩までに切りそろえ、活動的な印象の女性である。大きなブラウンの瞳が魅力的で、なかなかの美人だと誉れ高い。
しかし、男を寄せ付けない気の強さから、未だに独り身であった。
「最近、王都に住む人が増えててね、どうも流通している食糧が不足し始めているようなのよ」
「え!? それって、大問題ではないですか!?」
レイモンドはアデュラの報告に色を失い、思わず立ち上がった。
食糧問題は、民の生活のもっとも根幹を成すものである。それが不足してしまうとなれば、魔王討伐どころではない。
しかし、そんなレイモンドを、アデュラは笑ってなだめる。
「待って待って。今すぐにどうこう、って訳ではないのよ。あくまで、不足の兆候があるってだけだから」
「そ、そうなんですか?」
レイモンドは、とりあえず着席した。
慌てふためくレイモンドの姿に、アデュラはクスッと笑う。
「本当に心配性なのね。……私が不足、と言っているのは、食糧の市場価格が上がり始めてるって事。食糧危機にはまだならないわ。王都に備蓄もたっぷりあるしね」
そこまで聞いて、ようやくレイモンドは安心した。
アデュラは手にした資料をレイモンドに渡して言った。資料には、食糧価格がわずかずつ上がっている事がグラフによって示されていた。
「でも、今の農地の広さではやっぱり限界があるから、いずれ食糧不足はもっと深刻になるわ。そこで考えたんだけど、冒険者が魔物を倒すようになって、安全な地域が増えたんじゃないかって思ってね。もしそうなら、そこを農地に転用できるでしょう?」
「確かに、冒険者が盛んに退治しているんだから、魔物の絶対数は減ってるはずですよね。でも、そんな報告は受けてないし……」
レイモンドも首を傾げる。
いかに魔物といえど、雲のように無限に湧き出てくる訳ではあるまい。
「でしょう? 調べてみる価値はあるんじゃない? もし安全な場所が広がっていれば、そこを開墾して食糧をもっと豊富に供給できるようになるわ」
アデュラの大きな瞳がキラキラと輝いている。
わずかな市場価格の変化に鋭敏に気付き、前もってその対策を提案に来たアデュラに、レイモンドは感心した。噂どおりの有能ぶりである。
「分かりました。冒険者たちに意見を聞く事にしましょう。もし魔物の少ない地域が増えている様なら、実地検分を行います。それから……」
レイモンドはそこで言葉を区切った。頭に、ふと商工大臣ヴァートの話が思い浮かんだのである。
「さっき、商工大臣のヴァートが、東の鉱山の採掘が順調で、武器の質も上がっていると言っていました。これって、農具の改良にも活かせませんか?」
アデュラは大きな目をさらに見開いた。
「いいわね、それ。ちょっとトッシュ君に聞いてみるわ。農具の改良は、直接、生産性向上につながるからね……情報、ありがとう」
アデュラは片目をパチリとつぶって、笑顔をつくる。
こうして見ると、独り身だと言うことが信じられないくらい、アデュラ=パーピュアは魅力的な女性だ、とレイモンドも思う。
「じゃあ、魔物の調査、よろしくね」
アデュラはそう言うと、颯爽とレイモンドの部屋を後にした。
「綺麗な人ですね……」
戸が閉まるのを待って、傍らでフェスがつぶやく。少し顔を赤らめているようにも見える。
レイモンドはそんなフェスを温かい目で見やると、その言葉には答えず、アデュラの資料に目を通すのだった。
次の訪問者は、軍務大臣グゼット=オーアであった。
「よう、レイ。どうだ? 訓練所に視察に行かないか?」
オーアらしい単刀直入な言い方である。
だが、この後、レイモンドは欠かす事のできない予定が入っている。
「すみません、この後、陛下とお会いする約束なので……」
キュビィとの約束とは、中庭でのお茶の事だ。しかし、当然、その内容までは、とてもオーアには言えない。
レイモンドの答えに、オーアは少し考え、やがて口を開いた。その言葉はレイモンドの予想外のものだった。
「なあ、そしたら、陛下も一緒に連れて行かないか? 警備はオレとお前が居るし、問題ないだろ?」
「え!?」
レイモンドは思わず大声を上げた。
訓練所は城の外にある。街の中心地からは外れているが、それでも、女王をそこへ連れて行くのにはレイモンドは抵抗があった。
「陛下だって、いつまでもお姫様じゃないんだ。城の外にも出て、見聞を広めてもいい頃じゃないか? もちろん護衛つきという前提でだがな」
以前のように繁華街にキュビィを連れ出す、となると危険だ。だが、町外れにある訓練所ならば、確かに危険は少ない。なにより、王城最強の使い手が一緒となれば尚更安心である。
それに、オーアが言うように、実際に見聞きして、知識の幅を広げるのも王に必要な事である。
そう考えると、レイモンドが反対する理由はないように思われた。
「……そうですね。きっと陛下も喜ばれるでしょう」
レイモンドは頷いた。
「よし、そうと決まれば、早速陛下に声をかけてきてくれ。オレは城門で待っているから」
オーアが部屋を出ると、レイモンドは横にいるフェスを見た。
フェスは自分に話が来る事を予想して、レイモンドの言葉を待たずに口を開いた。
「留守はお任せ下さい」
「ああ、すまないが頼む。……そうそう、アデュラ殿から頼まれた魔物の出現数について調べておいてくれ。結果は、私とアデュラ殿に報告をするように」
「かしこまりました。お気をつけて」
アデュラの名前に、心なしかフェスの返事の声はいつもより張り切った響きを持つように思え、出かける準備をするレイモンドは思わず笑いを堪えるのだった。
レイモンドがお茶の約束をキャンセルしたい、と言うとキュビィは烈火のごとく怒りをぶちまけた。
だが、その後、合同訓練所の視察の話をすると、今度は逆に飛び上がって喜んだ。
「レイの意地悪! 最初に視察の話をすれば良いではないか。わざわざ先にガッカリさせるような事を言いよって!」
王城の廊下。
キュビィとレイモンドは、連れ立って城門へ向かって歩いている。
むくれたように責める女王に、レイモンドは背中を追いかけながら、慌てて弁解する。
「い、いえ。私は順を追ってお話しようとしただけで、別に意地悪などと……」
辺境の小さな城とは言え、やはり奥まった女王の部屋から城門までとなると、それなりに距離がある。
途中、城内の廊下で城仕えの者と会うと、みな一様にキュビィの姿に驚き、そして道を譲っては頭を下げていた。
よくよく考えてみると、キュビィは、ほとんど外に出ることがない、という事にレイモンドも気づく。
(オーア殿の言うとおり、いつまでも姫様って訳じゃない。過保護は確かに陛下のためにはならないかも知れないな)
そんな事をレイモンドは思うのだった。
キュビィはと言えば、レイモンドの思いを他所に、嬉々として廊下を歩いている。
「いつぞや、お忍びで街に行ったとき以来だな、城を出るのは」
すっかり上機嫌のキュビィは、ウキウキと今にも走り出しそうな勢いである。
そんなキュビィの姿を見るのは、レイモンドも嬉しい。だが、同時にやはりまだまだ子供だ、と、外に出ることが少しだけ心配にもなってくるのだった。
「陛下、お待ちしておりました」
城門には、馬車を準備したオーアが待っていた。
「うむ。オーア、ご苦労である」
「いえ、わざわざ陛下にご足労頂き、ありがとうございます」
そう言うと、オーアはキュビィとレイモンドを馬車へ促す。
御者は軍務大臣オーアが自ら務めるらしい。
「では、行きますぞ」
女王と宰相を乗せた馬車は、軍務大臣の手綱によって走り出した。
「オーア、なかなか見事な手綱さばきではないか」
キュビィは機嫌よく、そうオーアに声をかける。
いつもの謁見の間で見せるよそ行きの態度ではなく、少しだけ普段どおりのキュビィの雰囲気に近い。
「ハハ、お褒め頂きありがとうございます。馬には慣れておりますゆえ」
パンダール王国にとって、馬は非常に貴重である。
魔物が跋扈するようになってから、野生の馬が手に入る事がなくなってしまい、その絶対数が少ないのである。
そこで、すでに所有していたわずかな馬を繁殖させて、こうして馬車を引かせたり、軍馬として利用したりしている。
貴重なだけに王城でも、特に身分の高いものしか馬を使う事を許されていない。特に馬車に乗れるのは、王族と大臣たちだけである。
オーアは代々武官の家柄なので、当然、馬の扱いには熟達していた。
道々、レイモンドはこの日に各大臣から聞いた話を、キュビィに報告する。
それを聞いたキュビィは、喜色満面である。
「そうか、そうか。これで随分王国の基盤もしっかりしてきたではないか」
「はい。失業者も減り、税収は増えております。食糧問題が、やや気がかりですが、それも今のうちに対策を打てば良いのです」
レイモンドはそうまとめた。
キュビィは頷く。
「後は、兵力だな。訓練所でマスター・シバにビシビシと鍛えてもらおう。そして、南の砦を奪回するんだ」
「はい。それまでもう少しの辛抱です」
馬車の中で、キュビィとレイモンドは向かい合って座っている。
二人はしばらく見つめあうと、クスクスと笑いあった。
勇者計画がうまく行っている事で思わずこみ上げて来る、幸せな笑い声であった。
城は王都の北側に位置する。
城門を出て、南へまっすぐ行けば、街の中心地に出る。以前、キュビィとレイモンドがお忍びで行った繁華街で、パンダールの酒場もそこにある。
辺境の街とは言え、中心地はかなりの賑わいであるが、城付近の北エリアは、城仕えの者の居住区になっており、閑静なところであった。
そんな北の居住区のはずれに合同訓練所はある。
「陛下、到着しました。殺風景なところですが、どうぞ」
馬車が止まり、手綱を握るオーアが振り向きながら言う。
レイモンドは車から先に降りて、キュビィの手を引く。
「ほおお。ここが……」
目の前には、だだっ広い平地が広がっている。その隅っこで、木材を組み合わせて何かが作られている所であった。
白いローブの老人が、何事かを大声で指示している。
「おお、シバもいるではないか」
キュビィは遠くを眺めやりながら、楽しそうな声をあげた。
「なんでも、ジッとしてられないらしくて……」
オーアは苦笑いしながら、答える。
若いな、とキュビィもコロコロと笑っている。
「師範の仕事は、この合同訓練場ができてからだと言うのに、今からあの調子だと、教わる方は大変だな」
「まあ、二十年分の、積もりに積もった思いがあるのでしょう」
レイモンドは先日のシバの姿を思い出しながら、キュビィに答える。
かつて王国に使えた天才剣士シバは、魔王への逆襲を主張して孤立し、下野した過去がある。
訓練場で、指示を飛ばすシバは、失われた時間を取り戻そうとするかのような、熱の入り様であった。
「ところで、オーア。この合同訓練所はどのくらいで完成する予定なのだ?」
「来週には宿舎が完成する見込みです。そうなれば、冒険者と兵士達を集めて、いよいよ訓練開始ですな」
オーアはキュビィに説明した。
キュビィは満足そうにうなずくと、今度はレイモンドの方を見る。
「訓練所に来る冒険者は、集まっておるのか?」
「はい。かなりの反響だと、報告が入っています。おそらく、人数は十分集まるものと思われます」
「うむうむ。順調順調」
キュビィは広い訓練場を見渡し、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
そして、大きく吐き出すと、レイモンドへ声をかける。
「やっぱり、外はいい。なあ、レイ。わらわも、もう少し外に出れるようにして欲しいぞ」
「そ、そうですね……、今度からもう少しその機会を増やすように致します」
レイモンドはそう言って考えた。キュビィを外に出すには、腕の立つ護衛を雇わなければならないだろう。
他国の侵略とは無縁な王国だから暗殺などの影に怯える必要はないのだが、それでも城の外となると、警備の人間は絶対に必要である。
(後で、オーア殿に相談しよう)
レイモンドはぼんやりと考えて、キュビィを見た。
護衛は二人にしようか、三人にしようか……。腕が立てば、一人でも十分かも知れない。そんな事を考えていると、なんだかキュビィが自分の手をどんどん離れていくような気持ちになる。
今までは、ずっと城内に居たので、護衛など必要がなかった。すべてはレイモンドが見守ってさえいれば良かったのである。だが、女王として成長していくキュビィは、それに収まらなくなっている。
しかし、それが女王として正しい姿なのだろう。レイモンドはフッと笑う。
キュビィは眩しい日の光に目を細め、練習場のあちこちでオーアを質問攻めにした。
勇者をつくる計画が始まって、三ヶ月。
兵力が十分に高まれば、次はいよいよ攻勢に転じる。
レイモンドは、遠く、南の砦に思いを馳せていた。