第10話:女王と老剣士
宰相レイモンド=オルフェンの元に、その報告がもたらされた時、彼は特に何の感慨もなかった。
むしろ、またか、とウンザリしてため息をついた。
「今週に入って何人目だ? フェス」
「昨日までが23人だったので、今日来たのが3人ですから、26人になります。閣下」
宰相補佐官のノウル=フェスが、正確にその数を伝えた。
「行かないと、駄目……かな?」
レイモンドは哀願するようにフェスの顔を見た。
フェスは首を横に振った。
「一応、引見して頂かねばなりません。オーア殿とそう約束されたのでしょう?」
「ぐっ……」
フェスの正論に、いつもレイモンドは言い返せない。
「仕方ないな。行くとするか……」
レイモンドは重い腰を上げ、フェスの同情めいた視線に見送られながら、執務室を後にした。
今週に入ってレイモンドを苦しめているのは、大量に名乗り出てきた、『自称』マスター・シバの存在である。
その度に引見に行っては、同席する軍務大臣グゼット=オーアが発する、偽者への怒声を聞くのが日課になってしまった。
本来は、軍務大臣であるオーアのみが引見すれば良かったのだが、彼はこの状況を予見していたのだろう。一緒に接見しろ、と強引にレイモンドも巻き込まれてしまった。
計画の発案者がレイモンド自身なだけに文句が言えず、律儀にもしぶしぶ顔を出している。
「おお、レイか。今回で何人目だ?」
オーアは、辟易した顔でレイモンドを迎えた。その質問は先程レイモンドがフェスにした質問と同じである。
ここは、城外にある練兵所の一角。
シバを名乗る者を引見する場所である。なお、シバが見つかり、師範に就任すれば、この練兵所は改築され、兵士と冒険者の合同訓練所になる予定である。
「今日は3人だから、全部で26人になるそうですよ。さっきフェスが言っていました」
そう言って、レイモンドも肩をすくめた。
オーアも、やれやれ、といった風に、空を仰いだ。
練兵所は、一度に多くの兵が訓練できるように、広い敷地を備えた競技場のような作りになっている。
レイモンドとオーアは階段状になった客席につき、『自称』シバ達がやってくるのを待った。
しばらくすると、衛兵が、本日一人目のマスター・シバが来た事を伝えた。
「私がシバです」
そう言って、二人の前に現れた男は、いかめしい顔を作っている。年齢は初老と言ったところだろうか。
傍らには、冒険者と思しき男が控えている。恐らく、この男が見つけてきた、と言うのだろう。
「では、これから、シバ殿が本物かどうか確かめさせてもらう」
そう言うと、オーアはマントをひるがえして立ち上がり、『自称』シバの元へ歩み寄った。
手には自分の身長の二倍もある槍を携えている。
「シバは伝説的な剣の使い手である。その証明として、私と手合わせ願いたい」
オーアは筋骨たくましい偉丈夫である。そんな大男が目の前に立ちはだかり、シバと冒険者は、顔色がサッと変わった。だが、すぐに平静を装うと、やや大げさに頷いた。
「よろしい。ではかかって来なさい」
そう言ってシバは剣を抜き、構えた。
オーアも、どっしりと低く腰を落とし、槍の先をぴたりとシバに合わせる。
「でええい!」
シバが斬りかかろうと声をあげたのと、オーアが槍先をシバの衣服に絡め、空中に放り投げるのとが同時であった。
哀れ、シバは何が起きたかも分からず、オーアの頭上から地面に叩きつけられ、そのまま失神してしまった。
「これでシバを名乗ろうとは、笑止千万!」
オーアの怒号がビリビリと辺りの空気を揺らす。思わず周りで見ていた衛兵までもが首をすくめた。
冒険者は、シバ……いや、偽シバを抱えると、脱兎のごとく逃げて行った。
「またハズレでしたね」
客席のレイモンドがオーアの背後から声をかける。
「嘘をついても、すぐバレるだろうに……。付き合わされるこっちの身にもなってもらいたいものだ」
オーアは憮然とそう言って、首をコキコキと鳴らした。
準備運動にもならない、と言っているかのようだ。
レイモンドも思わず苦笑する。
「次!」
オーアは、傍らに控えている衛兵に、苛立った声をぶつけた。
ギャフン!
今日三人目の偽シバが宙に舞うと、そのまま地べたに叩きつけられた。
後の流れは、それまでの者と同じで、泡を食って早々に退散していく。
そんな光景を、レイモンドは欠伸をしながら眺めている。
「ようやく終わりましたね。まあ、今日は三人で済んで、まだマシでしたよ。この前は8人も来たんですから」
「見ているだけのお前はまだいい。オレはいちいち相手をせにゃあならんのだからな」
言いながら、オーアは大きく伸びをした。
「前から思っていたんですが、なぜオーア殿じきじきに手合わせするんです?」
レイモンドの素朴な疑問である。実力を見るだけなら、腕の立つ部下にやらせればいいはずだ。
オーアはニヤリと笑った。
「ウソを言う奴を懲らしめてやりたいんだよ。オレは」
「まさか、憂さ晴らしをしてるって訳ではないですよね?」
「う……、ま、少しはその気持ちもある、かな……?」
図星だったらしく、オーアはとぼけている。
「やれやれ、相手をさせられているのは、どっちなんだか」
レイモンドは、シバを名乗る者を少しだけ哀れんだ。
オーアはバツが悪そうに笑うと、話を変えてきた。
「この調子じゃあ、いつになったら見つかるんだろうな。マスター・シバは」
「さあ。そもそも生きているかどうかも分からないんですからねぇ……」
レイモンドは首を振る。ともあれ、シバの引見は終わった。今回も空振りである。
こう毎日、偽者が現れては消えていくと、いちいち落胆するのも馬鹿馬鹿しくなってくる。慣れとはそういうものだ。
「じゃあ、戻るとしますか」
レイモンドはオーアと共に、各自の執務室に戻ろうとした。
その時だった。
「!!」
オーアは突然、背後を振り返った。
そこに、黒い皮鎧を着た者の姿。
「な……」
いつの間にオーアの背後にいたのか。レイモンドは目を疑った。
「お前、いつの間に……」
オーアが呆然とつぶやく。
黒い皮鎧は、束ねた黒髪をなびかせ、その端正な顔はまっすぐにオーアの方を向いている。
「お前……フラム=ボアン……か」
オーアは絞り出すようにそう言うと、フラム=ボアンと呼んだ者と向き合ったまま固まっている。
二人は知り合いのようだが、レイモンドには何が起こっているのか、さっぱり分からず、ただ見ている事しかできない。
フラム=ボアンとは、問題を起こして兵士を辞めた、というフラム=ボアンなのだろうか? レイモンドの目に映る姿は、とてもそんな人物には見えず、さらに事態が掴めなくなってしまう。
周りに控えていた衛兵たちも呆然としていたが、我に返ると、この突然現れた不審者を排除すべく駆け寄ろうとした。
それをオーアが手で制する。
「よせ。お前達が束になっても敵う相手ではない」
思わぬオーアの言葉に、衛兵たちは驚き、どよめいた。この場にいる衛兵は20人近い。皆、これだけの人数が一人の冒険者に敵わないとは信じられぬ、という顔である。
どよめきの中心にいるフラムは、オーアに膝をついて礼を取った。
「突然、申し訳ありません。もうお会いする事はないと思っていましたが……」
オーアは相変わらず黙ったまま、突っ立っている。
フラムは続けた。
「閣下がお探しの、マスター・シバをお連れしました」
そう言うと、フラムは背後を振り返った。
そこには、これまたいつの間にか、白髪の小柄な老人が立っていた。身には、白いローブをまとっている。
老人はオーアを見ると、ニヤリと笑った。
「もしやグゼットか? あの悪たれが随分と立派になったな」
オーアは信じられないものを見ているかのように、目を見開いている。
「マ、マスター・シバ……」
オーアは愕然とつぶやく。それを聞いたレイモンドも思わず客席から身を乗り出す。
「え!? あの人が!?」
オーアの前に立つ老人は、伝説の剣士と言うには、あまりにも小柄である。
広い練兵所に、ポツンと白い点があるかのようだ。
傍らのフラムがシバの袖を引く。
「マスター。今オーア様は軍務大臣でいらっしゃいます。部下の方の目もありますし、そのような言い方は……」
「何? そんなに出世したのか? ははは……なら悪たれはマズかったな……許せ」
オーアはようやく我に返ると、膝をついて礼を取った。
「い、いえ、滅相もございません。な、長らくご無沙汰をしておりました、マスター・シバ。一向にお変わりなく、グゼットは驚いております」
シバは何度も頷いた。
一向に変わりがない、というのは世辞ではなく本当なのだろう。生きていても相当な高齢だ、とレイモンドは聞いていたが、目の前にいるシバはピンピンしている。
「堅苦しい挨拶は良い。それより、お前たちが私を探していると、フラムから聞いてな。その真意を聞きにきたのだ」
レイモンドは、老人が本物のマスター・シバだと分かり、慌てて駆け寄る。
「初めてお目にかかります。宰相のレイモンド=オルフェンと申します」
「ほほう、これは若い宰相殿ですな。私はシバ。見ての通りの、ただの老人です」
レイモンドはそう謙遜するシバの目を見た。吸い込まれそうな、深い色をたたえている。
小さなシバの身長はレイモンドの胸の辺りまでしかない。にもかかわらず、巨人を前にしているかのような、重厚な雰囲気が伝わってくる。
「今回、お呼び立てしましたのは、他でもありません。是非とも、新たな練兵所の師範を務めて頂きたく、お願いするためです」
レイモンドは丁重に言った。
シバは少し思案している様子で、ふうむ、と息を吐いた。
「新しい練兵所とな?」
「はい。酒場の登録者……今は『冒険者』と呼ばれていますが、その冒険者と、城の兵士達との合同の訓練所を作ろうと思っています」
レイモンドの説明に、オーアが続ける。
「そこでぜひ、師範としてマスター・シバにご教授頂きたく、ご足労頂いた次第です」
「なるほどな。そういう事だったのか」
シバは頷いた。
「とにかく、城内にご案内致します。そこでゆっくりとご説明致しましょう」
レイモンドは先立って歩き出そうとした。それをフラムが止める。
「宰相様、お待ち下さい。実は、お願いがありまして……」
「お願い?」
レイモンドはフラムとシバの顔を交互に見る。
フラムは少しためらいつつも、口を開いた。
「あの……、女王陛下にお会いできないでしょうか? マスターはそれから判断したい、と」
「陛下に?」
思いもよらぬ言葉に、思わずレイモンドは聞き返した。
それに、シバが答える。
「ワシは新しい女王に確かめたい事があるのだ。師範を受けるかどうかの返事は、それを聞いてからにして欲しい」
レイモンドは困った。
辺境に押し込まれているとは言え、キュビィは一国の君主である。いかにマスター・シバであろうと、そう簡単に会わせて良いものだろうか。
一旦、シバの言葉を預かり、キュビィに確認すれば……とレイモンドは考えた。
「すまんが、ワシは直接、陛下にお会いしたい」
「う……、は、はあ」
レイモンドの胸の内を読んでいるかの様に、シバが釘を刺す。
困惑している宰相の顔色を見て、オーアも不安顔だ。
「レイ、どうだ? 陛下は会ってくれそうか?」
「……」
レイモンドは考え込んだ。
伝説の剣士であるマスター・シバが会いたがっていると知ったら、きっとキュビィは大喜びで、すんなり承知するだろう。
しかし、問題は、会ったところで、うまく事が運ぶかどうかである。
だが、こうしていてもシバは首を縦には振らない。
それならば、キュビィに賭けるしかない、とレイモンドは判断した。 正直、不安ではあるが……。
「分かりました。陛下には私からお願いしてみます。必ずお会いできるように取り計らいましょう」
「我がままを聞いて頂き、感謝します」
シバは深々と頭を下げた。
これにはレイモンドが逆に恐縮した。
「い、いえ、頭を上げてください。では、王城へご案内しますので、こちらに」
キュビィはシバが会いたがっていると知って、なんと言うか。レイモンドにはおおよその予想がつく。
きっと、会う会う! と目を輝かせるに違いない。
人の気も知らないで……、とレイモンドは心の中で嘆息した。
「マスター・シバ!? あうあうあうー!! 一度、そうした者と話してみたいと思っておったのだ」
女王の執務室。
キュビィの反応は、レイモンドが思った通りであった。案の定、大乗り気で、興奮に顔をやや紅潮させている。
「陛下、嬉しいのは分かりますが、師範を引き受けてもらえるかどうかが決まるのです。是非とも冷静にお話をして下さい」
レイモンドはそう念押しをした。
しかし、それに対し、キュビィは不満顔である。
「わらわが会う以上、師範にするかどうか決めるのは、シバではなく、女王であるわらわであろう」
そう言って口を尖らせる。
「確かにそうですが……」
直接女王であるキュビィに会わせる以上、最終決定権がキュビィに帰するのは間違いない。しかし、レイモンドとしても、唯一の師範候補者をみすみす逃すのはまずい。
どうしたものか、と考え込んでいるレイモンドに、キュビィはむくれて腕を組むと、ソッポを向いた。
「レイは心配しすぎなのだ。ちょっとはわらわを信用しろ」
(信用する……か)
その言葉がレイモンドの胸に圧し掛かった。
考えてみれば、これまでキュビィは、彼女なりに必死で女王を務めてきたのである。確かにもう少し信用しても良かった、とレイモンドも反省する。
それに、ここでキュビィにヘソを曲げられては、まとまる話もまとまらない。
散々考えて、若い宰相は腹を決めた。
「……わかりました。陛下のおっしゃる通りですね。信じて、お任せする事にします」
出すぎた事を申しました、とレイモンドは謝罪する。
「よしよし。素直でよろしい。信じて、わらわに任せろ」
キュビィもようやく機嫌を直し、自信満々に胸を叩いた。
キュビィとシバは、謁見の間で対面した。
レイモンドは女王の傍らに、オーアがシバの横に控えている。フラムは別室で待たされているようだ。
謁見の間の荘厳な雰囲気の中、まずは型どおりの挨拶が交わされた。
「私が女王、キュビィ=パンダールです」
「シバにございます。お目にかかりまして、恐悦に存じます」
シバはひざまずいて、礼を取っている。
その様子をレイモンドは固唾を呑んで見守った。
キュビィを信用する、とは言ったものの、やはり不安な気持ちは拭いきれない。謁見の間の、張り詰めた空気が、余計にレイモンドを落ち着かなくさせる。
レイモンドはチラリとオーアの顔を見た。オーアも緊張の面持ちである。
やや間があった後、まずはキュビィが水を向けた。
「私に話がある、との事でしたが?」
「はい。恐れながら、陛下にお聞きしたい事があります」
「なんでしょう?」
キュビィは玉座から微笑みを浮かべてシバに答える。
レイモンドは、その女王然とした物腰に、改めて感心する。よくぞまあ、あそこまで化けられるものだと。ついさっきまでは、あのやんちゃ振りであっただけに、その落差が余計大きく感じる。
そんなレイモンドが見守る中、シバは真摯な顔つきで、キュビィに問いかけ始めた。
「陛下は、勇者を募り、冒険者を集め、魔物を駆逐しておられる。そして今も、私に師範の大任を賜ると仰せです」
「その通りです」
キュビィはうなずく。
シバは続けた。
「ではお聞きします。その目的は何でしょうか? なぜ魔物と戦うのです?」
シバのまっすぐな目。だが、その色は、何かを背負っているような、苦しんでいるような、重苦しい光を放っている。
キュビィは、そんなシバの目を逸らす事なく、まっすぐに見返す。
やがてニッコリと微笑むと、口を開いた。
「理由は簡単です。魔王を倒し、再びこの大陸を統一するためです」
キュビィの声が謁見の間に美しく響いた。
目を閉じて聞いていたシバの顔が、フッと和らぐ。積年の思いが吹っ切れたかのような、穏やかな表情。
そしてすぐにキッと口元を引き締める。
「20年前。私は、先王に仕えておりました。魔王に対し、私は主戦を唱え続けましたが、聞き入れられる事はありませんでした。それで私は城を去ったのです」
「そのようなことが……」
キュビィも、横で聞いているレイモンドも、シバの過去に驚いた。
オーアだけは、その事を知っていたのだろう。伏し目がちにうなずいている。
過去、幾度も魔王に逆襲すべきという議論が出た、とレイモンドも聞いていたが、それを主張していたのは、誰あろう、目の前にいるシバだったのである。
「時代は変わりましたが、私は、王のそのお言葉を待ちわびていました。それを聞けたら満足です。師範の件、この老骨でよろしければ、微力を尽くしましょう」
決意を含んだ声でそう言うと、シバは再び頭を深く下げた。
キュビィは優しくうなずく。
「では、マスター・シバ。女王キュビィ=パンダールの名において、あなたをパンダール王国練兵師範に任命します」
「謹んで拝命いたします」
伝説の剣士は深々と頭を下げた。
レイモンドとオーアが心からホッとして、胸をなでおろしたのは、言うまでもない。