第1話:女王誕生
「誰かおらぬか!誰か!!」
少女が大声でわめいている。明らかにメチャメチャ機嫌が悪い。
小さい身体ながら、ドスドスと地響きをたてて部屋に入ると、彼女の椅子にどっかと座った。
「あの……私めがここにおりますが。先ほどから」
スラリとした体格の若い男が、横から恐る恐る声をかけた。
「何? おったのか。存在感がないから、分からなかったぞ」
少女は人の傷つくような事をズケズケと言う。その凶器のような言葉が、男の胸に突き刺さったとも知らず。
「……で、いかがなされました?」
日頃から存在感のなさを気にしていた男は、顔色を青くしながらも、平静をなんとか保って言った。
「どーもこーもない! 大人は本当に無責任だ!」
「はあ……」
「ぜーんぶ、わらわに押し付けて、自分は遊び呆けるつもりなのだ!」
さっきから、話が一向に見えない。
「あの、一体全体、どうなされたので?」
少女は、キッと男をにらみつけた。同時に男はヒッと身をすくめる。
「父上だ! 引退するとぬかしよった!!」
「えええー!? 陛下が!?」
男は目を極限まで見開いて仰天した。おまけに口も極限まで開いている。
「そうだ!わらわはまだ十三歳だぞ!?そんな娘に全部の尻拭いをさせようとは!!」
尻拭い……。
「姫、そのような汚い言葉を使われては……」
「だまれ!!」
姫と呼ばれた少女は椅子から立ち上がって男を怒鳴りつけた。
またしても男はビクッと身体を固くして、両手で口を押さえた。
「まったく! どいつもこいつも!!」
怒りの収まらない彼女は、このパンダール王国の王女、キュビィ=パンダールである。
そして、一緒にいる頼りない男は、彼女の教育係兼、世話係。名はレイモンド=オルフェン。
「まあまあ、姫。少し落ち着いて下さいよ。陛下が引退されても、政治は臣下にお任せになればよろしいではありませんか」
キュビィはギロリとレイモンドをにらむ。
「お前は、まだ知らないから、そんな事が言えるのだ」
レイモンドは嫌な予感に、思わず顔をゆがめた。
「今の大臣たちも、揃って引退するのだぞ?」
「なんですってー!?」
再びレイモンドの口があんぐりと開いた。ついでに白目をむいた。
「完全にサジを投げたとしか思えん!!」
キュビィは、整った鼻をフンーッと鳴らした。
「そんなことって、あっていいのか……?」
言いながらレイモンドは思わず頭を抱える。まさに青天の霹靂というやつだ。
「おい、レイ! まさかお前まで逃げる気じゃないだろうな!?」
鋭いキュビィの声に、レイモンドはギクッと身体を強張らせた。
「ま、まさか。姫が生まれた時からお仕え致している私がそんな。……ははは」
「目が泳いでおるぞ。……フン、まあいい。大臣のジジイどもがいなくなれば、お前を宰相にしてやる」
「え!? 宰相!?」
宰相は臣下の中で最高位に位置する。レイモンドにしてみれば、信じられないくらい、とんでもない大出世だ。
「父上が引退すれば、一人娘の私が女王になるのだ。それくらいできる。どうだ、うれしいか?」
「そりゃあ、もう!」
というレイモンドの表情は、嬉しい顔と引きつった顔が、キッチリ左右半分ずつであった。
「どっちなんだー!!」
怒号とともに飛んできた彼女の椅子は、レイモンドの顔面と出会うことによって、耳と目を塞ぎたくなるような音色を奏でた。
……ドガ!……っと。
かつて、パンダール王国は、パンダリア大陸のすべてを治める巨大な王国であった。
大昔の戦争など、もはやおとぎ話となるほど、長久の平和が続く、幸せな国だった。
しかし、ある日どこからともなく現れた魔物の群れによって、王国の領土は次々に侵略されていった。
国王軍は、必死の抵抗を試みるも、魔物の前にはまるで歯がたたず、連戦連敗をかさねた。
それによって、国王とその一族は、敵の侵攻から逃げに逃げ、次々と大陸の端へ追いやられていった。
今や王都は辺境の村、といった方が相応しいような所にまで追い詰められていた。
これが、この二十年間で起こった事である。
つまり、王国は風前の灯、と言えた。
「そんな状況で、宰相と言われてもなあ……」
真夜中。
キュビィの部屋でレイモンドは一人ごちた。今日何度目にもなるため息と共に。
「私は十二歳の時、姫が生まれた時からお仕えしている……。もちろん見捨てる訳にはいかないが……」
先ほど、自分の顔面にめり込んだ椅子を見た。椅子の主はもう奥の寝室で就寝している。
レイモンドは視線を移し、窓から外の景色を眺めた。
遠くから魔物の咆哮が聞こえる。この辺境の周りには強力な魔物はあまりいない。しかし、その禍々しいうなり声は、安息に暮らしたい人々に恐怖感を与えるのには充分すぎる。
「レイ……。レイモンド……」
奥の寝室からの、か細い声。
「お目を覚まされましたか?」
「魔物の……声が聞こえる……」
そう言ってベッドの中で震える少女には、あのじゃじゃ馬の姿はない。
ただの十三歳の少女だ。
「大丈夫ですよ。ここまではやってきません。安心してお休み下さい」
そう言って、レイモンドはキュビィの毛布をかけなおす。そうして下がろうとしたレイモンドの服の裾がキュッとつかまれた。みればキュビィの細い手が伸びている。
「……レイ。わらわを一人にするな。お前までいなくなったら、わらわは……」
生まれた時からキュビィを知っているレイモンドにとって、彼女は本当の妹のような存在だ。普段のやんちゃ振りとは違う『妹』の姿に、レイモンドは胸がキュッと締め付けられるような感覚を覚え、自然に言葉が出てきた。
「私は、姫が生まれた時から、お側におります。どうして姫を一人にするものですか」
レイモンドは震えるキュビィの頭をなでた。
金色の細い髪は、ゆったりとしたウェーブを描いて、枕に広がっている。白く細い身体が、小刻みに震えているのが分かる。
「本当だな? わらわの側をずっと離れないな?」
「ええ。もちろんですとも」
レイモンドは優しい声で答えた。
「片時も離れてはイヤだぞ?」
「ええ。喜んでお側におります」
「本当に本当だな? 宰相も引き受けるな?」
「はい。私でいいなら、喜んで」
「わらわの命令には絶対に逆らわないな?」
「すべては、姫の命ずるままに」
「馬車馬のように働いてくれるな?」
「はい…………。え? 馬車馬!?」
レイモンドが言った瞬間、キュビィはベッドから跳ね起きた。
「あーははは!! 言ったな? 言ったな? 男に二言はないぞ!?」
――しまった……!! やられた……!
レイモンドは固まった。まるで石像のように。
「では、わらわのために、しっかり働いてもらうぞ。ば・しゃ・う・ま・さ・い・しょ・う!」
キュビィはそう言って、レイモンドのアゴを、くいっと持ち上げた。
「ぐっ……!」
こんな小娘にしてやられるとは。
レイモンドは後悔したが、もう手遅れである。こうなってしまっては、このじゃじゃ馬に何を言っても無駄だという事は彼が一番よく知っている。
「来月には、わらわの戴冠式だ。その後すぐ、お前の任命式をやるからな」
「は、はい。かしこまりました……」
レイモンドはガックリと観念して、力なく答えた。
王が退き、その後を年端も行かぬ王女が継ぐ。
そんな事があれば、普通国民が黙っていない。暴動すら起こりかねない。しかも、王国は存亡の危機に瀕している。
しかしながら、キュビィの戴冠式、すなわち女王となる儀式は、辺境の王都に住まうすべての人から祝福された。なぜなら、前国王、つまりキュビィの父親は、相次ぐ失策によって国土を魔王に奪われており、国民の人気は皆無。逆にキュビィは、その可憐な容姿から、もともと熱狂的な、絶大な人気があったのだ。
「確かに、お姿は美しくおなりだが……。中身がな」
晴れやかな式典の中、やんごとなき者しか近づけない祭壇のすぐそばで、レイモンドはつぶやいた。
本来なら絶対に近づけないような、いわゆる最高待遇の者のみにしか居ることを許されない、その場所。臣下の最高の高みに立つべき彼がそこにいて当然なのだが、本人にしてみれば、場違いな思いはぬぐえない。現に、さっきから、滝のような汗が流れている。
しかしながら、レイモンド一人がただ浮いている訳ではない。
並み居た年配の大臣達がごっそりといなくなり、新しく女王を取り巻く大臣たちは、その平均年齢が三十歳代前半という若い顔ぶれだった。
彼らの事はおいおい語られる事になるだろう。
――しかし、化けるもんだな。国民の前で、しっかりと女王を演じておられる。
キュビィは、普段のあの暴れん坊ぶりを、爪の先程も出さず、美しく、威厳のある堂々とした女王ぶりだ。特に、その美しい金の髪の頭上に黄金の冠を頂く瞬間など、その場にいるすべての人が嘆息する程の美しさであった。
もちろん、レイモンドも熱い思いがこみ上げてきた。
「思えば、お仕えした時から、この日を思い描いていた気がする」
レイモンドの脳裏には、キュビィと過ごした13年間が思い起こされる。
オムツを替える時、オシッコを引っ掛けられ、つかまり立ちの時には、ズボンを引き下げられて公衆の面前で恥をかいたりした。
――落とし穴に何度も落とされたっけ。あ、そうそう、倉庫に丸一日閉じ込められたりしたなあ……。
「いい思い出……。ないなあ」
「よう、宰相どの。全身のケイレンは収まったのか?」
「ぐっ……。あれは、ケイレンではありません。緊張で震えていたのです」
キュビィの戴冠式と、レイモンドら大臣の任命式は、つつがなく終了した。
ただ新宰相が極度の緊張により、ガタガタと震えて周りから笑われた事を除いては。
「しかしあれは見ものだったぞ。皆もクスクスと笑っておったではないか。」
「……。一番笑っておいでだったのは、陛下だと思いましたが」
皮肉ではなく、事実であるからタチが悪い。
「あれは笑いをこらえるのが辛かったぞ」
思い出して、またキュビィはころころと笑う。
「そんな事よりも、陛下!」
「なんだ?改まって」
「女王になられたのですから、本日から政務を行って頂きませんと」
キュビィの顔がとたんに曇る。
「う……。」
「まずは、今後の大きな方針をお決め下さい。」
「大きな方針? ……それならあるぞ!」
キュビィの顔がパアっと明るくなった。
「ほう、何ですか?」
レイモンドはちょっと意外だった。
「魔王を倒すのだ。そして、パンダール王国は再び大陸を統一する!!」
ドーン、とレイモンドの顔に人差し指を向けた。
思わず気おされる。
「そ、それで結構です。では、具体的な方策は……」
「方策ぅ? そんなものはお前たちでひねり出してくれよ」
「それはもちろん我々も考えますが……」
「なら、それでいいではないか。ハイ、政務オシマイ!」
いやいやいや、十秒で終えられては困る。
「イヤだと言ったら、イヤだ! それに今日は女王初日だぞ? 戴冠式で疲れておるし」
「仕方がありません。……ですが、明日からはキチンと政務を執って頂きますからね!」
「イーだ。下がれ下がれ」
キュビィは舌を出しながら、手のひらを振った。
「……では、失礼します」
レイモンドは仕方なく執務室から出た。
――なんだかどっと疲れた。
「この先、どうなることやら……」
若きパンダール王国宰相は天井を仰いで、深いため息をついたのだった。