第一章 名前(1)
正月明けの一月八日。社会人は更にはやいのだろうが学生である圭喜の学校は今日からはじまる。肌寒い陽気の中、一足先に朝練習の為最中を送り出した圭喜は今度は双子たちの支度をはじめていた。
「二人とも食べ終わった?じゃあ歯を磨こうか」
「「はーい」」
幼稚園も今日からはじまり、樫屋家は今日も騒がしかった。洗面所から出てきた知世子は紺色のセーラー服を着ている。時計を見て慌てた知世子はカバンを掴んで玄関へと走った。それを見た圭喜は知世子にマフラーを手渡すと玄関まで見送りにいく。
「知世子は今日は何時に帰る?」
「今日は授業はないから帰ってくるのは早いよ、圭ちゃんは?」
「三限だから帰ってくるのは昼過ぎかな」
「そっかぁ、それじゃあ行ってくるね」
「いってらっしゃい」
もう二月の間しか着ることのない知世子のセーラー服姿の背中を見ながら、圭喜はまた家の中へと入っていった。歯を磨き終えた双子たちと一緒に洗面所から出てきたのはキッチリと制服を着込んだ藍須の姿だった。
「藍須はまだ行かなくていいの?」
「まだ平気。ついでに双子を幼稚園まで送っていけるくらい時間はあるぞ」
「じゃあ今日は二人のこと頼んでいい?」
「ああ、どうせ通学路だ」
時計を見た圭喜は双子を幼稚園に届けるように藍須に頼むとリビングに置かれたカバンを手にとって玄関へと出て行った。
「圭ちゃんいってらっしゃい!」
「迎えは行くから二人とも幼稚園で先生に迷惑かけちゃダメだぞ」
「ん・・・わかった」
「めいわくなんてかけてないもん!」
「双子、あんま引き止めてると圭喜が遅刻するだろ。圭喜もはやくしないと電車間に合わなくなるぞ」
「あ、本当だ。それじゃあ行ってきます」
圭喜は靴を履くと玄関を出て行った。
幸い電車に乗り遅れることも無く圭喜は無事に大学へつくことができた。圭喜の通う大学は高校までと違い始業式というものは無く初日から授業が始まる。圭喜の今年最初の授業は去年どうしても取りたかった科目と時間割がかぶってしまい取れなかったものだったので三年になってから取ったものだった。
「先輩、おはようございまーす」
「山下」
適当に席に座った圭喜に話しかけてきたのは後輩の山下だった。
「おはよう、山下もこの授業取ってたっけ?」
「いましたよ・・・っていうかこの授業もう残り三回しかないのに」
「いや、悪気は無いから・・・この授業人数多いし」
「まぁ、一番広い教室っすからね」
席を横に詰めると山下はカバンを持ってきて圭喜の横の席に座った。どこか機嫌のよさそうな山下を見て圭喜は怪訝な顔をした。なぜなら周りを見れば分かるのだが正月明けでほとんどの人間が「だるい」「眠い」「もう少し休みたかった」など友達にぐちぐち言っていたりしたからだ。
「山下は元気だな、なんかいいことあったのか?」
「えぇーわかりますかー!」
立ち上がり両手を頬に当てきゃっきゃっと女の子のように腰をくねくねさせる山下を見て圭喜は吐く真似をした。
「気色悪い、心底どうっでもいいが一応聞いといてやる。何があったんだ?」
山下はくねくねした動きをやめて圭喜の隣に腰を下ろした。
「聞いてくれます?」
「う、うん」
真面目な顔をして山下は話し始めた。
「実は、その・・・好きな子ができまして・・・はい」
山下の話によると冬休みの初めの頃に従兄弟のところに遊びに行ったらしく、その帰りにその子を見て一目惚れをしてしまったらしい。
「へぇ・・・」
「すっごく可愛くて、笑顔を見るとキュッて心臓がなるんです!」
「はぁ」
「ついあの笑顔見たさに何回もお店に通っちゃって!」
「・・・・・・・・・」
そのとき圭喜の脳内に浮かんだのは「ご奉仕しますニャん!」と喋るネコ耳をつけたメイド姿の女の子だった。彼女は片手にケチャップを持ってオムライスにハートを描いている。
「山下・・・」
「あの子に『遼一さん、好きです』なんて言われちゃったらオレ・・・!」
「お前少し落ち着け」
「最初は妹に食べてもらってたんですけど、毎日も買って帰ってくると「太るから誘惑しないで!」なんて怒られちゃいまして・・・」
「メイドはお前のことをそういう対象には見てな・・・ん?」
「先輩!そんな、ちょっと、メイドなんて早過ぎますって!オレたちまだ付き合ってもないし・・・いや、でもメイド姿が見たくないとかそういうんじゃなくてですね!」
「いや、お前の話がわからない。ちょっと、本当に落ち着いてもう一回分かりやすく話してくれ」
圭喜の一言に山下はもう一度最初から噛み砕いて話し始めた。
「・・・つまりお菓子屋さんの看板娘に恋したんだな」
「そうですよ!っていうか先輩オレの事何だと思ってるんっすか!?」
「いや、この前テレビの特集でやってたのを見たとき山下が好きそうだなーって・・・」
でれでれした顔でメイドと一緒ににゃんにゃん言ってる山下しか浮かばなかった。