第一章 餌付け(7)
「おぐらは、おひるはオムライスがたべたい・・・」
二階の自分の部屋に上がろうとした圭喜のコートの裾を引っ張った小倉の言葉で今日の昼ご飯が決まった。簡単なものだから楽でいいと圭喜は思いながら階段を上がり、後日新しく料理の雑誌を買わなくてはとも考えていた圭喜はカバンから聞こえた声にそっとカバンを抱き上げて足早に部屋の中へと入っていった。
「どうした?」
先ほどまで大人しくしていたのにどうしたのだろうか?圭喜はカバンのチャックを開けて中から人形を取り出した。人形は大人しく圭喜に抱かれながらカバンから出てきた。寝台の上に降ろされた人形はそのまま圭喜の手から離れようとしない。指をぎゅっと抱いたまま動物がマーキングするように頭をぐりぐりと擦り付けてくるのだ。
『amsla,kaoshdybshd,ssgdyj』
「よしよし、どうした・・・お腹すいたのか?」
可愛らしく動き回る人形に圭喜は少しずつ愛着が生まれてきているのを感じていた。
すると、人形は違うといわんばかりに頭を更にぐりぐり擦り付けてきた。そして指にぎゅっとしがみ付くのだ。
「暗いところが嫌いだったのか、それじゃあ悪いことしたなぁ」
『ndbdysmss,slsjbgdsbgdks,bagf』
人形はそれでもぐりぐり頭を指に擦り付けてくる。ずっとその仕草を見ていた圭喜はふっと気がついたように口を開いた。
「えーと、もしかして・・・撫でて欲しいの?」
そのまま人形の頭を圭喜が自分の意思で撫でてやれば、人形は先ほどまでのムッとした表情を安らげて圭喜にされるがままに撫でられ続けていた。
どこかその表情は人形のようではなく圭喜が幼かった頃の弟たちを褒めてあげているときの表情、両親の代わりに世話をしていた圭喜に認められてるんだといった満足なもの。と今、圭喜の意識は自分だけに集中しているんだといった優越感が混じったものになっていた。
人形、人形とこの小さな男の子を呼んでいた圭喜だったが、子どものように甘えてくる様子を見て心の奥底から母性本能のようなものが湧き上がってくるのを感じていた。
この子は人形ではないのだ。
圭喜は撫でていた指を止めると男の子をそっと両手で掬うように持ち上げた。
「やっぱり名前とかあるのかな・・・・・・少年、名前は?」
男の子に言葉が通じないのは分かっていたが圭喜は彼にそう問いかけていた。
『nshsddbdkdmdld,lsnshsffdfn』
圭喜が言った言葉も多分彼には通じていないんだろう。圭喜は彼を見ながら少しため息を吐いた。
「人形って呼ぶのも悪い気がしてきたなぁ・・・」
一度、彼は人形ではないと認めてしまえばもう圭喜は彼を人形と呼ぶことはできなくなっていた。
「んー・・・あ、そうだ・・・圭喜。圭喜だよ。け・い・き」
圭喜は男の子を片方の手のひらに乗せ、もう片方の腕を自分自身のほうへ向けて言った。自分を指差しながら何度も圭喜と言ってみた。
「圭喜」
『ndcjgu?』
「けいき」
『ndcjdu?』
「け・い・き」
『ndcjdl!』
彼は納得したように口を開くが圭喜には彼の口から出てくる言葉がとてもではないが圭喜とは聞こえなかった。彼はそれでも喜んで何度も何度も圭喜の名前を呼んでくれる。結局圭喜には彼の発する言葉の法則はまったく分からなかったのだが。
それでも彼は何度も圭喜の名前を呼んでみせた。
「これじゃあ名前が聞けても・・・聞き取れないな」
手のひらに座って何度も確かめるように圭喜の名前を口にする彼は少し照れているように見えた。
「明日はキミの名前を考えようか・・・甘いもの好きだし、折角洋菓子店の家に来たんだからウチの弟妹たちみたいに甘いお菓子の名前にしようかな」
圭喜は手のひらに乗せていた少年を机の上に下ろすと、さっき買ってきたばかりのシュークリームを箱から机の上に取り出した。圭喜は少年が隠れてしまうほど大きなそれの横に歩いてきた彼を見てよしよしと頭を人差し指で軽く撫でてやった。