8
カラーン
花咲君はコーヒーを飲み終わったのか、手に持っていたスプーンをカップに入れた音が、思ったよりも耳に響いた。
と、ソファーの左隣に重みが加わり、私の身体がそちらに少し傾いた。
「はぁ~?」
つい呆れた声が漏れた。
「はぁ~って、酷いな~。イケメンが隣に来たんだよ『やだ、どうしよう。ハート』なんてならないかな」
ハートと言ったところで花咲君は、両手を合わせてハートマークを作っていた。それを見た私は無言で立ち上がった。そのまま離れようとしたら、左手を掴まれた。
「わあ~。待って。嘘です。今のは冗談だから、お願いだから帰らないで」
必死な表情で花咲君が言ってきた。彼のことを睨むように見下ろしてから、私は座り直した。花咲君はホッとしたように私の手を離した。それから、拗ねた口調で言いだした。
「だってさ~、さっきも俺のことはそっちのけで猫のことばかりだし。いくら俺に興味がないからって「あ~ん」しても反応ないしさ~。背中とはいえ素肌見せることを嫌がって、抵抗してくれないし。何か聞きたいことがあるみたいだから訊いたら、結局猫たちの方に意識がいっちゃうし~。今だって、隣に座ったら意識してくれるかな~と思ったのに「はぁ~?」だもの。ほんとにさ~、俺、自信失くしたんだけど~」
・・・って、私? 私が悪いの? 花咲君に興味がないのが?
なんか沸々と怒りが湧いてきたのだけれど。
「ねえ、それって言い掛かりよね。なんで私が花咲君に興味を持たないからって、そんなことを言われないといけないのよ。大体花咲君は馴れ馴れしくしてくる女の子が苦手なんじゃないの?」
「そうだけど、ここまで放置されるのも寂しいというかさ」
「あんたはガキか~。猫ってね。すっごい気まぐれなのよ。毛梳きをさせて貰える時に一気にやらないと、気を抜いている暇はないのよ。でないと次にやる時にすっごく苦労するんだからね」
私がそう言ったら、花咲君は首をすくめて小さくなった。
「それにね、あのチビちゃんたち。生後1週間から10日ってところでしょ。1匹じゃないから大丈夫だと思うけど、保温に気を使ったりしなければならないのよ。本当なら簡易湯たんぽを置いておきたいくらいよ。その子達に意識がいかなきゃおかしいでしょうが。それなのに放置されて寂しいとかって言ってさ、命を舐めてんの!」
私は捲し立てるように言い切った。
パチパチパチパチ
突然拍手の音が聞こえてきた。聞こえてきた方を向いたら、派手な美人が手を叩いていた。少し目が釣り上がっていて、猫目っぽかった。
「彼女の言う通りよ、俊哉。目が明かない子猫の面倒を、あんた一人に任せるのは心配だったけど、彼女ならよく分かっているみたいじゃない。それに俊哉に興味がないって言い切る女の子に初めて会ったわよ」
美人さんはそう言うと私のそばに来た。私は何となく立ち上がった。そうしたら、彼女は微笑んでくれた。
「私は花咲佳純よ。俊哉の姉になるわね」
そう言って佳純さんは、少し嫌そうな顔をして花咲君のことを見た。
「私は藤山丹亜です」
私が自分の名前を言ったら、佳純さんは右手を出してきたので、私も右手を出してその手を握ったの。
そしてそのまま手を引かれて・・・。手を引かれて?
あれ? っと、思った時には最初に座っていたソファーから斜め隣の一人掛けソファーに移動して座らされていました。それで私が座っていたところには、佳純さんが座ったのよ。
「姉貴~」
「何よ。なんか文句あるの? 藤山さんが嫌がっていないからって、つき合ってもいないのに隣に座るのはどうかと思うわよ。まだ口説くために隣に座ったのなら許容するけど、構って欲しいから動揺させようだなんて、人間性を疑っちゃうわね」
花咲君の情けない声に、佳純さんは容赦ない一言を浴びせていた。
「姉貴、酷い」
「何が酷いのよ。あんたは普段から八方美人なことしておいて、めんどくさくなると放置するじゃない。それを人間相手ならいいけど、あの子達にやられたんじゃ堪らないのよ。本当に彼女の言葉通りよね。命を舐めんじゃないわよ」
そう言ってから佳純さんは、私の方に向き直った。
「俊哉からメールで同じ学科で講義も一緒に受けたことがあることと、学部の移動に伴い部屋を探していること、早速猫の世話をして貰って手慣れていたと、報告を受けたわ。これで間違いないかしら」
「はい」
私が返事をしたら佳純さんはニッコリと笑いました。
「私から逆にお願いするわ。この家に住んで猫たちのお世話をしてくれないかしら」
そう言われて私はすぐに返事ができなかった。まだ一部しか見ていないけど、この家の雰囲気は好きだと思う。猫たちも可愛くてお世話をするのは構わない。というより「是非させてください!」という感じだ。
でもなぁ~、妄想したあれがなぁ~。
実際にどうにかなるとは思っていないけど、花咲君と暮らすのがねぇ~。
さっきみたいに揶揄われるのは、ごめん被りたいもの!