復活の女王とラピスラズリの祈り
思ったより短いです。
ひたひたと忍びながら、しかし確実に近づいてきた足音。ちょうどわたくしの婚約が発表されて国内が盛り上がっていて、父もわたくしもその気配に気が付くのが遅れた。
風も凪いだ静寂の中、どこか遠くで雷鳴がとどろくが如く。彼らの駆る馬の蹄の音は砂ぼこりをあげながら、少しずつ少しずつ近づいてきていたのだ。
広大な国土を有し、オリエントにその名をとどろかせていた我が国に、その豊かさを奪わんと彼らは剣をとった。一昔前に滅ぼされた先王朝が残した、文明の遺物。月光の下に鈍い光を放つ鉄製の剣は、わたくしたちの大切な者の首を撥ねんと迫りーーーーーーティグリスとユーフラテスの川を越えて、彼らはその剣を振り降ろした。
ーーーーー結果として、我が国はかろうじて持ちこたえた。
彼らは確かな力を持って我が国に侵攻した。国力の差ではわずかに勝っていたものの、近年衰退気味だった我が国と彼らは五分五分の戦い。
しかし、彼らと我らには大きな違いがあった。彼らは異教徒であったのだ。この期にと周辺諸国が我が国に侵攻してくるかと思われたが、諸国も異教徒には味方せず、むしろ彼らに刃を向けた。
オリエントの広大な平原に多くの者の血が流れた。この世に死の神の国があるとすれば、おそらくこのような地に違いないとわたくしは思った。
乾いた風が砂ぼこりを上げるはずの平原は、多くの血を吸ってじっとりと重たい。死屍累々と横たわる屍たちの損傷は激しく、一部を失いもはやその原形をとどめない者もある。
隣国の国章を背負う男がいた。我が国の国旗を握りしめて息絶えた男がいた。愛しい者の手刺繍か、守りを持って敵と相打ちに死した男がいた。
わたくしは履物もない素足が血と土に汚れるのも厭わずに、戦場であった地を歩いた。鎮魂の歌を歌いながら。欠けた鏃を踏んで、血がにじむ。それでも歩いた。死者たちの間を歩き、歩く。ふと、金の輝きが見えてわたくしは足を止めた。ぼろぼろに砕けた金の兜。それをそっとはずして、現れたのは癖の強い黒髪に褐色の肌の、精悍な面差しの青年。
「・・・ジャラール。」
彼の頬に滲んでいた血を、わたくしは指で拭った。この頬が愉快そうに緩むことはもうない。この腕がわたくしを抱きしめることも、この唇が愛しいと囁くこともありはしない。
彼の首元で金の鎖がちらついた。わたくしはそれを引っ張り出す。
ーーーーーあぁ。
わたくしはそれを己の胸元で握りしめた。彼の瞳と同じ、ラピスラズリの玉。わたくしのものと、二つで一つの。
「ーーーーーー・・・・・っ!」
ぽろぽろと涙をこぼすわたくしは、しかし、泣き叫ぶことはできなかった。
ラピスラズリから手を離して、腰の短剣を引き抜く。髪を一つにまとめ、短剣を首元に当ててーーーーーばさりと長いプラチナブロンドを切り落とした。
わたくしの髪と、髪を飾っていた白い花が宙に舞った。
王城のバルコニーに立ったわたくしの眼下には、一面の焼け野原が広がっていた。人も物も、多くが消え去ったこの国で、王族の中で唯一生き残ったわたくしは女王として即位した。
豪華な衣装など要らぬと言って、わたくしはただ頭上に王冠を頂き、王族に集まった国民の前で、その王冠をも払い落としたのだ。こんなものがあっては、重くて仕方がないと。
「そなたたちと歩むのに、王冠など重くて邪魔なだけ。身寄りのない子供を抱きしめるのに、美々しい衣装など要らぬ。この国が以前の姿に戻るまで、それ以上の発展を遂げるまで、わたくしはそなたたちと肩を並べて歩んでいきたい。わたくしでは、あまりにも未熟過ぎる。だから、どうか、どうかわたくしにこの国を守る力を分けて欲しい。どうか力を貸して欲しい。」
短くなったプラチナブロンドを揺らし、民に頭を下げた女王の姿は、民たちにはどのように見えたのだろうか。永遠とも付かぬ長い沈黙の末、傷だらけの腕を振り上げて民たちは叫んだ。
「女王陛下万歳!我らが王に栄光あれ!」
そう、そしてわたくしは民たちの最後の言葉に涙をこぼした。
「ジャラール大将軍万歳!」
「サキーナ女王陛下。」
わたくしを呼ぶ侍従の声に、わたくしは閉じていた目をゆっくりと開いた。バルコニーへの扉が開く。質素な衣装に身を包み、五年目の即位記念日のこの日。あのころより長くなったプラチナブロンドを、強い風が巻き上げる。バルコニーに姿を現したわたくしを見て、民たちが「女王陛下万歳!」と声を上げた。
眼下には、美しい街並みが遠く彼方にまで広がっていた。年を重ねるごとに増えていく家々を見、あちこちで聞こえる民の声を聞き・・・新たな命たちの力をわたくしは見守ってきた。
感慨にふけるわたくしに、民の一人が声をかける。
「女王陛下!わたくしども国民より、恐れながら贈り物をしたいと思います。・・・王配殿下。」
彼がそう言うと、隣でくすりと笑い声がした。わたくしは、わたくしの隣に立つ亜麻色の髪の穏やかな雰囲気の青年を見上げた。
「・・・わたしが、彼らより贈り物をあずかっています。」
そう言うと彼は腕に抱いていたわたくしと同じプラチナブロンドの髪の幼子を、わたくしに渡してくる。わたくしがその子を抱き上げると、彼は懐から小さな箱を取り出した。ぱかり、とわたくしの前で箱を開ける。わたくしは思わず、口元を手で覆った。箱のなかには、ラピスラズリの髪飾り。
「女王陛下、この国が復興し、ここまでの発展を遂げられたのは陛下のおかげです。・・・美しい女王陛下にその髪飾りはふさわしい。」
民の言葉、青年の眼差し。
「あなたが、大将軍のことを忘れられずにいるのは分かってる。私は、彼のことを忘れろなんて残酷なことは言わない。ただ、私とこの子とのこれからを大切にしてくれれば。」
いつもわたくしを見守ってくれていた青年は、そう言ってプラチナブロンドの髪の幼子の頭を優しく撫でた。
「ラウーフ・・・あなた・・・」
わたくしは夫の胸にすがった。わたくしとラウーフの間に挟まれた、わたくしとラウーフの子どもが笑い声を上げながらもぞもぞと動く。
「ハナン、ハナン・・・わたくしたちの愛し子。」
穢れを知らぬ無垢なる幼子は、いつでもわたくしの心を癒すのだ。
「・・・失った命の代わりなんてないわ。でも、これからも生まれゆく新たな命が、これからの未来への希望が、たまらなく愛しい。・・・あなたも、あなたとの幸福も。これからも、一緒に歩んで欲しいの、ラウーフ。」
「もちろんだよ、サキーナ。あなたが歩む先全てに、私が居ることを約束する。」
失ったものの大きさに、ぽっかりと穴が空いたような心が新たな幸福の予感に、少しずつ埋められてゆく。わたくしは、ふたたび生まれ変わったこの国の女王のして、これからも歩んでゆこう。平和の名の下、愛しき人々の笑顔のため。
・サキーナ...平和
・ジャラール...偉大
・ラウーフ...慈悲深きもの
・ハナン...幸せ