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ウォルヴァンシアの王兄姫~蒼銀の誓いと咲き誇る騎士の花~  作者: 古都助
~アレクディース・恋愛本編ルート編・第六章~
56/70

十二神の許へ……。

 ――Side 幸希


『もうすぐ、……もう、すぐ、……貴女に、……手が、とど、く』


「――っ!!」


 ゾッとするような感触に首を掴まれたと恐怖を感じた瞬間、私は小さな悲鳴を喉奥で殺しながら飛び起きた。……また、……また、あの声が。


「ニュイ~? ニュィィィ……」


 私の目覚めと共に、部屋の中に淡い光が漂い始める。

傍で寝ていたファニルちゃんがパチッと大きなお目々を開き、すぐに起き上がって私の様子を心配そうに窺ってくれた。首に生々しく残っているかのような、気味の悪い感触。

 酷い寝汗を掻いていた私は、全身を這いまわっている寒気を誤魔化す為にファニルちゃんを自分の胸に抱き、ぎゅぅううっと縋りついた。

 まただ……。アレクさんと一緒に目覚めたあの日から、もう二週間ほど。

 ヴァルドナーツさんの魂の行方は未だ不明のまま……。

 一体どこで、いつ、あの人の魂が私の許を離れたのかもわからず、捜索の件は一旦レイフィード叔父さんが預かる事になり、私は暫く王宮から出る事を禁じられてしまった。


『父さんの存在を知って、暫くは大人しくしてくれるかと思ったんだけどね……。怖いもの知らずな子供は何をしでかすかわからない、って、改めて思い知らされたよ。――だから、時が来るまでは、守りに徹していよう。仕掛けるとしても、それは父さんや僕達の役目だからね』


『レイフィード叔父さん……、でも』


『ユキちゃん。君の役目は、アレクの看病だよ。御柱の魂を取り戻さない事には、神どころか、騎士としても復帰が怪しいからね』


 あの日から……、眠る度に奇妙な夢を見るようになり、今夜のように嫌な目覚めを迎えては、こんな風に恐怖を覚えてしまう。震えが、……まだ、治まらない。

 何も見えない夢。だけど、私を求めているかのような声が、嬉しそうな、すすり泣いているかのような、色々な感情を垣間見せながら……、必ず、目覚める前には、私に触れてくる。

 

「ニュイッ! ニュイ~! ニュイニュイ!!」


「……うん。何か、あたたかい物でも飲んだ方が良いよね」


「ニュイッ!!」


 ファニルちゃんの提案に賛成すると、桃色のもふもふボディがぴょんぴょんと寝台から軽やかに下りて行き、ティーセットを置いてある台の前に向かい始めた。

 私もあたたかな上着を羽織ってからその後をゆっくりと追いかけていく。

 お茶を飲んで、暫くファニルちゃんとお話をしていれば、また、穏やかな心地で眠りに就く事が出来るはず。……だけど。


「…………」


 私が何度も見るようになったあの夢は、きっとただの夢じゃない。

 暗闇の中で私を呼ぶ声……。あれは恐らく、災厄が私を求める声だ。

 はじまりの世界でセレネフィオーラという女神を母胎とし、全てを滅ぼした存在。

 お母様……、ファンドレアーラから生まれた災厄だけじゃなく、このエリュセードに近付いて来ているという恐ろしい存在が、私の許に。

 お父様は自分達に任せておけと言ってくれた。

 十二神の方々に縋っていれば、エリュセードは滅ばずに済む……。

 だけど……。


「ニュイ~? ニュイッニュイッ!」


「……災厄は、破滅の使い」


 それに間違いはないはず。だって、はじまりの世界を、その地の民や神を殺し、数多の世界にその種を蒔いた存在だから。……でも、レイフィード叔父さんと一緒に湖の中で見た災厄の種が叫んでいた言葉が、……強く、心に残っている。

 

 ――カアサマ、チガウ、カエリ、タイ。


 不吉な存在が、哀れな子供のように見えた気がした。

 まるで……、生まれながらに、無垢なる存在であるかのように。

 

「ファニルちゃん」


「ニュイ?」


「お茶を飲んだら、少しだけ出掛けてくるね。ファニルちゃんは先に休んでいて」


「ニュイィイイ!? ニュイッ! ニュイニュィイイイ!!」


 皆から王宮の外には出ちゃ駄目って言われてるでしょ!!

 と、ファニルちゃんが大慌てで私を制止にかかってきたけど、十分、わかっているつもり。

 それでも、ほんの少しだけ、すぐに戻ってくるから安心してほしいと私がそのもふもふの桃色の頭を撫でると、ファニルちゃんは凄く迷っているような顔をして、また叫んだ。


「ニュイ!!」


「お願い」


「ニュイニュイッ!!」


「ほんの一時間だけなの。ね? お願い」


 ファニルちゃんの前に座り込んで両手を合わせ懇願する私に、やがて妥協の声がか細く零れ落ちる。――だけど。


「その桃色饅頭が許したとして、さて、この部屋から出る事が出来るか見物だな?」


「――ひっ!!」


 全面が窓張りになっている扉……。

 しっかりとカーテンで閉め切っているその向こうから聞こえた、冷ややかな脅しの声。

 ビクビクと震えながらファニルちゃんを抱き上げ、カーテンを開けに行くと……。

 

「……」


 ひぃいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!

 真夜中なのに、まだ白衣姿で不機嫌全開な王宮医師様のご尊顔がぁああああああっ!!

 速攻でカーテンを閉め、後ろに下がる。だけど、ガチャリと恐ろしい開錠の音が響き、底冷えのするような夜風……、いや、王宮医師様の怒りの気配が室内に!!


「ニュィイイイイイイイイ……!!」


「ひぃいいいいいいいっ!! る、ルイヴェルさんっ!! 何で寝てないんですかぁあああ!!」


「いつ寝るかは俺の自由だ」


 それはそうですけども!! カーテンを開けた時のホラー感、酷すぎますよ!!

 私もファニルちゃんも本気で吃驚したんですからね!!

 でも、そう叫んで「心臓に悪い事はやめてくださいよ!!」と文句を言っても、ルイヴェルさんがダメージを受ける事なんてない。絶対にない。

 必殺、ルイおにいちゃんなんか大嫌い!! でも発動しない限りは……。

 ルイヴェルさんはずかずかと私の部屋に入り込み、無表情のまま、私の前に立った。


「邪魔だ」


「ニュィイイイ!?」


「あっ、ファニルちゃん!!」


 もふりと片手で持ち上げられたファニルちゃんがベッドの方に放られてしまった!

 しかも、ぽふんっ! と、ベッドの上で一回バウンドしたファニルちゃんはそのまま何故かぐーすかと寝息を……。間違いない、眠りの術を掛けられている!!

 ぐっすりおやすみモードに入ったファニルちゃんに内心で「私も連れて行って~!」と叫んでも、直面している脅威が自分からどこかに行ってくれる事はない。

 

「ユキ」


 ベッドの方に向けていた私の顔が、問答無用でしなやかな指先によって顎を掴まれ正面に戻されてしまう。……あぁ、怖い。深緑の瞳が眼鏡越しに「仕置きをしてやる」と宣言している気しかしない!! ……と、思ったのだけど。


「行くぞ」


「へ? ちょっ、る、ルイヴェルさんっ!?」


 鮮やかな動作で私をお姫様抱っこし、スタスタと部屋を出たルイヴェルさんはその歩みの延長で空へと飛び立ち、あっという間に星空の中へと辿り着いてしまった。

 エリュセードの御柱たる三人の神々を象徴する三つの月が一番大きく見える場所。

 冷たい夜風と、白衣のはためく音……。何も言わず、静かに懐の私を見つめている深緑の双眸。


「……ほんの僅かな時間でも、それが隙となる事もある」


「……ごめんなさい」


 アレクさんの件があってから、ルイヴェルさんも皆さんも今まで以上に私の行動を制限するようになった。私も、心配をかけたくなくて、大人しくしていたけれど……。


「ちょっと……、お父様の所に行こうかな、と思いまして」


「ソル様か……。それなら、万が一の可能性は格段に減るだろうが、……一応の護衛はつけておけ」


「うぅ、はい……っ。善処、しますっ」


 本当は、アレクさんに護衛をお願いしたかった。

 だけど、アレクさんは療養の最中で、騎士団のお仕事も休んでいるから……。

 それに、真夜中に誰かを起こしてしまうのは申し訳なくて。

 アレクさんと一緒に、という本音は伏せて、そう言い訳をしてみたら……、ルイヴェルさんにジットリと睨まれた。


「無用の気遣いだな。朝起きて、お前が敵の手に落ちているよりマシだ」


「……うぅっ、は、反省してますっ。反省してますから……っ、今から頭突きをしてやる的な目はやめてくださいっ!!」


「ふん……。一度頭の中をすっからかんにしてやった方が利口になるかと思ったんだがな」


「また、記憶喪失になりますよ!! ……はぁ、とにかく、心から反省してますから、……その、お父様の所まで、護衛をお願いします」


「ふぅ……。その最善で最良の選択肢を一番初めに選べるようにしておけ。行くぞ」


 お父様、原初の神たるソリュ・フェイト神がどこにいるのかは、連絡を取ればすぐにわかるようになっているから、ルイヴェルさんは私を抱えたまま迷う事なく空を駆ける事が出来た。

 災厄の種が各地に眠るエリュセードの大地。何も知らない、地上の人々。

 本当は、各国の王様達に話をしておいた方が良いと思ったのだけど、お父様はその必要がないと言った。災厄を相手に、地上の民が何かを出来る事はない。

 逆に、利用される恐れもあるから、神の手で全てを成すべきなのだと……。

 それも、はじまりの世界が滅んだ時に、お父様達が学んだ事なのだろう。

 守るべき者が多くなると、後手にまわってしまう恐れもあるから……。


「……ユキ、災厄の件が片付いたらの話だが」


「は、はい?」


「お前は、お前の想う者と添い遂げろ。カインの事は俺達が慰めておいてやる」


 それは、私が誰と想い合ったとしても、傷付くのはカインさん一人だと、そう言われているような気がした。勿論、ルイヴェルさんが過去に神であった頃に自分の気持ちを自分の意志で封じたのなら、それが当然の反応なのだろう。私に踏み込む権利はない。

 だけど……、一度知ってしまった想いは、私の中でなかった事にはなっていない。

 あの頃の想い出……、あの時の、この人が辛そうな顔で叫んだ心。

 逃げるな、と、背を向ける事を許さなかった異界の神様。

 私は、私が想う人と幸せになりたいと、我儘な願いを抱いている。

 だけど、私に想いを告げてくれたカインさんとこの人に、何も返せないまま唯一人を見てもいいのだろうか? …………。

 月夜の明かりに縁取られた美貌を眺めながら、私は少しの間をおいた後に小さく「はい」と答え、話を逸らす事にした。


「ルイヴェルさん……。災厄、って、何だと思いますか?」


 無理矢理の話題転換だったけど、誰かに災厄の事を尋ねてみたかったから、丁度良かったのかもしれない。ルイヴェルさんもそれで問題はないと判断したらしく、真剣に答えてくれた。


「災厄と名のつくものだ。普通に受け止めれば、それは悪しき存在もの。害成すものだと評するべきだろうが……。それ以外の何かである、と、そう考えるには難しいところだな」


「神は世界を創り、命在る者の親となる存在……。けれど、その恩恵を受けずに生まれてくる存在もまた、世界からの祝福を受けています。……でも」


 はじまりの世界を滅ぼした『災厄』。

 脅威の度合いが違うとはいえ、数多の世界には様々な害悪となるものが存在している。

 神々の思惑の外で生まれ来る存在……。

例外として、邪神と化した神々が意図的に脅威となる要素を生み出す事もあるけれど……。

 それ以外は、良いものも、悪いものも、全て、――世界が必要と判断し送り出した存在。


「……誰が、そう決めたの?」


 過去の事実から考えれば、災厄は悪だ。その一択しかない。……だけど。


「どうした?」


「あ、いえ……。世界の理、というか……、そういうものって、昔から語り継がれてきたものが多いじゃないですか。でも、よく考えたら……、世界や時空が何を考えているのかなんて、誰にもわからないんじゃないかな、って、ふと、思ったんです」


「確かにな。感覚として掴めるものはあるが、俺達のように個人としての思考を持っているかどうかは別の話だろう」


「はい。だから……、災厄という存在に、もし……、別の正体や意味があると仮定した場合、どうしても、その辺りの事を考えなきゃ解決しそうにないな、と」


「あくまで、災厄に別の面がある、と、そう仮定した場合のみの話だがな」


 私から視線を外し、ルイヴェルさんは遥か先の道筋に視線を据えながらそこで話を切った。

 ウォルヴァンシア王国の東に広がっている海の只中。

 小さく浮かぶ島へと降り立ち、ルイヴェルさんは私を抱えたまま砂浜の上を歩く。

 誰もいない。小さな、小さな、ひっそりとした目立たない気配の島。

 シャリシャリとした音色が可愛らしく夜の闇に溶けながら、ルイヴェルさんの足跡を刻んでいく。 

 

「あっ! いらっしゃ~い!!」


 白い砂浜を通り過ぎ、肩を寄せ合うように群れている木々の陰から現れた、可愛らしい美少年。

 十二神の一人、レヴェリィ様が両手を振って私達を出迎えてくれた直後。

その背後から何か黒い影のようなものが飛び出してきて、あっという間に私達の前に立った。

そして、白衣の袖から覗くその手が私へと伸びる前にルイヴェルさんが後方へと飛び退り、詠唱なしの攻撃陣を呼び出し、――巨大な炎の球を前方に放った!!


「なぁあああっ!!!!! な、何やってるんですかっ!!」


「害獣の駆除だ」


「十二神!! 十二神の方ですよ!! 害獣違います!! あぁああっ!! ト、トワイ・リーフェル様!! ご無事ですかぁああああああっ!!」


 私の目には、嬉々とした笑顔のトワイ・リーフェル様に炎の一撃がドカァアアアンッ! と直撃したように見えた。地球上の生物なら間違いなく即死。

エリュセードの頑丈な種族相手であっても、ただでは済まない威力。

だけど、木々を背にもくもくと立ち上っている煙と炎の名残が、清らかな気配が感じられる突風によって綺麗に消し去られる。

 その中から無傷のトワイ・リーフェル様がニッコリとした笑顔でひらひらと手を振って無事を伝えてくれた。よ、良かった……!!


「ふっふっふ~! やはり、どんなに嫌がるふりをしていても、父親に対する愛は行動の全てに現れるものなんですねぇ。俺を傷付けたくないという息子心がひしひしと伝わってきましたよ」


「きゃはははっ! フェル兄様、ユキの手前手加減されただけだよ~!! ふふ、息子君、ものすっごく嫌そうな顔してるしっ。ねぇ~、ユキ~」


「え? あ、……あの、息子君、って、……もしかして、……ルイヴェルさんの事を、言ってるんですか?」


「ふぇぇ? ……あ~!! そっかそっか~!! ユキにはセレネだった頃の記憶がないんだったね~。息子君、ルイ君は、フェル兄様が自分の魂を分けて生み出した子供の一人だよ~。親子仲、すっごく面白いけど」


 レヴェリィ様がトワイ・リーフェル様の傍まで来ると、ふわりと浮きながらそう言った。

 親愛的な表情など皆無の王宮医師様の頭をきゃっきゃっとしながら撫でまわし、最後はその首に抱き着いて、「その可愛げのないところが、逆に可愛いんだよね~」と、はしゃぐレヴェリィ様。

 あ……、ルイヴェルさんの身体が小刻みに震えている。すっごく耐えている感じがひしひしとっ!! 


「ふふ、まぁ、その話はまたの機会にするとして、さぁ、こちらにどうぞ。一の神兄殿がお待ちですよ」


 自分の息子さんにとんでもなく微妙な顔をされながら睨まれていても、トワイ・リーフェル様は全く動じてない。私達が訪れた事を心から喜んでくれていて、その手がひとつの形を作ってパチンと、静寂の中に波紋を落とした瞬間、――お父様の許へと誘ってくれた。

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