進み、留まり、また前を向く心
「ユキぃいいいいいいいいいいいい!!」
「え? ――ぇえええええええ!?」
何だか帰りづらくて、とぼとぼと歩いていた街道の途中。
前方から爆走状態でやって来て私を驚かせたのは、会いたいけれど、会うと困る、その人で……。
多分、私の帰宅が遅いから堪忍袋の緒が切れて家を飛び出してしまったのだろう。
――だけど。
「何でモンモーと一緒に!?!?」
「モンモォオオオオオオ~!!」
徒歩でも、馬でもなく、睫毛ビッシリの、お色気抜群モンモーこと、ヴィオラディーヌさんの背に跨っているアレクさん!!!!!!!!!
遠くから駆けて来たヴィオラディーヌさんは、ぶっちゃけ馬より速かった……。
前足を上げ、馬のように嘶いた彼女がドスンッ! と、地面を鳴らし、アレクさんがその背を飛び降りる。
「ユキ!! 無事かっ!? あの不埒竜にあんな事やそんな事をされたりはっ!!」
「あ、アレクさんっ!! ちょっ、落ち着い、うわっ、わ、私ならっ、み、見ての通りっ、ぶ、無事っ、あぁああっ」
『アレク……、お嬢さんが困ってるわよ。落ち着きなさいな』
両肩を掴まれて揺さぶられ、目をまわしている私に助け舟を出してくれたヴィオラディーヌさん。
アレクさんのお尻にグサリ! と、大きな巻き角の切っ先を突き刺し、グリグリ……!!
「痛ぅぅっ!! ……す、すまないっ」
『ごめんなさいね、お嬢さん。この子ったら、発狂しそうなぐらい情緒不安定だったのよ~。牧草地の真ん中で貴女の名前ばかり呟いて、意味のわからない事を連呼して頭を振り乱したり……』
「つまり、脳内暴走状態だったんですね……?」
『簡潔に言えば、そんな感じね~。何度も、シャルフィア達にド突かれていたわよ』
アレクさんてば……。まぁ、通常運転、相変わらずの事……、なのだけど。
ヴィオラディーヌさんに怒られても私を離さないこの温もりを感じていると……、やっぱり、安心出来る。
カインさんとの事をどう説明しよう、とか、アレクさんにどう向き合おう、とか、悩んでいた事が全て吹き飛んでしまうくらいに、この人の温もりが……、愛おしい。
ただ、パニックにしてしまう類の、過剰反応のドキドキじゃなくい。
心の奥底からじんわりと広がっていくあたたかさと、確かな幸福感。
顔を上げて瞳に映した、心配そうなアレクさんの顔。……あぁ、やっぱり、この気持ちは。
「本当に……、何も、なかったのか?」
「はい。お父様が来てくれましたから」
「ソル様は、約束を守ってくださる方、だからな……。――だが」
「え?」
小柄な私の身体を深く抱き込みながら、アレクさんが耳元で落とした恐ろしく冷たい音。
感じるのは、怒り……、強い、憎悪の情。
「あ、アレク、……さん?」
「たとえお前が無事だったとしても、ソル様が止める前に……、ギリギリの何かをやっていた可能性もあるからな。あの竜に、一度仕置きをしてくる」
「やめてください!! あれ以上はカインさんが死んじゃいますから!!」
「生ぬるい。ソル様が千発拳骨を喰らわせていたとしても、お前を穢そうとした罪はっ」
「脳内暴走絶好調過ぎますよ!!」
大体、アレクさんだって暴走したら、私の事を押し倒したり、色々やってるじゃないですか!!
それに、穢れる……って、そういう意味での何かは一切されてないんですが!!
アレクさんの間違った方向にズレまくっている想像力、いや、妄想力の豊かさに圧倒されながらも、全力でしがみついて暴走を食い止める!
「行かせませんからね!!」
「なら一緒に行こう。お前の目の前であの竜を叩きのめし、土下座をさせてやる……!!」
「駄目です!! アレクさんのお気持ちは嬉しいと思ってますけどっ、……カインさんとの件は、私の、せいですから」
「ユキ?」
「……私に、気になる人が、……惹かれる人が、出来たから」
誰の事なのか、アレクさんにはもう……、わかっているはず。
弱く臆病な私の、さらに情けない部分を暴き出した人。それを受け止め、あたたかな腕の中に包み込み、
『よく頑張ったな』
と、優しい声で、慈しみながら囁いてくれた人。
アレクさんの愛情は、想いは、長い長い時をかけて、私の心を満たし……、そして。
「あ、あの、……え~と、その」
「…………」
把握されている。きっと、私がこの気持ちを伝えるのを待ってくれている。
だけど……、うぅっ、い、いざ、自覚してみると……、顔が真っ赤になるし、心臓はバクバクドキドキでうるさくなってくるし……、それに。
――自分の想いを自覚しても、それを伝える資格が……、私には、ない。
いずれ、全てが片付いた後に、この人の、御柱の手で裁かれる立場の私に、出来る事は……。
「ユキ……」
感じていた幸福感と、誰かを想う喜びは急速に冷えていき、全身を飲み込むかのような強い不安感と申し訳なさが襲ってくる。……やっぱり、駄目。私には、何も……、言えない。
「…………」
「ユキ」
でも、……自分の立場を弁えよう、この人の負担にならないように、未来に待っている傷を深めないようにって、そう思っているのに……。
「うっ……、うぅ」
「ユキっ」
突然、ボロボロと子供のように涙を零し始めた私に、アレクさんが大きな動揺を表す。
……ごめんなさい、ごめんなさい。
私を好きになったせいで、私が、貴方にこんな気持ちを抱いたせいで、さらなる不幸を与えてしまう。
天上の神々に罵られ傷付く事よりも、優しくてあたたかい、大切な貴方に絶望を抱かせてしまう事が、何よりも辛い。自分で決めた事、その覚悟が……、ぐちゃぐちゃに崩れ去っていく。
消えたくない、何もわからない闇へと落ちたくない。貴方の傍を……、離れたくない!
永遠に覚めない眠り、罪の揺り籠に身を委ねる事が……、凄く、凄く、怖いのっ。
二度と貴方の顔を見れなくなる、貴方の声を聴けなくなる、貴方のぬくもりに、触れられなくなる事が。
「アレク、さん……っ。私、私……っ」
泣きすぎて朧気になった視界。アレクさんの顔が見えないくらいに目の前がぐちゃぐちゃで、ただこれだけの事でも怖くなってしまう。
「わ、私……っ、わ、我儘で……、我儘、でっ、ごめんなさいっ、ごめん、な、さぃっ」
「ユキ……っ」
アレクさんの苦しそうな、辛そうな声が耳に届くと同時に掻き抱かれた身体。
彼の鼓動と私の鼓動が重なり合い、求めてやまないぬくもりに包まれる。
「アレク、さん……、アレク、さんっ」
言えない言葉、伝えられない想い。
アレクさんは力強く私を抱き締めながら、一緒にその場へと崩れ落ちていく。
髪を梳く優しい指先。感情の荒波を鎮められないでいる私を宥めようと、耳元に囁かれる優しい声。
「ユキ、……ユキ」
ずっと、ずっと聴いていたい、愛おしい音。
アレクさんは泣きじゃくる私を抱き締めたまま、長い長い時間を、街道の途中で過ごす事になった。
そして、ようやく私の涙が止まった頃。
「帰ろう、ユキ……」
「……はい」
私の抱えている葛藤の理由を、涙の原因を、アレクさんが聞く事はなかった。
頼もしい手で私の手を取り、強く握り込んで歩き出す。
見てみないふりをしていてくれたヴィオラディーヌさんも、ちらりと私達を見ただけで、少し前を歩き始めた。
世界を夜に塗り替える、柔らかなオレンジの光に照らされ、ゆっくりと進む二人と一頭。
暫く無言で歩いていると……、アレクさんが前を向きながら言った。
「ユキ……」
「はい……」
「帰ったら、渡したい物がある。その時に……、伝えたい事がある」
真剣に、決意の光を宿した蒼が、一度だけ私を見下ろしてくる。
迷いなき意志を感じながら視線を受け止めた私は、静かに頷きを返したのだった。
――そして。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ふぅ……。少し疲れたから、広場で休んで行こう」
『アレク、私、クレープが食べたいわ~。牧草ばかりだと飽きるのよねぇ』
「わかった。今日だけ特別だ」
『ふふ、ありがとう~、うふんっ』
夕暮れの内に戻って来れた町で、私達はまず広場へと向かう事になった。
長い時間歩いていた事や、泣いて疲れ果てていた私の事を気遣ってくれての事だろう。
アレクさんの厚意に甘えた私は、黙ってそれに従った。
「ユキ、どれがいい?」
昨日と同じクレープ屋さんの前。
何かを食べたい気分じゃないけれど、昨日とは別のトッピングのものを選ぶ。
淡い桃色のクリームと、バニアンの組み合わせ。
アレクさんとヴィオラディーヌさんも自分の食べる分を選び、二人と一頭でベンチへと向かう。
周囲にいる人の数はまばらだけど、ほとんとがもう広場を離れようとしている人ばかりのようだった。
クレープに口をつけながら、ふと……、自分が昨日壊した噴水に目をやった。
昨夜の、情けなく醜い私を見ていた噴水は、今日も穏やかに佇んでいる。
『ぺろぺろぺろぺろぺろぺろ!! う~んっ、やっぱりこういう食べ物の方が味わい深いわ~!!』
「ヴィオラディーヌ、シャルフィア達には秘密だぞ。他のモンモー達に知られたら、確実にたかられるからな」
『ぺろ~ん!! んふっ、わかってるわよ~。ぺろぺろぺろぺろ!!」
アレクさんが手に持っているクレープにべろ~んとした舌を這わせながら高速で動かし味わっていたヴィオラディーヌさんが、ぱくりと頬張って嬉しそうに微笑む。
モンモーの主食は、牧草、決まった果実の類だけど、たまにこうやって私達の食べる物も口に入れたくなる時があるらしい。
「アレクさん、今日は迎えにきてくれて、ありがとうございました。ヴィオラディーヌさんも」
『もぐもぐ……。ふふ、いいのよ~。私が自分で一緒に行きたいって言ったんですもの~』
「そうなんですか?」
「あぁ。お前の事をとても気に入っているらしくてな。牧場を出る時に食い下がられた」
私の事を心配してくれたヴィオラディーヌさんに圧し掛かられ、頷くしかなかったと語るアレクさんに、私は暗くなっていた気持ちに晴れ間を見出し、笑いを零した。モンモーはとっても重いから、きっと大変だった事だろう。
「本当は転移の術で飛びたかったんだが、お前が戻ってくるまでは禁止だと言われて」
「一時的に封じられてしまったんですね?」
「あぁ……。今はもう大丈夫だが、気が気じゃなかった。あの時のカインは、昔の俺と同じだったからな。……お前を奪う為に、手段を選ばないかもしれない、と……、そう、危惧するほどに」
アレクさんの予感は当たっていた。
私の心が別に向かっている事を知ったカインさんは、確かに禁忌を犯そうとしたのだから……。
だけど、本当の事を言うと大変な事になりそうだから、黙っておく。
「嫉妬した男……、特に、神などの類になると、本当に面倒だからな」
「…………」
大切な存在を奪われない為に暴走し、世界を危機に晒した神は……、実は結構多いと、昔、お父様が言っていた。私も十分にわかってはいるのだけど……、アレクさんから漂う哀愁のたっぷりさを見ていると、どう言葉をかけていいのか。前回も今回も、そうなるきっかけを作ったのは私なわけで。
一度目は暴走させてしまい、二度目は心配させる側を経験させてしまい……、もう本当に申し訳なさすぎて。
謝るべきか、でも、アレクさんの事だから、逆に気を遣わせてしまう可能性も。
どう反応するべきかと迷っていると、アレクさんが私の頭に手を乗せ、撫で撫で撫で。
「それだけ、お前の事を本気で愛しているという表れなんだろうが……。結局、お前を悲しませてしまうだけだと、あの時痛感した」
「アレクさん……」
「あの時、俺はこの手でルイを殺そうとした……。だが、結果的には、間に入ったお前を害する形になった挙句、長い眠りへと追い込んだ……。だからこそ、カインに俺と同じ間違いを犯させたくはないと、悲劇を防ごうと追いかけるつもりだったんだが、ソル様に拳骨を頂いてしまった。三発ほど、本気の連撃をな」
「す、すみませんでした……っ、ウチのお父様が」
「俺が行けば、目的を忘れてカインの歪んだ情に引き摺られると思われたんだろう。それに、……俺が行くよりも、ソル様が動いた方が早いからな。色々と」
何だか、ギャグっぽい哀愁を漂わせているアレクさんだけど、これはわざとなのか、それとも素なのか……。
遠い目をして小さな力のない笑い声を漏らしたアレクさんだったけど、何となく、そこまで落ち込んではいないような気がした。
「本当は……、もう一度お前と会えるとは、思っていなかったんだ」
「え?」
「自分の後継を生み出し、永遠に眠ろうと考えた。だが、『悪しき存在』の件を経て、俺は眠りに就き……、もう一度、お前に会う事が出来た。愛を乞う資格さえなくなった俺が、もう一度この地上でお前に恋をして、求めた心。神としての記憶を取り戻した今も、諦めきれない」
自分の心に嘘は吐けないのだと、アレクさんは私の頭を撫でながら微笑みながら告げてくる。
犯した罪深さを自覚しているのに、一緒にいたいと、望んでしまうのだと。
私も同じ……。辛い未来が待っていると知っていても……、この人の傍にいたい。
不幸にしてしまう、また、あの時以上に苦しめてしまうと、わかっているのに。
頭から輪郭を謎っておりてきた大きな手のひらのあたたかさを感じながら、頬を包まれる。
「二度と同じ傷を負わせない、二度と、悲しませない。お前と幸せになる為なら、俺は何があろうと心を折らず、その道を見つけ出すと、いや、作ってみせると、今はそう思っている。我儘だろう?」
「幸せになる道を……?」
「あぁ。とことん我儘を通そうと思っている。心から望む幸せを、この手に掴む為に」
「……無理だと、難しいと、不可能に近いって、わかっていても、ですか?」
「人も、他の種族も、そして神も、自分の道を切り拓く意志を強く持っている限り、不幸にも絶望にも負ける事はない。まっすぐに突き進んで行けば、いつか必ず、光を掴める」
アレクさんの額が私の同じ部分にコツンと触れ、至近距離に優しい笑みがおりてきた。
あらゆる不幸と絶望に屈しない、力強く希望に溢れた蒼の眼差し。
治癒を施されて、表面的には何ともなくなっていた私の目元へ、アレクさんが唇近づけてくる。
そっと、気遣うように触れた柔らかなぬくもり。
「絶対に、だ」
彼の言葉が、彼の想いが、辛い未来しか思い描けず、どうにもならないと決めてかかっていた私の心を根本から覆すように沁み込んでくる。
本当に? 諦めなければ……、変えられる? 愛する人と、大好きな皆と一緒に、ずっと寄り添って歩いて行ける未来を、掴める日がくるの? 夢を、心から願ってやまない幸福な未来を、望んでも……、いいの?
「……さて、そろそろ戻ろう」
「は、はい……」
微笑みながら立ち上がったアレクさんに手を差し出され、それにぬくもりを重ねる。
夢見心地のような気分を感じながら、抱いてはいけない我儘な未来に馳せる思い。
この手で……、変えられるかもしれない。この人と、一緒なら。
淡い、色づき始めた希望の灯火。
「夕食を済ませたら、渡したいと言っていた物を持って部屋に行く。待っててくれ」
「は、――」
その時になら、この想いを伝えられるかもしれない。
胸に溢れてゆく優しい希望の鼓動を感じながら返事をしようとした時の事。
「――ッ!!」
その気配を感じた時には遅かった。
「え……」
微笑んでいたアレクさんの顔が瞬時に歪み、苦痛を訴えるものへと変化し……。
『アレク!!』
ヴィオラディーヌさんと、広場にいた人達の悲鳴が重なる。
アレクさんが苦しそうに呻き、その胸に視線を落として……。
「ぐ……っ」
背中から真っ直ぐにその身を貫いている、黒紫銀の炎を纏う……、槍のような得物。
地面に滴り落ちていく紅の……、滴なんて表現じゃ追いつかないくらいの、大量の……。
「あ、……ぁ、ぁあああっ」
幸せの影に潜む、暗い、暗い、ねっとりとした淀んだ闇の気配。
どんな希望を抱こうと……、決して幸せにはなれない、させない。
そう……、全身を這うような悪寒と共に、私の耳元に愉し気な嗤い声が響いた気がした。
アレクさんが地面に膝を突く。
抉り貫かれた部分から、口から、鮮血が水溜まりを作っていく。
「いや……、いやっ、……いやぁああああああああああああああああ!!」
狂いそうな程の慟哭が胸を掻き乱し、――絶望の刃が、私の心を引き裂いた。




