家族
『ユキちゃ~ん、新しい遊び相手を連れて来たよ~!!』
『う? あ、れいしゅおにいしゃまだ~!!』
天上に住まう可愛らしい動物達を相手に遊んでいた、まだ、私が幼い頃の事。
神聖なる大樹の下、別世界に語り継がれている童話をお母様に話して貰っていた私は、嬉々としながらやって来た少年神、レイシュお兄様にある二人を紹介される事になった。
一人は、優しそうな笑みを湛えて私とお母様の前に跪いた、ふわふわと柔らかな青い髪の少年。
もう一人は、じーーーっ、と、幼い私を熱心に見つめながら、脇腹をレイシュお兄様に小突かれて我に返った、銀髪の少年。優しそうな少年の隣に並び、その子も片膝を着いた。
『初めまして、ファンドレアーラ様、ユキ姫様。俺の名はユシィール。今日よりユキ姫様の身の回りのお世話と、御身をお守りさせて頂く事となりました。どうぞ、よろしくお願いいたします』
『同じく、シルフィールと申します……』
兄、レイシュ・ルーフェの力により生み出された二人の男神。
やんちゃで好奇心旺盛の塊だった私の動向を把握し、守らせる為に命を授けられた二人。
礼儀正しく優しいユシィールとは違い、シルフィールの方は無表情一色だった。
『二人とも~、そんなに畏まる必要はないって、最初に言っておいただろう~? 君達はユキちゃんの世話役兼、大事な家族!! 自然体でいいんだよ~』
『レイシュ様……、ですが』
『……オレ達にとって、貴方も、この方々も、お仕えすべき存在です。弁えるべき立場というものが』
『かじょく!!』
『『?』』
主と従者。生み出した者と、生み出された者。守らなければならない一線。
当時、難しい事など全くわかっていなかった私は、自分の前に現れた新しい家族の存在に喜びの気配を爆発させていた。
発声のしっかりしていない言葉で二人の名前を呼び、お母様の膝から下りて飛びつきにかかった私。最初にシルフィールの足にしがみつき、そこからよじよじとお猿さんのように這い上って……。
『よろちくね!! しりゅふぃーりゅ!!』
『!?』
『ゆ、ユキ姫さ、――んっ!?』
心を込めた親愛のキス。家族となった二人の頬にちゅっと小さな音をさせて挨拶をすると、何故か真っ赤な顔をしたユシィールとシルフィールの吃驚顔に御対面する事になった。
お母様が、自分の娘の大胆さとフレンドリーさにクスクスと笑いを零し、立ち上がる。
『神にもそれぞれ、眷属との距離感というものがあるわ。で、ウチは基本的に皆仲良くが基本なの。だから、気兼ねせず、ありのままの貴方達を見せてちょうだい』
『ファンドレアーラ様……』
『そうそう!! まぁ、生まれたばかりの君達に素で頑張れなんて言っても困るだろうから、徐々にでいいよ~!! あ、だけど、ユキちゃんの独り占めは禁止だからね!! これ!! 最重要事項!!』
『『……はぁ。わかり、ました』』
声を揃えて一応の返事をした二人と、私達家族の新しい日常が始まった懐かしい瞬間。
始まりこそ、私達への接し方に困っていたユシィールとシルフィールだけど、流れていく賑やかな時間の中で、彼らなりの妥協点を見つける事が出来たようだった。
『うわぁ~ん! うわぁぁんっ!!』
『……シルフィール、そろそろ許してあげなよ。厳しくし過ぎると、姫に嫌われるよ?』
『危ないと何度も教えているのに……、また、一人で遊びに行っていた。だから、怒った。嫌われるなんて理不尽だ』
『はぁ……。俺から見れば、お前も姫と精神レベルが同じに見えるけどねぇ』
二人に心配ばかりかけていた私は、頻繁に問題を起こしては怒られていた。
好奇心の赴くままに、こっそりと家族の許を抜け出してはお散歩に出掛けたり、他の神々の家にお邪魔して遊んで貰っていたり……。一番凄い時は、天上から地上に向かって壮大なる冒険に旅立っていたり……。多分、天上一の問題児だった事は確かだろう。
で、そんな私の面倒を必死になって見てくれていた世話役の二人に捕獲されてはお説教を貰い、大泣きする事を繰り返していた日常のひとつ。
ユシィールに見つかった場合は、何が悪かったのかを穏やかな口調で諭され、ほどほどの時間で解放して貰える。だけど……、シルフィールにお説教される場合は、しでかした悪さに相応しい、恐ろしい罰が待っている。
子供に対して大人げのない、様々な阿鼻叫喚のお仕置き……。
『うぅ……っ。ひっく、ひっ、……ごめん、ごめんな、さぃっ』
『謝るなら、反省するなら……、何で同じ事を繰り返すんですか。姫は底抜けのアホですが、本物のド阿呆ではないでしょう?』
『シルフィール~……、仕えている相手にアホって言うの、流石にアウトだと思うんだけどねぇ』
『アホで十分だ……。姫がいなくなる度に、危険な目に遭う度に、……オレを、こんな気持ちにさせる姫は、アホどころか、ド阿呆の域に達する』
『ふぅ……。素直に心配で堪らなかった、って、そう言いなよ。怖い事で脅すばっかりじゃ、姫に何も伝わらないよ?』
やり方は違っても、どちらも私の事を大切に想ってくれていた。
私を守る為に生み出された存在。だけど、それはあくまでレイシュお兄様が命じた立場に過ぎず、強制力のあるものではなかったから。二人が望めば、それぞれの自由な生き方を選択出来る。
そう、説明をされていたのに……、ユシィールとシルフィールが役目を返上する事はなくて。
『ところで姫。今日はどうして地上の花畑になんて行っていたんですか? 危険な場所ではありませんが、姫にはまだ早いって、以前に説明しておいたでしょう?』
『どうせ、気が向いたから、とか、綺麗な花が見たかった、とか、そういう理由だ……』
『……こ、これっ』
地上でシルフィールに捕獲された際、大慌てで隠した二つの花の冠。
それを別空間から取り出した私は、ユシィールとシルフィールに向かって差し出した。
『おたんじょうび……だからっ、……ぷれぜん、とっ』
『『…………』』
出会った時と同じ。目を丸くした二人が花の冠と私を交互に確認して……、
『姫ぇええええっ!!』
先にがばっと小さな私を抱き締めてきたのは、それまで静かなる激怒状態だったシルフィール。
当時の私は、その日の夜に家族で開くお誕生日会に間に合うようにと、駄目だとわかっていながら地上に贈り物を求めて行った。
二人に喜んでほしくて、一番綺麗な花を贈りたくて……。
『それならそうと言って下さいよぉおおおおっ!! 姫がオレの事を考えながら、この不器用極まりない花冠を作る過程を記念に収め、ぐはっ!!』
『オレ、じゃなくて、俺達の為に……、だろう? シルフィール』
『ぐぐっ……!! ゆ、ユシィール、あ、頭を……、頭を踏みつけるなっ』
『ははっ、親愛の証だよ。だけど……、やめてほしかったら、姫から離れようか? ほら、さっさと代わる!』
こっそりと天上を抜け出した理由を知った途端、わかりやすく豹変した世話係二人の対応。
お互いを押しのけ合いながら争う二人を、この時の私は「仲が良いな~」と、微笑ましく思いながら笑っていた。そして……、ようやく喧嘩をやめて私に向いた二人が言ってくれた言葉。
『『姫、ありがとうございます!!』』
二人が浮かべてくれた、心からのあったかな笑顔。
花冠を作りながら想像した以上のご褒美。嬉しそうな二人の笑顔に、泣いていた私もニッコリとそれに応えていた。そして……、やっぱり心配をかけてしまうのは良くないと後日反省し、それ以降……。徐々に私のハチャメチャな大胆暴走は少しずつ……、本当に、少しずつ、減っていった。
――それからまた長い月日が流れ。
お父様を失い、お母様が災厄の女神と成り果て……、四人になってしまった家族。
私達は災厄の化身を生み出してしまった咎神の者として、天上のエリュセード神族達から辛い風当たりを受ける事になった。
『嫌ねぇ……。御柱の皆様が温情をかけて下さっているからって、また来てるわよ』
『恥知らずよね……。この天上どころか、エリュセード全てを滅ぼす可能性もあったっていうのに……。平然としてるんですもの』
『御柱の方々に媚を売って慈悲を乞うてるんだろうさ。特に、アヴェルオード様の同情を買うのが上手いようだしな』
息が詰まる……。足取りが重くて、重すぎて……、身体が震える。
災厄の女神となったお母様を陰で罵る神達、残った私達家族に敵意と怯えの気配を向け、不確定な未来に恐れを抱く者……。
特に……、力の弱い神々にその傾向が強く見られていた。
母親と同じように、天上やエリュセードに害を成す日が来るのではないか……。
御柱の三人に私達家族の追放を求める神達もいたし、禁忌の一族として封じてしまえと言う者達もいた。
お母様を失ってしまった悲しみと、助けられなかった自分の無力さに打ちひしがれながら引きこもっていた私が直面した、酷く息苦しい現実……。
御柱を始めとした一部の神々が励ましてくれる温かな面もあったけれど、世界を揺るがした罪を否定する事は出来なかった。
たとえ、災厄の女神となったのがお母様でも……、娘の自分も、いつか同じ道を辿るような気がして……。でも、そんな私の傍にはいつもあの二人がいてくれた。
『ひぃいいいっ!! な、何をするっ!!』
『弱神如きが無礼な!!』
『躾がなっていない狗共め!!』
『躾がなっていないのは貴方がたの方ですよ。仮にも神ともあろうものが、柱の陰に隠れて無駄口を叩くなんて……。俺達がか弱い下っ端神だとしたら、皆さんは浅ましい愚神ですね』
『『『なぁああっ!?』』』
『ふん……。クズで十分だ、ユシィール。ソリュ・フェイト様の恩恵をたんまりと受けておきながら、このクズ共は自分達の事しか考えていない。どぶ川に頭をぶち込んでやりたくなる……』
エリュセードを治める御柱。その眷属として生まれた神々。
二人が彼らに刃を向けたり、冷ややかな牽制の言葉を突き刺すのはいつもの事だった。
その度に、私は二人を神々の前で叱りつけ、陰口を叩いていた神々に頭を下げて……。
『……アホ姫。あんな奴らに頭を下げる必要なんかない、って、そろそろその弱い頭で理解してくださいよ。オレ達が怒られるなんて、理不尽です』
『すみません、姫。駄目だとわかっているつもりなんですが……、毎回気付いたらやっちゃってるんですよね。条件反射というか、レイシュ様の『やられたら容赦なく千倍返し!!』の信条が働くというか……。あ、でも、あのくらいは二倍返しにもなってないんですよ』
『それに、何も悪くないのに黙ってる姫にも苛つきます……。ファンドレアーラ様の件は、天上の軍勢がソル様に甘えきって役に立たなかったのが原因じゃないですか。そのせいでソル様は失われ、ファンドレアーラ様は……。自分達だけ守りに入って、ろくに戦いもしなかったクズ共に災厄のひとつやふたつで文句を言われる筋合いなんてありませんよ……っ』
異界からの軍勢との戦いの際、お父様は他の神々を守るように一人で大きな負担を背負っていた。
はじまりの世界を滅ぼした災厄。お父様以外の十二神を失わせた恐ろしい存在。
その一部とも言える軍勢に対して、エリュセード神族はあまりに無力だった。
お父様を失った後にレイシュお兄様達が話していた。
あの軍勢に太刀打ち出来たエリュセード神族は、極一部の少数だけだった、と……。
だから、結果的にお父様が失われたのは負担を負いすぎたからだと、レイシュお兄様はそう話していた。
『ソル様が失われた時……。心無い自己保身の神々が何を言ったか覚えていますか? 御柱が無事で良かった。これで、エリュセードは救われた……。自分達にはじまりの十二神の加護があって良かった。だが……、妻を庇わなければ生きていられたのに、愚かな御方だ……。そう、言った奴がいたんですよっ。それも、ろくに戦いもせず、尻尾を巻いていたような役立たずが!!』
『元々、ファンドレアーラ様の神性に対する不満を抱く者達もいましたからね……。愛する夫を失くして悲しみに暮れるあの御方に対して、酷い事を言う者もいました。失われるべきだったのは……、負を抱く者の方だろう、と』
『返しきれない恩を受けておきながら厚顔無恥なのは、あの者達の方ですよ……っ!! ソル様も、ファンドレアーラ様も、いつだって温かなその手を差し伸べておられたのに……っ。エリュセード神族はクズばっかりだ!!』
『黙りなさい!!』
『『――っ!!』』
二人が私を庇ってくれる心は、申し訳ないけれど、……とても、嬉しかった。
だけど、……私を庇うという事は、神々の敵意が煽られ、二人にも害が及ぶという事。
石を投げられようと、存在を否定されようと、罵られようと……、耐えていれば、それ以上の事は起こらない。大事な家族を傷つけられる事も、失う事も……、もう、二度と。
『二人がお父様とお母様、そして、私達の事を想ってくれているだけで十分なんです。だから、自分達で敵を作るような真似は、危ない事はしないで下さい……。ユシィールとシルフィールが傷つけられでもしたら、……私も、我慢出来なくなってしまいそうだから』
『『姫……』』
何を言われても、耐え続けなくてはならない辛さ……。
私は私の大事な家族を守る為に、自分の心を押し殺し続けた……。
皆がいなくなったわけじゃない。まだ私には、レイシュお兄様と二人が、心遣いをしてくれる優しい神々の存在もある。だから、大丈夫……。
私を包み込んでくれる幸せの気配に縋りながら過ごした日々。
そして……、訪れたのは、悲しい終わりの瞬間。
『ユキ!! ユキ!!』
『姫!! 姫!! しっかりしてください!!』
『目を閉じないでください!! 俺達の力を!! 姫!!』
アヴェルオード様の暴走が起こり、十二の災厄が共鳴を起こしたあの晩。
災厄の目覚めを抑え込み鎮めた私は、家族に見守られながら眠りに就こうとしていた。
注がれようとする力を拒み、……逃げの道を選んだ私。
あぁ……、私はいつだって、道を間違えてしまう。大切な人達を守りたいのに、自分の手でその笑顔を奪ってしまう。自分の事ばかりで……、愚か過ぎた女神。
『……な、ぃっ。ソル様やファンドレアーラ様だけでなく、オレ達から姫と主まで奪ったエリュセードの神々!!』
『姫……、もう、無理ですよ。俺達は……、最後の希望まで失ってしまった。もう、……何かに耐える必要も、エリュセードの神々への恨みも……、抑える事はっ』
世界に溶けていく意識の片隅で、小さく聞こえた二人の悲哀と、絶望の声。
『『絶対に……、絶対に』』
――許さない。
大事な家族が重ねた怨嗟の言葉さえ……、私は覚えている事が出来なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「――シルフィール、待っていてくれたんですね」
王宮に軟禁されている、かつての世話係。愛する家族……。
理蛇族の王子として転生したシルフィールが、私の目の前にいる。
星明りの下、静かに佇む……、十二の災厄を封じた大神殿の中。
それぞれの災厄を封じた部屋へと続く円形の広い空間の中心に、彼はいた。
私とシルフィール以外は誰もいない……、邪魔の入らない場所。
その手に、天上に在った頃に使っていた特殊な形の、紋様を描くような刃先を抱いた槍を持った姿。……そして、彼の魂が宿っているその身体は、『神器』。
ゆっくりと歩みを向けて進んでくる私に、シルフィールが恭しく片膝を着いて礼をとる。
あの頃と変わらない……。何も、変わっていないと思える、大好きな家族。
彼と少しだけ距離を空けて立ち止まる。俯けられているその姿を目にしながら……、涙が滲みそうになるのを、必死に堪える。
「災厄の番人、シルフィール……」
「はい……」
脆く形を保てなくなっていく自分の心を無にし、私がシルフィールへと向けたのは……。
ディアーネスさんから授けられた双剣をひとつの形に変えた、―― 一振りの切っ先。




