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ウォルヴァンシアの王兄姫~蒼銀の誓いと咲き誇る騎士の花~  作者: 古都助
~アレクディース・恋愛本編ルート編・第五章~
40/70

番人の片割れ・シルフィール

『ぎゃあああああああああっ!!』


「ユキ姫様!?!?」


 窓から暖かな日差しが降り注ぐ廊下へと響き渡った、強烈で残念な悲鳴。

 扉の外に控えていたウォルヴァンシア王宮のメイドさんと騎士さんが、大慌てで部屋の中へと飛び込み、目にしたものは……。


「うぅ~!! し、シルフィール~!! こ、これは、ちょ、ちょっと、ぎぶっ、ぎぶっ!!」


『オレの味わった孤独と悲しみを、その身を以って思い知るといいですよ』


「ひぃいいっ!! ユキ姫様~!!」


「し、シルフィオン殿下!! ユキ姫様をお放し下さあああああい!!」


 人の何倍も大きな、真っ白で迫力のある大蛇おろち

その長い胴体にグルグル巻き状態で締め上げられている私の姿を目撃してしまったメイドさんと騎士さんが、狼の姿に変身して縋り付く形で大蛇へと飛びついてくる。

 だけど、メイドさんと騎士さんは、煩わしそうに胴体をくねらせた大蛇のせいでポーン! と跳ね除けられてしまい、部屋の中にあったベッドへとシュートされてしまった。


『うぅ~……』


『ユキ姫様~、お助け出来ず、申し訳ありませ~ん……っ、ぐふぅっ』


 あぁ……っ、私以外にも犠牲者がっ!!

 ベッドの上で目を回している二頭の狼さんに「ごめんなさい! ごめんなさい!!」と連呼した私は、大蛇を睨み付けて叫んだ。


「シルフィール!! めっ!!」


『あの二人は、姫とオレの邪魔をしました。オレは悪くありません』


「悪いんです!! 悪い事をしたんです!! 私に対して怒ったり八つ当たりをするのはいいですけど、関係のない人にああいう事をしちゃ駄目なんです!! めっ!! めっ!!」


 大蛇に変身している理蛇族の王子様、シルフィオン……。

 元は、天上において私の世話係だった青年、神名シルフィール。

 私をこのウォルヴァンシア王宮から攫い、監禁紛いの騒動を起こした彼は、贅沢な軟禁生活をこの場所で送っていた、……の、だけど。

 

『めっ! をされるのは……、アホ姫の方です。覚醒したくせに、オレの優先順位が一番最後……。所詮オレなんて、姫にとってその程度なんですよ。どーせ、どーせ……』


 ようやく会いに来てみたら……、はい、この通り。

 もう何度も謝っているのに、シルフィールは許してくれない。

 一応の加減をしながら私を締め付け、綺麗な青の双眸で私の事を睨み付けている。

 拗ねて拗ねて、捻くれまくっていました、と。……はぁ、昔から根に持ちやすいというか、被害妄想が激しいというか。……まぁ、彼を放置していた私が悪いのだけど。

 私とレイフィード叔父さん……、レイシュお兄様が天上を去った後、シルフィールはユシィールと一緒に十二の災厄を封じた神殿の番人を任された。……押し付けてしまった。

 災厄が暴走する原因となった私の家族。天上の神々に疎まれないわけがない。

 愛する家族を失った悲しみ、底を持たない絶望の深み。

そして、二人きりで孤独の中に身を置くしかなかった、長すぎる月日。

 謝ったくらいで済むわけがない。恨まれて当然……。

 シルフィールの怒りを黙って受け止めるのが私の義務だ。

 ――だけど。


「それとこれとは別問題だって言ってるでしょうがあああああああ!!」


『――っ!!』


 火花を散らしながら言い合っていた私は、埒が明かないと判断して行動に出た。

 神の力を使って大蛇の縛めから逃れ、右手に特大ハリセンを創り出してその頭を叩き付ける!

 

『ギャッ!!』


 狙い通り命中成功!!

 大蛇姿のシルフィールは叩かれた衝撃でぐっと瞼を閉じながら悲鳴をあげた。

 そのまま、ぐったりと赤い絨毯へと長い胴体を滑らせて……、ポンッ! と、可愛い音を立てた後に現れたのは、白銀髪の美しい青年。


「……虐待、ですか。相変わらず手が早い」


「違います!! 悪さをした子に対する当然のお仕置きです!!」


「暴力姫……」


 あくまで自分は悪くない、と?

 頭に出来たタンコブを擦りながら全く悪びれていない目で私を見上げてくるシルフィールに、もう一撃を予告する動作で構える。


「罪悪感と反省、この二つを覚えるまでやりましょうか……?」


「昔と同じですね。受け身でヘタレ一直線のくせに、身内に対しては酷い暴虐の限りを……、ふぎゃっ!!」


「シルフィール~……、その間違いだらけの中身、本当にしてもいいんですよ?」


 ベシンッ!! ベシンッ!! ベシィイイイイイインッ!!

 あぁ……、本当に昔と微塵も変わってない。

 立ち上がろうとしていた可愛げのない世話係の背後にまわり、私はハリセンを構えて彼のお尻を力強く叩き始めた。まったく!! 少しも成長していない!! 捻くれ者にも程がある!!


「痛たた……。はぁ、男の尻を叩いて喜ぶなんて、姫はド変」


「喜んでません!! えいっ!!」


「痛っ!」


 ハリセンでお尻を叩かれて、薄っすらと喜んでいる人に言われたくない!!

 シルフィールのふてぶてしい態度に青筋を増やし、私がハリセンを特大化させて世話係のお尻に強烈な一撃を追加しようとした、――その時。


「ユキ、やはり俺達も同席を」


「え?」


 両手にハリセンを持って振り上げたまま、私の顔が開いたままの扉に向かう。

 お仕事中にこっちへ寄ってくれたらしき、アレクさん、カインさん、ルイヴェルさん……。

 三人が、私とシルフィールの姿を目にした瞬間、動きを止めてしまった。


「な、……何やってんだ、お前っ」


 カインさんが恐ろしい光景でも目にしたかのように、指先を震わせてこちらを差した。

 両手、両足、胴体に絡みつく頑丈な縄に囚われながら宙に浮いているシルフィールと、今まさにそのお尻にお仕置きの一撃を叩き入れようとしていた、……私の姿を。

 み、見られた……。天上にいた頃は、こっそりと裏でやっていた、世話係へのお仕置き場面を。

 あぁ、ダラダラと全身に冷や汗が滝のように流れ落ちていく!


「え、え~と……っ」


「ふん……っ。姫の秘められた趣味の時間です。部外者は消えてください」


「シルフィィイイイイイイル!!」


 今この状況でそんな事を言ったら、三人が信じてしまうでしょうが!!

 そこでまた、私が抑えきれない怒りと恥ずかしさに苛まれて一撃を叩き込んでしまったから、言い訳が出来ない事態に発展してしまったような気しかしないわけで!!

 アレクさんとカインさんの顔が……、一気に青さを増した。


「あ、あの……っ」


「ユキ」


 動けない二人とは別に、ルイヴェルさんが静かに私の名を口にして前に出てきた。

 特大ハリセンを握っている私の手を掴み、シルフィールに冷ややかな視線だけを流す。


「生温い」


「え?」


 瞬間、スポーン! と、私の手からハリセンが抜けたかと思うと、ルイヴェルさんが格好良い武器でも装備するかのようにそれを鮮やかな動作で掴み取る。ハリセンなのに、何だか様になっている。

 眼鏡の奥で深緑の双眸が鋭く煌き、勢いよく放たれた一撃が――。


「ひぎゃぁあああああああ!」


「――最低でも、このくらいの威力を与えなければ仕置きにはならん。わかったか?」


「え、……え、……あ、は、はい。べ、勉強になります」


 恐ろしく凄い音が響くのと同時に、……し、シルフィールのズボンのお尻部分が、パァァァンッ! と、弾けて生地が大きく破れてしまった。あぁ……、お尻が真っ赤っか。

 ベッド側で、狼の姿になっていたメイドさんと騎士さんが抱き合いながら悲鳴をあげている。

 

「お、おい……、け、結局、この状況は一体何なんだよ」


「この理蛇族の王子、いや、ユキの元世話係の男は、天上にいた頃から捻くれていてな。愛情を真っ直ぐな方向性で表す事が出来ない面倒な奴だ。大方、ユキをわざと怒らせてコミュニケーションを図ったつもりなんだろう。そうだな?」


「……オレと姫の邪魔をする奴は、消えればいいと思います」


「つーか、お前も似たようなもんだろうが。……ドS腹黒眼鏡野郎」


 ぼそりとカインさんが呟いた指摘に、私もこっそりと頷いておく。

 あの華麗で強烈なハリセン捌き……。やっぱりルイヴェルさんには、お仕置きという言葉がよく似合う。


「私もあれくらい厳しくならないと……、シルフィールの為にもよくない、かな」


 昔から甘やかし過ぎていたのかもしれない。

 何度怒っても、何度お仕置きをしても、シルフィールは変わらなかったから……。

 基本的にマイペースで、自分の考えのままに行動する本能タイプ。

 余計な事には思考をやらず……、自分のしたい事だけをする、自分に正直な世話係。


「…………」


 続行されているお仕置きの光景から目を逸らし、俯こうとした私の両目を、不意に真っ暗な壁が覆った。……あれ?


「ん……、あ、あのっ」


「ユキ、見てはいけない」


「あ、アレクさん?」


 私の両目を隠しているのは、アレクさんの大きな両手。

 剣技の鍛錬で硬いマメの出来た手のひらの感触と、耳元で聞こえた溜息の音。

 あまりにも距離が近すぎて、全身がぷるりと震えて小さな悲鳴が出かかった。


「ルイのようになったら、終わりだ……」


「はは……っ。ちょっと見習わせて貰うだけですよ。ちょっとだけ」


「駄目だ。強く在ろうとするお前を好ましく思えても、ルイのような容赦なき悪逆さは覚えてほしくない」


 視界を封じられているからなのか、耳元で聞こえるアレクさんの吐息や低い声音がくすぐったくて、心が逃げ場を探すように落ち着きを失ってしまう。

 ひとつの感覚を封じられるだけで、他の部分が敏感になってしまったというか……。


「あ、あの、アレクさん……っ。ちょ、ちょっと、手を、手をっ」


「ん? そうしてやりたいのは山々なんだが……、まだルイが暴れている最中だからな。もう少し耐えてくれ」


 だ、だからっ、息がっ、声がっ、艶がっ、近すぎる!!

 すぐ近くで阿鼻叫喚地獄絵図が巻き起こっているはずなのに、アレクさんの存在だけが自分の中で大きくなって……!! ああぁっ、これは新しい意味で物凄く恥ずかしい!!

 少女期の身には耐え切れない程の熱が耳元から広がっていき、だんだんと、……頭が、クラクラ、クラクラ、ク~ラ、ク~ラ。

 不味い。大事な話をしにこの部屋へ来たはずなのに、い、意識が――。

 羞恥心限界突破で気絶を予感した私は、寸でのところで救い上げられる事になった。


「近すぎんだよ……っ」


 左目側の視界が光を取り戻し、今度はカインさんの声がすぐ近くで聞こえた。

 イラついた様子でアレクさんを怒鳴り上げ、私から離れた場所でいつもの喧嘩を始める二人。

 た、助かったけど……。相変わらず、じゃなくて、アレクさんとカインさんの険悪さが以前よりも増している気がする。主に、カインさんの方に余裕がなく、アレクさんへの噛み付き方にも酷く焦った気配があるというか……。

 確実に、昨夜のアレが尾を引いているのだろう。

 これ以上、私とアレクさんの心の距離が近づかないように、決定的な何かが起きないように……。

 昨夜、怒られながら言われた台詞。


『番犬野郎の事ばっか構ってんじゃねぇよ!! 俺の事も……っ、俺の事も、ちゃんと見ろ!!』


 壁ドンされたかと思えば、カインさんの部屋の壁面に大きな亀裂が走ったり。

 お説教中は正座を強要され、物凄い怒気に晒されて居た堪れない思いをしたり……。

 最後には自分から土下座スタイルで謝り倒していたような気がする。


「ふぅ……、気を付けないと」

 

「ユキ、終わったぞ」


「え? あ、あぁ……、お、お疲れ様です。ルイヴェルさん」


 喧嘩から更なる大喧嘩になろうとしていた二人を眺めていた私の肩に置かれた手。

 ルイヴェルさんが親指で示した方に振り返った私は……、


「く、苦痛は……、悦びと表裏一体……、ふふ」


 何故か、恍惚とした表情で寝転がっているシルフィールの姿を見てしまった。

 全身ボロッボロの上に、服は破れ放題……。表情とのギャップが凄い。

 まるで……、Sの神髄を骨身にまで刻み込まれたような表情かお

 

「ふふ、ふふふふふ……」


「……とりあえず、本題に入りましょうか」


 転がっている元世話係の不気味な笑い声。

 元から『そっちの素質』をちらつかせていたシルフィールが、その階段をさらに跳ね跳びながら上っていく現実を感じながら、……私は目を逸らしたのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「シルフィール、あの時の事……、私とレイシュお兄様が天上を去った後の、『悪しき存在モノ』の騒動が起こった際の事を、話して貰えますか?」


 メイドさんと騎士さんが退出し、別のメイドさん達が部屋を整えに来てから十数分後。

 新しい服に着替えたシルフィールと私達でテーブルを囲み、本題へと入った。

『悪しき存在』と呼ばれた、災厄の力によって洗脳された神々……。

 神殿から持ち出された、ディオノアードの鏡。反逆の主格となった神、攫われたアヴェルオード様の後継者。あの混乱に乗じてうやむやになってしまった事実がある。

 ――気付かれずに、埋もれ続けてきた真実がある。


「知ってどうしますか? すでに終わった騒動の全容を知ったところで、何も変わりませんが」


「念の為です。あの時代、私は眠りの中に在りました……。その中で視えたのは、騒動が起こってからの事だけ。それも、断片的なものばかりです。だから、神殿の番人であった貴方に全容を聞く必要がある。十二の災厄を生み出した女神の娘として……。本来の、神殿の番人として」


 当時、ディオノアードの鏡を手に天上を荒らし、咎神とがびととされた神々の先導者。

 それは、アヴェルオード様の眷属であった一人の戦神とされている。

 私もそのひとの事は覚えているけれど……、あまり、親しみの持てる相手ではなかった。

 御柱であるフェルシアナ様達に対する忠誠心の高さは言うまでもなく、とても真面目で……、真面目過ぎる程に堅いひと

 私のお父様であるソリュ・フェイトがいなくなった後に生み出されたの神は、私とレイシュお兄様を疎む神々の一人でもあった……。

 私の姿を見る度に、周囲に誰もいない事を確認しながら向けられ続けた言葉。


『貴様のような災厄の権化は、さっさとこの天上から、エリュセードから消えてしまえ』


 全身が凍りついてしまうかのような目を向けられ、耳元で囁かれた敵意の音。

 私はあの戦神の事が怖くて怖くて……。その姿を見つける度に逃げ出していた気がする。

 多分……、アヴェルオード様が私に対して特別な感情を抱いていた事も気に入らなかったのだろう。時には、手首を掴まれて痕をつけられる事もあって……、レイシュお兄様を誤魔化すのに苦労した記憶も。それに……、あのひとはレイシュお兄様よりも私を甚振る事に強い執着を向けていたような気もして……。


「うぅ……っ。と、鳥肌がっ」


「ユキ……、大丈夫、か?」


「だ、大丈夫です! そ、それよりも、え~と、し、シルフィール、神殿で起こった事を話して下さい。正直に、あった事を全て」


 世界の記憶、人や場所の記憶。それらを読み取る力を持つのは、神々だけじゃない。

 地上の民の中にも、フェリデロード家のレゼノスおじ様のようにそれが可能となる者もいる。

 まぁ……、神とは違って、読める時の範囲は比べ様がないのだけど。

 

「十二の災厄を封じた神殿内での出来事は、誰も知りません……。そうですよね? アレクさん」


「あぁ。……俺も当時の記憶を読み取ろうとしてみたが、酷い雑音とぶちまけたような闇の断片に邪魔をされて無理だった」


「俺も同じくだ」


 アレクさんも、ルイヴェルさんも、私も、記憶を読んだ結果は同じ。

 神殿で異変が起こったと思われる時間軸、そして、その前後となる記憶に範囲を広げて探ってみても……、必ず邪魔が入って読み取れない。

 その記憶の中に、見てはいけない何かがあるかのように。

 

「後悔はしませんか? 姫」


「……はい」


 俯いたシルフィールの双眸に浮かぶ、痛みを抱いた青の揺らめき。

 元世話係の視線、動作、気配、心の動きにまで意識を向けるように、私は視線を据える。

 シルフィール……。


「ディオノアードの鏡を持ち出したのは……、先導者となった戦神ではありません」


「……」


「あの男神は、鏡を持ち出した者によって選ばれた傀儡。まぁ、目的を達成する為の隠れ蓑、といったところですかね。オレはその真犯人の手によって襲撃され、神殿から鏡を奪われてしまいました……」


 何の前触れもなく……。まず最初に起こった神殿内での出来事。

 不意を突かれて傷を負ったシルフィールはその真犯人に洗脳され、戦神の率いる神々の群れに身を投じた。そして……、異空間に封じられるその前に正気を取り戻し、災厄の欠片を抱いて眠りに着いた、と。以前に受けた説明と同じ流れと着地点。

 唯ひとつ違うのは、戦神を裏で操っていた真犯人の存在……。


「シルフィール……、鏡を持ち出した犯人の名前を、教えて下さい」


「……ユシィールです」


 空気に重たい淀みがたっぷりと含まれ、十秒程の時が何時間にも感じられる程の静寂を生み出した後。……シルフィールが口にしたのは自分の片割れともいうべき番人の名だった

 十二の災厄を監視するべき番人の一方が裏切りを犯し、天上を、地上を乱す元凶となった……。


「姫とレイシュ・ルーフェ様が天上を去ってから、オレ達は耐え難い時の流れに身を委ねていました……。時には、気が狂うかと思うような心地になる事もあり、……ユシィールは、その度合いがオレよりも酷かったのです。――だから」


 自分達の主を悪く言う神々への憎しみ、愛する家族と会えない孤独と悲しみ、それらが膨れ上がった結果……、ユシィールは狂ってしまった。シルフィールは私達にそう語る。

 

「その上、ユシィールは災厄の影響まで受けてしまい、その歪みに拍車をかけてしまいました……」


「けどよ……。そこまで思い詰めてた奴が、何で、途中で考えを変えちまったんだよ? テメェとは違って、あっちは自分の意志でやり始めた事だろ?」


 ほんのりと爽やかな香りの漂うマフィンを手に取ったカインさんが、それを一口分齧りながら疑問の視線をシルフィールに据える。

 災厄による力の影響を受け、洗脳状態となった被害者とは違う点。 

 それは、神の力や何らかの幸運が重なって自我を取り戻せたとしても、ユシィールには根本の問題が残っているという事だ……。

 天上への強い憎しみが根付いていたユシィールが……、果たして、災厄の力から逃れた程度でその感情を捨てる事が出来るのかどうか……。

 カインさんの疑問は尤もだ。しかし、それを訊ねられたシルフィールに動揺の気配はない。


「現実を、見てしまったからでしょうね……。災厄の力を利用し、天上への恨みを晴らす為に自分がしでかしてしまった現実(罪の重さ)を……。どうなるか、わかっていた。何度も想像した。……けれど、いざそれが現実に起こってしまうと、どうしても感情が揺らいでしまう。恐らく、ユシィールはそれを実際に体感してしまったからこそ、道を正そうとしたのではないかと……。オレはそう思っています」


「怖くなった、ってとこか?」


「それもあるかもしれませんね……。ですが、ユシィールにとって大切な事は、いつだって姫とその主や家族達の事です。彼らが悲しむ事を、オレ達は望まない……」


 双子の神として生まれた、ユシィールとシルフィール。

 私達が彼らの幸せを望むように、逆の立場においてもそれは変わらない。

 昔も……、今も、彼らは私達の幸福を願って行動してくれている。

 仕える主の為となるように、――彼らの心はどこまでも、純粋で一途な強さを抱く。


「……シルフィール」


「はい?」


「それで、全部ですか?」


「はい。ユシィールが正気に戻り、俺も同じように自我を取り戻しました。まぁ、その時にはもう、オレは欠片を抱いて眠る事しか出来ませんでしたが」


 何の淀みも抱かず……、真摯な眼差しで私を見る、かつての世話係。

 女性のように綺麗な手が私の頬へと伸ばされ、切なげな吐息が零れ落ちてゆく。


「この件を神々に知られてしまえば、ユシィールだけでなく、オレや姫達の立場はさらに過酷なものとなるでしょう……」


「…………」


「だから、姫から聞かれない限りは……、口を噤んでおこうと思っていました」


 ユシィールが災厄を解き放った元凶だと知られてしまえば、全ての収束後……、私達家族もその対象となる。たとえ、お父様や御柱の方々が庇って下さったとしても、三度も天上を乱した存在を……、神々が許す事はない。

 十二神の長たるお父様を封じたり追放する事はなくても、私やお兄様達をそうする事には何の躊躇いもないだろう。災いの根源を絶つ為に、二度と自分達の楽園を脅かされぬように……。

 神々が選ぶだろう、当然の選択肢。その時が訪れる事を、今更怖がったりはしない。

 私はシルフィールの頬を両手に包み込み、彼が近づけてきたその額に同じ温もりを触れ合わせた。


「話してくれて……、ありがとう」


「いえ……」


 私はシルフィールに王宮での生活を続けるように命じ、アレクさん達と一緒に部屋を出る事にした。そして……、最後に私が扉の向こうへと消える寸前。


「姫」


「はい?」


「……我が姫君に、永遠の忠誠を。いつでも、貴女の幸福を祈っています」


「シルフィール……、ありがとう」


 その誓いの言葉は、天上にいた頃によく聞いたものだった。

 私を守る為に生み出された双子の神。彼らは常に私の傍にいてくれた……、ずっと、ずっと。

 決して裏切られる事のない信頼と忠誠。

 二人がその誓いを口にする時は、必ず……、とても幸せそうな気配に包まれていた。

 自分達の存在と、与えられた使命と役割に誇りを抱きながら……。

 だけど、……この時のシルフィールは、危うげな気配と共に頼りなく、その誓いを口にしていたのだった。

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