迎えられる人、連れ去られる人
次の日はメイド仲間のみんなが妙によそよそしかった。
わたしはそれを、わたしとラウルが一緒に帰ってきたせいで嫉妬されたのかなと思った。
ちらちらとこちらを見ては、狼男がどうしたとか。
警察はまだ狼男を捕まえないのかとか。
警察も狼男を怖がっているんだとか。
そんな話をひそひそこそこそ一日中。
ラウルはわたしと目が合うとすぐにそらし、だけど気がつくとこちらを見ていて、良くも悪くもわたしを意識しているのだけは間違いなかった。
警備に来ている警察官は、居心地悪そうに門の周りをぶらぶらしている。
フランク様殺害の捜査は進展してないらしい。
アレクシアの死骸を見つけたと伝えたら、後で調べるって、やる気のなさそうな感じで言われた。
セバスチャン様が銃を撃ったのは、熊を見たからだそうだ。
わたしが見たのも人影ではなく熊だったのかもしれない。
それを聞いて警官は驚いていた。
この辺りでは熊は滅多に出ないらしい。
それから更に一日経って。
メイド仲間の態度は更にひどくなった。
困っていたら、セバスチャン様に声をかけられた。
朝一番で届けられた電報によれば、フランク様の従弟のフレデリック様が、ダイアナ様のお見舞いとフランク様のお葬式の準備のためにこちらへ向かっているとのこと。
午後には駅に着く予定なので、馬車で迎えに行く。
わたしもそれに同行するよう命じられた。
門をくぐる時に生垣の陰に居たラウルに声をかけたら、うつむきながら手を振ってくれた。
森の中の細い道を馬車に乗って進んでいく。
今は鳥の声がするだけの人気のない道。
だけど馬車から身を乗り出して下を向けば、いくつもの蹄と車輪の跡。
通る人なんてたまにしか居ない道を、一週間前に大勢の警察官が通ったというその印は、森の景色には不似合いだった。
「この辺りで奥様がイヤリングを落とされたんですね」
「おや、そうでしたか」
わたしの声にセバスチャン様が驚いたように答える。
「馬が足を止めた跡がありましたから」
「警察の馬では?」
「引いている馬車の車輪の太さが違います」
「なるほど。目ざといですね」
「あの……」
わたしは、馬車を止めてくださいと言おうと思って、やめにした。
三日月の夜からラウルは暇を見つけては奥様の涙形のイヤリングの片割れを捜していたけれど見つけられず、カラスにでも持っていかれたのだと思ってあきらめたそうだ。
念のためにもう一度捜してみたい気もするけれど、そのためにフレデリック様をお待たせしてはいけないし……
イヤリングを狼男さんに拾ってもらったことはみんなに言いふらしてしまったから、言えば狼男さんの正体がラウルだってバレてしまうわね。
わたしが急に黙ったせいが、セバスチャン様が気まずそうに咳払いをした。
「別荘からこんなに離れているとは思いませんでした。こんなところで置き去りにしてしまってスミマセンでしたね」
「え?」
「行きは一人だったので、つい馬車のスピードを出しすぎてしまいまして。そのせいで帰りの時間を計り間違えてしまったのです」
「いえいえそんな、お気になさらないでください!」
そのおかげであの人と最高に素敵な出逢い方ができたのだから。
「ところでクローディア君……他の使用人とあまりうまくいっていないようですね」
「え?」
どうやらセバスチャン様は、昨日のメイド仲間の態度を見て、わたしがみんなにいじめられているのではないかと考えて話を聴くためにわたしを連れ出したのらしい。
レディメイドの座も、いじめられて取り上げられたのではないか、と。
もともとイリスがレディメイドになるはずだったというのは全くのデタラメで、セバスチャン様はレディメイドを誰にするかなんて決めていなかった。
「いろいろあって忘れていました」
つまりイリスの態度が変だったのは嘘をついてレディメイドになった後ろめたさからで、他のみんなはイリスに釣られただけってことなのかしら?
「では、フランク様が奥様のレディメイドに奥様の不倫についてスパイさせようとしていたというのは本当ですか?」
「クローディア君! ダイアナ様に対して失礼ですよ! 使用人がそんなことを口にするものではありません!」
「……もうしわけありません」
というかセバスチャン様は、不倫疑惑の話をしたくないから、レディメイドを決めるのを後回しにしているうちにああなってしまったんじゃないかしら。
森を抜けて一つ目の村。
聞き込み中の警官とすれ違い、セバスチャン様は馬車を止めて挨拶をした。
警官は捜査の進展具合は教えられないって言ったけど、一緒に居た村人は、二頭立ての馬車を見たとか、馬に乗った男を見たとか、訊いてもないのにベラベラしゃべった。
それらが森の奥の殺人事件と関係があるかないかはまだわからない。
フランク様が使ったはずの辻馬車は見つかっていない。
馬車を降りて体を伸ばしていると、小さな男の子の一団が「狼男の屋敷から来たヤツだ!」と言ってわたしに絡んできた。
「狼男は火あぶりだ!」
「火あぶりは魔女だよ!」
「トゲトゲのあれを使うんだよ!」
「トゲトゲのあれだ!」
最初の日にもこれと同じようなことがあった。
ダイアナ様に付き添って駅から別荘へ向かった日。
狼男の仲間が来たぞって騒がれた。
その時は不思議に感じただけだった。
今は、悲しい。
これはラウルの悪口なんだ。
少し年上の女の子の一団が、男の子の一団を追い払った。
ほっとしたのも束の間、女の子達は好奇心丸出しでわたしを質問攻めにしてきた。
大人達は、子供を叱るフリをしながら近づいて聞き耳を立てていた。
村の人々の狼男への脅え方は、わたしの想像をはるかに超えていて、わたしは泣きそうになった。
ラウルはこんな環境の中で、正体を隠して学校に通っていたんだ。
二つ目の村は、一つ目の村ほど真剣に狼男を恐れてはいなかった。
一つ目の村が狼男をやっつけたいという空気だとすれば、二つ目の村は狼男なんかには関わりたくないという空気。
別荘での殺人事件の噂はこの村にも届いていて、みんな気にしてはいるけれど、狼男という言葉を口にする人も耳にする人もみんな一様に顔をしかめていた。
二つ目の村を抜けて、広い畑の間を通る。
汽車の到着は最初の日と同じ昼過ぎなのに、わたし達が駅のある町に着いたのは、三時のお茶の時間を過ぎてからだった。
フレデリック様は異様なまでに痩せっぽちで、冗談のような巻き髭で、狂ったように派手な色の服を着てらして……
信じられないことだけど、ご本人はそれをエレガントだと思ってらっしゃるようだった。
「ダイアナのこともこんなに待たせたのかい」
開口一番、フレデリック様が嫌味ったらしく口許をゆがめた。
「申し訳ございません」
セバスチャン様が深々と頭を下げる。
「それはダイアナを待たせて申し訳ないってことかい? それともダイアナは待たせなかったのにボクだけ待たせて申し訳ないってことかい?」
「申し訳ございません」
わたしもセバスチャン様に習ってただただ頭を下げる。
「ふぅん。まあいいさ。そこの売店のおばさんに聞いたよ。ダイアナの時には少し早いぐらいに来て待ってたってね」
「も、申し訳ございません!」
わたしは繰り返し頭を下げながら、駅舎につけられた時計をチラリと見た。
時刻表と照らし合わせてもフレデリック様が怒るのも無理はなかった。
けど……
「馬がずいぶん疲れているな。そっちのメイドさんが重すぎたのかい?」
こんな言い方はしなくてもいいと思う。
「おかげで暇つぶしに馬鹿みたいな買い物をしてしまったよ」
そう言ってフレデリック様は懐からペンダントを二つ取り出した。
石と動物の牙のようなものを組み合わせて皮の紐に通したものだ。
「どっちの方が綺麗だと思うね?」
「そうですね……こちらでしょうか?」
「じゃあ、こっちをやろう」
フレデリック様は、わたしが示したのとは違う方のペンダントをわたしに投げ渡した。
「こっちはダイアナのだ」
でもそのワイルドなデザインは、ダイアナ様の繊細な肌には似合わないと思う。
「本物の狼の牙でできているんだそうだ」
「本物の……」
長いもので四センチほど。
ラウルの牙もこれくらいかしら。
フレデリック様が顎で示す先で、売店のおばさんがご機嫌で狼男のお面を振っている。
ひどく馬鹿にしたデザインで、恐れではなく蔑みを表し、ラウルの格好良さは微塵も表現できていなかった。
「あの売店では“狼男やっつけゲーム”なる物が売られていてね。木製のちょっとしたおもちゃさ。そこのおばさんと勝負したが、実にくだらなかったよ。負けたら買えと言われたんだが、これがどうにもかさばるシロモノなもんで、ペンダント二つで勘弁してもらった」
他にもフレデリック様は、わたし達が遅れたせいで自分がいかに時間を無駄にしたかを、懇切丁寧に時間を惜しまず語り続けた。
狼の顔をしたクルミ割り人形が実にこっけいだったとか。
狼の歯を模した狩猟用の罠を見て実用性を疑問に思ったとか。
待たされても楽しむ能力のある人が、待たされたことにネチネチ嫌味。
嫌味を言うこと自体を楽しんでいるみたい。
わたし達を待っている間にフレデリック様は警察署にも顔を出していたらしい。
田舎の警察は殺人事件の捜査なんてするのは初めてみたいで……
狼男が犯人だという話を警官がすんなり受け入れていることに、都会の警察ならばありえないって驚いていた。
フレデリック様を馬車にお乗せして町を出る。
二つ目の村を何事もなく通過して、別荘に近い方の村に着くと、馬車は遠回りして教会へ向かった。
フレデリック様が教会の人に挨拶をする。
ここでフランク様の遺体を預かってもらっているのだ。
普通なら検死が終わった遺体はすぐに遺族に返されて、葬式が行われ、墓地に埋められる。
だけど狼男が犯人だと信じる人々は、フランク様が満月の夜に生き返って狼男になると思い込んでいる。
遺体が動き出せばそれは、殺人の犯人が狼男だという動かぬ証拠になる。
その場所が教会であれば神様が罪なき人々を守ってくれる。
村人達はそう考えている。
教会を出て馬車のシートに腰を下ろし、フレデリック様はダイアナ様に渡すと言っていたペンダントを再び取り出した。
さっきまで新品だったペンダントは、今は嫌な色でドロリと汚れていた。
「遺体の傷口とこいつを比較すりゃあ狼の噛み跡なんかじゃないって証明できると思ったんだがね。これがビックリするぐらい良く似ていたよ。同じと言っていいぐらい似ていたんだ。これはいったいどういうことなんだろうね。
こんな小さな物を手に持ってもあんなに深く刺さるような力は出せないだろうしね。それこそ顎で噛むぐらいの力がなくては……ふむ……」
ペンダントをハンカチに包んでしまい直し、顎に手を当てる。
「ダイアナの奴は一体全体ナンだってこんな迷信なんかに付き合っているんだろうね。
遺体はさっさとロンドンの教会へ送ってロンドンの墓地に埋葬するべきだ。
ロンドンに帰るだけの体力が今のダイアナにはないからだろうか?
いや……ダイアナは、狼男なんか実在しないということを、馬鹿な田舎者に教えてやりたいのかもしれないな」
フレデリック様は勝手にそういう結論を出した。
わたしは、少し違うと思う。
ダイアナ様は狼男をその手で世話した。
ダイアナ様は、狼男は事件の犯人ではないということをみんなに証明したいのではないかしら?
村の出口。
馬車を追いかけて馬鹿なことを叫ぶ子供達の顔は、夕日で赤く染まってオバケみたいに見えた。
「狼男はアイアンメイデンで串刺しだーーー!!」
「おやおや、近頃の子供はずいぶんと悪趣味なものを知っているな」
フレデリック様が、訊かれてもいないのに自慢げに解説を始める。
「ロンドンの悪趣味な博物館で見たことがあるんだよ。
ああ、そういえば、都会ではそういう扱いだが、田舎では処分に困って倉庫の片隅に放置されている場合もあるって聞いたな。
そこの村にもあるのかもしれないな。
いや、あるとすれば町の方かな。
暇な時にでも探してみるか」
森に入り、木の陰がフレデリック様のいびつな笑顔を隠した。
「文字通り、鉄でできた乙女の人形でね。
大きさは棺桶ぐらいで、棺桶のように蓋が開く。
中は空洞で、内側にはびっしりと刺が生えていて……
これに人を閉じ込めて蓋を閉めれば串刺しになるんだ」
馬車がガタガタと揺れる。
「割とメジャーな拷問道具だよ。
実際に使えば白状する前に死んでしまうので、使うぞと言って脅すためのものだな。
あるいは……
もともと殺したくて殺しているのに、殺す気はなかったと言い張るための、拷問という名目かな」
木の枝の向こうに覗く月は、半月よりは丸みを帯びて、でも満月にはまだ日がかかる。
馬車に吊るしたカンテラが道を照らす。
「いやぁ、悪趣味だ。実に悪趣味だ」
そう繰り返す声はとても楽しげだった。
楽しげなのは、語る時だけなのかしら。
使う時も、楽しげなのではないのかしら……?
別荘に着いたのは夜の十時。
寄り道したとはいえ遅くなりすぎたなと感じた。
フレデリック様は、窓から漏れる明かりに浮かぶ庭園を眺めて一言「ダサイ」と言った。
自然の乏しいロンドンでは人口の自然が持てはやされて、木も花も勝手に生えたかのように不規則に植えるのが流行している。
逆に田舎の人ほど、あるいは都会でも今より自然が豊かだった時代に生まれたお年寄りほど、方眼紙に描いたように不自然に整えられた景色を求めるのだそうだ。
「この庭は古臭い上に地味だ。それに花の色がおかしい」
それを聞いてわたしはムッとなった。
「セレーネ・ローズは月夜に青く輝くのです!」
「ほう?」
わたしがラウルから聞いたことをかいつまんで話すと、フレデリック様は興味を示し、庭師に会いたいと言い出した。
「ええと……」
この時間ならいつもはラウルは薔薇達の最後の見回りをしているのに、今日に限って姿が見えない。
もう寝てしまったのかしら。
「捜してまいります!」
「後でいい」
「すぐに呼んできま……」
「庭師なんか後回しでいい。ダイアナが先だ」
セバスチャン様が玄関の戸を開けても、誰も迎えに出てこなかった。
おかしい。
ハンナおばさまや他のメイドはどこへ行ったのだろう。
「ダイアナの部屋はどこだ!?」
フレデリック様も異変に気づき、導かれるまま階段を駆け上がる。
屋敷の女主人の部屋のドアは、セバスチャン様が静かにノックしても反応はなく、フレデリック様が激しくたたいてしばらくして不安が高まりきったところでようやく内側から開かれた。
ノブを握っているのはハンナおばさまだった。
ダイアナ様は床に突っ伏して泣きじゃくっている。
その周りをイリス、ドリス、メラニーが囲んで慰めていた。
どうして?
尋ねる前に、ダイアナ様が叫んだ。
「あの子が……!! ラウルが警察に連れていかれてしまったの!! フランクを殺したのはラウルではないのに!!」
「ラウルが!? どうしてですか!?」
ダイアナ様はしゃくり上げて答えられない。
「鍾乳洞の出口でラウルが狼から人間の姿に変身するところを、別荘を警備していた警官が見ていたんだよ」
沈痛な面持ちで言うハンナおばさまの言葉にわたしはギョッとした。
けれどそれはわたしの質問の答えにはなっていないように思えた。
「それとこれと何の関係が?」
「だって狼男だよ?」
メラニーがすねたように口を尖らす。
「だから何だって言うのよ!?」
「狼男……でしたのよ……あのラウルが……」
ドリスの表情は、何故か悔しそうだ。
「だから!? そのことと殺人事件と何の関係があるの!?
まさか狼男だってだけの理由でラウルは殺人犯にされてしまったっていうの!?
ラウルにはアリバイがあるのよ!! あの夜、わたしはラウルに……」
「クローディアは狼男に脅されて操られているんだ!」
その言葉を、言ったのがドリスだったなら、怒りはしてもさほど驚きはしなかった。
流されやすいメラニーや、何かと話に絡みたがるハンナおばさまでも。
だけどその言葉を言ったのは、狼男の存在自体を信じていないはずのイリスだった。
「ラウルが変身するところ、アタシも見てたのよ」
いつもの間延びしたふざけた口調ではなかった。
「アタシ聞いたよ! ラウルがクローディアに向かって『喰っちまうぞ』って脅してた!!」
目眩がした。
あんなのただの冗談なのに。
そんなこと本当はしないって、お互いにわかりきっていたから言った言葉だったのに。