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闇の中を歩いて 後編

 コウモリの糞のニオイを嗅ぎつけて、それをたどって外を目指す。

 わたしを元気づけるためにラウルは一所懸命にわたしに話しかけてくれたけど、お互いもともとおしゃべり上手ではなくて、話せるネタも少なくて……

 わたしはラウルに、ダイアナ様との関係を教えてくれるようにねだった。

 奥様がラウルの秘密を独占していたのが悔しかったから。

 ラウルはそれに答えてくれた。

 話し下手なりに頑張って、ところどころ順番が前後したり、同じ話の繰り返しになったりしながら。

 私を元気づけるだけのために話すのには重すぎる過去を。

 きっと軽々しく人に聞かせたりはしたくなかっただろうに……




 物心ついた時にはラウルは“ダイアナお嬢様”のクローゼットの中で飼われていた。

 どうやらお嬢様がピクニックに出かけて、みんなと離れて花を摘んでいたところを野犬に襲われ、狼姿のラウルに助けられたのらしい。


「俺自身は幼かったんで全然覚えていないんだけどな。

 きっと俺の本能が、獣の姿をしている時でも、俺は獣じゃなくて人間の仲間だって告げていたんだ。

 だからダイアナ様を助けたんだと思う」


 ダイアナお嬢様はラウルを捨て犬だと思い込み、バスケットに入れてお屋敷に連れて帰った。

 お嬢様の命を救ったのだから、きっと両親も歓迎してくれるはず。

 だけど両親に引き合わす前にラウルが狼男だとわかり、ダイアナお嬢様はラウルを両親に隠して育てることに決めた。

 ダイアナお嬢様はラウルに人間世界のルールを教え、自分が狼男だということがバレてはいけないときつく言い聞かせた。

「ダイアナ様は俺に“男らしい言葉遣い”を教えるのにずいぶん苦労していたよ」



 ある日、ダイアナお嬢様が留守の間に、ラウルはお嬢様のご両親に見つかってしまった。

 狼男だとはバレなかったけれど、狼だというのには気づかれた。

 犬ならば許されてそのまんま飼ってもらえていたかもしれない。

 だけど狼だ。

 ご両親はお屋敷のボーイに交通費を渡して、ラウルを森へ返すよう命じた。

 ボーイはそのお金を自分のポケットにしまい、ラウルを街中の川へ投げ捨てた。


 岸に這い上がるのに人間の手の方が便利だったので人間の姿を取った。

 そしてそのまま服もなくさ迷っていたところを近所の教会に保護された。

「ここで初めて男物のシャツのボタンはダイアナ様のお古のブラウスとはつき方が逆だってことを知ったんだ。

 あと、ズボンを初めて穿いた」

 教会の人達は誰もがとても親切だったけど、狼男だとバレて、神父様に殺されかけて逃げ出した。

 その後、ダイアナお嬢様と再会するまでの五年間、ラウルは路上で生きてきた。


「狼男に噛まれて死ぬと狼男になるっていうやつ、あれ、本当だぜ。

 路上には親に捨てられた子供や親に死なれた子供、親から逃げ出した子供なんてのがウヨウヨ居てさ。

 ゴミを漁ったり、スリやカッパライで生活していた。

 だから俺も……な。

 俺が弱そうに見えたみたいで、大抵のやつは俺にケンカばっか吹っかけてきたけど、仲良くなれたやつも居た。

 その時の仲間に噛めって言われて、後先を考えずに噛んだ。

 仲間が狼男に変身して、本当の仲間になれた気がした。

 でも結局、死んでしまった。

 衛生状態が悪くてな。

 路上で暮らす子供ストリート・チルドレンなんてそんなもんだ」



 しばらくの間、何も言えなかった。

 ラウルは決して優しい言葉をかけてほしくてこんな話をしたわけではない。

 わたしが洞窟を怖がらないように、わたしの気を紛らわそうとして、わたしの質問にとても丁寧に答えてくれただけだ。

 つまりラウルはわたしに気を遣ってくれた。

 それなのにわたしがラウルの話に対して気を遣った反応をしたら、それはラウルの行為をひっくり返してしまうことになる……

 かもしれない。

 ならないかもしれない。

 そんなことを考えているうちに、ラウルの方も沈黙してしまって……

 天井から水滴が一定のリズムを守って落ちる音と、ラウルの爪がツルツルした鍾乳石をたたく音と、ラウルの肉球が水溜りを踏む音が耳に染みた。

 首周りの毛皮に顔をうずめているせいで、不安げな息遣いがはっきりと聞き取れる。

 ラウルは今の話をしなければ良かったって思っているんじゃないかと感じて……

 だからわたしはなるべく平静なトーンで話の続きをうながした。


「銀の武器でしか死なないわけじゃないのね」

「病気は、な。怪我についてはわかんねーよ。試して本当に死んだら嫌だし」

「すでに死んでいる人を噛んだらどうなるの?」

「路上に居た時に何度か試した。駄目だった」


 そしてまた沈黙。

 そして考える。

 平静に話そうとしたせいで、冷たい人って印象を持たれてしまっていたらどうしよう……


「わたしを噛んで」

「君は自分がどれだけ恵まれているかわかっていない」


 怒らせてしまった。

 悲しくなって、わたしはラウルに抱きつく手に力を込めた。



 ダイアナお嬢様と再会し、別荘の管理人夫婦に引き取られて……

 ラウルが村の学校に通い始める前から、村には狼男の言い伝えがあった。

 それは、狼が住む土地ならば、国中どこにでもあるようなものだった。

 疫病や飢饉や自然災害で人が大勢死んだ時。

 人の力ではどうにもできなかった時。

 人には罪がない時。

 人はその理由を、罪を、悪魔や魔女や魔物に求める。

 この村では狼男がそうした魔物の代表格だった。


 給食は好きだった。

 勉強も嫌いではなかった。

 人として暮らすには路上よりもはるかに良かった。

 けれど路上とは違い、自分が狼男であることを明かせるような友達は一人も居なかった。


 貧しい村には疫病や飢饉や自然災害を繰り返してきた歴史がある。

 恨む相手の無い人々は、居もしない狼男を恨むことで心を静める。

 そんな習慣が染みついた土地に、本物の狼男が現れたなら、何をされるか想像がつかなかった。


 養父母にはさすがに隠しきれなかった。

 満月の夜に体が勝手に変身してしまうのだけは止められなかったから。

 幸いにも養父母はこの土地で育った人間ではなかったので毛嫌いはされずに済んだ。



「満月の夜に人間の言葉や心を失うっていうのは本当なの?」

「ああ……そうだな。満月が来ればお前は俺に失望する」

「え……?」

「俺もその時の記憶はないが、それはひどいものらしい……」

「…………」

「奥様や養父母が言うには、ただの犬みたいにしっぽを振ってジャレまくるんだそうだ。そんなみっともない姿を見れば、君だってきっと……

 こらっ! クローディアっ! 頭を撫でるなッ!! 耳を揉むなァッ!!」



 別荘ではずっとラウルが番犬の代わりをしていた。

 ラウルの養父母は本物の番犬を飼おうとしたこともあったけれど、ラウルに懐かないのであきらめた。

 庭にどんな花を植えるかは管理人夫婦に一任されており、夫婦はそれをラウルの好きなようにやらせてくれた。

 花のことを語る時は、ラウルは相変わらず熱っぽくなった。


 養父母はラウルに優しかった。

 ラウルはそれを、自分が良く働くからだと思っていた。

 実の息子に家出された寂しさを埋めたかっただけだったのだということに、別れ際になってやっと気づいた。


 ダイアナお嬢様がフランク様と婚約したと知った時、ラウルは心から祝福した。

 奥様になったお嬢様とその旦那様に会える日を心待ちにしていた。

「さすがに俺ももう大人だし、他の使用人の目もあるから、昔みたいに甘えたりはできないけれどな」



 わたしからも何か話そうとしたけれど、わたしの身の上話はいたって変凡なものでしかなかった。

 両親は貧乏なくせに高慢ちきで、わたしにはメイドを雇う立場になってほしかったみたいで、わたしがメイドになったのをすごく嫌がられた。

 その程度。




 コウモリの羽音が聞こえてきて、洞窟の出口が近いのがわかった。

 羽音がどんどん大きくなって、外から光が射してくる。

 夕日の赤が無数のコウモリの羽にさえぎられてチカチカする。

 夜行性の動物達は、これから森へ虫などの食べ物を探しに行くのだ。

 コウモリ達が居なくなるのを待って、わたし達も出口へ進んだ。

 外への穴は、コウモリが羽を広げたままで出られるだけの大きさがあり、わたしもラウルに乗ったまま潜り抜けることができた。



 森の匂いを思い切り吸い込む。

 銀の毛皮が西日に輝く。

 もう少しこうしていたいと思いつつ、わたしはラウルの背中から降りた。

「それをそこに置いて後ろを向いててくれ」

 ラウルが鼻先でわたしが抱いている荷物を示した。

「どうして?」

「だってほら、人間の姿になると……」

 わたしは慌てて後ろを向いた。

 変身の瞬間を見たい気もするけれど、いやらしい女だなんて思われたくないし、がまんがまん。


 ラウルが服を着ている気配がして、オーケーが出て振り返る。

 人間に戻ったラウルの顔は、真っ青だった。

 傷口が塞がっても、流れ出た血が元に戻るわけではないのだ。


 胸が痛んだ。

 こんなにひどい状態なのに、ラウルはわたしを背中に乗せていたのだ。

 わたしは甘えすぎていたと悔やんだ。


 優しくされても嬉しさよりも切なさが勝った。

 恋人でもない女のためにここまでしてくれる。

 その生き方は傷つきすぎる。

 これで相手がもしもダイアナ様だったらラウルはどうなるんだろう。

 好きな人のためだったら、命ぐらい簡単に投げ出すのかもしれない。

 でもそれは、愛情が深いというのではなく、自分を大事にしていないだけのようにも思える。

 そんな考えが頭をよぎる。

 だけどすぐに違うと気づく。

 さっきラウルは、死ぬのは嫌だってはっきり言っていた。


 ラウルは幸せにならなければいけない。

 だってラウルは、あれだけの話をしながらもずっとわたしを気遣っていて、少しも不幸そうに振る舞おうとしなかったのだから。


 別荘へ向かって歩き出す。


「ラウル……フランク様が亡くなったばかりなのに不謹慎だけど、ダイアナ様はもう奥様じゃないわよ」

「だからって庭師が恋していい相手じゃない」

「じゃあ……メイドなら……? 庭師とメイドなら釣り合うわよね……? メイドと……恋をしてみる……?」

「……そうだな。……いいかもしれない」

 ラウルは力なく微笑んだ。

「あのね、わたし、嘘をつくのが下手な人って好きよ」

 ラウルは今度は声を上げて笑った。




 茂みの向こうから狼が一匹、こちらをじっと見ているのに気づいた。

 耳の先の毛が白い。

 名づけるならミミシロってところかしら。

「ボス狼の娘。森のお姫様だ」

「女の子なの?」

「狼の世界では絶世の美女」


 ラウルは森に住む狼達のことを良く知っていた。

 ラウルは狼達の遠吠えを聞いていたし、狼達もラウルのニオイに気づいていた。

 ラウルが森の別荘にやってきた頃、ボスも同じくらいの子供だった。

 だけどラウルの年の取り方は人間と同じで、ラウルがやっと青年になる頃、ボスは中年で子持ちになっていた。


 ボスはラウルに興味を持っていた。

 ラウルは気にしていないフリをしていた。

 ボスは、同族の可能性のある相手を放置できなかった。

 ラウルは、人間の子供の輪にうまく入れないからって、狼の仲間になる気はなかった。


 ボスとラウルが直接顔を合わせたのは、わたしを助けた時が初めてだった。

 狩りの邪魔をされたので、狼達はラウルを快く思っていないはずだ。


「でもミミシロは、ラウルに気があるんじゃないかしら? あの目つきはそんな感じよ」

「やめてくれ。俺は人間だ。ミミシロが綺麗だってのは認識できるけど、彼女とキスしたいとは思わないよ」


 そう言ってミミシロから顔を背ける。

 そのちょっとした仕種に、横顔に、言い知れない野性味を覚えてわたしはラウルの袖を掴んだ。

 このまま歩き出せばラウルが森の緑に解けて消えてしまうような気がしたのだ。

 自分は人間だってどんなに強調しても、隠す隠さないの前に、自分に溢れる獣の気配に自分で気づいていない。


 そのまましばらく見詰め合った。

 ラウルはおずおずと唇を開いた。


「奥様にも養父母にも、狼男のことは秘密にするよう教えられてきた。

 奥様も養父母も、俺が狼男でも構わないって言ってくれたけど……

 養父母が本当は普通の人間の子供の方がいいと思っていることも、奥様も本当は普通の犬の方がいいと思っていることも、俺にはわかってた。

 当然だって思ってた。

 今まで俺に言い寄ってきた女の子達全員、クラスメイトもメイド達も、俺が狼男だって知られたら嫌われるってわかりきってたから、人間の姿だけ見ていくら好きとか言われても応える気になれなかった。

 狼男“が”好きって言ったのは君が最初だ。

 俺には……君がわからない」

「みんなはわかっていないのよ! 狼男って素晴らしいわよ!」

「あのさ……今日話したこと、誰にも言うなよ」

「ラウル! わたし、みんなにあなたの良さをわかってもらいたい……」

「絶対に言うな!!」

「…………。わかったわ」

「……言ったら喰っちまうからな」

 言って、笑う。


 もちろん冗談なのはわかっている。

 これだけ助けてもらったんだもの。

 冗談でないわけがない。

 それでもわたしは笑えなかった。

 彼は人でありたいと願っている。

 狼の影を振り切りたいと思っている。

 それでも彼は狼男なのだ。


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