表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/19

闇の中を歩いて 前編

 警察は犯人はすでに遠くへ逃げてしまったと考えて、村での聞き込みに重点を置き、別荘には夜の間だけ警備の警官が交代でやってくることになった。

 わたしがこの別荘に着いてから二度目の夜が明けて。

 穏やかとは言いがたいけれど静かではある、そんな生活が始まった。


 ダイアナ様は部屋に一人で篭もりきり。

 用事があれば呼ぶといいつつ、呼ばれることは滅多になくて……

 暇そうにしているとイリスやドリスに嫌味を言われ、だからってみんなの手伝いをしていると、いざ奥様に呼ばれた時にすぐに駆けつけられなかったらどうするんだとハンナおばさまに叱られる。

 そんな日が何日も続く。


 レディメイド……

 こんなんでいいのかしら……


 バルコニーから半月を見上げる。

 三日月の夜が懐かしい。

 月はこんなに膨らんだのに、あれっきり狼男さんに逢えない。





 次の朝。

 イリスが、自分こそ本来のレディメイドだって言い出した。


「ハンナおばさまが言ったのは手違いの勘違いだったのよォ! アタシ、ちゃんとセバスチャン様に確認したしィ!」

 それならそれで別にいい。

 そもそもおかしいって思っていたし。

 わたしはイリスに例の宝石箱を渡して、普通のメイドの通常業務に入った。

 口止め料の件については、わたしからは何も言わずにおいた。




 窓を拭いていると、外が騒がしくなった。

 メラニーが誤って番犬の綱を解いてしまったのだ。

 薔薇の手入れをしていたラウルがじょうろを放り出して木の上に逃げて、イリスを除く使用人が総出で番犬を連れ戻した。

「他の使用人にはとっくに懐いているし、一番遅く来たわたしでさえ大丈夫なのに、どうしてラウルにだけ吠えるのかしら?」

「俺に野生のニオイがするからだろ」

「ふーん。どれどれー?」

「おわっ! よせよっ!」

 ちょっとラウルをからかってみたら、じゃれ合いのようなケンカになって、何だか無邪気な人だなと思った。

 ふと二階を見上げると、奥様の部屋のバルコニーから、イリスがものすごい顔でこちらを睨んでいた。




 昼食の時に、イリスがわたしに「ラウルを取るな」って詰め寄ってきた。

 メラニーには「レディメイドの仕事とラウルといちゃいちゃするの両方うらやましい」って言われ、ドリスには「フランク様の喪が明けるどころかお葬式もまだなのに!」と怒られた。


「わたしが好きなのは狼男さんなのに!」

 ギャアギャアやっているところに、庭仕事を終えたラウルが入ってきた。


「馬鹿じゃねーの。狼男なんかが好きだなんてありえねーよ」

 そんなラウルの態度をイリス達は、ラウルがわたしのことを好きでヤキモチを焼いているんだなんて騒ぎ立てた。

 ラウルが好きなのはダイアナ様なのに。



 イリスがラウルに「アタシのことどう思うゥ~?」と馬鹿っぽい質問をした。

「え……その……おしゃれだなぁと」

 ラウルの答えは誰が見てもその場でとりあえず言っておけるようなものでしかないのに、イリスはまるでこの世で一番の褒め言葉をもらったみたいにニタニタした。


「じゃあドリスはァ~?」

「相変わらず真面目だなーと」

 こちらはちゃんと元同級生って感じだけれど、やっぱり当たり障りのない感じでもある。

 ドリスは無関心を装いながらも、自分で自分の真面目さに誇りを持っているからか、口許に笑みを堪え切れなくなってる。


「じゃあじゃあ、クローディアはァ~?」

 何でわたしまで?

 ラウルと一緒に働き出して一週間。

 仕事で話す用事は少なく、それ以外はもっとなく、性格を語られるほど親しくなんてしてないし、外見の話ならどう言われたって別に……

「いいニオイがする」

 わたしはひっくり返りそうになった。


「ちょっとそれどういうことよオ!?」

 イリスはさっきの照れから今度は怒りで顔を真っ赤にして大騒ぎ。

 ずっとおとなしく待っていたメラニーは、自分の番はもう回ってこないなと、あきらめて寂しそうにしていた。



 昼食の後。

 番犬が一匹足りないことにハンナおばさまが気づいた。

 どうやら庭の外に出てしまったらしい。

 ハンナおばさまはメラニーに一人で捜しにいくよう指示したのだけど、メラニーに泣きつかれて結局わたしも行くことになった。

 その間の仕事を押しつける格好になって、ドリスには文句を言われたけれど、早く終わらせるために一緒に捜す気はなさそうだった。



 森に入ってしばらくしたところで犬の声が聞こえたので行ってみると、地面が陥没して大きな穴が開いていた。

 番犬は穴の縁に立って吠えている。

 わたしとメラニーは番犬の隣りにしゃがみ込んで穴の中を覗いた。

 ちょっとした小屋なら丸ごと収まるぐらいの深さと広さ。

 どうやら洞窟の天井が崩壊した跡みたいだ。

 そういえば警察の人が、この辺りは鍾乳洞が多くて危ないって言っていた。


 穴の中央には木が何本か倒れていて、その一本に押しつぶされて、栗毛の馬の死骸がカラスについばまれていた。

「あ! アレクシアだわ!」

 メラニーが悲鳴を上げた。

 それはセバスチャン様がロンドンから連れてきた二頭の馬のうちの一頭、フランク様を殺した強盗に盗まれたはずの馬の名前だった。

 手綱は木にくくりつけられていて、落下の際にそれに引っ張られたせいか、アレクシアの首の骨は変な方向に曲がっていた。

 馬を置いていった人間がこの場所を離れた後で、馬が暴れたためか、あるいは単に重さでか、地面が崩落してしまったのだ。


 それにしても、どうしてここにこの馬が?

 泥棒が乗って逃げたのならば、どこかで売るはずよね。

 人目に着くのを恐れて置いていったの?

 だったら駅か、少なくとも村の近くで乗り捨てるんじゃないのかしら。




 犬は吠えるのをやめない。  

 不意にわたしは犬が見つめている先が穴の底ではないのに気づいた。

 犬の視線を目でたどる。

 穴の向こう、木の陰に誰かが隠れていた。

 誰か。

 背丈は人間のものだった。


 心臓がドクンとした。

 もしかして狼男さんなの?

 わたしに会いに来てくれたの?


 メラニーはまだ気づいていない。

 わたしがメラニーに犬を連れて先に帰るよう促すと、メラニーの表情がパッと輝いた。

 さっきからずっと馬の死骸の傍にいるのを怖がっていたのだ。

「じゃあ、セバスチャン様を呼んでくるね!」

「そうね、お願い」

 メラニーの後ろ姿はすぐに木々の向こうに見えなくなった。




 そうして一人になったわたしは、穴の向こうに呼びかけた。

「狼男さん? そこに居るんでしょう?」

 木の葉がガサガサと揺れた。

 確かに誰かが居た。

 だけどその人影は、ここから立ち去ろうとしていた。

「待って! お願い!」




 その時、わたしの背後でも木の葉がガサガサと鳴った。

 こっちにも誰かが居る?

“何か”が居る!!

 もしかして普通の狼が!?

 慌てたわたしは足を滑らせ、穴に落っこちそうになった。

「危ない!」

 誰かに腕を掴まれた。

 誰かが助けてくれた。

 あなたは、だぁれ?

 狼男さん?

 違った。

 ラウルだった。

 わたしは引き上げられた勢いでラウルの胸に倒れこんだ。

 そして倒れた衝撃で地面が崩れて、結局二人とも穴に落ちた。


 土砂とともに滑り落ちる。

 それは一瞬の出来事だった。

 それでもラウルの腕がわたしを守ってくれたのは感じ取れた。


 穴の底に着いた時、わたしはほんのちょっとの怪我で済んでいたけれど、わたしの下敷きになったラウルは服も体も血まみれのボロボロになってしまっていた。

 一緒に落ちた土の中には、無数の石も混じっていたのだ。


 遠くからメラニーとセバスチャン様がわたしを呼ぶ声が聞こえた。

 返事をしようとしたら、ラウルに止められた。

「先に帰ってくれ。俺がここに居ることは絶対に言うな」

「どうし……て……」

 問う言葉を言い終わる前に答えはわかった。

 ラウルの傷口が、見る見るうちに塞がっていく。

 わたしはこの力を知っている。

 寝ても覚めても忘れられない、三日月の下の想い人。

「あなたが狼男さんだったの!?」

 ラウルは痛みに顔をゆがめながらも静かにうなずいた。

「他の奴らに知られたくないんだ」


 空へと口を開ける縦穴は、もともと地下にあった一本の横穴に突き刺さったもので、その横穴の入り口では鍾乳石がヌラヌラと光っている。

 セバスチャン様の足音がこちらに近づいてくる。

 わたしはラウルに肩を貸し、二人で横穴の中に隠れた。


 立てば天井に頭がつくぐらいの穴の中で、わたしはラウルに、傷口に当たらないよう注意しながらピッタリ寄り添った。

「さっさと帰れよ」

「嫌よ」

 毛皮じゃないのが少し惜しいけど、木綿のシャツの肌触りも悪くはなかった。

「ねえ、狼男の姿になってよ」

「嫌だよ」

「お願いよ。だって……わたし……」

 体を寄せたまま顔を伏せる。

「ラウルってばズルいわよ。わたし、狼男さんが好きだって、あなたの前で何度も言っちゃってるじゃない。あんなケンカ腰じゃなくて、もっとロマンチックに告白したかったのに……」

「あー、それだけどな、ずっと言わなくちゃって思ってたんだが……

 三日月の晩の件で狼男に惚れたってことだけど、あれって奥様の命令でやったってだけだからな」

「え……?」

「夕食の時間になってもお前が別荘に着かないからさ、奥様が心配して、俺ならニオイで捜せるから連れてきて欲しいって泣きつかれて、片っ方だけのイヤリングを渡されて俺が見つけたことにしろって頼まれたんだ」


 その言葉の意味をじっくりと考える時間はなかった。

 直後に近くで銃声が響いたのだ。


「猟銃の音だ。たぶんセバスチャン様だな。あの人は狩りをなさるから」

 そしてラウルが少し声を低くする。

「狼を見つけたのかな……」

「ラウル、わたし、穴に落ちる前に人影を見たの。

 わたし達が落ちた時に大きな音がしたはずなのに、その人は様子を見にきたりしなかったわ。

 普通なら気になるはずなのに。

 だからもしかしたらあの人影がアレクシアを木に繋いだ犯人で……

 フランク様を殺した強盗なのかもしれないわ。

 セバスチャン様はその人を撃ったのかも」


 だけどそれを今すぐ確かめることはできなかった。

 銃声は長く尾を引き、周囲の空気を震わせて、その振動で再び土砂崩れが起きたのだ。

 瞬間、わたしは体が固まって、怖くて動けなくなった。

「!」

 ラウルに抱えられて転がるように洞窟の奥へと逃げる。

 振り返ると出口があった場所は、かすかな光が射し込むだけのほんのわずかな隙間を残し、土砂に埋もれてしまっていた。




「あ……あ……」

 まずい。呼吸が荒くなる。

「大丈夫だよ。セバスチャン様が馬の死骸を見つけて降りてきたら、そこの穴から呼びかければいい」

「でも……でも……」

「落ち着けって。暗いのが怖いのか?」

「狭いのが怖いの……子供の頃に、パパにクローゼットに閉じ込められて……」

「なんだ。どんな悪さしたんだ?」

「アパートの二階の部屋で走り回ったっていうだけよ。運動不足だったの。

 それなのに……家の中でも狭いのに、もっと狭い場所に何時間も……

 パパもママもお互い相手が出すだろうみたいに思ったまんま仕事に行ってしまって……

 幼心にクローゼットが棺桶に思えたわ」

「あー、そりゃひでーな」

「そんなことが何度もあったわ」

「懲りずに何度も走り回ったのか。外でやれよ」

「わたしの地元は雨が多いのよ! パパもママも雨のせいでイライラしていてわたしに八つ当たりしたの!」


 大声を出したのがいけなかったのか、土砂が更に崩れてきて、わたし達は洞窟のもっと奥へと避難した。

「ご、ごめんなさい、ラウル……わたし……どうしよう……」

 出口は完全に塞がれて、もう光の射し込む隙間もない。

 何も見えない真っ暗闇。

 ここで叫んでも声が外に届くとは思えない。

 わたしはへたり込んだまま手を動かしてラウルの腕を掴んだ。

「奥から風が来ているな。行ってみるか」

「えっ? でも……」

「このままここに居てもここも崩れそうだし、馬の死骸が土砂で埋もれていたらセバスチャン様に見つけてもらうのも難しいしな」

 ラウルが立ち上がり、わたしの手がラウルの腕から外れた。

 見捨てられたのかと思って慌ててわたしも立ち上がると、頭が天井にぶつかって、足が滑ってしりもちをついた。

 触れた地面は、表面はツルツルしていて、形はデコボコだった。


「動くと危ないぞ」

 ラウルがガサガサと妙な気配をさせて……

「持っててくれ」

 何かを渡された。

 手探りで確かめる。

 最初はシャツだった。

 次に渡されたのはズボン。

 ズボンの中には、一緒に下ろした下着が入っていた。

「破れると困るから」

 そして周囲に濃厚な獣のニオイが漂い始めた。


「ラウル? 変身したの?」

 手を伸ばすと、モフモフしたものにぶつかった。

 探っていくと、人間の骨格ではなかった。

「おい。くすぐったいよ」

「だってこれって……え? 四本足?」

「ああ。完全な狼の姿だ。こっちの方が足元が安定するし、感覚も鋭くなるんだ」

「………」

 離れるのが怖くてついベタベタと触ってしまい、嫌がられているかもしれないって途中で気づいてハッと手を止める。

「乗れ」

「え?」

「はぐれるだろ。手を引いて歩くよりこっちの方が手っ取り早い」

「でもラウル、怪我をしているのに」

「もう直った」



 ラウルの背中に乗馬のようにまたがり、それでは危ないって言われて、首にしっかり腕を回して背中にベッタリと張りつく。

 その体は、毛皮越しでもゴツゴツしていて、一歩歩くたびうごめいて、ぬいぐるみとは違うんだなと感じさせられた。

 三日月の夜にわたしを助けてくれたのが奥様の命令に過ぎなかったとしても、このたくましさは紛れもなくラウル自身のもの。

 首周りのふかふかした毛に顔をうずめ、姿勢をできるだけ低くして、わたしはラウルに身を任せた。


 ラウルの爪が、肉球が、鍾乳洞の床を一歩ずつ慎重に踏みしめ、更に奥へ移動する。

 後ろでまたしても崩落の音が響いた。

 暗闇の中を進んでも助かるかどうかはわからないけど、立ち止まったら死ぬのはわかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ