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混乱と疑惑の一日 後編

 ラウルの姿はすぐに見つかった。

 昨夜はちょっと怖い人なのかなと思ったけれど、陽の光の下で薔薇の根元にうずくまって丁寧に肥料を撒いている姿は、ただの純朴な青年に見えた。

 今が、殺人事件が起きてから半日しか経っていないという状況でなければ。


「犯人がまだ近くに居るかもしれないのに、建物の中ならまだしも庭に一人で居るなんて怖くないの?」

「別に」

「薔薇が好きなの?」

「仕事だ」

 無愛想に答えつつ、口もとは少し緩んで見えた。


 わたしは庭いっぱいに連なる生垣を見渡した。

 蕾はたくさんあるけれど、開いている花はまだなさそうだった。

「変な色ね。病気なの?」

「もともとこういう色なんだよ」

「じゃあ、白薔薇がくすんじゃってるわけじゃないの?」

「葉っぱは元気だろ?」

「そうみたいね。珍しいわね、赤や黄色は良く見るけれど、灰色の薔薇なんて」

「セレーネ・ローズ。月の女神の薔薇。貴重な品種だ」


 灰色自体は嫌いじゃない。

 というか昨夜から急に好きになった色だ。

 狼男さんの毛皮の色だから。

 でも。


「お屋敷の庭園を飾るのには地味な気が……あっ、ごめんなさいっ」

「昼間見ても、な。陽の光は強すぎるから。けどな、花びらに独特の光沢があって、月の柔らかな光を反射するとブルーに輝いて見えるんだ」

「まあ! 青い薔薇!」


 そのすごさはわたしでもわかった。

 それは、わたし達が生きている時代では存在しない薔薇の色。

 遠い未来に新しい技術でも誕生しない限り不可能だって言われてる色なのだ。


「うまく育てられればだけどな」

「難しいの?」

「とても」

「ふーん」

「ちょっとでも世話をサボるとすぐに枯れてしまうんだ」

「そうなんだ」

「肥料が多くても少なくても光沢が落ちるから毎日の細かい調整が必要だし、温度が高くても低くても弱ってしまうから一日がかりで日除けを作ったその日の夜に薔薇を暖めるために徹夜で焚き火をしたこともあったし、そこまでやっても雨の降りすぎみたいなどうしようもない理由で駄目になったりでうまく育たないことの方が多いんだけどな。

 今年はこれまでで最高の出来なんだ。

 だから、こんな時に花の世話なんて不謹慎って思われているんだろうけど、ここで手を抜くわけにはいかないんだよ」

 熱っぽく一気にまくし立てる。

 今までラウルには、無口な人なのかなって印象を持っていたから、ちょっと驚いた。


「大変なのね」

「セレーネ・ローズは奥様が子供の頃に品種改良で生まれてね、奥様のご実家の庭師が仕入れたけれど、咲く前に枯れてしまったんだ」

「まあ」

「奥様はとてもガッカリなされていたよ。この薔薇に子供時代の奥様は病弱な自分を重ねていらしたんだ。子供の頃って言ったって、俺から見れば大人だったけどな」

「ふーん?」

「病弱なのにおてんばで、無茶ばかりするお方だったよ」

「やけに詳しいのね? この別荘ってダイアナ様のご実家からは遠いのに」

「まあ……ね」

 ラウルの表情が少しかげって、触れられたくない空気を感じた。


「それで奥様に頼まれてセレーネ・ローズを育てているの?」

 ダイアナ様は、結婚してからの五年間、おそらくはその以前から、この別荘を訪れてはいないはずなのに。

「いや、俺が勝手にやってるんだ。好きな花を植えていいって言われて、これしかないなって思って」

「ふーん……」

「奥様がいつお出でになってもいいように。ずっと待っていたんだ。俺も薔薇達も」


「ねえ、ラウル……」

「おっと、そろそろ昼飯だな」

「え?」

「この匂いは川魚のフライだな。それとキャベツとジャガイモのバター炒めだ」

 それは当たっていた。

 だけどわたしには、食堂に入るまではそれが正解かどうかなんてわからなかった。






 昼食をダイアナ様のお部屋へ届け、ろくな会話もないまま追い出される。

 ラウルは食事を終えるとすぐまた庭へ出て行った。


 ラウルの足音が遠ざかるのを待って、イリスが椅子ごとわたしに擦り寄ってきた。

「ねえクローディアぁ、何で食堂に入ってくる時、ラウルと一緒だったのよォ」

 体を摺り寄せ、でもそれは親しみではなく、獲物を逃がさないための接近。


「ラウルってイケメンよねーェ」

「そうかしら?」

 言われてみれば悪くはないけど、狼男さんの方がカッコいい。

「あたしもう、一目惚れって感じィ? 着てる服とか野暮ったいけど、もっとオシャレさせてパリっぽくしてさぁ、ボサボサの髪もパリの理容師に切らせたら超絶モテモテになっちゃうかもォー」

「イリスってパリに行ったことがあるの?」

「ないわよ。悪い?」

「いえ、別に」


 こういう女の子は多い。

 この時代のこの国では女性の髪は基本的に長く、わたしやメラニーは仕事中は邪魔にならないように適当に束ねて、ハンナおばさまはアップに結って、ドリスはカッチリと三つ編みにしているけれど、イリスは外国の流行りだとかで首の辺りで一直線に切っている。


「けーさつの人が帰るまで仕事はお休みだしィー、今のうちにラウルのことデートに誘っちゃおっかなァー」

「やめてください!」

 怒鳴ったのは、ドリスだった。


「ラウルさんはイリスさんが考えてらっしゃるようなチャラチャラした方ではありませんわ!」

「あー。そーいやドリスって、ラウルと同じ学校に通ってたんだっけェ」


「前にも話した通り、あたくし、ここの近くの村の出身ですから。ラウルさんが転校してきた一年後にあたくしの方が引っ越してしまいましたけれど、ラウルさんのことは良く覚えていますわ。

 物静かで、他の男の子のようにギャアギャア騒いだりしなくって。

 あのお顔ですから憧れを抱く女の子は多かったけれど、家が遠いので放課後にみんなと遊ぶようなことはできなくて、昼でも暗い森の中へ一人で帰っていく後ろ姿が寂しげで……。

 あたくし、何度も声をかけようとしたのだけれど、とうとう最後までできませんでしたの」


「あァー! もしかしてドリスが汽車の中で言ってた、初恋の人に逢えるかもってェ、ラウルのことだったのォ!?」

「そっ、それはっ!!」

「うっげェー。ドリスがライバルぅ? マジ、うざいんだけどォー」

「失礼な! あたくしの想いはイリスさんみたいな軽いものではございませんわ!」

「ちょっとォー! 何よその言い方ァー!!」

「あたくしの愛はイリスさんのと違って本物です! 神様にかけて誓いますわ!」

「またソレぇ!? 神様とかそーゆーの、今時、流行んないよォ!!」

「流行り廃りの問題ではありませんわ!」


 そんな話をしているうちに、わたしを挟んでイリスと逆隣りの席で、メラニーがもじもじし始めた。

「ちょっとメラニィー! まさかあんたもラウルが好きとか言い出すつもりィー!?」

「う……ご、ごめんなさい……」


「あらあらマアマア。じゃあワタシも!なんて言ってみようかね。もちろんワタシみたいなオバチャンが相手にされるなんて本気で思ってるわけじゃないけどね」

 ハンナおばさまがイタズラっぽく笑う。


「何よ、もォ! そろいもそろってェ! クローディアぁ、もしかしてアンタもォ?」

 イリスに釣られたみんなの視線が、一人だけ話に乗っていないわたしに集まった。


「ラウルって、ダイアナ様のことが好きなんじゃないんですか?」

 黙っているのが居心地悪くて、口を滑らせた直後にシマッタと思った。

 イリスもドリスもメラニーも「嘘でしょ!?」とか「本当なの!?」とか大騒ぎ。

 それはそうよね。

 わたしだって狼男さんに他に好きな人が居るなんて聞かされたらそうなるわ。


「……何となくそう思っただけよ……ハッキリとそう言ったってわけじゃないし、わたしの思い過ごしかも」

 とりあえずそう言っておくけど……

 人知れぬ月夜に稀なる色を見せるという、人目を避けるようなくすんだ色の蕾達は、庭師の許されぬ恋心そのものにわたしには思えた。


「クローディアの言う通りかもしれないねえ」

 ハンナおばさまがため息をついた。

「ワタシはダイアナ様のご実家に長いことお仕えしてきたんだけれどね。

 ダイアナ様が子供の頃にね、どこでだか拾ってきた仔犬を部屋でこっそり飼っていたのがご両親に見つかって……

 これがまた汚い犬で、すぐに捨てられてしまってね。

 それでダイアナ様ってば、お屋敷の外に出たことすらろくにないのに仔犬を捜して一人で街をさ迷い歩いて、不良に囲まれていたところを身寄りもなく路上生活ストリート・チルドレンをしていたラウルに助けられたんだよ。

 その縁でラウルはお屋敷で雑用係として働くことになったんだ。

 もしかしたらその時からラウルはダイアナ様に惚れてたのかもしれないねぇ。

 で、だね、すごい偶然なんだけど、居なくなった仔犬の名前もラウルだったんだよ。

 まあ、そんなに珍しい名前でもないけれどね。

 でもそのせいで他の使用人から“犬の代わりに拾われた子供だ”なんて陰口を言われてねぇ。

 ダイアナ様も、よっぽど怖い思いをなさったのか、仔犬の方のラウルを捜そうとはなさらなくなったしね。

 ああ、ワタシはそんな陰口なんかには加わらなかったよ。加わるわけないさ。

 とにかくそれで、ラウルは遠くの別荘の仕事に移されたんだよ。

 管理人夫婦の養子になってたってのは初めて聞いたけれどね。

 あれから八年ぐらい経つのにまだダイアナ様のことを思い続けていたのかねぇ」


 ちょっと待ってオバサマ。

 そんなこと本人に許可なくベラベラしゃべらないでよ。

 でも……そっか……

 養父母の話をラウルが『別に』って言っていたのは、強がりでも無愛想でもなく本当に“別に”ってぐらいのさわりの部分に過ぎなかったんだ。






 夕方になって警察が到着し、奥様はお部屋で、使用人は玄関ホールに集められて事情聴取が行われたのだけれど、それはひどく混沌としたものになってしまった。


 まずイリスが刑事に駆け寄って探偵気取りで奥様が怪しいと意気揚々と語り出し、それを聞いたラウルが激怒。

 ドリスはドリスで狼男が犯人だなんて力説するものだから、わたしもついカッとなって。


 そうこうするうち、いつの間にやら、わたしとラウルで。

「わたしは狼男さんに助けられたのよ!」

「狼男なんかいるわけない!」

 みたいなやり取りになって。


「奥様を悪く言うな!」

「あなたこそ狼男さんを悪く言わないで!」

 とか言い合って。


「狼男はお前なんか相手にしないさ!」

「庭師が奥様と釣り合うとでも!?」

 何故かわたしとラウルがケンカしていた。


 メラニーは雰囲気に呑まれてオドオドしてオロオロして、知らない、わからないと繰り返すばかり。

 さすがにセバスチャン様とハンナおばさまはきちんと応対していたけれど、警察の役に立つような話は特になかった。


 ただ、イリスが言った、ダイアナ様を疑う根拠が引っかかった。

「奥様は不倫をしてらしたのよォ! ロンドンのお屋敷のメイドが言ってたもぉん! フランク様が不倫に気づいてすっごく嫉妬してるってェ!」

 これがダイアナ様が口止め料を渡しておっしゃった“あのこと”なのかしら?

「前のレディメイドがクビになったのは奥様と愛人の密会を手引きしてたのが旦那様にバレたからでェー、旦那様が奥様に別荘での静養を勧めたのは、奥様を愛人の居るロンドンから引き離したかったからでェー……」

 でもイリスはそのお屋敷で働いたことはなく、あくまで人づてに聞いたウワサ話。

 お屋敷に実際に勤めていたハンナおばさまは、そのウワサを否定した。


「それって奥様の主治医のピーターソン先生の話だろ? あんなのはただのデマだよ。

 こんな話、するのも馬鹿馬鹿しいんだけどね。

 そりゃあダイアナ様とフランク様は親子ほどの年の差だから、うまくいかないことも時にはおありでしたけれどね。

 ダイアナ様とピーターソン先生とでは、祖父と孫ってぐらい離れているんですよ。

 それなのに、どうしてそんなウワサが出るのやらって、ロンドンのお屋敷の使用人はみんな不思議がってたんです」


「でもでもあたし聞いたよォ! フランク様が嫉妬する様子を、使用人みんなで陰でこっそり笑ってるってェ!」

「お黙りイリス!!」

 ハンナおばさまが急に怒鳴った。

 どうやらイリスは“使用人みんな”という言葉の中にハンナおばさまも含まれているのに気づいていないみたいだ。


「どんなのどうでもいい話ですわ! フランク様を殺した犯人は狼男に決まっているのですから!」

 またドリスが騒ぎ出した。

 どうやらドリスが生まれ育った村では、狼男は真剣に恐れられているらしい。

「だから狼男なんてホントに居るわけないってばァ」

 ドリスもしつこいけどイリスもしつこい。

「目撃者が大勢居ますのよ!」

「そんなの見間違いに決まってるわよォ」


 警官の中にドリスの同級生が居て、この人はドリスの話に同意した。

 別の警官は、隣村やもう一つ向こうの町では狼男なんて完全にジョーク扱いされていると言った。


「ワタシの生まれ故郷にも狼男の言い伝えはあるんだけれどね」

 ハンナおばさまがため息をつく。

「むかしむかしの飢饉の折に、人間の肉を食べてしまった人が呪いで狼男になって、飢饉が去ってからも人間を襲い続けてるって話でねェ。

 呪いはさておき飢饉があったのは本当だからね。

 ワタシの先祖にもそれで亡くなった人が何人も居るらしいし。

 だからあんまり冗談っぽく扱われてもね……。

 駅前の土産物屋で狼男の人形やお面が売られているのを見た時には、どうにも嫌な気分になったもんだよ。

 それで生活している人が居るんなら仕方がないんだろうけれどねェ」


 馬鹿にされたり忌み嫌われたり。

 どこへ行っても悪いイメージなのは変わりない。

 ハンナおばさまの故郷はここから遠いので、そちらの話は抜きにして。

 ドリスや警官達の話を纏めると、おおむねこうなった。



○狼男は銀の武器でしか殺せない。

○狼男に怪我をさせるだけならば普通の武器でも可能だけど、例え心臓を貫いても致命傷にはならず、その傷はすぐに回復する。

○狼男に噛まれて死んだ者は、次の満月の夜に蘇って狼男になる。

○狼男は満月と新月以外の日には、人の姿、狼の姿、その二つの中間の姿に自由に変身できる。

○狼男は新月の夜には狼の姿になることができない。

○狼男は満月の夜には意にそぐわずとも完全な狼の姿になり、人の心も言葉も失う。



 これらが本当なら、狼男さんと満月の下で抱き合う夢は叶いそうにない。

 そして新月の夜には狼ではない顔を見られる。

 狼の姿も素敵だけれど、月のない夜にも逢ってみたい。




 事情聴取をしている間、他の警官はフランク様の遺体を調べたり、お屋敷中の指紋を取って回ったりしていたけれど、犯人の手がかりは得られなかったみたいだった。

 凶器は持ち去られていて、遺体の傷口からわかったのは、その辺で売られているような普通のナイフではないということだけ。

 それと……馬小屋に二頭居るはずの馬が、一頭居なくなっていて、どうやら犯人が逃げる際に盗んだらしい。


 フランク様の遺体を警官達が運び出す。

 警察署で時間をかけてしっかりと調べるので、お葬式はずっと後になるって言われた。

 去り際に警官達が、くすくす笑いながら話しているのが聞こえた。

「満月の夜に生き返るなら、それまで待ってればこのオッサンが犯人が誰か直接教えてくれるんじゃねーの?」

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