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混乱と疑惑の一日 前編

 時計は十二時を回ってずいぶん経つ。

 屋敷内を隅々まで捜したけれど犯人は見つからず、夜明けを待ってセバスチャン様が馬で警察を呼びに行くことになった。

 わたしはしっかりと鍵をかけた寝室でベッドにもぐったまま、相部屋のメラニーのささやきを聞いていた。


「クローディア……わたし、すごく怖い……」

「うん……」

 フランク様が殺されて、屋敷の中の誰もが驚いているし脅えている。

 遺体の第一発見者はダイアナ様。

 だけどダイアナ様が悲鳴を聞いてドアを開けたのは、犯人が逃げた後だった。

「わたしは昨日……もう一昨日か……一昨日このお屋敷に来たばっかりなのに」

「うん……」

 奥様に付き添ってきたわたしと、もともと別荘に住んでいたラウルを除く使用人は、奥様を迎える準備をするために先にこの別荘にやってきたのだ。


「フランク様、どうして別荘にいらしたのかしら……お仕事でしばらくはロンドンを離れられないって言ってたのに……」

「うん……」

 メラニーの声のトーンは、気の毒がってはいるけれど、さほど悲しんではいない感じだった。

 セバスチャン様とハンナおばさまはフランク様に仕えて長いらしいけど、わたしを含むメイド四人は紹介所から来たばかりで、フランク様とはロンドンのお屋敷でご挨拶をした程度だから、わたしだってそんなものだ。


「ダイアナ様の静養が中止になっても、わたし達、クビになんてならないよね? ロンドンのお屋敷に置いてもらえるよね?」

「……っ!」

「こんな別荘、さっさと離れたいな……」

「…………」


 それは、嫌だ。

 ここを離れたら、狼男さんに逢えなくなる。

 わたしがメラニーに生返事しか返さなかったのは、わたしの頭の中が狼男さんのことでいっぱいだから。

 フランク様には申し訳ないけれど、わたしにはこっちの方が気がかりだった。


 メラニーは怖がっている。

 けれどわたしは、ピンチになったら狼男さんが助けに来てくれるような気がしている。

 奥様が森の中でイヤリングを落としたのも、それをわたしが一人で捜すことになったのも、狼男さんと出逢うための運命だったって感じている。


「ねえ、クローディア……怖いよね……」

「…………」

「フランク様が……」

「…………」

「狼男に殺されちゃうなんて……」

「狼男さんは犯人じゃないわよ!!」

「ひゃ!」

 急に出した大声に、メラニーがびっくりした顔でわたしを見た。


「足跡があったってだけで犯人だなんて決めつけちゃ駄目よ。あんなのいつのものかわからないじゃない。二日前につけられたのかもしれないし、三日前のものかもしれないわ」

「待ってよクローディア、どうして狼男なんかをかばうの?」

 と、今度は不思議そうにわたしを見つめる。


「メラニー。フランク様が殺されたのが何時かわかる?」

「ええっと……」

「正確に。何時何分か」

「そんなのわかんないよォ。時計なんか見てる場合じゃなかったもん」

「フランク様が殺された時の状況を教えて」

「そんなっ」

 メラニーは、思い出したくないというように体を震わせた。


「早く!」

「ううんと、フランク様の悲鳴が聞こえて、でもその時はフランク様だってわからなくて……だってフランク様がいらしてるなんて知らなかったから、てっきりセバスチャン様かと……」

「わたしはその悲鳴は聞いていないわ。悲鳴は、大声だった? 建物の外まで聞こえるぐらいに?」

「うん……」

「その悲鳴が聞こえたのは、わたしが別荘に入るどれくらい前?」

「ええっ…?」

「十分前?」

「……もうちょっと……」

「二十分前?」

「う……ん……」

「三十分前?」

「うーん……それぐらい……かな……?」

「少なくとも十分は経っているのね?」

「……うん……」


 わたしはほっと胸を撫で下ろした。

 これなら狼男さんの無実をメラニーにも納得させられる。

「狼男さんにはアリバイがあるわ。その時間はわたしと一緒だったもの」

「へ?」

「わたし、狼男さんに助けてもらったの」


 そしてわたしは狼男さんとの出逢いについて熱く語った。

 けれど今度はメラニーの方が「はぁ」とか「ほぇー」とか、あいまいな相槌を繰り返した。


「メラニー、わたしの話、信じていないでしょ?」

「そ、そりゃあ、まあ……」

「どの辺を信じていないの? 狼男さんに逢ったのを信じてないの? 狼男さんが悪者じゃないのを信じてないの?」

「お、おやすみクローディア! 明日はきっと忙しくなるよ!」

 そしてメラニーは毛布を頭の上まで引き上げた。


 わたしは闇の中で天井を睨んだ。

 ドリスの言葉が頭をめぐる。

 わたしの狼男さんに変な疑いがかからないといいな……






 浅い眠りで夢を見た。

 狼男さんとの甘い夢。

 満月の柔らかな明かりの下で抱きしめ合う夢。

 その夢は、ハンナおばさまにたたき起こされて終わった。


「メイドがいつまでも寝ていてどうするんだいっ? さっさと着替えてダイアナ様のお部屋へ行かないかいっ!」

「それはレディメイドの仕事なんじゃ……?」

 わたしは寝ぼけ眼を擦った。

「何、言ってんだい。アンタがレディメイドだろう?」

「わたしがですか?」

「ダイアナ様に付き添ってきたじゃないか。ロンドンから」

「ただの荷物持ちのつもりだったんですけど」

「だからそれがレディメイドだろ?」


 そんなはずない。

 だって、奥様のお傍に常に付き従って細やかなお世話をするレディメイドの仕事は、メイドの花形。

 イリスとドリスが奪い合っていたから、二人のうちのどちらかになるものだと思っていた。


「セバスチャン様から聞いていないのかい?」

「何も……そもそもレディメイドを任命するのはメイド長の役目なのでは?」

「今回は特別にセバスチャン様が決めろというのがフランク様のご指示なんだよ」

「ですがハンナさん……」

「ハンナおばさまとお呼びって言ったろ?」


 本当は知り合ったばかりで軽々しくおばさまなんて呼ぶほど親しくもなければ親戚でもないのだけど、この呼び方のほうが料理がおいしそうに聞こえるっていう独自の理論と、コックと兼任しているメイド長の権威付けのためなのらしい。

 あるいは若いメイドに囲まれてオバサン呼ばわりされても傷つかないように、オバサンと言う単語は悪口として通用しないと、あらかじめ自分で言っておいているのかもしれない。


「ハンナおばさま、そもそもダイアナ様のロンドンのお屋敷でのレディメイドはどうなさったのですか? どうして別荘に来ていないのでしょう?」

「フランク様にお暇を出されてしまったんだよ。フランク様に疑われてしまってね」

「疑う?」

「そんなのワタシの口から言える話じゃないよ。ほら、さっさとお行き。ああ、ダイアナ様がまだ寝ていらしたら起こすんじゃないよ。何度も言うようだけどダイアナ様はお体がお弱いんだからね」

「セバスチャン様は?」

「とっくに町へ向かわれたよ」


 わたしはチラリとメラニーの方を見た。

 ロンドンでの打ち合わせでレディメイドの地位を巡ってイリスとドリスが火花を散らしている横で、メラニーも、おとなしい子なので口には出さなかったけれどもやりたそうにしていた。

 でも今は、寝ているフリをしていた。

「言っとくけど、他の子を起こしてみんなで行こうなんて考えるんじゃないよ! 大勢で押しかけたんじゃあ失礼に当たるし、そもそもダイアナ様は一人になりたいと言ってお部屋に閉じこもっておられるのだからね!」

「わ、わかってますっ」

 そしてハンナおばさまは台所へ戻っていった。




 ベッドを這い出して考える。

 狼男さんはどんな部屋で眠るのかしら。

 人間の言葉を話すし、手も足も人間のように動いていたから、地面に穴を掘って巣にしてるってことはないと思う。

 狼男さんのベッド。

 想像してたら顔が火照ってきてしまった。


 メイド服に着替えて部屋を出て、階段を上りながら考える。

 狼男さんはどんな食事をするのだろう。

 牛や羊は食べるだろうな。

 野菜やパンはどうかしら。

 もしも人間を食べるなら、わたしはとっくに狼男さんの胃袋に納まっているはずだから、そんな心配は必要ないわよね。




 階段を上りきって二階に着く。

 フランク様の遺体にかけられたシーツの周りを、ハエが嫌な音を立てて飛び交っている。

 昨夜、フランク様の首を見て、イリスはナイフの刺し傷だと言い、ドリスは獣の噛み跡だと言った。

 わたしはすぐに目をそらしてちゃんと見なかった。


 答えはどっち?

 ナイフに決まってる。

 どうして狼男さんが疑われなければならないの?


 ……好き好んで見るようなものではない。

 わたしだって怖い。

 だけどわたしはシーツをめくった。


 昨夜イリスが嘔吐したことに改めて納得させられた。

 フランク様の首の前後につけられた、ほぼ左右対称な半円状の傷は……

 歯形……

 確かにそんな印象だった。

 傷口はグチャグチャで、牙によるものなのかナイフを使ったのか素人が見ただけでは断定できない。


 狼男さんの口のサイズを考える。

 遺体の傷口は、彼の歯形にしては大きすぎるような気がする。

 背丈があれで肩幅があれくらいだから頭の大きさがこうで、だったら口は……

 恥ずかしがらずにもっとしっかり見ておけば良かった。


 ……大丈夫。狼男さんにはアリバイがある。

 わたしが証言すれば、大丈夫。




 奥様は目は覚ましておられた。

 そもそも眠れていなかったのかもしれない。

 もうしばらく横になっていたい、食事は朝昼夕全てお部屋で取ると奥様はおっしゃられた。

 レディメイドならば奥様のお傍に控えているのが常だけど、奥様は一人になりたい、用事がある時だけ呼ぶと言ってわたしを部屋から追い出した。

 奥様は他にも何か言いたそうにしていたけれど、慎重に言葉を選んで結局は言わなくて、わたしは新人だから信頼されていないのだなと感じた。


 一番近い村までは遠く、警察署がある町までは更に遠い。

 セバスチャン様がお戻りになるのはたぶん夕方になる。

 つまりわたしはそれまで何度もフランク様の遺体の横を往復することになる。


 奥様の部屋を出て、少ししたら朝食を持って奥様の部屋へ行き、お盆を置いたらすぐにまた部屋を出る。

 こんな時に一人きりで奥様は心細くないのかしら。

 旦那様を殺した犯人は、屋敷の中は調べたけれど、まだ近くに居るかもしれないのに。


 わたしは、怖い。

 狼男さんに傍に居てほしい。

 夢で見たのは満月だった。

 昨夜はほんの三日月だったから、満月までは十日以上ある。

 そんなに待てない。




 使用人の控え室で朝食を取る。

 ラウルはさっさと食べ終えて薔薇の世話をするために庭へ出ていった。

 わたし達メイドは、犯人の指紋や足跡が残っているかもしれないのに掃除をするわけにもいかなくて、使った食器を洗った後はひたすらおしゃべりをして過ごした。


 話題は当然のように昨夜の殺人事件。

 イリスは奥様が怪しいと言い、ドリスは狼男の仕業だと言い張る。

 ドリスの頭の中では狼男という種族は悪魔の一種みたいになってるらしい。

 ハンナおばさまは、ドリスと一緒にイリスの態度を咎め、イリスと一緒に狼男の存在を笑い飛ばした。

 メラニーはどっちつかずの態度。

 わたしはその全員にイライラしていた。


 狼男さんは本当に居るし、ドリスが言うような悪者じゃあない。

 だけどわたしが狼男さんに助けられたなんてことをここで言っても、きっとこの人達は信じない。

 ドリスは狼男の悪口をやめない。

 アリバイの証言は警察の人が来てから、必要になるようだったら言えばいい。


「……奥様の食器を下げてきます」

 そしてわたしは席を立った。




 二階の廊下でフランク様の遺体を見下ろして想う。

 フランク様が夜中に別荘にやってきた理由は……

 奥様を驚かせたかったから?

 驚かせて、喜ばせたかった?

 駅からここへの移動には、奥様にも使用人にもバレないように辻馬車を使ったのかしら?

 仲の良い夫婦の姿をわたしは思い浮かべた。


 扉を開けると奥様は、ネグリジェ姿ではあるけれど裾をきちんと整えてベッドに腰をかけ、何やら思い詰めたような表情でわたしを待っていた。

「クローディアさん」

「はい」

 扉を閉めるのを待ちかねたように奥様が口を開き、だけど言葉が続かず、沈黙が落ちる。


 重苦しい。

 やっぱりフランク様が亡くなられたショックで……


「クローディアさん……」

「はい……」

「夫がわたくしのレディメイドにどんな命令をしていたかぐらいわかっています」

「はい?」

「ですが夫は死にました。夫から受け取ったお金は返さなくて結構です。口止め料だと思って取っておいてください」

「え……? あの……」

「もちろん“あのこと”の口止め料ではありません。あなたは何も見ていないですし、何も裏付けられないはずです。夫があなたにあのような浅ましい命令をしたことへの口止め料です。夫がわたくしに疑いを持っていたということ自体が一族の恥になるのですから。家の名誉のために、くれぐれもこの件については口外しないでください!」

「あの……何の話でしょう?」

「とぼけないでください! 足りないのならばこれを持っておいきなさい! まだ足りなければロンドンに戻ってから渡します!」

 そして奥様はわたしに宝石箱を押しつけて部屋から追い出した。




 お盆を持って出るはずが、宝石箱を抱えて廊下に立ち尽くす。

 自分がいったい何の口止め料を渡されたのか、全く見当がつかない。

 わたしがフランク様から言われたのは、よろしくとか、がんばれとか、そんな普通の挨拶だけ。

 もともとのレディメイドがお暇を出されたことと何か関係があるのかしら?

 ……フランク様が殺されたことと、何か関係があるのかしら……?


 廊下の上、シーツの下に横たわるフランク様の遺体に目をやる。

 フランク様は大柄でガッシリとした体格をなさっている。

 いかにもひ弱そうなダイアナ様に、あんな殺し方ができるとは思えない。


 奥様へのサプライズのためにこっそり別荘にやってきて、同じ時に忍び込んできた泥棒と鉢合わせした。

 他にどんな考え方ができるっていうの?


 宝石箱の中を覗くと、雫形のイヤリングを始め、金のネックレスやダイヤのブレスレットがビカビカと光っていた。

 まさか廊下に置きっぱなしにするわけにもいかず、自分の寝室のタンスの奥にしまい込む。

 もちろんこのままもらってしまおうなんてつもりはない。

 奥様が落ち着くのを待って、わたしが何も知らないことをきちんと話してお返しする。

 奥様のアクセサリーを管理するのもレディメイドの仕事のうち。

 これはあくまで預かって管理するだけなのだ。


 メイドの寝室の窓は裏庭に面していて、番犬がしっかりと繋がれているのが見えた。

 ラウルがそうするようにセバスチャン様に頼んだのだろう。

 使用人控え室に戻る気にもなれず、わたしは一人で庭園へ出た。

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