真犯人・告白
「ダイアナ様の死にもセバスチャン様は関わっていらした」
「…………」
セバスチャン様は庭園へ引き返し、わたしも合わせて踵を返す。
「あの時、セバスチャン様が居た場所からは、バルコニーに居たわたしの手もとはダイアナ様の陰になって見えません。
あの角度から見れば、わたしがダイアナ様を突き落としたように見えたはずです。
それなのにあなたがあれを事故だと断言したのは、事故が起きるのをわかっていたからです」
「バルコニーの手すりの傷みは自然に生じたものでした」
セバスチャン様がやっと口を開いた。
わたしはセバスチャン様の次の言葉を待った。
次の言葉はなかった。
だからわたしは次ぎを続けた。
「ピーターソン先生が隠れて合図を送れる場所は、あの日隠れていたあの茂みの他にもたくさんありました。
ピーターソン先生が合図を発する場所が右か左にずれていれば、ダイアナ様が広いバルコニーの長い手すりの傷んだ部分にピンポイントで触れることはなかった。
あの茂みの中はさりげなく枝が切られていて、無意識に歩いていれば自然にあの場所に導かれるようになっていました。
ダイアナ様を手すりの傷んだ部分に導く場所に。
枝を切ったのは、最初はピーターソン先生だと思っていました。
ですがあの量の枝を切るのは時間がかかるし音もします。
自分が茂みの中に居るのでは近くに人が居ても気づけなくて、それでいて近くを通りかかる人には自分が立てる音が聞こえてしまいます。
庭園に居る時間が一番長くて作業に気づく可能性が高いのはラウルだけれど、他の使用人だっていつ出てくるか……
ピーターソン先生にはわからない。
枝を切ったのは、それをわかっている人間です。
セバスチャン様なら、ラウルを含む全ての使用人のスケジュールを管理して、茂みに人が近づかない時間を作れます。
茂みの枝を切ったのは、セバスチャン様、あなたです」
屋敷の角を曲がる。
「納屋に置いてあった古い枝切りバサミを使いましたね?
ラウルが使っているのとは別の物です。
古い物なので刃こぼれしていて、切り跡に特徴が出ます。
茂みの枝の切り口と一致しました。
ハサミの持ち手部分には複数の人の指紋が重なり合ってついていました。
元・管理人夫婦の指紋に、子供の頃のラウルの指紋。
一番上についていたのは、セバスチャン様、あなたの指紋でした」
庭園を突っ切る。
「二階から転落した人が生きているか死んでいるか、即座に判断することはあなたにはできない。
ダイアナ様が死んだというのは、あれは用意された台詞だったんです。
あなたはあの時、茂みの中にピーターソン先生が潜んでいるのに気づいていた。
あなたはピーターソン先生に、ダイアナ様が死んだと聞かせたかったのです。
実際に死んでいるかどうかに関係なく。
それによってピーターソン先生は自ら首をくくられました」
セバスチャン様が足を止めた。
庭園の真ん中の、枯れた薔薇の生垣に囲まれた場所だった。
「ダイアナ様の静養先を選ぶに当たり、国中の別荘やホテルを下見して回りました」
ぼそりとつぶやいたセバスチャン様の声は、別人のように低くなっていた。
「この別荘に決めた理由は、管理人の夫婦から、手すりが傷んでいること、これから修理する予定であることを聞かされたからです。
私は、手すりの修理は自分がやるからそのままにしておくようにと命じました。
ペンキを塗っただけでごまかしたのは私です」
それは淡々とした語り口だった。
あきらめがついたようでもあるけれど、聞きなれない声のせいか、どこか他人事のようでもあった。
「ダイアナ様は大切に育てられたお方ですから、傷んだ手すりなどというものに触れるのは人生で初めてだったのでしょう。
だからその危険さに気づけなかった。
愛人からの合図を求めて手すりに寄りかかって身を乗り出すなどという、はしたない真似をしなければ……
ああ、それでも一度や二度ならまだ大丈夫でした。
それを何度も繰り返したりしたから、手すりの傷みが進んだのです。
そんな真似をしていなければ、あの日ダイアナ様がバルコニーから落ちることはなかったのです」
いつもと違う声を出すのは喉に負担がかかるはずなのに、セバスチャン様が少しも苦しそうにしていないのはどうして?
「この声を聞いてもクローディア君にはピンと来ませんか。
ロンドンでほんの少し話しただけですからね。
ダイアナ様はすぐにおわかりになりました。
そこで盗み聞きをしているハンナもわかっていますよね?
私の本当の声はね、フランク様の声にそっくりなんですよ」
セバスチャン様の視線をたどると、ハンナおばさまが建物の陰にさっと身を隠し……
ハンナおばさまの陰に隠れていたメラニーが取り残された。
「メラニー! わたしが戻るまでラウルを看ててって頼んだのに!」
「だって狼男と二人きりなんて怖いんだもん……」
「メラニー!!」
「ね、眠っているから大丈夫よっ」
「………」
わたしはセバスチャン様に視線を戻した。
「執事というものはですね、主を引き立てるために、主よりも劣った存在でなければならないのですよ。
例えば服装は、主より高級な物を着てはならないのは当然ですが、あまりに安い物を着たのでは主の恥になりますので、布は良いが型は古いというような物を選びます。
ネクタイも、あえてセンスの悪い物を身に着けるよう心がけているのです。
そして声。
主とそっくりなこの声を、主の男らしいバリトンを引き立てるために、無理して高く装い続けてきたのです」
セバスチャン様は空を仰いだ。
「私はね、フランクの兄なんですよ。
正式に認められてはいませんし、フランクも何も知りませんがね。
先代の当主は良家の令嬢と祝福された婚姻を遂げるのと時を同じくして、屋敷のメイドに密かに私を生ませていたのです。
先代の執事が後始末としてそのメイドと結婚してくれたおかげで、私は後ろ指をさされることもなく、何も知らぬまま健やかに育てられました。
父は……これだと紛らわしいですね……先代の執事は私をフランクの執事にするべく教育しました。
育ての父は自分の仕事に何よりの誇りを持っておりましたから、その仕事を息子に継がせることが息子の幸せになると考えたのでしょう。
私だってそれで良かった。
実の父のモノが欲しいなんて思ったことはなかった。
あの人が実の父だと知る前は……
いえ……
ダイアナの夫が私の弟だと知る前は!
私はフランクの金や屋敷を羨んだことなどそれまではなかった。
だけどダイアナはフランクの金や屋敷に嫁いだ。
初めて羨ましいと思った!
ダイアナと関係を持った夜、ダイアナに、私の素の声がフランクの声にそっくりだと指摘されました。
ダイアナはそれっきり気にも留めなかったが、私はそのことが頭から離れなくなった。
私は両親を問い詰めた。
育ての父は年老いて亡くなるまで何も答えてくれなかったが、母は教えてくれました。
私はフランクの兄なのだ、先代の長男なのだ、と……
だったらフランクの位置に私が居ても良かったはずだ。
ダイアナの夫の位置に私が居ても良かったはずだ。
どうせ政略結婚だったのだから。
私は愛人としては失格でした。
私はピーターソンに負けた。
ですがフランクだって負けたのに、フランクは夫で在り続けられるのです。
それを不満がるフランクが許せなかった。
フランクは贅沢すぎるのです。
フランクはダイアナの不倫の証拠を掴んだら、ダイアナと離縁するつもりでいました。
そんなことはさせません!
そんなことをされたら私もダイアナの傍に居られなくなってしまうではありませんか!!」
そして大きくため息をつき、うつむく。
「ダイアナを死なせるつもりはなかった。
ちょっと懲らしめるだけのはずでした。
バルコニーの下で、死んでしまったと叫んだ後で、その叫びが真実になったと知って愕然としました。
とはいえ他の男に走られ続けるぐらいなら……という気持ちが全くなかったわけでもありませんでしたね……
ピーターソンは、いずれ自分の手で、と思っていた。
ピーターソンが、ダイアナが別荘に到着する何日も前から森の中に潜んでいたのはわかっていた。
隠れ家の場所を見つけられなかった代わりに、森に狩猟用の罠を仕かけて回ったりもした。
ああ、クローディア君、こんなことを追及して、今さら何になるというんですか。
ラウル君は釈放されたんだし、もういいじゃないですか」
「まだラウルを疑っている人が居るんです」
「もう彼が逮捕される恐れはありませんよ」
「まだラウルを悪く思ってる人が居るんです!!」
叫び、わたしは泣き出した。
物陰から警察官が出てきてセバスチャン様に手錠をかけた。
警官達は狼男を警戒して、アイアンメイデンの一件の後もずっとラウルを見張っていて……
それをフレデリック様が説き伏せて、隠れて話を聴いていてもらったのだ。
「何だかワタシ達が悪者みたいな言い方だねェ」
ハンナおばさまがメラニーに向けて、声を潜めようともせずに言う。
ラウルを悪く思っているのは警察の人だけではない。
さっきのわたしの言葉でますます反発を強めてしまったらしい。
「アー、嫌だ嫌だ。セバスチャン様が人殺しだってのも恐ろしいけど、あのダイアナ様がそんなアバズレだったなんてねェ!
ワタシ達はとんでもない人に仕えていたんだねェ!」
ハンナおばさまはわざとらしく声を張り上げて、メラニーは「はい」とか「ほんとうに」とか機械的な相槌を繰り返す。
他の人の悪口を言うことで、自分の罪から目を逸らしている。
ラウルを疑ってラウルにさんざんな扱いをしてきたのに、謝るつもりなんて全くないんだ。
イリスとドリスが居なくてよかった。
あの二人が居ればもっとひどいことになっていたはずだ。
門の外では警察の馬車が待機している。
そちらへおとなしく引き立てられながら、セバスチャン様がふと立ち止まって振り返った。
「ラウル君は本当に狼男だったのですね。
寝ぼけて私をクローディア君と間違えていろいろ話してしまったのです。
ラウル君に、もう一人の狼男について訊かれました。
ラウル君はピーターソン先生のことを自分の同族だと思っていました。
狼男だというだけではありません。
彼はダイアナ様の部屋の前で不倫相手のニオイを嗅ぎ取っていながら、自分と同種のただのペットだと信じ込んでいた。
ラウル君は子供の頃にクローゼットにしまい込まれていたそうですが、ピーターソンは大人のくせに自らクローゼットに隠れたのですよ?
そんな情けない男に親近感を抱くとは、孤独とは全くもって恐ろしいものです。
ラウル君が大怪我をして馬車で運ばれているのを見た時には、さすがの私も罪悪感にさいなまれました。
しかしもう一人の狼男の話をした後、ラウル君の寝顔を見ていたら、悔しくて堪らなくなりました。
嫉妬ですよ。
ダイアナ様の醜聞は新聞の記事にされ、海の向こうにまで伝わっているというのに、国中でラウル君だけがそれを知らない。
ラウル君だけがダイアナ様に美しい夢を見続けている。
私には二度と再び見ることの叶わぬ夢の中に、ラウル君だけが今もまだ居る!」
ドサリ。
物音がして振り返ると、生垣の向こうでラウルが倒れていた。
「そんな! ラウルの部屋に聞こえないように気をつけていたのに!」
駆け寄る。
ラウルは気を失っていた。
「何だい、盗み聞きかい?」
ハンナおばさまが嫌な声を上げた。
自分を棚に上げて、この人は悪者を欲しているのだ。
嫌な奴な自分より、もっと嫌われてくれる悪い奴を。
ラウルが包帯の上にまとっていた安物のガウンが、倒れる際に風を起こしたせいだろう。
つぼみのまま枯れた薔薇は風を受けても花弁を散らせることもなく、ただ首を折ってラウルの傍らに落ちた。
靴だけは作業用のものをしっかりと履いていた。
ラウルはセレーネ・ローズの状態を確かめるためにここに来たのだ。
「よりによってどうしてこんなタイミングで!?
どうしてラウルばかりがこんな……!!」
「やっぱり狼男は呪われてるのよ」
メラニーがボソリとつぶやいた。




