無駄な時間
フレデリック様に狩りのやり方を教えてもらおうとしたら、メイドがやるようなことではないって叱られた。
「居もしない狼男を探そうなんてしてないでメイドの仕事をちゃんとしろ」と。
セバスチャン様に頼んでも、フレデリック様と同じような態度。
それに加えて「足を痛めているのだから休みなさい」とも言われた。
だからわたしはその日の午後はずっと部屋にこもって過ごした。
自分の寝室ではなく、今は空き部屋になっている、かつての管理人夫婦の部屋に。
そこには猟銃とトラバサミがあった。
元・管理人夫婦が外国に移り住むにあたってここに置き去りにした物。
つまりは捨てていった物なんだから、わたしがもらっていいはずだ。
これらの使い方については……
聞いたことがあるって程度だけど、知ってはいる。
まずは銃。
弾の込め方。
構え方。
安全装置の外し方。
一つ一つ試して、これでいいって思ったら、そのまま練習を繰り返す。
昨日見つけた足跡の謎。
今日の午前中に見つけたイヤリングの謎。
怪しい人物は二人居る。
納屋で見つけたラウルの狼男の時の足跡は、人差し指が小指よりも長かった。
フランク様が殺された夜に別荘の裏口で見つけた足跡は、こちらも狼男のものだけれども、人差し指と小指の長さがほぼ同じだった。
狼男は二人居る。
二人目の狼男が、怪しい人物の一人目。
犯人が完全な狼の姿になって逃げているなら、警察がいくら森を探しても犯“人”は見つけられない。
そしてイヤリングが示す、ダイアナ様の愛人の存在。
フランク様はダイアナ様を愛人から引き離すためにロンドンから遠ざけた。
つまり愛人はロンドンに居た。
だけど、追ってきた。
この別荘まで。
ダイアナ様は森の中で愛人と連絡を取るために、イヤリングを落として馬車を止めさせた。
フランク様が殺された夜、現場となった廊下から扉一枚隔てた部屋でダイアナ様が愛人と密会していたのなら、この愛人が一番怪しい。
ダイアナ様の愛人と、二人目の狼男は、同一人物かもしれない。
違うかもしれない。
どちらにしても、捕まえる。
第二の狼男がフランク様殺害の犯人ならば、フランク様の首の傷は、ナイフで何度も刺してあの形にしたのではなく、本当に狼の噛み跡だったってことになる。
それならフランク様は、満月の夜に生き返るの?
愛人が犯人で、第二の狼男が愛人とは別人だった場合には、フランク様は生き返らないわけだけど……
もしもフランク様が生き返ったら、フランク様の口から、犯人はラウルじゃないって言ってくださる?
……駄目ね。
誰も狼男の言うことは信じないもの。
フランク様が狼男になれば、誰もフランク様の言うことを信じなくなる。
犯人が狼男だってことが確定するだけ。
第二の狼男の存在の証明にはならない。
雨はまだやまない。
弾の込め方は本当にこのやり方で正しいのかしら?
間違っていれば、時間の無駄なだけじゃなく、大事な時に何もできなくなる。
銃口を覗き込みたい衝動に駆られる。
それが駄目なことぐらいはわかる。
それでも気になる。
ちょっとだけなら……
やっぱり我慢する。
撃つ練習は音がするのでできない。
そもそもわたしは銃なんて触るのは初めてで、銃声というものがどのくらいの距離まで届くかもわからない。
でも大抵の人間は、銃で狙われたら、撃たれてなくてもおとなしくなるわよね?
というよりむしろ、銀の弾丸を持っていないのをバラさないためには、撃たずに済ませた方がいいのかしら?
狼男は怪我をしてもすぐに治るけど、銀の武器でつけられた傷は、癒えるまでに時間がかかる。
だから銀で作られた弾丸を……
ナイけどアルって言い張って脅す。
うん。
そうしよう。
夕食の時。
わたしは足の怪我を実際よりも大げさに見せかけて、これからしばらくの間、普通の仕事ができない代わりに夜間の見回りを全て引き受けると提案した。
みんなが寝静まる時間、広いお屋敷のたくさんのドアや窓の鍵を、不審な点がないかランプを手に一つ一つ確認して回るのは、面倒といえば面倒だし、楽といえば楽な仕事。
今まではレディメイドとメイド長を除くメイドで交代でおこなっていた。
つまり今はわたしとイリスとドリスの三人。
イリスは賛成し、ドリスは反対し、メイド長であるハンナおばさまは渋り……
セバスチャン様がオーケーを出した。
セバスチャン様は、わたしが他のメイドとうまくいっていないのを察して、わたしが独りになりたがっていると考えたのだ。
半分当たりで、半分外れだ。
こうしてわたしは、夜間に誰にも見られずに出歩けるようになった。
雨は深夜になってもまだ降り続いていた。
別荘内の見回りはほぼ終わった。
番犬にも異常はない。
そもそもこの犬達は役に立つのかしら?
番犬達はロンドンのお屋敷から連れてこられた。
ダイアナ様の愛人もロンドンのお屋敷に出入りしていて、その時にすでに手なずけられていたのなら、愛人が来ても吠えないかもしれない。
犬達を眺めていたら、ラウルの人間の姿を初めて見た時のことを思い出した。
ラウルは狼の群れを一人で追い払えるぐらい強いのに、犬に追われて木の上に逃げていた。
あれは犬が怖かったのではなくて、犬を傷つけるのが嫌だったのだ。
裏口のドアの前で少し考える。
第二の狼男を誘い込むために、わざと開けっ放しにしてみようかしら?
あんまりわざとらしいと気づかれるわよね。
わたしは裏口も施錠して、自室に戻り、相部屋のメラニーがぐっすりと眠っているのを確かめて……
そのまま自分も眠ったように見せかけて猟銃を持ち出して二階の廊下に上がり、物陰に隠れてダイアナ様の部屋のドアを見張った。
雨音ばかりが響く。
いろいろな考えが浮かんでは消える。
何もないまま一夜が明けた。
朝食を終えても、雨はやまない。
わたしは夜に備えて休むと言って自室へ行き、カバンに入れたトラバサミを確かめた。
二人目の狼男は今もまだ森に居るのか。
別の土地へ逃げたのか。
こんなもので捕まえてもすぐに外されてしまうだろうけど、この森に居るか居ないか確かめるぐらいはできるはず。
雨の音がうるさくて、わたしはベッドに倒れ込んで枕で耳を塞いだ。
早くトラバサミを仕かけに行きたい。
ドリスに起こされ、昼食の時間だと告げられた。
雨がやむのを待っているうちに本当に眠ってしまったのだ。
空は晴れて真っ青になっていた。
「いつやんだの!?」
「ついさきほどですわよ」
ドリスが怪訝そうな顔で答えた。
良かった。
時間を無駄にしたわけじゃなかった。
黙々と昼食を掻き込み、自室に戻り、窓から抜け出す。
足の怪我は、だいぶ楽になってはいるけど、まだ痛む。
森のどこを探せばいいか。
アレクシアの死骸の傍にもトラバサミがあった。
あれを仕かけたのはセバスチャン様だ。
あの辺りに他にも罠があるのなら、わたしが仕かける必要はない。
わたしは別荘を挟んで反対の方向へ歩き出した。
そして夕方になった。
わたしは森の中を闇雲に探し回っていただけで、第二の狼男を見つけるための手がかりなんて何一つ掴めなかった。
コツも何もわからないまま勘に任せてあちらこちらにトラバサミを仕かけ、最後の一個を埋め終える。
そろそろ帰らないと、部屋に居ないって気づかれる。
第二の狼男がダイアナ様の愛人と同じ人物なら、その行方を追っているってダイアナ様に知られたら、メイドの仕事をクビにされて別荘から追い出されるかもしれない。
満月に二日分足りない月明かりが別荘の庭園を照らす。
生垣のセレーネ・ローズのつぼみ達は開く力をなくしている。
わたしはスケジュール通りに屋敷の見回りを終えて、そのまま庭に潜んでダイアナ様の部屋の窓を見張った。
ダイアナ様は十二時ちょうどにバルコニーに現れ、しばしキョロキョロと何かを探すような仕種を見せた後、部屋に引っ込んだ。
何をしたかったのかはわからない。
そしてそれっきり出てこなかった。
そしてまた朝が来た。
満月を、タイムリミットを明日に控えて。
わたしは昨夜の徹夜からそのまま昨日の罠の確認へ向かった。
昨夜はずっと晴れていたけれど、連日の雨で土は軟らかいまま。
その土に、埋められたトラバサミを完全に避ける形で、獣の群れの足跡が残されていた。
狼男の半人半獣ものとは違う、たぶん本物の狼の足跡。
三日月の夜にわたしを襲った群れかしら?
狼には縄張りがあるんだからきっとそうよね?
これが第二の狼男が完全に獣化したものなのか。
無関係なものなのか。
それはわからない。
ただ、わたしのトラバサミの仕かけ方は全然駄目だというのはわかった。
昼になっても森を歩き続ける。
寝不足でクラクラする。
第二の狼男の手がかりは相変わらず得られない。
こんなまどろっこしいことをしていないで、せっかく銃があるのだから、この銃で警察署を襲撃してラウルを助け出した方が早いんじゃないかしら?
ラウルを逃がして、それからどうする?
どこかに隠す?
どこに?
クローゼットの中?
ああ、無理よ。
警察にだって銃はあるのよ。
それに警察はわたしと違って銃を撃つ訓練をちゃんと受けているのよ。
月が昇る。
丸い。
完全な丸ではない。
それでも丸い。
満月までは一日分が足りないだけ。
「うわあああああああああああああああっ!!」
月に向かってわたしは吠えた。
獣のように吠えた。
時間を何日も無駄に使ってしまった。
後一日。
満月が昇ればラウルは嫌でも狼の姿になってしまう。
そうしたら……
ああ、ラウル……
村の迷信の中で憎まれる狼男は、ラウルとは何の関係もないのに……!!
別荘に戻ってすぐにセバスチャン様に呼び出され、再びレディメイドになるよう命じられた。
メラニーは宝石箱をぶちまけた後もミスを重ねて、ダイアナ様はそのどれもを許してくださったけど、本人がもう辞めたいと言い出したのだ。
これでダイアナ様の部屋に入れる。
これでダイアナ様と二人きりで話ができる。
最後の最後に大チャンスが来た。
神様はラウルを見捨ててはいなかったのだ。
後はわたし次第だ。
今夜の見回りはメラニーが行うことになり、わたしは早めに寝床に着いた。
夜中にメラニーがわたしを起こしに来た。
「一緒に来てほしいの。久しぶりだから怖いの」
「久しぶりじゃなくてもそもそも怖がりなくせに」
今までもそうだった。
別荘で働き出して、最初はわたしがレディメイドだったからわたしは見回りに参加する必要はなかったけれど、メラニーが当番の時はいつも一緒に回ってあげていた。
だけどイリスがレディメイドになって、わたしが普通に見回りをするようになっても、わたしの当番にメラニーが付き合うことはなかった。
でも、ここで突き放すのは可哀想かしら?
さっきもイリス達が、フランク様の幽霊がどうとか言ってこの子をからかっていたし……
「お願いよ、クローディア! 犯人のラウルは捕まったんだってわかっていてもやっぱり気味が悪いの!」
可哀想。
馬鹿馬鹿しい。
「嫌よ。わたしは明日に備えて早く寝たいの」
メラニーが非難めいた声を上げるけど、わたしは無視して布団を被った。
明日、全てが決まる。




