005
「では、まず主の境遇について説明しんす。主は、わっちに噛み付かれたことにより、眷属となったわけじゃが――まず、眷属と言う主従関係については知っておるかや?」
「眷属?」
聞き覚えのない言葉に、神吉は首を傾げる。
「眷属とは、血を吸った相手を自分の支配下に置くことが出来る主従関係のことを言うのじゃ。要するに従僕、下僕、奴隷と言うことじゃな」
「要するに、僕はベアトリーチェ、キミの家来になったと言うことか?」
「まあ、似た様なものじゃな」
カカカ、とベアトリーチェ。
「それで、その眷属とやらになったからと言って、何か変わるわけでは無いんだろ?」
「いや、人間に比べれば色々と出来ることは増えておる」
「へえ。例えば、どんなことが出来るんだ?」
「そうじゃな。離れた場所から眷属と意思疎通を図ったり、眷属を自由に操ることが出来たり、眷属の知覚しているものを自分の感覚と同じように共有し、認識することも可能なのじゃ」
ベアトリーチェは、凄いだろと言わんばかりに胸を張る。
「へえ、意外と――」
便利なものだとふと思ったが、よくよく考えてみると自分自身が便利になるわけでは無く、自分がベアトリーチェに都合良く使われるだけだ。神吉からすれば、それは堪ったものではなかった。
「そして、その能力の境界についてじゃが――完璧な吸血鬼としてその能力を行使すれば特に問題はないのじゃが、今のわっちでは眷属を支配する能力も、遠距離での相手との意思疎通を行う能力も、命令を与えて行動を操る能力も、その感覚を共有する能力も、何一つとして満足には使えんのじゃ」
ベアトリーチェのその言葉に、神吉は違和感を覚えた。
「満足には使えない?」
「ああ、そうじゃ」
どうやら、それは神吉の聞き間違いでは無いようだった。
「ちょっと、待て。ベアトリーチェ、キミは本当に吸血鬼なんだよな?」
「まだ、疑っておるのかや?」
ベアトリーチェは、不愉快そうな視線を送る。
「いや、そうじゃなくて、僕もキミに噛まれて吸血鬼になった。だから、僕もキミと同じ吸血鬼になった。ここまでは合ってるよな?」
「問題ないようじゃのう」
自分の中でも疑問をまず一つ片付けられたことに小さく頷いた。
「それで、吸血鬼には眷属を支配する能力や、意思疎通を行う能力や、操る能力や、感覚を共有する能力があるんだな?」
「そうじゃのう」
ベアトリーチェは欠伸をしながら神吉の話に耳を傾けている。神吉の話が長くて半ば飽きているようであったが、神吉はそれを確認せずにはいられなかった。
「だけど、キミはその能力を使えないのは――」
それは、ベアトリーチェのその言い方が、まるで――。
「キミが完璧な吸血鬼じゃないからなのか?」
ベアトリーチェは、神吉のその問い掛けには答えず、そのまま話を続けた。
「最後に境涯についてじゃが、先も言ったように主は晴れて――いや、陰りて吸血鬼となったわけじゃが、主は完全な吸血鬼と言うわけではありんせん」
「完全な吸血鬼じゃない?」
神吉からすれば、吸血鬼と呼ばれる存在に対して、完全や未完と言う言葉を当てることが正しいのかどうかも良く分からないでいた。
「主を吸血鬼にした親であるわっち自身の存在自体が危うい状態なのじゃ」
ベアトリーチェは街灯の下へと移動し、くるりと華麗にその場で回って見せ、地面を指差した。そして、神吉はその行動の意味を理解することになる。ベアトリーチェの指先には、在るべきものが映し出されてはいなかったのだ。
それは――。
「影が……無い?」
影は在るのが当たり前だ。当たり前すぎて、今まで在るだの無いだのそんな事を気に留めたことなど無かった。しかし、在って当たり前のものが無いことに気付くと、それは違和感でしかなかった。
「その通りじゃ。わっちは、影を奪われたからのう」
「影を奪う?」
影を奪うなど聞いたことも無い。そもそも、影を奪おうなどと言う考えをしたことすら無い。普通の人間では、そんな発想自体を持ち得ないからだ。
「そんなことが可能なのか?」
「現に奪われたんじゃから、可能なんじゃろうな」
ベアトリーチェは、まるで他人事かの様に楽観的であった。
「そもそも、吸血鬼に影は在るものなのか?」
神吉の中の疑問が尽きることは無かった。
「簡単に説明すれば、吸血鬼も主らと同じ人間じゃ。大昔、悪魔に侵され、冒され、犯された者たちの哀れな末路が吸血鬼と言う存在じゃった、と言うだけじゃ。自分たちで招いた事態ながら、皮肉なもんじゃな」
ベアトリーチェは、自虐的に笑う。
「吸血鬼なんて大層な呼称が付けられたのじゃって、わっちからすればほんの遂この間の事のようじゃ。血を吸い人々を襲うその姿から――まるで、鬼を連想したんじゃろうな」
鬼は、隠と言う語が転じたもので、もともと見えざるもの、この世ならざるもの――つまり、化物を意味した。人を襲い血を吸うその様は、化物と呼ぶ他無かったのだろう。
ベアトリーチェは、これと言った感情も無さそうに淡々と語っているが、神吉にはどこかその姿が寂しく、悲しく、そして――虚しく感じさせられた。