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秋葉原狂想曲 旧題:あきばすたーず  作者: 椎名乃奈
第壹章 吸血鬼は闇夜に踊る
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002

 神吉がこの状況を理解出来たのは、それから少ししてからのことだった。腕から血が滴り始め、少女に噛み付かれた箇所が燃え上がる様に熱くなり、やがてそれが痛みへと変わり、そこで初めて置かれている状況に気が付かされた。


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」


 ただ叫ぶことしか出来ない激痛が、神吉の右腕へと襲い掛かる。痛い、辛い、憂い、苦しい、悲しい、ありとあらゆる負の感情が、少女に噛み付かれた右腕を介して、自分の中へ流れ込んで行く様だった。


「……くそ、離れろ」


 その少女の頭を手で押し退け、噛み付くのを止めさせようとする。しかし、自分の腕が引き千切れそうになる痛みの性か、強引にそれをすることは出来なかった。だが、このままだと、本当に腕が噛み千切られてしまう。どうすれば良いかと考えるよりも速く、危機を察知した体は反応し、神吉は少女の頬を殴り飛ばしていた。


 しかし、少女は一発では怯まない。


 少女の牙は、神吉の腕へとがっちり食い込んでいたからだ。痛みを必死に堪え、続けて二発三発と必死に拳を放つ。すると、僅かながら口元が緩み、牙が腕の肉から離れたのが見えた。


「……ぐっ」


 その隙に、力の入らない右腕を思い切り振り払い、少女から右腕を引き離し、脚で壁まで思い切り蹴り飛ばした。


「……うっ」


 すると、少女は小さく呻き声を上げ、後方へ激しく吹き飛ばされる。


 自分の腕を見ると、引き千切れることこそ無かったものの、血塗れになりながら、小刻みに震えていた。今、目の前で何が起きたのか、神吉にはその意味を理解など到底出来なかった。することすら、無意味なのかもしれない――神吉は、そうとも思った。


 女の子を殴り飛ばしたことや、蹴り飛ばしたと言う罪悪感が、まだ感触として今も尚残っていた。しかし、そうしなければならなかった。しなければ、今頃やられていたのは自分だったのだ。そう思い込ませることで、その罪悪感と言う負担を少し軽くした。


「……うっ、うう」


 思い切り蹴り飛ばした少女は、まだ起き上がろうとしていた。


「嘘だろ……」


 自分の置かれているこの状況が、自分の思っているよりもずっと危機的状況であるということだけは、やっと理解することが出来た。今直ぐにここから逃げなければ殺されるかもしれない。それを感覚的に感じ取っていた。


 だとすれば、神吉の取るべき行動は決まっていた。


 神吉は咄嗟に立ち上がり、逃げ出そうと一歩目を踏み出した瞬間のことだった。自分の身に起きている異変に、そこで初めて気が付かされたのだ。意識は朦朧とし、景色が二重三重になる。体は、ふらふらとして、逃げようにも上手く歩くことすら出来なくなっていたことに。


「か、体が……」


 自分の言うことを聞かせようと、脚を思い切り叩いて喝を入れるが、その感覚さえ鈍く遠くなっていく。それでも、一歩二歩と必死に逃げる様に歩いてみるが――やがて、その場でただ立っていることさえも、やっとの状態となっていた。


「まあ、普通はそうじゃろうな」


 聞き覚えの無い声が近くから聞こえて来る。


「まさか……」


 体を壁へと預け、その声の方向へと頭を向けると、神吉へ話し掛けているのは、先程まで倒れていた少女だった。その様子は、瀕死の状態でここに倒れ込んでいた様子を微塵も感じさせやしなかった。


「大分、頂いたからのう」


 少女は、口元の血を拭いながら言う。


「……頂いた?」


 少女は、頂いたとそう言った。


 しかし、神吉には差し出した物など皆目見当もつかなかった。ただ、倒れていた少女へと手を差出し――そして、噛み付かれただけ。ただ、それだけのことだかららだ。その瞬間、大きく目を見開き、神吉の脳裏にそれは過った。


「まさか、僕の血……」


 神吉は、自分の腕から滴り落ちる血に視線を遣る。もしも、本当に少女が血を欲して襲ったのだとすれば、思い当たる節は確かに一つあった。しかし、それはあくまで空想上の生物であって、伝説の生物であり、それを容易に許容することなど出来やしなかった。


「いや、そんなわけ……」


 しかし、その噂を聞いたことが無いわけでは無かった。


 確かに聞いたことはあったが、それはあくまで都市伝説の話だった。都市伝説など、人から人へと語り継がれて行った噂話であり、恰も存在するかのように創られた物語に過ぎない。


 そうだとしたら、目の前にいるこの少女は一体何者なのだろうか――不意にそんな事を考えてしまった神吉は、興味本位なのか、それとも意識が朦朧としていた性なのか、声を絞り出すように問い掛けた。


「キミは、一体何者なんだ……?」

「わっちは――」


 少女の口から聞き慣れない口調が聞こえて来た辺りで、その返答を聞くよりも前に、神吉の目前は暗闇に包まれ、ゆっくりと膝から崩れ落ちるようにして、意識がプツリと切れてしまった。



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