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秋葉原狂想曲 旧題:あきばすたーず  作者: 椎名乃奈
第零章 趣都のプロロ-グ
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 秋葉原は、〝あきはばら〟と読むのか、それとも〝あきばはら〟と読むのか。本当はどちらでも意思疎通する上で全くと言ってよい程、差支えの無い些細な事なのだけれど、そんな些細な討論を聞かなくなった今となっては、懐かしくもどこか少し寂しく感じる。


 かつてこの辺一帯は、〝あきばはら〟や〝あきばがはら〟、〝あきばっぱら〟とも〝あきばのはら〟とも呼ばれていたらしい。つまり、特に定められた呼称は無かったと言うことを意味しているのだ。


 けれど、〝あきば〟として知られ、〝あきば〟として存在している以上、どんな名称でも、どのような呼称であろうと構わない。秋葉原に住んでいる人にとってそれぐらいどうでも良いことなのだ。


 秋葉原に来る人が、一様にオタクと言う訳ではないが、秋葉原に対してそういったイメージを持っているのは、少なからずいるだろう。それは、アキバに対して個々が持つ造詣がそう思わせているのだ。


 ただの青果市場や電気街だった頃の秋葉原とは変わり、メイド喫茶やアニメ、ゲームといった店が増え〝萌え〟の街として形成されるようになり、さらにメディアに取り上げられるようになにつれて、忽ちそれらは〝観光地〟となっていった。


 誰が言い出したのかなんてことを知る由もないが、〝趣都・秋葉原〟だなんて、上手いことを言ったものだ。そんな風に楽観的に感心するだけで済むのなら良いが、本当の秋葉原はそんな幻想的な世界とは全く違った。


 確かに、趣都というのも秋葉原が見せる姿の一つであることには違いない。むしろ、それこそ多くの人が認知されている秋葉原の姿に違いないだろう。


 しかし、本当の秋葉原はそんな観光地としての街なんかではない。皆に創られたその造詣に隠されて見えなくなっているだけなのだ。


 これは、奇々怪々な〝趣都・秋葉原〟で繰り広げられる怪異物語である。



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