ひやされる
世の中には優先順位と言うものがある。
彼女との関係修復は確かに僕の人生において最優先事項なのかもしれないが、かといって授業をサボる理由にはならない。
ならないのだよ、世の大学生諸君。
悲しいなら心で泣いて、出勤途中で泣いて、夜な夜な泣いて、授業中に号泣したっていい。講義を右から左へ流しつつ携帯で未練がましいメールを打ってもいいし、右隣のカップルがさりげなく机の下で手やら足やらを絡ませてるのに気付いて呪ってもいい。彼氏が腰に手を回したりゆるふわな彼女のスカートの内側に手を這わせたら、召喚術的な能力に目覚めてその指先にムカデの群れを出現させる妄想ぐらいは許される。
だが、出席はしたほうがいいのだ。
「ようするに日数がギリギリであると」
「はい」
あっさり認めつつ、僕は早朝のキャンパスを往く。
特ダネ探しのリポーターも真っ青な24時間密着マークを日々敢行するツンデレ幽霊と僕の彼女の接点の確認はまだままならない。非通知・ブロック・着信拒否の三点セットで縁を断ち切りたい。おお、なんかリユース・リユーズ・リサイクルみたいで語呂がいいじゃないか。
ひやり、と首元に冷気が漂う。
「何かお気楽なことを考えてない?」
「いえいえなにも」
あっさり思いつきを放棄する。最近の美南は多芸だ。
足早に人の少ないキャンパスを歩く。コンクリートの地面に転がったゴミをけとばし、新興宗教の勧誘ポスターを横目に授業のある棟へと向かっていると、
「あ」
美南が声をあげる。
見れば、中肉中背の裏原宿系イケメンがそこにいた。いや裏原宿とかよく分からないけれど、ファッション雑誌から切り抜かれたような感じだ。隣国のスターを髣髴とさせる横流しの髪型、切れ長の目。下げたカーキのカバンにまで美男子オーラがしみこんでいる。
「あのひと、」
呟いたっきり、幽霊はじっと彼を見つめる。美南が僕以外の人間に興味を示すなんて。やはり女性は皆顔がいい男に惹かれるものなのだ。彼に乗り換えてくれないかな。
「気になるの? あれ、なんかもやもやするな。これってジェラシー?」
「モノローグと口に出てる言葉が全然違うじゃない!」
「うーん、僕たちツーカーだねぇ」
フレンドリーさを前面に出してみたが、ラップ音に殴打されてもんどりうつ。ごめんなさいごめんなさいと身体をよじる僕の脇を、女子グループが妙に無言で通り過ぎていく。
「人目があるところでは実力行使は控えてくれると嬉しいんだけれど…」
「あのひとのこと、知ってる?」
こちらの抗議にかまうことなく美南が尋ねる。僕は身を起こしつつため息をついて、
「ああ。彼は人呼んで暗黒オーラ山本。いつもふしあわせそうなため息をついて猫背でキャンパスを練り歩いてる。魔法少女だったら一日で魔女化するだろうね」
「えっ?」
「まぁあいつに取り付かないでよかったね。きっとしあわせには永遠になれないタイプの男だよ」
「そうなんだ」
釈然としない幽霊の背を押すようにその場を離れようとすると、反対側から一人の女の子が山本君に挨拶した。
「森永くーん」
「ちがう名前じゃない!」
容赦なく頭をはたかれる。
「お、おい、どうした?」
山本君あらため森永君(と女の子)が僕の方へ駆け寄る。いきなりずっこけて地面に顔から倒れこんだのだから、そら驚くよね。
「なんでもない」
僕はにへらっと笑いつつ、
「なんか暗黒オーラを漂わせているな、と思って」
「はぁ?」
と呟いたのは女の子の方で、森永君は僕に手を差し出すだけだ。
なんて奴だ、僕に手を差し伸べてくれる人なんてほとんどいないのに。惚れたらどうする。
「お前には俺が不幸そうに見えるのか」
彼は少しだけ後ろを振り返り、そして何事もなかったように僕に視線を戻す。
「……気をつけて歩けよ」
そう言い残して、イケメンの特権らしく、女の子を連れて去っていった。
「美南のせいで恥をかいたじゃないか」
「恥の多い人生なんだし、ひとつふたつかわらないって」
「いやその理屈はおかしいよ!?」
訴えても伝わらない。僕は肩を落として、もう一度森永君を振り返った。
そういえば一瞬だけ、なんだかがっかりしたような顔つきになってた気がしたけれど。まぁ気のせいだな。
「気のせいじゃないし」
「えっ」
「憑いてるよ、森永君」
なんてことだ。彼もまたイタコ教授の犠牲者だったのか。
「あんた割と観察力あるのね」
「憑いてる人のことが分かるの? 幽霊同士見えたりするわけ?」
「なんとなくだけど」
「じゃあ僕が占い師とか守護霊が見えます的商売始めたらボロ儲けじゃない?」
「協力する義務ないけどね」
「ボロ儲けしたら幸せになれるよ!」
でまかせ100%の言葉に美南は眉を寄せ、割と真剣に可能性を検討しだすが、
「……ダメ。それじゃあんた何もしてないと同じじゃない」
「他人におんぶだっこで生きることこそ人生の至福じゃない?」
「クズ」
断罪。提案は否決された。
「それに、幽霊ったって、私みたいにかわいいのばかりじゃないんだし。何かあったら大変でしょ」
「確かにね。暴力的な幽霊だったら困るし」
同意した途端に、初夏に似合わぬ冷気が僕を包み込む。
「……幸太郎?」
警鐘を思わせるしあわがれた声が美南の唇の隙間からこぼれる。いつもの仏頂面ではなく、わずかに笑みを浮かべているのがとっても怖い。
「君みたいに、とは言ってないよ?」
「言ってないけど思ったよね?」
うわすごい寒くなってきた。なにこれ強弱とか付けられるのか、なんでもありだな幽霊って。
「思ったよね?」
「思っ、た、ような…」
寒さのあまり歯の根が合わなくなってくる。
「思、わな、かったよ、うな……」
のぼる朝日が妙に眩しい。幽霊の姿がぼやけて見える。
あれ、おかしいぞ、なんだかすごく眠――