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はかられる

 美南が僕に取りついてから一週間が過ぎていた。

 最初に宣言されたように、彼女はひと時も僕から離れることがない。食事をしているときも授業を受けているときもトイレに入っているときも、そして勉強机に向かう振りしてエロ本を読んでいるときもずっと一緒にいる。

「信じらんない!」

 美南が、これ以上はないというほどに眉を吊り上げてがなりたてた。

「女子の前でエロ本読む男がどこにいるっての!」

「目の前に約一名」

「さらりと言わない!」

「この子かわいいなぁ」

「さりげなくティッシュ箱用意しない! 幸太郎、彼女がいるんでしょ」

「いるけど、六時間かけて大陸の半分を渡らないと会えないし。それにこれは自家発電だから浮気にはノーカウント」

「自家発電とか言わない! ついでに日本は大陸じゃないっ」

「うるさいなぁ」

 人間より元気な幽霊の調子に負けて、僕はしぶしぶ本を机の引き出しにしまう。

「週日の昼下がりに家でひっそりと読むエロ本は格別なのに」

「そんな寂しい格別を味わわない!」

「もうしばらく待っててね」

「そんな悲哀たっぷりにエロ本に向かって話しかけない!」

 ここ一週間で僕の調子に慣れてきたのか、つっこみが冴え渡っている。このペースだとあと半年もすれば立派なお笑いコンビになれそうだ。

「ならないから」

 美南がぜぃぜぃと息を切らせて頭を振る。切らす息もないはずなのだが、生きている人間さながらに右手を額に当てて目を閉じ、呼吸を整えている。今日の彼女は黒い長袖シャツに薄緑のオーバーオールというよく分からない格好だ。夏も近いというのに暑くないのだろうか。幽霊だから体温が低い――というか、体温などないのかもしれないけど。

「幸太郎。しあわせになる予定はあるの?」

「あるよ」

「本当に?」

「しあわせについて本気出して考えてみるといつも同じところに行き着くんだ」

「それ以上は著作権的ににやめたほうがいいと思う」

「分かってる」

 僕が頷くと、美南はしわの寄った眉間に指を当てた。

「眼精疲労? しっかりマッサージしたほうがいいよ」

「――ありがとう。ちょっとストレスがひどくてね」

「たいへんだね」

「誰のせいだと!」

「僕のせいじゃないと思うけどなぁ」

「ほんっとっおおおおおおおおおおに、そう思ってる?」

「そうすごまれると、いまひとつ自信ないけど」

「いまひとつ?」

「うーん、じゃあ、いまみっつくらい……」

「ああ、もう!」

 美南は苛立った声でうめくと、ずんずんとういつもの隅っこへと戻っていった。しかし、すぐにまたこちらの方を向く。明らかに喋り足りなさそうな顔をして、口元がむずむずしている。、生前はとってもおしゃべりな明るい子だったのかもしれない。死が彼女を変えてしまったというならば、それはとても物悲しいことだ。なにせ、黒髪ロング、目鼻立ちすっきり。享年0歳の透き通るような肌。愛していると囁かれたら世の大半の男性がゴーサインを出すような見てくれの女の口から出てくる言葉の実に八割ぐらいが、僕への不満や文句なのである。彼女は変わるべきだ。明るく、素敵な、誰もが振り向く愛されガールに。

「あのさ」

 きっかけを作ってやろうと、僕は話し掛ける。

「メッシとロナウドって、本当はどっちの方がいい選手だと思う?」

「……」

 失敗。

「関西風お好み焼きと広島風お好み焼きってどっちも別に本場の味じゃないよね」

「……」

 さらに失敗。

「ところで去年の芸能人好感度ランキングは誰に投票した?」

 失敗、失敗、また失敗。

 気付けばもう後がない。この次しくじれば、仏の顔もサンドバックだ。

 僕は気合を入れて、

「美南は、どうして死んでしまったの?」

「……どういう繋がりで喋っているのやら」

美南は呆れたように目をぐるりと回すが、どうやら失敗というわけでもないらしい。幽霊は能面じみた顔つきのまま僕の目の前にやってきてどっかりと座り込んだ。どっかりといっても、相変わらずの体育座りだったが。

「私のことなんかどうでもいいのかと思った」

「どうでもいいよ」

 幽霊の眉間に見る間にさっき揉みほぐしたとき以上のしわが寄っていく。怒鳴られる前にあわてて続ける。

「言いたくないのなら、聞かない程度にはね。こういうことって聞きにくいし。何で死んだんですか、とか無神経じゃない?」

「その性格で聞きにくいことなんてないでしょ」

「そだね。僕ぁケーハクだから」

「知ってる」

「フォローないよ」

「どうしてフォローしなくちゃいけないの?」

「……ええと」

 長いまつげがあしらわれた一対の瞳に心底不思議そうに見つめ返され、僕はしばしあごに手を当て、

「ボケる前にやりこめられてしまうとネタが展開しないし?」

「そんなエンターテイメント性なんていらないから。聞きたいの、聞きたくないの、どっち」

「気になって夜も眠れません」

「毎日ぐーすか寝てるじゃん」

「気になってしあわせになれません」

「実はね」

「うわそんなあっさりと」

 美南は苦笑いすると、

「いやまぁ、そんな勿体ぶって話すことでもないんだけど」

「絶対不治の病じゃないと思うんだ」

「……どうして?」

「病室であの葉っぱが散る頃には私も死んでしまうねとか、似合わないし」

「それって何十年も前のネタ」

「美南には、風呂場で転んで桶に頭をぶつけたとか、ライオン三十匹と壮絶な格闘の末親玉のマーライオンと相打ちになったとか、そういうのが似合うと思う」

「……ちょっと待って」

「豆腐の角に頭ぶつけても良さそうだね」

「ちっとも良くない! ていうか何が良いのよっ」

 ものすごい勢いで攻め寄られる。

「えー」

「残念そうな声出さない! そんなことで死んでたまるかっ!」

「じゃ、どうして死んだのさ」

 ぴたっ、と、美南が、僕に逆ネジを食らわせようとした姿勢のまま固まる。

「……それは」

「それは?」

「片思いの男の人がいて。他の誰かに振られるまで待ってたんだけど、つらくなって身を投げたの」

「いくらこれ書きながら筆者が『待つわ』聞いてたからってそれはないと思う」

「じゃ、豆腐の角に頭をぶつけたってことで」

「さっき自分で否定したばっかじゃん!」

「言い当てられたのが恥ずかしかったんだ」

 信じがたい事に、美南がてへっと舌を出す。

 ――演技してやがる。

 肌があわ立つ。魔性だ! やはり二次元こそ正義だったのだ。ああでも幽霊って立体とは言い切れないような。

「まぁ」

 美南は体育座りを崩してあぐらをかくと、両手をオーバーオールの中に突っ込んだ。

「本当は、あまり具体的なことを言うとルール違反らしいから、詳しく話せないんだけれど」

「じゃあ、美南はめでたくあの世でお尋ね者だね!」

「……そう言われると困るんだけど……、とにかく。まず、河川敷で車にはねられて」

「うわ」

「それで草むらを転がって」

「あいたたた」

「挙句川に転落して」

「ひえぇ」

「たまたま通りがかった人に救助してもらったんだけど」

「お」

「その時にはもう息をしてなかったの」

「――悲しい話だね、それは」

 掛け値なしに呟く。誰かの死に様になど出くわしたことはないけれど、当人からすればやりきれないだろう。目の前で常にイライラされていても許してしまえるレベルだ。これからはもっと彼女に優しくしてやるべきだ、と決意を新たにする。ああでもそういう特別扱いは望まないのかもしれない、今までどおり接してあげたほうが彼女のためだ、うん。

「ずいぶん勝手なモノローグを…」

 幽霊は湿気った目で僕を睨む。すわラップ音か、と身構えたが、彼女はふっと表情を入れ替えると、

「美南の妹の事だけど」

「へっ?」

「妹の話。美南じゃなくて」

「…………え? ええと」

「感想は?」

「……そ、それは、とっても不幸なことで」

 なんとかそれだけ搾り出す。美南は薄い笑みを浮かべると、

「それで、私が身代わりになったの」

「へ?」

「妹が死ぬ代わりに、美南を殺してくれって」

「ど、どうやったのさ?」

「どうやったと思う?」

「神様にお願いした?」

「神様なんて信じないって言ったじゃん」

「でも天国にいけないとかなんとかそういう設定だったよね?」

「個人の宗教観の問題だから」

「えーと、じゃあ、黒魔術」

「ぴんぽーん」

「えええっ!?」

「そんなに驚く事かなぁ」

「驚くって! そっちの方がずっと信用できないじゃないか!」

「まぁね。嘘だし」

「嘘なのかよ!」

 思わず芸人調に突っ込んでしまう。なんてことだ。やはり女は魔性だ。

「ていうか、僕らのポジションが入れ替わってない?」

「たまにはいいじゃん」

 美南は面白そうに笑うと、

「なんでも理由を欲しがらないの」

 と人差し指を自分の口元に当てた。ウインクでもすれば絵になったのだろうが、右のまぶたがぴくっとするだけで不発だった。意図が伝わったと返してあげればいいだろう。

「分かったよ。考えるね」

「うん。じゃ、お話はこれで終わり。次は幸太郎のしあわせについて討論しようか」

「えっ」

 罠だった。

 討論は三時間も続き、その日のうちにエロ本に戻ることはできなかった。


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