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せまられる

 美南が僕に取りついてから三日が過ぎた。

「おはよう!」

 元気のいい声に、僕は目覚める。信じがたいことがおきていた。

「今日もいい天気だよ!」

 美南が、こともあろうに満面の笑顔で僕に手を差し出している。向日葵の柄が入った白いノースリーブのワンピースを身につけた本日の彼女は(どういうわけか服の着替えができるのだ、この幽霊は)、健全な男子の理想の彼女に限りなく近い姿だ。思わず本音がこぼれる。

「今日は地球最後の日?」

「今日もいい天気だよ!」

「アンドロメダ星雲から太陽が借り入れた借金のかたに地球が持っていかれちゃう日?」

「今日もいい天気だよ!」

「千葉なのに東京って名前が付いてる遊園地、ランド、シーと来たら次はきっとアナザーディメンションだよね」

「今日もいい天気だよ!」

「――――――そう、だね」

 ざぁざぁという雨音を聞きながら、僕は手を借りて起き上がる。

「こぉんないい天気に、こぉんなかわいい女の子に起こしてもらって、こぉのしあわせ者!」

「……や、いくらなんでも無理あるでしょ」

「ちっ」

 美南の表情が、笑顔から能面へと瞬時に切り替わる。

「いや、ちって」

「うっさい」

 乱暴に振り払われ、あわててもう一方の手でバランスを取って倒れるのを防ごうとするが、間に合わずにしりもちをついてしまう。尾てい骨から背骨へと抜けるしびれにもだえていると、追い討ちするように美南の声が降ってくる。

「青汁を鼻から飲まされたみたいな顔してないでまた寝たら? どーせ目覚ましなんて三時間前に鳴ったんだし、いまさら授業なんて間に合わないんだから」

「そ、そんな。どうしてもっと早く起こしてくれなかったんだよ」

「どうせ竹林の授業でしょ。あいつ出席とらないし、内容の七割ぐらいは前の授業の繰り返しだから行かなくても同じだって」

 だいたいなんで私が起こしてやる義理があるの、と言わんばかりの目つきで僕をにらみつけて、美南はいつもの部屋の隅へ戻っていった。

 ――今日、小テストだったんだけど。

                     、、、、、、

 僕は頭を抱える。しかし彼女の言わなかった通り、目覚ましで起きなかった自分が悪いのだ。

 僕はすべてをあきらめて、再び布団に寝転がった。

 そして、一瞬の間を置いて、がばっと起き上がる。

「なんで教授の名前知ってるの」

「同じキャンパスだったって前に言ったじゃない」

 話を聞かないんだから、と、仏頂面で返されるが、僕はそれどころではない。

「本当に僕と同じ竹林?」

「二人もいないと思ったけど。心理学の竹林でしょ。通称ちくりん」

「同じだ。それっていつの話?」

「死ぬ前まで。時期的にまだ先学期かな」

 なんだかコンパでの打ち解けトークみたいなノリになってきたぞ。

「へぇー。期末は難しかった?」

「ぜんぜん。前日に先輩のノート見て勉強したら満点だったよ」

「おおー。あ、じゃあ、イタコ教授のクラスは?」

「……誰、それ」

「科学の。目が釣りあがってて、黒髪で、白い鉢巻にろうそくと五寸釘が似合いそうな。こないだ会いに行ったじゃん」

「知らない。てゆうか、イタコなのに化学の教授なの……?」

「じゃあ、水野教授とか。『ファンタジー文学における偶然性の多用論』とか結構面白かったよね」

 僕が振ると、美南は目を輝かせる。

「そうだね! 幸太郎も受けたことあるんだ」

「うん、去年の秋」

「えっ」

 驚かれる。よっしゃ、僕の勝ちだ。

「どうしたの、豆が鳩鉄砲食らったような顔して」

「逆でしょ」

 幽霊はつっこむべきところはしっかりとつっこんでから、

「……一緒の授業とってたんだね」

 と、なぜかいやいやそうに呟いた。元々しかめっ面ばかりの子だし、幽霊にもなったことだし、本当は感慨深いとか、望外の喜びとか、そういう心境なんだろう。きっと。

「三十人ぐらいしかいなかったのに。どうして覚えてなかったんだろう」

「でも、僕も美南がいたことなんて覚えてないよ。というかクラスの誰ともあんまり話さなかったし」

「その屁理屈ぶりは一度聞いたら嫌でも忘れられない」

「照れるなぁ」

「褒めてないよ?」

 美南のため息。親愛の印だ、きっと。

「でも、面識ある人でも次会った時に知らないふりをされることもあるんだけど」

「それはよく分かる」

「どうして?」

「本当に知りたい?」

「ううん」

 僕は即座に首を振った。美南も苦笑いして、それ以上は言ってこなかった。

「幸太郎、専攻何」

「地質学」

「うそつかない」

「まだ決めてないんだ」

 どうも話が長くなりそうだと判断して、僕は上体を起こす。多少表情を柔らかくした幽霊を横目に、

「一応得意な理系で入ったんだけど、本当にそれでいいのかなぁと思ってる」

「どうして?」

「まだやりたいことが見つからなくて。いろいろ試してみたいことはあるんだけど、それで大学を終えようってのがまだ思いつかなくて」

「ふぅん」

 美南は、あまり興味なさそうに相槌を打つ。

「まぁ、悩めるうちは好きなだけ悩んでおけばいいんじゃない」

「いいの?」

 思わず確認する。ワンピースの裾を手で伸ばすというまったく無意味な行為をしながら、美南が眉を寄せて答える。

「あせったってしょうがないでしょ。やりたいことを見つけたときに決めればいいんだし」

「でも、悩んでたらしあわせにはならないよ」

「……あ」

「でもせっかくゴーサインをもらったんだから、心ゆくまでモラトリアムしようと思う」

「モラトリアムって」

 部屋の隅から、まるで冷凍庫から出したばかりのガリガリアイスのように冷たい視線が頬にちくちくと突き刺さる。せっかく仲良くなりつつあると思ったのだけれど。

「いや、ほんとに」

「はいはい」

「あ、聞く気ないね? この壮大なストーリー」

「壮大とか言っている時点で嘘だし」

「いやね、聞いてくださいよ。これがほんと世知辛いんだ。親からの仕送りは少ないし、バイトは見つからないし」

「ごくありきたりな大学生活じゃない」

「友達はみんな彼氏や彼女にべったりで構ってくれないし、彼女も最近冷たいし」

「ごちそう様って言いたくなるチャット内容だったけど」

「でも会いたいって言っても『今度ね☆』ってしか言ってくれないよ」

「レオタードフェチがばれたんじゃない?」

「だから、違うって!」

「だから、信じないって」

 信用情報に関わるので何としても分かってもらいたいのだけれど。

「信じてよ。そんなマニアックな趣味あるわけないじゃん!」

「押入れにレオタードかっこ使用済みかっことじるあるじゃん」

「……え?」

 思わず硬直する。美南はうろんげに、

「なに」

「今なんか変な事言わなかった? かっことか、かっことじるとか」

「……あ」

 美南が、表情だけで「しまった」と叫ぶ。僕はすかさず彼女に近寄ると肩に手を回し、

「美南ちゃぁぁぁぁん」

 と、わざとオヤジくさい声を出し、言い募る。

「いい年してそういうことを声に出して言うのはどうかと」

「う、うるさいなぁ!」

 美南が顔を赤らめ、僕の手を振り払う。振り払ったついでに耳元で炸裂したラップ音が的確に僕の三半規管を打ちのめし、僕はもんどりうって倒れる。

「大学の話してたら、つい生きてるころみたいにしゃべっちゃっただけ」

 目玉の奥に火花が散っておぼつかない視界の中、幽霊は今まで見せたことのない、あいまいな笑みを浮かべる。 もしかしたら照れているのかもしれない。そうしていると、服装とあいまって、ひまわり畑で立っているのが似合いそうに思えなくもない。実際は足元がぼやけ気味の幽霊なのだけれど。

「……それって、今までは死んだ人間みたいに振舞っていたってこと?」

「どんな振る舞い、それ」

「わかんないけど、なんかほら、生気がなくて、言ってる内容もなんだかものすごく抽象的で。美南と正反対な感じの」

「……ごめん、どこから突っ込んでいいのか分からない」

 ようやく悪いと思ったのか、彼女は僕に手を差し出す。その手を借りながら、、

「なんていうかな。ほら、幸太郎他人だし。美南の友達じゃないし」

「友達にはさっきみたいな間抜けなしゃべり方するんだ」

「うぅ」

 まだまだ僕のターン!

「ひょっとして怒っているときにびっくりマークとか叫んだりする?」

「どうして分かったの?」

「ほんとなんだ!?」

 思わず叫んでしまう。

「僕、あてずっぽで言ったんだけど」

「私、てきとうにあわせただけ」

 にやりと笑われる。なんだか楽しそうだった。それが嬉しくて、僕は大げさにショックを受けたように振舞った。

「ひどいなぁ。傷ついたよ?」

「なによぅ。そっちなんか会ったその日からずっととぼけっぱなしじゃん」

「ごめん。でもこれ性分だし」

「分かってる。だからあやまんなくてもいい。本心じゃないだろうし」

「よかった」

「そのかわり、しあわせになりなさい」

「うへぇ」

 鮮やかにねじ込まれ、我ながら情けない声をあげる。

「そんなことを言われてもいきなりはなれないって」

「言わなかったらすぐ忘れるでしょう」

「毎日続けたらサブリミナル効果が期待できるかもしれないね」

「じゃあ、毎日百回言う」

「本人が自覚してたらダメだけど」

「てゆうかさぁ」

 突然猛烈にくだけた調子で言うと、幽霊少女は完全に僕に向き直り、体育座りのまま両手だけで体を僕へとずずいと近づけて、

「幸太郎。これは結構真剣な話だよ? むしろこれ以上に真剣な話なんてない」

「僕のしあわせが?」

「そう!」

 ぴしゃりと、自分の腿をひっぱたく。実体のない幽霊のはずなのに、やけに小気味いい音が響いた。物理をなんだと思っているのだろうこの霊的存在は。

「世の中、自分の人生についてここまで真剣に語り合える相手がいる人なんて数えるくらいしかいないんだから、幸運だと思わなきゃダメだよ」

「青春ど真ん中ストライクだね」

「茶化さない!」

 ぱしんっ、と、これは僕の頭上辺りで何かが弾けた音。さっきの音もこれだった。ひょっとしたらタイミングを計って鳴らしたのかもしれない。別名ラップ音とも言うそれに怯えつつ、僕は抗弁を試みる。

「でも望んでいないんだよ? どう幸運に思えと」

「世の中の誰一人として自分について話したくない人なんていないよ」

「そうかなぁ」

 僕は首を捻る。僕の両親は二人が出会った頃の話や、子育ての苦労話などは一度もしてくれた記憶がない。妹については『今日学校で何してきたの』などと聞こうものなら、

「兄貴のセクハラ野郎っ」

 と大音声で叫ばれ、

「乙女のプライバシーを心外するなっ」

 と顔面に右フックが炸裂し、

「永遠に童貞でいやがれっ」

 と延髄蹴りを見舞われたものだ。

「……妹さんは格闘家志望?」

「何かの間違いで異世界に召喚されたら、きっと一週間足らずで魔王とか冥王とかやっつけられると思うよ」

「ま、あなたの特異な家庭環境についてはまた今度話すとして」

「いやでもこれかなり僕の人生にとって重要なのでは」

「そんなことないよ」

「で、でも、家族は大事だよ。ひょっとしたら愛のない家庭で育ったことが原因で僕はしあわせになれないのかもしれないし。四歳のときに三輪車に乗せてもらえなかったことが原因で性格に致命的な欠陥ができたのかもしれないし」

「血の繋がりなんてまやかしだよ」

 家族ドラマで生計立ててる人にケンカ売るような事を平然と言い放つ。

「大事なのは自分を話せる、自分が中心に回る環境、ただそれだけ。みんな他人なんかどうだっていいんだよ」

「そうかなぁ。僕は人並みに他人の事も気になるけど」

「美南のこと何も聞かないくせに」

「や、それは君が」

 幽霊だから、と、言いかけてやめる。

 確かに、彼女についてはほとんど何も知らない。なんたって聞いた事がない。状況がアレなこともあるけれど。名前と、僕と同じ大学に行っていたということだけは今までの会話から分かっているけど、でもそれは、

「……じゃあ、美南はどうなのさ。自分のことはそっちのけで、四六時中僕の話ばかりしてるじゃないか」

「それは幸太郎のしあわせが私のしあわせに直結してるから。情けは人のためあらずよん」

「僕は別に自己中じゃないよ」

「何言ってるの。自分の興味ある授業だけとって、暇な時間はずっと自分の部屋に引きこもって彼女とチャットするかおおっぴらに言えない趣味に耽溺する暮らしのどこが自己中じゃないっての」

「高校生の頃ホームレスの人に炊き出し配った事あるよ」

「そういう意味じゃなくて!」

 次第に苛立ってきたのか、美南の口調が荒くなくる。

「幸太郎はずっとそう生きてきたから、人ときちんと話をした事がほとんどないんだと思う」

「彼女いるよ」

「彼女の将来の夢は何?」

「……漫画家」

「嘘つけっ」

 一蹴される。くそぅ、なんでバレた。

「えーでも、ずっと前にトキワ荘に住みたいって言ってたし」

「火事で二十年以上前に焼け落ちてるっ」

「そうなんだ。じゃ教えてあげないと」

「いいからっ」

 携帯を取り上げた手をぴしゃりとはたかれる。いつのまにか僕の目の前にまでやってきていた。真正面から、青白い顔を間近に近づけ、目を覗き込んでくる。まつげが長いなぁ、と場違いな考えがよぎった。

「幸太郎のしあわせって何?」

「わ、わからないよ」

「じゃあ、あなたが楽しいと思う事は何」

「えぇと」

 圧迫感に喘ぎながら、僕は必死に考える。

「彼女と話していること」

「他には?」

「おいしいご飯を食べること」

「他には?」

「えぇと……」

 視線が泳ぐ。いや、泳いでいるはずなのに、美南が視界の中心から離れない。ひょっとしたら泳いでいるのは視線じゃなくて脳みそなのかもしれない。

「あとは、そうだなぁ」

「レオタードを着ることと?」

「いやだから違うって」

「いいけどさ」

 言う美南の声から、突然圧迫感が消え失せた。それにあわせて、二人の距離も拳三つ分ほど開く。僕はほっと一呼吸ついて、軽く伸びをしてみせた。

「楽しい事をしたらしあわせな気分になるもんじゃないかな、ふつうは」

「努力はするよ」

「がんばって」

 なんと笑顔――らしきもの――で励まされた。

 ぱんぱかぱーん、と、安っぽいトランペットが脳裏に響く。なんでだろうと考えてみたら、美南との会話がここまで平和的に収束は初めてだった。わずかばかりの達成感に浸りながら、僕は布団に転がる。雨の湿気を吸ってあんまり気持ちよくないそれが、少しばかり心地よく感じる。これをしあわせというのかもしれない、と、美南を見てみるが、いぶかしげな視線にぶつかっただけだった。


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