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夢奥七色  作者: 夕霧沙織
5/6

四章 悪夢の蛇



「ここは……」

 私は四天使イスラフィール。主に仕える御使いの一人………そうだ。

「ジプリール……」

 自ら頭を打って気を失ったはずなのに、何故見知らぬ場所に立っている?

 聖書以外の本の詰まった書架が前後左右にどこまでも続いている。下界、なのだろうか?

 書棚を五つ程歩いた頃、前方から一組の男女が現れた。どちらもまだ若い人間だ。

「誰だあんた?」ヒュウッ、十代の青年は何故か口笛を吹いた。「まさか天使様?シスターが俺達のために寄越してくれた人?」

「天使様、私達に力を貸して下さい」

 二人は懐に聖書を携えていた。何と敬虔な信仰者達だ!あの不真面目な少女にこの百分の一でも信仰心があれば。

「どうしたのです?困り事なら何でも相談して下さい」

「私達の大事な、命にも替えられない物がどこかへ行ってしまったのです!探そうにも何の手掛かりも無くて……」

 二十代らしい女性ははらはら涙を零す。

「どうしましょう……ずっとずっと大切にしてきたのに」

「落ち着いて下さい。大丈夫です、失せ物なら水鏡を使えばたちどころに分かりますよ」

 懐から水鏡を出しかけて一瞬手が止まる……以前取り出した時、何かあった気がする。

「どうした天使様?」

「は、はい」

 思い出している時間は無い。今はこの信仰者達を救わなければ。

 鏡は正常だ。いつものように両手で支え持ち、力を集中させる。

(二人の失せ物を表せ――)

 最初は白い光しか映らなかった。段々と光は薄れ、周囲にここと同じような本棚が立っているのが見えた。そして、中央に一人の像を結んだ。

「クランベリー……?」

 彼女はいつも通りぼんやりとした目でどこかへ向かって歩いている。時折顔を右下にやり、ボビーに声を掛けている。

「どうしてあなた方の失せ物をクランベリーが?」

 人間達は何かに気付いたらしい。心の底から笑みを浮かべた。

「ありがとうございます天使様。お陰で見つかりましたわ」

「はぁ……それは良かった」

 さっぱり理解できないが、二人は結果に大変満足しているようだ。

「じゃあ天使様、俺達行くよ。ぼやぼやしてるとまたどこかへ行っちまう」

「そうですね」少女は常にふらふらしていて居場所が一定しない。今映し出した場所も、どうやらこのフロアのようだが、何時移動するか分からない。

「ところで天使様、彼女のお知り合いなのですか?」

「ええ。大父神様の御命令で庇護を行っています」

「へえ……」女性は意味深な笑顔をした。「僭越ながら、私には彼女が異教徒に思えるのですが。天使様はどうお考えをなさって?」

「確かに極めて不真面目な事は認めます。私が何度注意してもああでして……最近では実害の無い限り黙認しています」

「特別なのですね、彼女は」にっこり笑う。

「ええ。大父神様の唯一の肉親ですから」

「ふぅん、成程」青年が息を吐く。「罰を下したくても下せない訳だ」

「天使様はそれで満足ですの?」

「は?」満足とはどういう意味だ?

「神の血縁と言えど異教徒は赦されざる者。私達はシスターから異教徒とは徹底的に戦うよう教えを受けましたわ」

「だからクランベリーを処罰するべきだと?」頭が真っ白になる。「何故です?彼女は不真面目ですが決して害為す異教徒ではありません」

「疑わしきは排除すべきではありませんか?現に彼女は今、信仰者である私達の敵です」

「それは双方に誤解が」

 女性はやれやれと首を横に振った。

「神に仕える者とは言え、あなたはシスターとは随分違う方針なのですね――温い、温過ぎる。そんな事で何が守れると言うのです?」

 決然とした言葉。二人は過去に酷い迫害を受けたのだろうか。

「確かにあなたの言い分は正論です。私は何も守り切る力は無い。

ですが少なくともあなた方よりはクランベリーと言う少女を理解しているつもりです。彼女は」

 言葉が咽喉に閊える。

「異教徒などと言う単語で括れる人間ではありません」

 目覚めれば一吠えで総てを変えてしまう、鋭い牙と爪を隠した眠れる狼。その危険性を主は誰よりも深く理解しておられる。だからああして……。

「ただの生意気な子供じゃないかあんなの」青年は口を尖らす。「天使様がビビる相手とは思えないな」

「私にも巧く説明はできません。しかし侮って下手に手を出せば酷い反撃を受けるでしょう。ですから戦うのは止めなさい」

 私の警告にどれ程の重みも無かったらしく、男女は眉を顰めた。

「……とにかく、見つけてくれた事には感謝します。では」


 ヒュン!


「誰!?」

 女性が印を結ぶと指先から炎が噴き出し、飛んできた紙片が燃え上がって灰になった。

「感心感心。随分勘の良い奴がいるじゃない」

「魔女――!!」

 書棚の陰から姿を現したルウ・マクウェルは挑発的に髪を掻き上げた。

「さっき追い出した女ね。おかしいわ、出入口は封印してあるはずよ」

「あんた達のちゃちな小細工なんて私には通じないわ」

 符を優雅な手付きで構える。

「にしても妙な事になってるわね。どうして神様の下僕までいるの?あんた、クラン達の保護はどうしたの?」

「保護………あ、あぁ!!」

 しまった。気絶したなら術は完全に解けている。人間達が凍え死ぬのも時間の問題だ。

「ここにいる場合ではありません!早く目覚めないと!」

「無理よ。一旦眠りに落ちたら出られない―――どうやらあんた達が関係あるみたいね」

「何の事だ?俺達は何にも知らない」

「惚けても無駄。――セミアをどうしたの?魔祓いが済んだのなら、このおかしな夢は終わるはずよ」

「あの餓鬼なら私が刺したわ。現実で言う所の瀕死の重傷かしら。止めは刺し損ねたけれど、時間の問題ね」

 その言葉を聞いて、魔女の額にはっきり血管が浮かんだ。

「さっき最大火力の符を投げなかったのを今後悔したわ、心の底から」

「それはどうも。探し物の途中なの、まだこの夢に消えてもらう訳にはいかない」

 女性は艶然と微笑み「いっそ永遠に続けばいいわ。この中でなら私達は生きて触れ合える。魔とやらを手にすればそれが可能なのかしら?」

「にしても凄いな魔の力は、この夢は全部そいつの仕業だろ?“あの石”とどっちが強力なんだろうな」

 主よ!封印の一芒が解けたのはまだしも、畏れ多くもこの人間達はそれを使って何かを行おうとしています!声が届くなら応えて下さい!必死に思念を送る。

 魔女は呆れたように首を横に振った。

「馬鹿な事を。あんた達が何者かなんて興味無い。だけど妹を傷付けた以上、覚悟は出来ているんでしょうね?」

「あなたこそ、私達の邪魔をするなら容赦しないわ」

 互いに敵意を剥き出して睨み合う。

「天使様は俺達の味方だよな?」聖書を掲げ「か弱い信仰者を守るのも天使様の仕事だろ?」

「残念だけどそいつ弱いわよ。赤ん坊が素手で殴り掛かっても勝てるぐらい。まぁその分治療技術は余分に補正されているけど、仲間にするなら戦力は期待しない事ね」

 舌打ち。

「でも、こんなのでも一応クランの保護者なのよね。ぶっ飛ばしたいのは山々だけど」

 魔女はクランベリーに気を遣っている……血も立場も遠い義妹を案じ、悩んでいるのか。

「私は……大父神様よりクランベリーの安全を第一に任されています。敬虔な信仰者と言えど、彼女を害する者の側に付く事はできません。――ですから争いは止めて下さい。話し合って誤解を解きましょう」




 フワッ。


「驚いた」

 黒髪のドレスの幻影は私にぶつかるように消えた。振り返ってももういない。

「クゥン?」

 そうか、見えなかったのか。

「おーいクラン!」

 大図書館の書架を抜けてレイがこちらに駆けて来る。

「良かった、無事だったか!?こっちに白いドレスの幽霊が来なかったか?」

「消えたよ。役目を終えたみたい」

「?そうか。俺達をここまで案内してくれたんだ。礼ぐらい言っておきたかったな」

「多分気にしてないよ」

 希望の名を持つ物語の僅かな残滓。夜を淡く照らす朧の月。

「一緒に来たのはルウお姉ちゃん?」歩きながら尋ねる。

「ああ。セミアは?会わなかったのか?」

「あの子には先生と先に出口を確保してもらってる。あいつらを戻したらすぐ出られるようにね」

「あいつら?」


「――ですから争いは止めて下さい。話し合って誤解を解きましょう」


 イスラの声だった。

「見つけた」

 声の方向に注意し、彼等の死角になる位置で書架に身体を寄せる。

「馬鹿な事言わないでよ」

 姉と十・二十代の男女が対峙し、中間地点でイスラが両手を上げて休戦を提案している。

「あの二人は誰だ?」

「あいつらはあいつら」

「敵なのか?」

「少なくとも私にとってはね」妹を無理矢理説得するぐらいには殺意を抱いている。

 コリーは耳と毛を逆立て恐怖に慄いていた。

「大丈夫だよ、何も怖くない」頭に手を置いて優しく撫でる。「もうすぐ終わらせる」

「クゥン……」

 不安を宿す濡れた目でこちらを見つめ返してきた。


「馬鹿馬鹿しい。こいつらはあんた達神様にとっても敵、宇宙の秩序を乱す存在なのよ。そいつらと話し合えですって?巫山戯ないでよ!?」


(なら遠慮しないでさっさと符で丸焼けにしたらいいのに)


「あら?私達は話し合いの席に着いても構わないわ。無駄に争いたくはないもの」雌蛇はニッコリ笑った。「私達はただ目的を果たしたいだけですもの、ねえ?」

「ああ。俺達は探してる物が見つかればそれでいいんだ」爬虫類特有の細い光彩の瞳が光る。


「さっきセミアの石を奪うって言ってたわよね?」


「あなたがそこまで怒るなら諦める。誓約書にサインしてもいい。刺激させるような事を言ってしまって申し訳無かったわ、ごめんなさい」しおらしく頭を下げてみせる。


「全然誠意が伝わってこないんだけど?」余程癪に障るのかお姉ちゃんは眉間を顰めっ放し。「止めなさい」


「土下座でもすれば信じてもらえるのか?魔女様がそう仰るなら喜んで」


「違う。猿芝居は止めろって言ってるの。あんた達、謝罪する気なんて更々無いわね」

 カッカッカッ。ヒールを苛立たしげに鳴らす音が響く。

「あんた達相当な悪党だわ。どれだけ悪事を働けばそうぬけぬけと嘘が出てくるようになるの」


「信仰者は虚言なんて口にしないわ。聖書にも禁止されているし」

「そうそう。魔女様疑心暗鬼になり過ぎじゃねえの?」


「目に浮かぶようだわ。あんた達がそうやって相手を油断させておいて潰してきた様が」


「三人共止めなさい。ルウ・マクウェル、彼女等を疑うのはお止しなさい」


「あんたは黙ってて!」符をイスラの鼻先に突き付ける。「こいつらより先に始末するわよ」


「暴力に訴えてはなりません!武器を仕舞いなさい!」


 髪を乱暴に掻き上げる。「この阿呆!マトモな信仰者が女子供を殺そうとする訳!?」吐き捨てるように言う。「自分達の利益のためならあんたも躊躇い無く殺るわよ、こいつらは」


「お、おい……何か物騒な事になってないか?」

 レイの疑問に答えている余裕は無い。奴等をどうやって労少なく紙切れに戻すかで頭はフル回転中。

「クゥン……」

 駄目だな。コリーの目の中の私はまるで出来の悪い彫像のよう。凡そ人間の子供ではない。

 黒に蒼の混じった目を鏡代わりに、笑みになるよう口角を上げてみせた。やっぱり変な顔。

「クラン?」レイは反応に困った様子で微笑む。「お前、そんなに可愛く笑えたんだな」どうでもいい感想だ。

「キュウン?」

 犬だと言う事も忘れ、同じように口の端を上げようとするコリー。良かった、こんな顔でも少しは安心してくれたらしい。

「クゥンクゥン」

「嫌だよ」

 人が知恵を絞ってどうにか安全な方法を考えてるのに……。

「クゥウウン」

 馬鹿だ。立った耳に小声で指示する。

「クゥン!」

「どうするつもりだ?」

「彼を囮にして、あいつらの注意を引いた隙に一気に仕留める」何て乱暴な策だ。「お姉ちゃんと三人掛かりなら多分可能」

「分かった。ボビー、しっかりやってくれよ」

「クゥン」

 胸の奥がジクジク痛む。本当にこの作戦は大丈夫なのか……?もっと考えれば安全確実な策を思い付けるかもしれないのに。

(私らしくない)

 お兄ちゃんではない者、天使人と言う存在でもいい。見守っているなら、この作戦が無事に終わるよう、全ての不確定要素を私達に有利にして。

(……あーあ、馬鹿らしいや)

 祈るなんて性に合わない。私はずっとクランベリー・マクウェルの頭で考え、判断してきた。自分からそれを放棄してどうする。それに、コリーは既にスタンバイを終えて私の指示を待っている。

 大空を舞う鳥のように全てを見、聞き、感じ取る――。失敗は許されない。

「クゥン」いつでもいい、と応じる。

 ――いつも通りだ。この場の全ての情報は私の手に納まった。

「いいよ、行って」

「クゥン!」

 書架から勢い良く飛び出すコリー。


「ボビー!?」


「見つけた!」


 蛇達は目の色どころか姿さえ変えた。体長数メートルはある二匹の海蛇に変身し、コリー目掛けて突進を開始する。


「本性を見せたわね!喰らえっ!!」


 お姉ちゃんの投げた数枚の符が雌の蛇の後頭部付近で爆発。鱗と透明な半固形物が飛び散る。


「邪魔をするなぁっ!!」


 雌蛇の口から透明な液体がお姉ちゃんに向けて飛ぶ。咄嗟に符を投げて相殺、ジュウッ、嫌な臭いが漂ってくる。


「酸ね、爬虫類のくせに物騒な物出してくるじゃない」


 カァカァ!頭上を飛ぶ鴉がイスラに向かって啼く。


「ルウ・マクウェル!この鳥は何と言っているのですか!?」

「あんたはさっさと隠れてなさいですって!きぃっ!誰が怪獣頂上決戦ですって!?ハンバーグにしてあいつらに食わせるわよ!」


 その間にもコリーと雄蛇の追い駆けっこは続く。


「クゥウウン!」

「待ちなって!」


 四本足で疾走するコリーを高速で這いながら巨体の蛇が追う。


「こっち!」

「クゥン!」


 もこもこが私の声に反応し、爪でスピードを落としながら書架を右折する。その後ろを蛇が書棚に体当たりしながら追ってきた。


「喰らえっ!」


 書棚の上に登ったレイのボウガンが火を吹く。魔力の五月雨を受け動きの止まった蛇を尻目に私はワゴンに乗ったまま床を蹴る。


 ガラガラガラガラッ!


 スタミナの無くなりかけたコリーに並走、「乗って!」


「クゥン!!」


 華麗な横っ跳び、見事私の足元へ着地。舌を出して呼吸を整える。


「待てぇっ!小娘がぁっ!!」


 雄蛇がもう追い付いてきた。レイじゃ大した足止めにならないか。


「セミア!上手くやれる!?」天井に向かって叫ぶ。


「お姉ちゃん簡単そうに言うけど難しいんだよ。一応やってみるけど」


 途端、前方両側の書棚が傾き始める。私は右手を手すりに、左手でコリーの頭を押さえ身体を屈めて倒れてくる隙間を通り抜けた。ひゅうっ。


 バッタン!バタンッ!


 後ろを振り返ると大成功。蛇は見事書棚の下敷きになっていた。


「ありがとセミア」


「無茶は夢の中だけにしてよね。貴重な本の棚をこんな事に使うなんて……あ、もう一匹が来るよ!左の角から!」


 警告を聞いて慌てて左足を床に擦って急右折。現れた雌蛇の鼻先が頭すれすれを通り過ぎる。


「この糞餓鬼ぃっ!ドロドロに溶かして喰ってやる!!」


 おお怖。手負いの蛇は牙を剥き出しに大層御立腹の様子。


「セミア、終わった!?」


「まだ!今フルパワーで収束作業中!だからもうサポートさせないでよ!」


「分かった」


 雌蛇とワゴンの距離は一定を保っている。だがいつまでも追いかけっこを楽しむつもりはない。


「クゥン!?」

「どうした、わっ!!」


 ガタンッ!!お姉ちゃんが飛び乗った衝撃でワゴンが大きく傾く。


「邪魔するわよ」

「定員オーバーなんだけど」

「気にする事はないわ。それにワゴンだから正しくは積載オーバーじゃない?」

「確かに。でも途中乗車なら静かに」

「クゥン」

 手すりを持ったまま後ろを見やる。

「あっちはお姉ちゃんに任せたはずだけど?」

「あの日和見を庇った隙に逃がしたの。私のせいじゃないわ」

 ラフ・コリーに比べれば可愛い限りの犬歯を剥く。

「それなら仕方ないね」

「でしょ?」

「一つ問題があるんだけど」

「何?」

 黙って進行方向の壁面書棚を指差した。

「さっきみたいに曲がればいいだけの話じゃない」

「誰かさんが乗らなかったらそうしてる。この人数で方向転換は無理、転倒必死。スピード出てるし」

「私に飛び降りて蛇の餌になれとでも言いたい訳?」

「まさか」

 サッ。符を指に挟む。何百枚入っているんだ、お姉ちゃんの袖口は。


 ヒュッ!ドオンッ!!


「これで文句無いでしょ?」

「まぁね」

 前方に大きく開いた穴にワゴンが吸い込まれる。途端景色が変わった。あれ、ここは。


「うわっ!!?」


 ガクン、とワゴンの速度が落ちた。手摺りに引っ掛かった物が原因だ。

「おじさん」額を押さえる。「取り合えずちゃんと乗ってくれる?」襟口が手摺りの角に引っ掛かって非常に不安定な状態。

「当たり前だ!子供のくせにこんな物で暴走しおって―――ん?」後ろにいるお姉ちゃんを視認。

「クラン、このままだと追い付かれるわ。その小汚い物を早く処理して」

「貴様言わせておけば!」

「はいはい喧嘩は後。その体勢じゃ手も届かないよ」

 私の手伝いを借りて何とかワゴン板に足を付けるベルイグ氏。

「妹を助けてくれた借りはこれで返したからね」

「フン、意外と律儀な所があるではないか。吾輩もそう言う考え方は嫌いではない」

「えい」


 ドンッ!「ぎゃあっ!!?」ゴロゴロゴロ……。


「外した。おじさん一号は不発に終わったであります」ぴしっ!と敬礼のポーズ。

「キュウン」コリーは痛ましいと言いたげにふるふる首を振った。

「せめて足止めぐらいして華々しく散ってよ」

「全くね。でもあの驚いた顔は見物だったわ」ケラケラ笑いながらヒールで地面を蹴る。グン、速度が元に戻る。「まさか私は落とさないわよね?」

「お姉ちゃん一号はいよいよ危なくなった時のために温存する方針であります」ぴしっ!

 クスクスクス。

「じゃあ精々落とされないよう、クラン隊長とボビー二等兵を守る任務に就く事にするわ」敬礼、そして符を放つ。


 ドオンッ!


「あら、戻って来た」

「夢の収束が進んでるからね」


「止まれお前ら!こいつがどうなってもいいのか!?」


「……お姉ちゃん、実はボビー盲導犬なんだよ」

「へえ、道理で一日中一緒なのね。実は私も最近視力が落ちてて、十メートル先の人の顔が分からないの」

「そんな状態でよく符を投げられるね。眼鏡掛けたら?」

「鬱陶しそうだから止めとくわ。あなたこそ盲ならあんまり無茶しない方がいいんじゃない?知り合いに一人いるけど、初めての所へ行く時は付き添いが要るわよ」


「お前ら聞け!!止まらないとこいつを殺すぞ!」


 同時にチラッ、と声の方を確認する。蛇の巨体に締め上げられているレイと、近くでおろおろしているイスラが見えた。本当、役に立たない連中だ。

「「見捨てるに一票」」ハモった。

「キュウン?」

「捕まってる方が悪いのよ、ねえ?」

「大の男が女の子に助けられるってのもプライドに触るよね。うん」

「キュウンキュウウン!」

「大体今止まったら後ろの奴に丸飲み確定」

「他人より自分の身の安全優先だよね普通は」

「キャンキャン!!」

「お姉ちゃんスピード落ちてる。もっと蹴ろ」

「OK。私達が追い付かれたら元も子も無いものね」

 二人で速度を上げようとした時、コリーが「グゥン!」唸り声を上げてワゴンを飛び降りた。尻尾を掴もうとしたが遅かった。

「行っちゃ駄目!!」

「クラン、しっかり掴まってなさい!」

 火花が飛ぶ程強くヒールでブレーキを掛け、百八十度ターン。雌蛇との距離を詰めながら、走るコリーの後を追う。


「やっと戻って来てくれたのね」


 蛇の言葉は聞こえていないらしく、コリーは目もくれず左折して真っ直ぐレイ達の方へ向かって行く。


「もっと速くして!」このままだと追い付く前にコリーが雄蛇に捕まる。

「これで限界よ!もう奴等をどうにかするしかないわ!」

 二振りの舞剣を左手に召喚し魔力をたっぷりと与える。

「セミア、先生!終わった!?」


「ほぼ完了だ!後は彼等を物語に戻せば“蒼の幻望”は完全収束する!」


「分かった!」

 右手で手摺りを強く掴む。

「お姉ちゃん!後ろの奴は任せた!」

「え!ちょ、ちょっとクラン!?」

「とう」


 ジャンプ。巧く体勢を整えお尻から着地する。

「痛た……」

 轟音を上げて通り過ぎていくワゴンと雌蛇。立ち上がってお尻の埃を払い、コリーの後を追った。

(頼むよ――!)

 雄蛇に向けて舞剣を放つ。その時にはもうコリーは奴の目の前にいた。

「グウゥゥン!!」

「怖がらなくても何もしないさ」

 雄蛇は長い首をコリーに向けて下げ、細い光彩で無邪気に見つめる。

「ボビー、お止めなさい!あなた一人で敵う相手では」


 カンッ!カンッ!


「っ!?」

「不意打ちが過ぎるんじゃねえのか、女王陛下様?」

 剣を弾き落とした牙をこれみよがしに見せつけ「人質に当たったら――」


 グサッ!


「な……!!?」ドスンッ!蛇の首から上が地面に崩れ落ちて地響きがした。頭部天頂に舞剣の一本と、その柄を口に咥えたコリー。

 落ちて来たレイをイスラが抱え起こす。

「大丈夫、気絶しているだけです」

 夢の中で気を失うなんて器用な奴。

 蛇の巨体が白い光に包まれ、一枚の古紙になってひらひらと床に落ちた。

「ふん」

 拾い上げて確認。もうこれでしばらく悪さはできないだろう。

「後は向こうか」



 魔女は笑っていた。不敵に笑いながら雌蛇の前に立っていた。横には幾度かの無茶でタイヤの擦り切れたワゴンが歴戦の英雄の如く静かに佇んでいる。

「あちらは終わったぞ」

 羽ばたきながら飛んできた深紅の瞳持つ鴉がそう言って魔女の肩に留まる。

「そう。なら早い所済ませないとね」

「侮られたものだわ。私はあんたなんかよりずっと強い」

「はっ!爬虫類風情が魔女に敵うと本気で思ってるの?ああ可笑しい!」

 符を袖口に仕舞う。すると鴉が足で器用に手首まで降りて来た。

「武器を仕舞ってどうするつもり?大人しく殺される気になった?」

 半目になり、スパークする程の魔力が彼女の周辺に放出される。その状態のままゆっくりと鴉の在る腕を前に伸ばした。

「死ね!」

 蛇の口から酸が大量に放出された。だが魔女の手前数十センチの所で液体は左右に割れ、雲散霧消した。

「格が違うのよ。そろそろ終わりにしましょう」

 鴉の音が雌蛇を破壊し、一片の紙へと帰した。



 止まっていた収束が再開した。蛇はお姉ちゃん達が無事物語に戻してくれたらしい。

「今度こそお別れだね、セミア」

 先生は頭をポリポリ。

「悲しむ事はないんだ。厳密に言えば、僕はその本に残った思念で君の本当の先生ではない。ただ束の間物語の中に挟まれていた空気だ。再び物語が開かれた今、僕は去らなければならない」

「よく……似てるよ、先生と」

 前みたいに涙は出さない。私はもう先生の後継者なのだから。

「でも今日はとても楽しい一日だった!僕に物語があったら残しておけるのにな」

 子供のように笑う。

「私が代わりに書いておくよ。だからまた、ページを開けたら来てくれる?」

「うん。お邪魔しようか」

「ありがとう」

 車椅子は部屋の奥へと進んでいく。

「先生、私一杯書くから!このノートを全部使ってみせるから、絶対読みに来てね!!」


 ピシシッッッッ………バキッ。


「それじゃ楽しみにしているよ」



 俺は黙って奴の首を絞めた。殺す気満々で妖族の手で絞めた。

「レイさん!?や、止めて下さい!!ちょ、本気で死んでしまいます!」

「五月蠅い衛兵の分際でそんな良い夢見やがって!!俺なんて大蛇に巻き付き殺されそうになったり、高飛車な女に爆死させられそうになったんだぞ!」他にも何か大切な事があった気はするが、そんなのは関係無い。「むしろ死ね!俺が今すぐ極刑を下してやる!」

「無茶苦茶です!」

 じたばたじたばた。

「何組んず解れつしてるの、二人共」

 眠たげな声に心臓が高鳴る。俺は慌てて衛兵を放り出し、後方へ振り返る。寝癖が直り切らない金髪が女王クランの性格を如実に表していた。

「お、おはようクラン。これはちょっと、男同士の親睦をだな」

「首絞めるのは立派な傷害罪だよ」ふぁ。丸一日寝てまだ眠いのかこの少女は。「大人げない。まぁいいや、行くよ」

「?どこへ?」

 女王陛下が手招きすると、衛兵が何故か犬のような声を出す。本人も不思議がる中、俺達は彼女を先頭に歩き出した。




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