三章 終わらない夢
階段を昇り切って、現れた肉色の扉を開けた。
きぃ………。
眩しいばかりの白い壁。書架も本の背表紙も真っ白だ。その中でただ一つ色を持つ者には嫌でも目が行く。
「やあセミア」
「せん……せい?」
車椅子の上にいるのは影法師ではない。あの日永久に別れた時のままの姿。
「元気そうだね。前より明るくなったかな?」
先程の姉と同じ、敵?ハンカチの隙間から人差し指を出し、親指で傷口を強く握ろうとした。
「ゴールおめでとう、セミア」
意外な声に手が止まる。書架の間から姉はひょっこり顔を出した。後ろにはボビーとレイ、それに肖像画で見たレイとリリアの母親の若かりし頃。
「女王様!?どうしてここに?まさか本当に物語を焼いて進んできたのですか?」
姉は何故か一瞬眉を顰めた。そう言う事か、と声に出さず唇を動かす。
「ううん。結局焼いたのはドア一つだけ。そっちの先生に呼ばれたの」
どうやら敵ではない、と姉は言葉を続けた。
「断定してはもらえないのかいクランベリー?」
「あの司書より上の立場なのは確かみたいだけど、私はそれだけで敵味方の区別はできない。セミア、あなたはどう思う?」
さっきの姉の件の手前、この人も障害の可能性は十二分にある。でも……先生は余りに昔通りで。
「味方だったら万々歳。敵だったとしても……私には攻撃できないよ。先生、どうして今まで出てきてくれなかったの?そうしたら、あんなに沢山物語を盗まなかったのに」
「僕も本当ならすぐにでも君を助けたかったさ。だけどここ、君の物語に掛けられた封印は余りに厳重で意識体を飛ばす事もできなかった。サポートのつもりで召喚した司書は魔の影響で君を囃し立てるばかり、完全に逆効果だった」
先生はやっぱり先生だ。いつも私を見守っていてくれた。
「八百年……かな。封印に小さな綻びが生じた。それまで一度もそんな現象は無かった、僕は何とか原因を突き止めようとした……心当たりがあるんじゃないかい?」
そんなの、一つしかない。
「君が他人と暮らし始める事で物語は大きく良い方へ地殻変動し、魔は激しく反発を起こした。このまま好転が続けば魔は寄生していられなくなる。そもそもそんな物が身体を侵しているのが間違いの元なのだけど」
手招きされて私は先生の傍へ駆け寄った。高速でページを捲れる指で仮面の額部分をコツコツ。
「ここに埋まっているサファイアが“蒼の幻望”、綺麗だけど使い方を誤れば恐ろしい石だ」
つつ、と触れる。
「セミア。もう一度受け取ってくれるかな?」
『これは……?』
とても分厚くて重い革表紙の本、でも持った瞬間何故かしっとりと手に馴染んだ。
一ページ目を開く。セピア色になった写真が一枚貼り付けてあった。車椅子の少年と、両側に男女が一人ずつ立っている。
『先生のお父さんとお母さん?』
『そう。この写真を撮った後学校の寮生活に入って、訃報を聞いたのは三ヶ月後だった。家を探し回ったけど、結局二人が写っているのはこの一枚だけだった』
『私も……探しておけばよかった』
『どうだろうね、あったらあったで辛いよ。見たら思い出してしまうし』
ぱらぱら捲ってみる。貼り付けられた写真や書かれた文章から先生の思い出が溢れ出す。
『あれ……?』
真ん中を境に白紙が続く。最後まで確認してみるがやはり何も書かれていない。書いてある所まで戻って、驚いた。
――明日別れるセミアへ。これから君には多くの家族や友達ができるだろう。もし叶うならその思い出をこのノートに綴って欲しい。僕はもう長くはないけれど、このノートは僕の片割れだ。これからも僕に君の話を聞かせてもらえるかな――
私は机からペンを持って来て、先生の言葉の次の行にこう書いた。――いいよ、よろしくね、と。
「あ、ああ……」
私は何て事をしていたの。こんな大切な物を忘れて、麻薬中毒者みたいに物語を追い求めて。
「仕方ないよ。魔の影響は強大で普通の人間が抗うのは困難だ」
「受け取れない……!ごめんなさい先生、でも私……そんな資格無い……!!」
仮面の間から熱い物が頬を伝う。
ピシッ……ピシッ………。
「君がノートを手にしない限りこの夢は覚めない。大勢の人達をみすみす見殺しにする気かい?」
「そんなの駄目」
「それにそうやって目覚めた所でこっちの世界は展開したままだ、眠ればまた捕まる。根本的な解決は」
「そのノートをセミアが取り返す事、か?」レイが言った。
はたと気付く。これを受け取ったら夢は終わる、その前に訊いておかなければ。
「ねえ先生!アスの物語はどこ?」
「ああ、この中だよ」軽い調子でノートを指差す。「これでも拒否するかい?」
「狡い!まるで……」お姉ちゃんはいつものポーカーフェイス。「もしかしてお姉ちゃんの入れ知恵?」
「まさか」大仰に首を竦める。「大体セミア、本当にあなたアスに物語を返したいの?」痛い所を。「気付いてるとは思うけど、このままの状態で現実に戻ったら真人間になれるよ。まあ、物語が返ってきた所で充分真っ当だとは思うけど、あなたも同意見?」
言い返せない。姉は、私の心を見透かしている。
「でしょ?私ならただでさえ困る物に更に困る物を挟んだりしない。飽くまでも先生の発案」
「止めて!本人がいる前で」
振り返って彼の腕を掴む。
ピシッッ………。
姉は再び唇だけを動かした。「さぁどう出る?」何の事?
「アス、大丈夫すぐに戻してあげる。でも……本当に、本当にいいの?」
彼は小さく頷いた。
「戻さなかったらもう苦しくないし、悪夢も見ないんだよ。少しね、今までの記憶が無くなっちゃうけどメリットの方が大きいと思う。それにね、それに」
「僕のためにそんなに思い詰めていたのですか?」
「悪い?患者の事考えちゃ」
「いいえ。やっぱりセミアさんは優しい人ですね」
微笑んで、「僕も思い出したいんです、セミアさんのお墨付きを貰った物語。それに、逃げるのは良くないと教えてもらいました。僕の中にあの先生みたいな人が声を上げているのだとしたら助けたい、と思うのです」
反転し、彼に横に来るよう言う。
「一緒に取って」
「はい」
革表紙に触れた瞬間、凄まじい耳鳴りと振動が起こった。ページが勝手に捲れ、文字が指先を伝わって私の中に入ってくる。先生の思い出が走馬灯のように流れていく。
「アス!」途中でノートの動きが止まる。栞代わりに挟まれた後ろ数ページを破られた蒼い本。
彼は迷う事無くそれを取り、始まった苦痛に顔を歪めながらも胸の前でしっかり持った。
(早く読まなきゃ!)
こんなに真剣に物語を読むのは初めてだ。
ピシピシピシ………!
最後のページを吸収した瞬間、本は独りでに浮かび上がり、私の両手の上に納まった。
「大丈夫!?」
「何とか……」
蹲りながら槍を杖にどうにか立っている状態だ。
「ありがとうございます……セミアさん」
「まだ喋っちゃ駄目。物語が落ち着いてないから」
「本当にありがとう」
グサッ!
「――え?」
かはっ。アキャリの蒼白い血が大事な本の表紙に落ちる。
「『私達』の物語が取り戻せた以上、あなたはただの邪魔な糞餓鬼。死ね」
迂闊過ぎた。
「蛇―――!!」
張り付いて歪んだ笑顔。どうしてもっと早く気付かなかったんだろう。こいつらは、人に化ける。
セミアが本を手に持って、開いた。
「こっちもそろそろ何とかしないとね」
舞剣を右肩から真後ろに向かって突き付ける。
「何のつもりだクラン?危ないだろ?」
「冗談キツいよ『蛇』。さっき転送の直前で本物と入れ替わったね?」
「はぁ?何言ってんだよ?」
「本当のレイなら何でナイフを私の背中に向けてるの?」
コリーが毛を逆立てて跳び掛かろうとするのを片手で止める。
「先生は知ってたね。蛇のページが無くなっていたのを」
「まさかあんな強い物語があるなんて。僕では到底止められなかったんだ。流石百年に一度の代物。だけどどうして気付いたんだい?」
妹の隣に立つ衛兵を指差す。
「あれが偽物なんだから、確実にもう一匹近くにいるはず。それだけの話」
喉元に剣先をやる。
「さっさと元の紙切れに戻って。でないと殺す」
蛇はレイの声のまま嗤う。
「俺が殺す方が早いと思うけど、女王陛下様?」
ムカつく。
「私にも意地があるの。四肢を引き千切られても必ず殺してやる」
「物騒なお嬢さんだ」
ナイフの切っ先が肩甲骨の皮膚をチクッ、と刺した。
ゴウッ!!!
妹を中心にしていた風が止む。彼女は本を大事に抱き締め、傍らの蛇に声を掛け、そして―――貫かれた。
「セミア!!」
先生が車椅子を操り蹲る妹の元へ行こうとした。
ガラガラガラ……!!!
「うわっ!」
断続的な強い地震。書棚が次々倒壊し、収納されていた本が下敷きになっていく。壁、天井、床が土煙を上げて崩れ始めた。
「先生………!!」
倒れた車椅子の方に顔を向けた妹の身体から槍が抜かれる。ブシュッ!一瞬噴き上がる蒼白い血。
「拙い――!“蒼の幻望”の力が、正しく収束されないまま弱くなり始めている!」
先生は落ちて来た本を拾い上げ、早口で読み上げた。
「揺れ動く幻よ!言の力を得て一時の安定と秩序を!」
崩壊が治まった隙に車椅子を立て直し、蛇目掛けて力の限り突進する。
「ぐっ!」
反応の遅れた蛇は一メートル程跳ね飛ばされた。両腕で傷付いた妹を膝に乗せ、素早くUターン。間一髪掴み掛かろうとした蛇の手を避ける。
「一時退却。先生、安全な所へ道を作れる?」
「やってみよう」
私は剣を持ってない方の手で蛇の鼻っ柱に裏拳を当て、素早くその場を脱した。何が起きたか分からない蛇を尻目にコリーと共に駆け出す。
「こっちだ!」
車椅子が床に開いた穴に吸い込まれるように落ちた。私達も続いて飛び込もうとした。
「ぼ、じゃなくてシスカも早く!」
「私は適当に足止めしてこの亀裂から出るわ!ここはもう外の世界に通じている、匂いで分かった!」
リュックで向けられた槍を受け止め、横から飛び出してきたナイフに蹴りを食らわせる。
「早く行ってクラン!あと、ここで頑張った功績に免じてせめて二食にして!」
「考えとく。行くよ」
「クゥン」
「あ、こら!絶対忘れたフリする気だ!この人でなしのサド飼い主が!」
あの様子なら〇・五食でも問題無さそうだ。コリーと共に深い穴を落ちながらそんな事を考えた。
「って……」
何だか頭がズキズキする……そうか、夢から覚めたんだな。にしては薄暗い所だが。
立ち上がろうとして足に何かがぶつかる。妙に柔らかくて冷たい―――。
「ぎゃあっ!!!?」
クランがうつ伏せで倒れていた。触り心地から死んでいるのは確実だ。
「な、何なんだよこれは……悪い夢、だろ?」
「夢には違いないわね」
「ぎゃっ!!」
突然後ろからルウ姉さんの声がして再びビビる。
「ボキャブラリーの少ない奴。まあどうでもいいわ」
バサバサ。赤い眼の鴉が姉さんの腕に留まる。カァ。
「やっぱり出られないの?それをどうにかするのがあんたの仕事でしょ!」ポカッ!「この役立たず!」
段々と記憶が戻って来る。そうだ、光に包まれかけた瞬間誰かに後ろから突き飛ばされて……。
「クラン達はどこだ?」
「どうやら移動する直前妨害されたらしいわ。帰ろうにも私が通ってきた出口は何故か使用不能になってる」
苛立たしげに髪を掻き上げ、「さっきは空間が凄く不安定になっていたし、状況は最悪」
「ルウ姉さん、どういう事か説明してくれないか?」
「私にも分からない。けど、セミアの魔が消えたにしては様子が変だわ。何かあったのかも……」親指を噛みかけて止める。「とにかくあの子達を探さないと」
「闇雲に探索するのは危険そうだな。さっきみたいに炎を作って強引に進むか?」
「それしかないわね。だけどせめて二人のいる方向だけでも分かれば……」
突然、視界が白くなった。
「!!?」
俺達の間に浮かび上がった白く光るドレス。黒い前髪が目元を完全に隠している。綺麗なのに今にも散りそうな雰囲気をした、幽霊。
彼女は一瞬微笑み、俺達を素通りして時計の文字盤の中央へ、落ちて行った。
「もしかして案内してるの?」
「追い掛けてみよう」
文字盤に足が乗る。一瞬ふわっ、としたかと思うと周りに光が満ちた。
「わっ!?」
信じられない光景が広がっていた。立っている地面は透明な硝子、三百六十度の雲海。空を飛んでいるみたいだ!
「待ってくれ!」
軽やかな足取りで無色の道を跳ねるように進んでいく幽霊。こちらを振り返りもしない。
「ここは水晶宮――!!成程、クランの夢って訳」
雲の向こうを射抜く程睨み付けて、「現実だったら一暴れしてやる所よ」物騒な事を呟く。
水晶宮ってクランの兄さんの居城だよな……クランとセミアはここにいるのか?
(悪い子、には思えないんだよな)
朧雲から差し込む月明かりを人に生まれ変わらせたら、きっとあんな風になるんだろう。幻想的な雰囲気が柄にもない事を俺に考えさせる。
「先生、どう?」
仮面の無くなった妹の顔に血の気は無い。胸の傷からの出血は先生の包帯で既に止まっている。
「精神力が落ちている。このままの状態で“蒼の幻望”を制御するのは無理だ」
腕の中の妹は縋り付くように本を胸の前で抱え、時折苦しそうに息を吐く。私が手に触れると「お姉ちゃん……」と応えた。
「どうすればいい?」
「失った精神力を補えれば……彼女に与えられる物語、夢の断片でもあればいいんだが」
「そう。ところでここは?」
どこかのレストランのキッチンのようだが、やけに外がカチャカチャ五月蠅い。
「僕にも分からない。少しでも精神エネルギーの高い所を目指して入口を開いたんだが」
「分かった。調べてくるよ」おいでと言うまでもなく賢いコリーは付いて来た。
店内へと続くと思われるドアを開けると、金属音が一層騒がしくなった。テーブルは中央に大きいのが一つだけ。その席には、
「おじさん?」「クゥン?」
ベルイグ氏は実に美味しそうにステーキを頬張り続けている。皿が空になるとどこからともなく新しい肉が現れた。食欲をそそる香りもここまで来るとげっぷしか出ない。
「おじさん」
私の呼び掛けにナイフフォークが止まる。
「これはこれは小さな女王陛下。吾輩の夢に何の御用か。用が無ければ立ち去ってくれると大変有り難いのだが」パクパク。「見ての通り食事中でな」
「このステーキ、おじさんが作ったの?凄い妄想力だね」
「妄想とは何だ!?貴様、夢の中でまで喧嘩を売るつもりか!」
褒めてるつもりなんだけど。まぁいいか。
「ええい忌々しい!さっさと目の届かない所へ行け!折角の肉が不味く」
「クランベリー?そちらは?」
先生とセミアが厨房から出て来た。どうやら私達の話し声につられてきたようだ。
おじさんは妹の服の血に気付いて、「どうしたんだそれは?」珍しく興味を持ったようだ。単に蒼白い色が目を引いただけだろうけど。
「大事な娘がこの通り重傷で、あなたの豊かな想像力をお貸し頂ければ回復させられるかもしれません。どうかお願いできないでしょうか?」
「こ奴等の知り合いにしては随分礼儀正しいな。構わんが、吾輩は何をすればいい?」
「その料理を分けて下さい。彼女が口にすれば精神力が元に戻るはず」
「先生、それはちょっと無理じゃない?まぁ試してみてもいいけど」
ベルイグ氏から受け取ったステーキを一口サイズにして妹の唇へ触れさせる。が、予想通り彼女は首を横に振った。
「そんな油っこい物……今とても食べられない……」
「何だと!?折角やったのにこの小娘」
「怪我人に当たらないで。紳士でしょおじさん?」
「ぐっ……た、確かに」
私だってこんな脂ぎった物、余程お腹が空いていないと完食できない。大体このステーキ、普通の店で出て来る倍はある。一枚五百グラムぐらい?
「セミア、何なら食べられそうだい?」
妹は言葉を紡ごうと唇を動かすが、消耗が激しいのか声にならない。
「……駄目だ。何でもいいからあっさりした物を、早く吸収させないと」
「あっさりとは言っても何ならいいんだ全く!吾輩はステーキしか食わんぞ!!」
何て強情な。
「栗花落さん、は?」
「何だと?どこであいつの事を聞いた!?」
青筋立てて怒る程の事か?
「どこででもいいよ。栗花落さんはステーキしか作らないの?」
「そんな訳ないだろう!あれは料理も家事も万能で、そんじょそこらの女とは比べ物にならない程」
「じゃあ彼女が作ってくれるあっさりめの料理を妄想して。毎日食べてるならできるでしょそれぐらい?それとも仕事が忙し過ぎて覚えてないとか?」
「覚えているに決まっているだろう!!人を痴呆扱いするな!」
言うな否やテーブルの空いたスペースに若布と玉葱の味噌汁、白い炊き立てご飯、鱈の西京焼き、三種の漬物が出現。
「出掛ける前の朝食だ。どうだ見事だろう?」
胡瓜の漬物を摘まんでポリポリ。「美味しい」
「当たり前だ。あれの用意した物に不味い物があるはずがない」
先生が味噌汁を妹の口へ再び持って行く。今度はちゃんと飲んでいる。
「ちょっと元気出た……もっと頂戴」
「ほら、おじさん次」
「吾輩は食糧生産工場ではないぞ!」
ほうれん草と人参のお浸し、千切り柚子の乗ったふろふき大根、ミネストローネ、玄米粥等々。消化に優しくしかも一段と美味しい料理が次々出て来る。
「こら貴様!怪我人の食事をつまみ食いするな!」
「いいじゃん私も一応怪我してるし」ひっつみを口に放り込みながらコリーに同意を求める。「キュウン」余り良くありません、と言いたげにもこもこの首を竦めた。
「先生私善哉食べたい。あ、当然栗入りでね」
「お前がリクエストするな!おい小娘!他に食べたい物はあるか!?」
頬に赤みを取り戻した妹は首を捻り「カスタードシュークリーム」即座に現れたのを口一杯に頬張る。ほっぺたを膨らませて、実に子供らしい。
「先生、もう大丈夫。ありがとう、おじさん善い人だね」
妹が立ち上がりうーん、と背筋を伸ばす。服をパッパッ!と叩くと染みていた血が消えた。
「さっきの閲覧室に戻ろう。蛇をあのままにしておけない」
本をぱらぱら捲る。
「ただの物語に戻せるの?」
「私を誰だと思ってるのお姉ちゃん?物語の扱いで私の右に出る者はいないよ」
乳歯を出して笑う。
「そうだったね」
「お姉ちゃん達は動きを止めてくれるだけで充分。後は私一人でできるよ」
「頼もしい」
再びステーキを食べ始めたおじさんを見やる。
「もうすぐ夢の時間は終わりだよ。邪魔したね」
「やれやれ、やっと静かになるか」カチャカチャ。「夢の中だと言うのにやけに疲れた。目覚めたらあれの料理を食べに戻らんとな」