序章 夢の始まり
「夢を見ました」
暖炉の火種にゆっくり息を吹き掛け、薪を燃やしながら衛兵は言う。
「俺も見た気がするな……」余り良くない夢だ。「お前のはどんな?」
ふーっ。細く長い空気の流れに煽られて火が大きくなった。後は薪を絶やさなければ大丈夫だ。
「女王様が笑っている夢です」
――……きぃ……きぃ……――
『この子が例の?』
『ええ先生。親御さんを目の前で亡くしてからずっと。心を鉄のように閉ざして……毎日こうして本を読むだけで、一言も言葉を発そうとはしません……可哀相に』
「ようこそ、夢の大図書館へ」
濃い茶色の制服を着た眼鏡の少女は一礼した。
「当館は館長が収集された古今東西の物語数千万冊を閲覧する事ができます。貸出カードはお作りになられますか?……そうですか、残念です」
司書の首に提げられた名札は奇妙な事に白紙だ。
「カードの登録は無料ですので何時でもお申し付け下さい。――本日はどのような物語をご所望ですか?心躍る楽しい冒険の物語、身も心も蕩けさせる甘い恋の物語、それとも海の底まで落ちていくような哀しい物語?」
初めての利用者の要望に司書は耳を傾ける。
「――館長に関する物語、随分変わったリクエストですね。それなら特別資料室の一番奥に所蔵してありますが……貴方にあれを読む資格があるのでしょうか」
ふふ、と笑う。
「御気分を害されたなら申し訳ありません。ただ、あれは館長の極めてプライベートな物語なので閲覧申請は基本的に受け付けていません。どうしてもと仰るなら館長の許可書をお持ち下さい」
彼女は涼しい顔でそう告げた後、手に持った分厚い書物、蔵書目録を開く。
「館長ですか?最近は週に一度ほどしか御戻りになられていないですね。以前ですと頻繁に新しい物語を収蔵に来られたのですが、今は軽く書架を覗いていかれるだけ……一ヶ月半近く新刊が入らないなんて初めての事です。どうしてしまったのでしょうか」
司書の目が一瞬昏く光ったように見えた。
「ところでとても美しい物語を持っている御様子。――殆ど御覧になられていないのですか、勿体無い」
事情を説明しかけたが、司書は「結構」と手で制した。
「存じ上げています、貴方の事は全て。だからここへ呼びました」
くすり。
「夢は生と死、現と幻の狭間の世界。何者も叶い、何者も叶わぬ混沌の場所」
くすくす………くすくす………。
「貴方達さえいなければ館長は夢に浸ったままでいられたのに」
司書は正面に一人だけ。なのに利用者にははっきりと上下左右前後から同時に彼女の声が聞こえる。
「せめて良い夢が見られますように」