第一章 青い闇 9
「失礼しました」
潔く斬首台へと向かった拓海であったが、二分もしないうちに出てきた。古文の教師いわく、転校生だし緊張した面もあったのだろう。以後気をつけるようにとのことだった。呆気なく説教が終わったので、拓海はこの校舎の探索に出てみることにする。
この学校は四階建てで、一回には特別教室と保健室があり、二階には職員室、校長室、特別教室、会議室がある。三階には三年生教室と図書室、そしていくつかの空き教室がある。最上階の四階には1・2年生の教室があり、音楽室、技術室などがある。その上は町を展望できる屋上だ。まぁ何処にどの教室があるかはマニュアルを見たときにすべて覚えきった。だけど、記憶の確認のために校舎内を歩き回るのも悪くなかろう。
とりあえず職員室と同じ二階を探検してみますか。そう思い、ぶらぶら気ままに歩いてみる。フンフン、ここが校長室か、いつかは校長とコンタクトをとらなければ。悪いことすれば会えるのかな?あるいはいいことしまくって呼びだされるのを待つのか?自宅帰ってからリーダーとかに訊いてみよ。
ぶらぶら歩いていると、前から一人の女子生徒が近づいてきた。ちょうど美術室から出てきたようだ。廊下の上でお見合い状態になる。こちらが右によけようとすると彼女も左によけ、こちらが左によけようとすると彼女も右によける。もう鏡を前にしているような錯覚さえ起きてしまう。身長も性別も顔立ちも違うけど。フェイントをかけて連続して右に行こうとすると、彼女も連続して左に行こうとする。名札には1❘C 奈良汐織と書かれていた。気付けば同じクラスメイトだったようだ。とりあえず先に進めればどうでもいい拓海は譲り合いの精神をなぐリ捨てて直進をする。すると奈良さんも直進してくる。必然的に二人の距離は縮まり、互いに細部まで確認することができる。さっきまでは三メートルの距離が開いていたのに今では一メートルあるかないかだ。凛と整った顔立ち、全体的にフランス人形を思わせるようなスタイル。身長は百六十前半くらいだろうか。自分の視線から言うとつむじが見える。腰まで伸ばした黒い髪が風になびく夜を思わせる。うっかり見つめていると、
「なにデクノボウになってんのよ、どいて転校生」
無理して作ったような低い声。これを拓海は威嚇と受け取り思わず一歩下がる。そして風のように拓海のわきを歩き去っていった。
ずいぶんと気の強い奴だな。しかし拓海は特に気にせず探検を続けた。
休み時間も終わり、三時間目数学。眼鏡をかけたひ弱そうな先生が入って来る。第一印象はガイコツだ。適当に礼をして机に突っ伏す。特に指示もないしこのまま寝ようかと思ったのだが、先生の代わりに目を覚まさせる人がいた。
『教師からの問題すべてに答えて全部正解しなさい』
もう聞きなれた通信士の声。無茶苦茶な指令だが受けないわけにはいかない。できないわけでもないし。恐らくはキャラづくりの一環だろう。マニュアルによると勉強ができる具合は上の中に設定されていた。なら一問くらい間違えた方がいいのではと思えてくる。すると心を読んだのか
『おまえは今朝の事で馬鹿な転校生として扱われている。ここは全問正解した方がいい。』
なるほど、つまり今朝から俺の事を見る視線は馬鹿を見る目だってことか。もはややる気よりもトイレに駆け込んで泣きたい気分。でも、トイレの花子さんになることはできない。組織の指令の拘束力は尋常ではないのだ。ここは真面目にやろう。気合を入れるみたいに両ほほを両手ではさみこむ。
「では、復習からいきます。この問題が分かる人黒板に書いて。途中式も忘れずに」
さっそく数学の教師が問題を提示してくる。フフ、この程度の問題分からないはずがない。勢いよく天井に向け選手宣誓する。周りを見渡すとチラホラ手が挙がっている。八人か。このクラスは全体で三十だからおよそ三分の一か。多いのか少ないのか分からない。よく見れば奈良汐織も手を挙げていた。
でも、そんな事よりもさらに気になることが一つある。
どうしてみんな期待した瞳を俺に向けるの?
『それは恐らく皆がお前の珍回答を望んでいるからだろう。次はヒミコでも言うのか?』
拓海はまたしても心を読まれたのにも気に掛けず言う。
「あんた、本当に任務遂行を手伝う気あるのかよ」
『もちろんあるさ、お前の性格、キャラ、友人関係。すべてを完璧にするために私はアドバイスをしている。さっきの偽質問も私の作戦の一つだ。』
違う人が当てられ、自分は手を下げる。歩いて行くその男子生徒の背中を目で追いながら言い返す。
「の割には楽しんでいる風にも見えるんだけど」
『仕事は楽しまなくてはならない。楽しくない仕事など就いている意味がないからな。飽きたらやめる。それまでだ』
書き終わり、先生から丸をいただいた男子生徒は席に戻る。数学教師が新しい問題を黒板に書き込んでいく。
通信士が飽きたら仕事を辞めると言ったが、「闇」組織に属しているあたりそれは無理だ。「裏」ならなんとかなるかもしれないが、「闇」の目から一歩はみでたところで存在がかき消される。うっかり「表」の連中に存在をばらされたらそれまでだから。だから僕らはこの組織を抜けることはできない。
「次、この問題。さっきの公式の応用だ。まだ習っていない所も入れてるが・・・分かる奴はおるかね」
習ってないなら入れるなよ、とはもちろん言えず、拓海は手を挙げる。奈良汐織も挙げた。他には・・・いないようだ。どうやら汐織は相当頭がいいらしい。にしても、なんだ、このクラス全体から感じる視線は。いい加減朝の事引っ張りすぎじゃないのか。あからさまに笑っている奴もいるし。
「うーん。お、そこのキミ見ない顔だね。転校生?」
思いのほか手の上がらないのが不満げに腕を組んでいた数学教師だったが、俺の顔を見るなり目を輝かせた。
「そうだ、君の実力を測り知るためにも今回は君にあてよう」
そういってここまでつかつか歩いてきて白チョークを手渡してきた。なぜか汐織がこちらを睨んでくる。ゾクッとしながら椅子を引く。
皆の視線(啓太以外の。未だに知らん顔通している)を背中に浴びながら、俺は黒板の前に立つ。
やがて一息吐くと指揮をするかのようになめらかに黒板の上でチョークを滑らせる。
なかなか達筆である。チョークを置いて自分の席に向かって歩く。席に近づくにつれ周りのザワザワが大きくなる。以上に聴覚のいい耳で聞くと「いまのすごくね」「頭良かったんだ」などという意見が多く呟かれていた。なかなかいい気分。ふと視線を滑らすと、自分の右二つ先の所に座っている汐織と目が合う。相変わらず汐織の目には睨みで固定されていたが、ありありと驚愕の色が浮かんでいた。やっぱなんかいい気分。いい気分になったのは俺だけではないようで、
「すばらしい、途中式まで一つ残らず書いてくれましたね。すごいです」
眼鏡教師に褒められる。褒められて悪い気分にはならない。皆の称賛の目の中、啓太と目が合う。見つめあったのは刹那、啓太が顔を逸らす。なんで、かたくなにこちらを無視していた啓太がこちらを見たのだろう。
そんな二人のやり取りに気付かず、眼鏡教師は
「皆さんも彼を見習うように。拍手っ」
パチパチパチパチ。次第に拍手の音も大きくなる。照れて頭をポリポリかいていた拓海はそこで一人の殺気だった視線に気づく。啓太は片づけをしているし、先生は拍手をしている。クラスメイトは皆して「武田すげえじゃん」「おまえやっぱ頭良かったんだな」などと、気易く頭をバンバン叩く。意外にも早く友達ができそうだった。深い絆は作れないが、おしゃべりする仲になれるのは素直に嬉しい。
その後も俺は怒涛の快進撃をして、眼鏡教師をご機嫌にさせた。下手な演技で悩むそぶりをしたり、皆をじらしたりするのも楽しかった。だけど、啓太はずっと無視をしていたし、汐織も俺が答えてからはどんな簡単な問題でも手を挙げなくなった。
『うん、よくやった』
久々に通信士に褒められたし、これだけのハッピーで今朝の事をもう忘れてしまった。なんだかいい学校生活になりそうな気がしていた。
一方、通信部屋にこもっていた通信士は音声と衛星からの映像(聖馬(拓海)は知らない)で状況を把握していた。全問正解した部下を褒めた後、彼女はパソコンを使って調べ物をしていた。そしてコピー機から出てきた二枚のプロフィールを見て、悪態をつく。
片方は村瀬啓太。もう片方は・・・「表」の世界の奈良汐織。
「面倒なことになりそうな気がする。」
部下に言った褒め言葉は戻したくてももう戻らない。