第一章 青い闇 7
「ハァ、不幸だ―」
一時間目の英語の授業では皆からの痛い視線に耐えながら何とか乗り切った。そして休み時間の今、皆の視線をかいくぐるようにしてこうやって屋上に来て街を眺めている。暑い日差しの下流れてくる風はほほをなでてゆくかのよう。ここからでは当然我が家は見えない。ただ単純に遠いだけではなく、肉眼では何があっても見えないところにあるからだ。ホント、最近突貫工事すると埋蔵金が出てきたり・・・それはないが、まぁ魚の骨なら出てくる事はある。
こうやってくだらない内容にふけるのも今朝の出来事のせい。英語の時間何回も通信士に小声でコンタクトをとってみたが反応なし。今頃椅子の上で爆睡していてもおかしくはない。
だからとってもこれからの事に憂鬱になるわけで。自然と頭を抱え込んでしまう。このまま二時間目サボろっかな。多分始末書やらなんやら書かされることになるかも知んないけど(学校ではなく組織に)。そこで屋上に上って来る足音を聞いた。人並み外れた聴覚を特殊な訓練で身に付けた拓海は知らんぷりで街並みを眺め続ける。
やがてドアノブが回される音がする。ギィと古めかしい音を立て木製の屋上扉は開かれる。だが拓海は気付かないふり。大地を踏みしめるような足音から男であると推定された。彼が近くまできている事を足音が物語っている。彼は拓海の少し後ろで立ち止まった。二人の間に初夏特有の暖かい風が吹き抜けてゆく。無言で二人は風に当たった。拓海は後ろの男が何の行動も起こさないことに不信感を抱かずにいられなかった。やがて、拓海が我慢できずに口を開きかけた時、ドンピシャリ背後から低い声が聞こえた。
「なんで「闇」がここにいる」
ハッと息をのんだ。なんで、なんでばれた?どうして「表」の人間に自分の素性が分かる?まだ初日じゃないか。似たような疑問がぐるぐると頭の周りをまわって、パニックの色を含んだ瞳で背後を確認しようとする。だが遅かった。
ツッとそもそもの距離があまりなかったのだ。背後を見せていた拓海は反応が遅れ、簡単に懐に入り込まれてしまう。左の視界の隅に男の右手が黒く霞んで自分の喉元に突き出されていくのがわかる。咄嗟に訓練で習った正拳で左手を使って受け流す。拳とこぶしが交差して、バシ。と同時に右に飛ぶ。後ろはフェンスを隔てた地獄への垂れ流しルートだ。不利な状況を打破するために飛んだのだ。着地して彼と距離をとる。今度は相手を観察する余裕があった。身長は百七十前半くらいだろうか。同じく百七十五の自分とほぼ同じ。恐らく地毛であろう茶髪を耳元辺りで切りそろえられている。格好から見ると不良ではなさそうだ。学ランのボタンも上までつけてるし。茶髪だけど。いきなり殴りかかってきたけど。
彼は澄み切った低い声で問う。今気付いたが名前には「村瀬啓太」と書かれていた。どうやら同じ1❘Cのクラスメイトらしい。
「なんで「闇」がここにいる。」
「じゃあなんで俺が闇だなんてわかる。」
質問に質問で返す究極奥義。これは相手の質問を後回しにしたい時に使える効果的な時間稼ぎだ。恐ろしいほどの頭脳、我ながら感心感心。
「俺が「裏」にいるからだ。こちらの質問に答えてもらおう」
答えになってないし、時間稼ぎにもなってない。ちょっと悔しい。でも啓太が裏の人間だったとは驚いた。もう質問を質問で返したいくらいに。
「「裏」?何故「裏」がこんな辺ぴな私立高校に」
「関係無かろう。それで質問だが・・・」
「でもなんでお前が「裏」だったとしても俺の事「闇」だってわかるんだよ」
「・・・質問の途中に遮られるのは決して気分がいい事ではないんだが。まぁなぜ分かるかは今のお前には関係ない。それよりいい加減にこちらの質問に答えてもらおう。」
拓海は解答に詰まる。目の前の男がものすごい鋭利な視線でこちらを見つめてくるのだ。顔のパーツがパズルの様におさまった容姿に見つめられて拓海は照れ・・・はしない。野郎の顔を見たって何だって思わない。だが、喉に異物が詰まったように言葉が出ないのもまた事実だ。今、「裏」と「闇」はサブリミナル技術を奪い合い、睨みあっている。いまは危ない綱渡りの状況だが、いつ落ちてもおかしくはない。些細なきっかけ一つが火種になりかねないほど緊迫した状況なのだ。だから、拓海は無暗に情報を露呈できない。そして三度目の沈黙が彼らを包む。十秒ほどたったであろうか。ついに啓太が何かを言いたげに口を開いた。だが、啓太の声帯から発せられる音はいつまでたっても拓海の耳には届かない。なぜなら他の音が空気を振動させて啓太の作った空気の震えをかき消したからだ。
二時間目を告げるチャイムがなる。
そして、啓太はこちらに一瞥をくれると教室へと戻って行った。暫くして拓海も初日から怒られるのも嫌で慌てて啓太が開いていった屋上扉につま先を突っ込み閉鎖を阻止する。そのまま教室に走って行った。もう、いろんな事が重なりすぎて二時間目をバックレする気も起きなかった。