第一章 青い闇 10
三時間目の数学の後の休み時間、拓海は1❘Cの連中に囲まれていた。喝アゲされてるわけではない。趣味とか特技とかプロフィールとかを根掘り葉掘り聞かれていたのだ。望んだルートで仲良くなったのではないにしろ結果オーライ、クラスメイトとは仲良くなれた。
成り行きで他のクラスの奴等とも仲良くなり、「1❘Cの面白くてバカな季節外れの転校生」は「1❘Cの面白いけど頭がよくて季節外れの転校生」と塗り替えられた。そして、紹介された人の顔と名前すら覚えられなくなってきた頃に、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。
四時間目は保健体育だった。丁度体力テストの一回目。五十メートル走であった。急に仲良くなったクラスメイトと男子更衣室へと移動する。山田、だったか。特に仲良くして来る男子生徒だ。背が異常に高く、百八十ちょっと位だろうか。長い髪をバサッと広げながら言う。
「武っちゃん、体育とかできる方?俺は割とできるホウッ!ウホウ!」
こいつはいとことで言うと、アホなのだ。二言で言えば、救いようのないアホなのだ。
いきなり俺の事を馴れ馴れしく武っちゃんと呼んでくる。ちなみに俺がこいつを末期のアホと診断したのは、数学の時間に生きよいよく手を挙げたくせに、黒板に坂本竜馬と書き込んだからだ。最初は俺の事を馬鹿にしてるのかと憤りを感じたのだが、後から聞いた話、こいつは単語しか記憶として残す事が出来ないらしい。これを聞いたらもう同情の視線で見ることしかできない。そこへ、拓海の隣に誰かが並んで歩く
「山田のくせに生意気だよ生意気。んで、武田はどうなの?運動」
眼鏡をかけたそいつは小さな目をした小柄な男子生徒だった。髪も短くそろえられていて、イタチのような拭印機を醸し出している。たしか、藤田とか言ったはずだ。身長は百七十ジャスト。取りあえず質問にだけは答えてやろうと思い、口を開きかけたその時、山田に邪魔される。
「エー、今日って五十メータ走でしょ。三十メートルは余裕じゃーん」
多分山田は、五十メートル走の事を言おうとして、何故かハンドボール投げに飛んで行ったに違いない。何とも見当はずれな飛ばし方。本番のハンドボール投げでは是非とも前を見ながらやっていただきたい。そんな山田を無視して藤田の質問に答える。
『人並みにはできるよ』
「人並みにはできるよ」
おうおう、無難な言い方。さっすがウチの通信士。大人が出来てる。
通信士の指令がない時は自分で判断して応答しなければならないんだが、指令がある時はそれとまったく同じ言葉で返さなくてはならない。なかなかに辛い。
「おう、五十メートル走に期待ですな」
藤田が小さい目を見開きながら言う。
やげて、準備体操が始まる。
「位置について、よーい、」
バンッ。
俺の前の列の男子が走りだす。男子二人女子二人で一組。これで走るのだ。男子が女子に圧倒的な差をつけてゴール。いまんとこのクラス最高記録は六秒0四。百メートル走に換算すると十一秒後半くらいだろう。
「次の列、準備しろ」
上から体育教師の声が降って来る。拓海は本気で走るべきかどうかを迷っていた。本気を出せば訓練で身に付けたフォームと筋肉の使い方、呼吸の仕方で5秒前半はいける。百メートル換算すると十秒半て所か。すると耳元でまたしても通信士の声が響く。
『セーブして五秒八あたりで走って。決して余裕だってことを悟られないように』
いや、この時ばかりは通信士ではなく訓練士だった。だが、異様に声のトーンが低い。あっちで何かあったのだろうか。コーヒー零したとか。
「位置について」
後ろから山田と藤田のガンバレーという声が聞こえる。位置についてを言われたらしゃべってはいけないというのに。気を引き締めなおす。これは本気を出すのより難しい。自分で自分の力をセーブするのは。まして、それを悟られないように演技するのはもっと。だが、やらなければならない。
「よーい」
腰を上げ、真下の土を見る。めいっぱい息を吸い、その時を待つ。
バンッ。
結果は火を見るのより明らかだった。余裕で一位となり、クラスの最高記録を打ち立てた。記録は五秒八二。山田と藤田がすげーじゃんすげーと騒ぐ中、クラスの陸上部員が涙するのを見た。
誰の目から見ても全力で走った村瀬啓太は六秒一二。拓海の目はきっちりセーブされていたのを確認済み。
奈良汐織は女子の平均タイムよりやや遅い結果と相成った。
ちなみに藤田は六秒八と帰宅部にしてはいい結果を出し。アホの山田はきっちり靴を三十メートル飛ばした。
『きっちり五秒八に出来なかったから帰ってきたら訓練の補修』
藤田はその日、更衣室で魂の抜けた拓海の顔を見たという。
こうして、拓海の評価は「1❘Cの面白いけど頭がよくて運動もできる季節外れの転校生」と相成った。