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銀翼の梟

春に舞う小さな雪

作者: 銀翼の梟

 立春を過ぎてから一ヶ月以上も経つのに、未だに外には雪が降り続いている。本当に春なのだろうか、そう感じるにはあまりに寒くて敵わない。

 北国でもない、むしろ暖かい地方に分類されるこの街に、この季節まで雪が降り続くのは初めてだとニュースで言っていた。おかげで炬燵から一歩も出ることができない。全く困った話である。

「ほら、家に引き籠ってないで、ちょっとお使い行ってきなさい」

 そんな状況を知ってか知らずか、母はどうやら私を外に出させたいらしい。この炬燵を自分のものにしたいという本音は丸見えだったが、ここで反発しては後々厄介なことになりそうな予感を覚えた。具体的には、どことなくギクシャクした空気の中で夕食を食べなければならなくなるとか。

「はいはい、分かったわよ」

「返事は一回でいいの」

「……はーい」

 幸いにも頼まれた買い物は多くない。また、店も比較的近い位置にある。ならば、私が折れた方がこの先平和な道を辿るだろうという結論に至るのは、そんなに難しいことではなかった。

 炬燵を出ただけで全身を震わせる寒気が体を包み込むが、まだ体が温かいうちに素早く上着を二枚羽織る。これで寒さもしばらくは凌げ……ないのが今年の春の恐ろしいところ。気候は完全に冬だが。

「じゃあ、いってきます」

 とにかく、家の中にいるうちから寒さに負けているのでは話にならない。

 意を決して、私は白銀に包まれた世界へと足を踏み出した。


  ◆


 家の前には、普段なら犬の散歩をしている人や、走り回る子供達の姿が見られる小さな公園がある。しかし、今日ばかりはさすがに誰の姿も見られず、遊具に積もった雪は誰の手によっても荒らされていない。静かで寂しげな公園、そうなってしまったのは何を隠そう……

「うー……寒っ」

 服の上からでも身を貫いてくるような、この寒さのせいに他ならない。本当ならもう桜の花が開きかけてもいいはずなのに、今年はどうしてこんなに寒さが続くのか。

 ただでさえ今年の冬は大雪に悩まされ、『異常気象』と呼んでも差し支えなかったはずなのに、こっちの方が立派な異常気象である。異常なのに立派だなんてもう訳が分からない。

「……さっさと済ませよっと」

 降り積もった雪に一歩一歩足を沈みこませながら、前へと進んでいく。

 そういえば、小さい頃は誰も踏んでない積雪を踏み荒らすのが好きだったなと、ふと思い出す。真新しい雪に自分の足跡を刻むことで、これは自分のものだぞ、と妙な優越感に浸っていたのだろう。残念ながらこの道の雪には、既に何人かの先客が訪れていたのでそんな気分にはなれなかったのだが。


  ◆


 五分ほど歩くと、大きな広い通りに出る。

 ここにはさすがにまばらながら人影があって、皆寒さに震えながら歩を進めていた。目指す店はこの大通りの先にある。途中で何人かとすれ違いながら変わらず歩き続けていると、ふと家電量販店のウインドウにあるテレビに目が移った。

『……では、続いては天気予報です』

『はい。異常気象とも呼べるこの寒さは、いつまで続くか全く見当がつきません。この時期に強い寒気がこれほど長期に渡って日本全土を覆うというのは前代未聞の出来事で、三月いっぱい、ひいては四月になっても真冬のような気候が続くと予測する専門家もいます』

 冗談じゃない。四月になってもこんな寒さが続いたのでは、本気で四季が崩れてしまう。相手が寒気という自然現象なだけに無理な話なのは分かっているが、それでも誰か何とかしてほしいものだ。

 気象の専門家と名乗る老人が語り出したのを見て、これ以上テレビを見る意味はないと見切りを付け、再び歩き出す。ただでさえこんなに寒い中で、体を長時間動かさずにいるのは雪だるまくらいのものだろう。


  ◆


「ふー、やっと着いた」

 目的地にたどり着くとようやく寒さから解放され、代わりに暖房の暖かさが体を包み込む。

 母に渡されたメモを見つつ、買い物かごへと品物を放り込んでいく。今夜のメニューは水炊きらしい。この寒い日にはやっぱり鍋に限る。水炊きのことを思えば、この暖かい店内から寒い屋外へ戻る勇気も出てくる。少し気分が高揚したところでメモを見返すと、いちばん最後に書き殴ったような字でこんなことが書いてあった。


『アイスクリーム……一つ』


 一体母親は何を考えているのだろう。こんな寒さの中でアイスなどと。確かに炬燵に入って食べるアイスクリームは趣があるが、やはり暖かくなってから食べたいものである。

 しかし、頼まれた以上は買わないわけにもいかないので、仕方なく大福生地に包まれたバニラアイスをかごの中に入れた。これなら二個入っているうえ、もし家族の中にもう一人物好きがいたとしても対応できる。

「ありがとうございました~」

 レジを打った店員の気持ちが籠ってない言葉を背に、再び極寒の屋外へと足を踏み出した。



 ただ帰るのも何かおもしろくなかったので、来た道を戻らずに別の道から帰ることにする。所要時間はおおよそ往路の二倍というところか。少し遠周りにはなってしまうが、たまにはそういうのもいい。

 大通りをさらに進み、突き当たりから小さな路地へと入る。さすがにここには誰も足を踏み入れてなかったらしく、柔らかな積雪に足を埋める感触がどことなく気持ちよかった。

 しばらくその感触を楽しみながら路地を抜けると、閑静な住宅街の一角へ出た。後は曲がり角をいくつか曲がれば晴れて帰宅である。なんてことはない、少しルートが変わっただけの平凡な帰路だ。ただし……


「……………?」


 妙な視線を感じる。ちょうど、路地に入った辺りからだろうか。とはいっても、何かよからぬ事に巻き込まれそうな、いわゆる悪寒を感じる類のものではない。気になって振り向いてみると、その正体はすぐに分かった。


「……………」


 電柱の陰に隠れてこちらを見つめる、小さな女の子。私の視線に気づくとさっと電柱に身を潜めたが、その後おずおずとまた姿を現す。なんともかわいい。

 しかし、一体何の用なのだろうか。そもそも用などないのかもしれないが、その場合でも放っておくわけにはいかない。踵を返して私は来た道を少し戻り、女の子に話しかけた。

「どうしたの? 私に何か用?」

 こくこく、と女の子は頷く。ならばどんな用なのかとさらに聞くが、女の子はそれっきり反応を示さない。ただ、こちらをじっと見つめるだけ。

 しばらくそのままで時間が過ぎ、ようやく私は『はいかいいえで答えられる質問をしなければならない』ということに気づいた。

「何か落とし物を届けにきてくれたの?」

 ふるふる。

「それじゃあ、何か大切なことを伝えにきたとか?」

 ふるふる。

「そうよねぇ……うーん、誰かを探してる?」

 ふるふる。

「……ひょっとして、何か欲しい、とか?」

 こくこく。

「えー……」

 するとこの女の子は、私が今持っている物の中の何かを欲してついて来たということか。見たところ薄着で防寒具を纏ってないし服だろうかと思ったのだが、当然ながら私の服は女の子に合うサイズではない。

 となると、買った物の中にあるのだろうか。レジ袋を覗き込むと、いちばん奥に入れた例の大福アイスが目に入った。正直子供が欲しがるのはこれくらいしかないと思って取り出した途端、女の子の目が輝く。やっぱりこれか。

「これが、欲しいの?」

 当然ながら、こくこくと頷く。

 見知らぬ女の子のために母が望んでいたであろうアイスをプレゼントするのは少し迷ったが、それでもキラキラと輝いている女の子の瞳を見てしまえば、そんな迷いなどどこかへ吹き飛んでしまう。

「はい、どうぞ。喉に詰まらせないように食べなさいな」

 私がアイスを渡すと、女の子はぱぁっと花が開いたような笑顔を浮かべた。こんなに嬉しそうな笑顔を見るのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。いいものを見たと思って家路を急ごうとすると、くいくいと小さな力で服を引っ張られた。見れば、女の子が上着を掴んで上目遣いでこちらを見つめている。

えぇい、可愛いなぁもう。

「ん、まだ何か用なの?」

 こくこくと頷いた女の子は、そのまま細い道の方へと走り出していった。私をどこかへ案内してくれてるのだろうか。どこかそんな気がして、早歩きで女の子の後をついていく。

 家々の間を進み、突き当たりを右へ曲がり、また細い路地裏へと入り、かれこれ五分は歩いただろうか。ようやく女の子が足を止めたので追いついてみると、私は思わず息を飲んでしまった。

「うわぁ……」

 そこはちょうど、家の前にあるような小さな公園の様子に似ていた。

 いつの間にか顔を除かせていた陽光が積もった雪に射し込み、まるで水晶を思わせるような輝きを放っている。何者の手も付けられていない遊具は神聖ささえ感じさせ、一つの芸術品とも劣らない優美さも併せ持つ。まさしくそれは、我々一般人は立ちいることさえ許されない、神様が遊ぶためだけに作られた空間に見えた。

 すると、この女の子はもしかして神様なのだろうか。大福アイスの見返りに、ここに入ることを許してくれるのだろうか。既にその考えが常識から逸脱していることは頭から抜け落ち、恐る恐る公園に足を踏み入れようとして、

「ぶっ!」

 何か顔に冷たいものが当たるのを感じた。

 ぶつかった何かを払いのけつつ前を見ると、女の子が丸めた雪玉を両手に持っているのが見える。当然、持ってるだけでは飽き足らず投げつけてくるわけで、胸とお腹に一発ずつ被弾した。ちょっと痛い。

「やったわね……!」

 やられっ放しは癪なので、こちらも雪玉を作って応戦する。全力で投げるとさすがに可愛そうなので力をセーブして投げたが、そもそも女の子の身長が小さいので当て辛い。それどころか、向こうは滑り台やジャングルジムを利用してことごとく雪玉を避け、逆にこちらに的確に当ててくる。何せ的は大きいのだ、私より当てやすいのも当然である。

くれぐれも断っておくが、女の子と比較しての『大きい』であって、決して巨漢であるとかそういうわけではない。断じてない。胸はもう少し大きくなってもいいとは思うけれど。

 ……とにかく、かつてないほど真剣に、そして楽しんで雪合戦をやり続け、体力の限界と共に私は雪原に倒れ込んだ。

掬い上げたせいで荒削りな面になったにも関わらず、積雪は体を柔らかく包み込み、まるで極上のベッドのようだ。こんなに豪華なベッドならきっと寝心地は最高だろう。冷たさもどこか心地いい。

 ふと隣を見れば、女の子が私の横に立っている。あぁ、すごく満足げな表情だ、よほど楽しかった……の、だろう……


「……ん、ぁ……」

 次に目を覚ました時、私は家の前の公園のベンチで横になっていた。日は既にとっぷりと傾いている。この分だと数十分くらい寝てしまったのだろう、風邪が心配だ。

 いや、そんなことより気になったのは……

「……あれ?」

 どこを見回してもあの女の子がいない。当然だ、私が寝てしまったからどこかへ行ってしまったのだろう。それとも、あれはただ単に私の夢だったのかもしれない。帰るのに疲れてここで寝てしまったという可能性もあり得る。

 もし夢でなければ少し悪い気がしたなと罪悪感に苛まれつつ、しかし手にぶら提げた買い物袋が現実を知らせる。慌てて家に戻った私が、親からこってり絞られたのは言うまでもない。





……この後、いくつかの解明できない謎が残った。


 後で思い直したのだが、あの公園を出る時には足跡一つなかった。起きた時に私の体の上に雪が降り積もっていなかったから、新たに積もった雪が足跡を消した可能性はないのだが、そうでなければ私は一体、どうやって足跡を付けずに、公園のいちばん奥にあるベンチまでたどり着いたのだろう?


 晩ご飯の水炊き後、母親が大福アイスを食べようとして封を開けた時、二つあるうちの片方のアイスが入っていなかった。すぐに母親は製造会社にクレームの電話を入れたが、よく見ると容器の底に白い粉が零れていることから、元々ここにアイスが入っていたことは確認できる。だが、それなら封を開けることなく中のアイスを取り出したことになる。そんな方法などあるのだろうか?


 翌日、あれほど続いていた冬の寒さは何処かへと消え失せ、春の陽気がやって来た。

テレビでよく見る気象の専門家たちは、日本全土を覆っていた寒気が突然消えた理由に頭を悩ませていたが、一体なぜ急に春は訪れたのだろう? いや、言い換えるなら、何故冬は急に去ってしまったのだろう?










 そして、何より……



 あの少女は、一体何者だったのだろう?

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