未来から来た俺が「彼女と別れろ」と言ってきた
もし、未来の自分に会えたら。
あなたなら、何を聞くだろうか。
ロト6の当選番号?
ビットコインは、いつ買うべき?
十年後、どんな仕事をしている?
それとも――今付き合っている恋人と、結婚できているか。
俺なら全部聞く。
せっかく未来から来てくれたんだ。
使える情報は、一滴残らず搾り取る。
まあ。
そんなこと、あるわけないんだけど。
――そう思っていた。
「ぐはぁっ!!」
金曜日の夜。
自室で缶チューハイを飲んでいた俺の目の前で、何もない空間がガラスのようにひび割れた。
「な、なんだ!?」
強烈な光。
次の瞬間、一人の男が空間の裂け目からフローリングへ転がり落ちてきた。
「いてぇ……! 転移の衝撃が……!」
男はボロボロだった。
服は謎の白い粉まみれ。
腕には無数の引っかき傷。
髪はボサボサ。
そして目の下には、死人みたいなクマ。
だが。
その顔には、見覚えがあった。
「……俺?」
「そうだ……!」
男が顔を上げる。
「俺は未来のお前だ!」
「マジで!?」
俺は勢いよく立ち上がった。
来た。
人生最大のチャンスが来た。
「ロト6! 次の当選番号! ビットコインは今買うべき!? 競馬でもいい、万馬券! 何か一個くらい金になる情報くれ!」
「そんなこと聞いてる場合じゃねえ!!」
「未来から来た奴にそれ以外何聞くんだよ!!」
未来の俺は、俺の両肩をガシッと掴んだ。
「よく聞け、過去の俺」
「お、おう」
血走った目。
震える唇。
冗談ではない。
未来の俺は、本気で何かに怯えていた。
「今すぐ――結衣と別れろ」
「……は?」
ロト6でもなかった。
ビットコインでもなかった。
世界の終末ですらなかった。
未来の俺が最初に持ってきた情報は、
付き合って一ヶ月の彼女と別れろ、だった。
「なんで結衣なんだよ!」
結衣は、俺が先月から付き合い始めた彼女だ。
おっとりしていて優しく、容姿端麗。
料理も上手い。
人の悪口も言わない。
俺にはもったいないくらい、できた彼女だ。
「結衣が未来で何するんだ!?」
「説明してる時間がねえ! だが、このまま結衣と一緒になったら、お前は確実に壊れる!」
「壊れる!?」
「自由も!」
「うん!」
「時間も!」
「うん!」
「金も!」
「うん!」
「睡眠も!」
「急に生活感出たな!」
「全部なくなる!!」
未来の俺は泣きそうな顔で叫んだ。
「二時間おきだぞ!」
「何が!?」
「毎晩、真夜中に凄まじい悲鳴で叩き起こされるんだ!」
「拷問!?」
「飯もまともに食えない!」
「監禁!?」
「大量の白い粉と紙切れに金が消える!」
「薬物組織!?」
「こちらの言葉は一切通じない!」
「洗脳!?」
「気に入らなければ食べ物を吐き出す!」
「怖っ!」
「暴れる!」
「怖っ!」
「俺の全身を傷だらけにする!」
「結衣、未来でどんな組織の幹部になるんだよ!!」
「組織……?」
未来の俺が一瞬だけ首をかしげた。
「違うのかよ!」
「いや……ある意味、組織ではある」
「あるんじゃねえか!!」
俺の背筋に冷たいものが走った。
白い粉。
謎の紙切れ。
深夜の悲鳴。
意思疎通不能。
暴力。
しかも複数人の組織。
結衣。
お前、一体どこまで行くんだ。
「おい、もっと詳しく教えろ! 結衣の背後に誰がいる!?」
「逃げろ……」
未来の俺の瞳から光が消えた。
「奴らからは逃げられない……」
「奴ら!?」
「どこへ行っても追いかけてくる……」
「怖い怖い怖い!」
「風呂にすら一人で入れないんだ……!」
「もう完全にカルトじゃん!!」
「ぐあっ……空間が!」
未来の俺の体が光り始めた。
「待て! まだロト6の番号聞いてない!」
「今そこ!?」
「じゃあビットコインだけ!」
「覚えておけ、過去の俺……結衣と一緒になったら、お前の人生は――」
「ビットコインは!?」
未来の俺は、そのまま時空の裂け目に吸い込まれて消えた。
「そこだけ教えてけよぉぉぉ!!」
部屋に俺の叫びだけが残った。
……いや。
問題はそこじゃない。
「結衣……」
未来の俺は確かに言った。
結衣と一緒になれば、人生が壊れる。
金も。
自由も。
睡眠も。
そして風呂まで失う。
俺はその夜、ほとんど眠れなかった。
未来の俺と違って、普通に寝られる環境なのに。
*
翌日。
カフェのテラス席で、俺は結衣を観察していた。
「どうしたの?」
ストローを咥えながら、結衣が首をかしげる。
「なんだか今日、ずっと私のこと見てない?」
「そ、そう?」
「そうだよ」
白いニット。
柔らかな栗色の髪。
穏やかな笑顔。
どう見ても天使だ。
だが昨日、未来の俺はその天使との交際を全力で止めに来た。
つまりこれは擬態かもしれない。
怖い。
「あ、いや……ちょっと将来のこと考えててさ」
「将来?」
結衣の目が輝いた。
「ふふ。私もね、たまに考えるよ」
「……何を?」
俺は身構えた。
「いつか家を建てるなら、部屋は多い方がいいなって」
来た。
未来の俺を精神崩壊させた拠点の話だ。
「へ、へえ……どうして部屋数が必要なのかな?」
「だって、賑やかな家の方が楽しいじゃない?」
結衣は嬉しそうに笑った。
「笑い声とか、叫び声とか、一日中聞こえるくらい」
「叫び声!?」
「え?」
昨日の言葉が脳裏をよぎる。
――毎晩、凄まじい悲鳴で叩き起こされる。
一致した。
完全に一致した。
「な、なあ結衣」
「なに?」
「もしさ、家の中に全然言うことを聞いてくれない相手がいたら、どうする?」
「え?」
「何回言っても聞いてくれなくて、すぐどっか行っちゃうような」
結衣は少し考えた。
「うーん……追いかけるかな」
「追いかける!?」
「だって、そのままにはできないでしょ?」
――どこへ行っても追いかけてくる。
また一致した。
未来の俺。
お前、全部本当だったのか。
「ところでさ」
結衣がメニューを閉じながら言った。
「最近ネット見てて思ったんだけど、消耗品ってまとめ買いした方が結構安いんだね」
「……まとめ買い?」
「うん。毎日使うものとか」
消耗品。
大量購入。
未来の俺は言っていた。
――俺の金が、ものすごい勢いで消えていく。
「ど、どれくらい買うつもりなんだ?」
「え? 必要なら箱で買うかな」
「箱!?」
「その方が安いでしょ?」
箱単位。
やはり何かを大量に消費する未来が待っている。
「あと、置く場所も必要だよね」
「隠し場所まで!?」
「収納場所ね?」
「……あ、はい」
「さっきから本当にどうしたの?」
結衣が怪訝そうに俺を見る。
危ない。
点と点が、嫌な方向につながり始めている。
「ご、ごちそうさま!」
「えっ?」
「今日は帰ろう!」
「まだケーキ来てないよ!?」
「今の俺にケーキを味わう余裕はない!」
「なんで!?」
俺は逃げるように会計へ向かった。
*
その日の夕方。
結衣はアパートの俺の部屋までついてきた。
「ねえ、本当にどうしたの?」
「……」
「今日のあなた、ずっと変だよ」
心配そうに顔を覗き込んでくる。
優しい。
優しすぎる。
こうして相手を油断させてから、未来では白い粉と紙切れの組織へ――
いや。
もう考えるのはやめよう。
未来の俺は命懸けで過去まで来た。
なら、俺も決断するしかない。
「結衣」
「うん?」
「ごめん」
俺は拳を握った。
「俺たち……もう会わない方がいいと思う」
「……え?」
結衣の表情が固まった。
「どうして……?」
「このまま付き合い続けたら、俺の人生は終わるんだ!」
「何の話!?」
「夜中に悲鳴で叩き起こされる!」
「え?」
「白い粉に金を吸われる!」
「は?」
「食べ物を吐き出される!」
「ちょっと待って!?」
「風呂にも一人で入れなくなるんだ!!」
「本当に何の話!?」
その時。
廊下の空間が、再びガラスのようにひび割れた。
「やめろ、過去の俺ぇぇぇぇ!!」
ドゴンッ!
昨日の未来の俺が、派手に転がり出てきた。
「未来の俺!」
「本当に別れようとする奴があるか!!」
「お前が別れろって言ったんだろ!!」
「あの時の俺は三日まともに寝てなかったんだよ!!」
「知らねえよ!!」
「一回落ち着け!」
「落ち着けるか!」
俺は未来の俺の胸倉を掴んだ。
「じゃあ教えろ!」
「何を!」
「結衣は未来で俺に何をしたんだ!?」
「だから結衣じゃない!」
「じゃあ誰だよ!?」
「落ち着け!」
「毎晩俺を起こして!」
「うん!」
「言葉も通じなくて!」
「うん!」
「飯を吐き出して!」
「うん!」
「体を傷だらけにして!」
「うん!」
「白い粉に金を溶かしてる奴は誰なんだよ!!」
未来の俺は黙った。
そして。
ゆっくりと手を上げた。
四本。
指を四本立てた。
「……四人だ」
「は?」
「四人いるんだよ」
「何が?」
「子供が!!」
「……え?」
「四つ子なんだよぉぉぉぉ!!」
「「四つ子!?」」
俺と結衣の声が重なった。
未来の俺は、その場に膝から崩れ落ちた。
「生後三ヶ月! 一人が泣く! 抱っこする! もう一人が泣く! そいつを抱っこする! そしたら最初の奴がまた泣く!」
「……」
「エンドレスだよ!!」
「……」
「寝かせても起きる! ミルク飲ませても泣く! オムツ替えても泣く! 抱っこしても泣く! たまに理由なく泣く!」
「最後のは赤ちゃんだからな」
「分かってるよ!!」
未来の俺は涙目で叫んだ。
「連続睡眠時間なんて概念は、我が家から消滅した!!」
「じゃあ白い粉は……」
「粉ミルク!」
「紙切れは?」
「紙おむつ!」
「服のシミは?」
「吐き戻し!」
「腕の傷は?」
「爪!」
「風呂に一人で入れないのは?」
「四人順番に入れてたら俺の番なんか来ねえんだよ!!」
「全部育児じゃねえか!!」
「そうだよ!!」
「じゃあ組織って何だったんだよ!」
「四人!」
「四つ子を組織って呼ぶな!!」
未来の俺は、四本指を突き出した。
「でもな!」
「何だよ!」
「大人二人!」
今度は二本。
「赤ん坊四人!」
再び四本。
「最初から数で負けてんだよ!!」
「算数みたいに言うな!!」
「しかも敵は交代制だ!」
「赤ちゃんを敵って呼ぶな!!」
「俺たちが寝ようとした瞬間に誰か起きるんだぞ!? あいつら絶対シフト組んでる!」
「組んでねえよ!!」
未来の俺は床に手をついた。
「俺は……ただ……寝たかっただけなんだ……」
「……」
「一時間でいい」
声が震える。
「誰にも呼ばれず」
床を見る。
「何も聞こえない場所で」
拳を握る。
「横になりたかった……!」
「急に切実になるな」
「そんな時、義父さんの日曜大工の試作タイムマシンが目に入って……」
「ちょっと待て」
「なんだ」
「義父さん、日曜大工で何作ってんの?」
「タイムマシン」
「そこが一番おかしいだろ!!」
「俺も今はそこを気にしてる余裕ない!」
「俺はある!」
「とにかく一時間だけ過去で寝ようと思ったんだ!」
「それで俺のところへ?」
「そしたら昔の俺が缶チューハイ飲みながらダラダラしてた」
「悪いかよ!」
「羨ましすぎて殺意が湧いた」
「未来の自分から殺意向けられるとは思わなかったわ!!」
「しかも部屋が静かだった!」
「普通だよ!」
「誰も泣いてない!」
「一人暮らしだからな!」
「床におもちゃも落ちてない!」
「ないよ!」
「冷蔵庫に俺のプリンが残ってた!」
「食えよ!」
「それで魔が差した」
「だから『結衣と別れろ』!?」
「寝不足って怖いな」
「他人事みたいに言うな!!」
その瞬間。
再び空間が裂けた。
「あなたーーーっ!!」
「ひぃっ!」
未来の俺の顔が真っ青になる。
時空の裂け目から現れたのは――少し大人びた結衣だった。
胸元の抱っこ紐に赤ちゃんが一人。
腕にも一人。
そして髪は少し乱れ、額には汗。
それでも今の結衣と変わらない、優しそうな顔をしていた。
「ちょっと! お風呂の途中でどこ行ったの!」
「未来の結衣……?」
「あと二人待ってるんだけど!」
穴の向こうから、
「おぎゃあああ!」
「ふぎゃあああ!」
二人分の元気な泣き声。
「二人置いてきたの!?」
未来の俺が叫んだ。
「置いてきたのはあなたでしょ!!」
「ごもっともです!」
未来の結衣は腰に手を当てた。
「あなた、まさか……」
「な、なんだ?」
「この子たちが生まれないように、過去を変えようとしたんじゃないでしょうね?」
「違う!!」
未来の俺が全力で首を振った。
「誓って違う! 俺は一時間寝たかっただけだ!」
「本当?」
「本当!」
「昨日の夜、『四人とも世界一かわいい、俺が一生守る』って泣きながら抱きしめてた人が?」
「それはそれ! これはこれ!!」
「じゃあ帰るよ」
「え」
「今日も寝かしつけ、あなたが担当」
「三十分!」
「ダメ」
「二十分!」
「ダメ」
「十分!」
「ダメ」
「五分!」
「帰る」
「せめて三分!」
未来の結衣が、未来の俺の襟首を掴んだ。
「嫌だあああ! 睡眠をくれぇぇぇ!!」
「ほら帰る!」
「待て!」
俺は咄嗟に叫んだ。
「未来の俺!」
「なんだ!?」
「ビットコインだけ教えてくれ!!」
「今それ聞く!?」
「ここまで来たら一個くらい未来情報くれよ!」
「ビットコインはな――」
バシュンッ!
時空の穴が閉じた。
「そこだけ教えてけよぉぉぉぉ!!」
廊下に俺の絶叫が響き渡った。
*
「……」
「……」
残された俺と結衣は、しばらく黙っていた。
世界の危機でもない。
秘密結社でもない。
洗脳でもない。
単なる――
未来の俺の、極度の寝不足による敵前逃亡だった。
「その……結衣」
「……」
「ごめん」
「……」
「未来の寝不足野郎の話を真に受けた俺が悪かった」
「……ふふっ」
「え?」
結衣が顔を上げた。
怒っていると思った。
だが。
その頬は、真っ赤だった。
「……未来でも一緒なんだね、私たち」
「……まあ、そうみたいだな」
「結婚してるんだね」
「……みたいだな」
「子供もいるんだね」
「四人な」
結衣が少し考えた。
「……四人かぁ」
「そこ気になる?」
「だって」
結衣は、少し嬉しそうに笑った。
「すごく賑やかそう」
「未来の俺、死にかけてたぞ」
「でも、幸せそうだったよ?」
「どこが?」
「だって――」
結衣が俺の腕に、ぎゅっと抱きついた。
「四人とも世界一かわいいって、泣くくらいなんでしょ?」
「……」
反論できなかった。
結衣の体温が、腕から伝わってくる。
柔らかな香り。
嬉しそうな笑顔。
なるほど。
未来の俺が、一時間だけでも逃げ出したくなるほど追い詰められて。
それでも結衣と別れなかった理由だけは――よく分かった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
もし少しでも楽しんでいただけたなら、気が向いたときに他の作品ものぞいてみてください。
また全然違う世界で、お待ちしています。




