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とりあえず手紙で指示された通りの入り口から入り待っていると、一人の人物が現れた。その人物とはあのグレーの瞳の男だった。ダリアは挨拶も忘れて慌てた様に言った。
「誓って口外などしていません!」
「…分かっている。あなたを呼んだのは別件だ」
ダリアはほっとしたのも束の間、その男は小声で「まあ完全に別件でもないが」と言った。
(もうなんなのよ!!)
男に案内されて通された部屋には誰もいなかった。ローテーブルとソファが並び、ピアノも置かれていてダリアの自室と同じくらいの大きさだ。ただそれら調度品の豪華さや価値は比べる必要もない。それが自分は今城にいるんだという現実がダリアに重くのしかかる。
恐らくここは談話室の様なものだろう。などという話はどうでも良く、一刻も早くここに呼ばれた理由を知りたい。ダリアは座る様促されその通りにする。とにかくこの男から話を聞くしかない。
「あなたには二度と会う事はないだろうと思っていたんだが…私はブレーデン・ハノーヴァー。ジョシュア殿下に仕えている」
ーーやっぱり王子の側近だったのね、とダリアは思った。何となく察していたものが確定しただけで、別に驚きはしなかった。そんな事よりも早くここに呼ばれた理由を知りたい。
「単刀直入に言おう。殿下があなたと話したいと言っている」
「え!?」
ダリアの声にブレーデンが怪訝そうな顔をした。また淑女らしからぬ云々思っているのだろうが、大きな声がでてしまうのは当たり前である。
「な、なぜ私なんかと…?」
「あなたに意見を求めたいと」
「意見…ですか?私情勢の事なんてさっぱり…」
「…そんな事をあなたに聞くわけが無い。件のメイドのことについてだ」
ダリアははっとする。だから別件というわけでもないと言ったのか、と合致するも、それについて意見を求める理由も分からない。
「で、殿下は私に一体何をお聞きになりたいのでしょう?」
「それは私の口からは言えない。この件について知っているのはごく少数のこちら側の人間、そしてあなた。その中でも女性はあなただけ。だからあなたと話がしたいと」
「はあ…」
要は女性側の意見を聞きたい、との事らしい。呼ばれた理由が判明しても意味は分からない。そしてなるべくならもう関わりたくないダリアは意を決して尋ねた。
「これは…強制事項ですよね?」
ダリアがそう言うと、ブレーデンが無言で一枚の紙を取り出した。それはダリアが急いで記名した念書で、ブレーデンはある文章の部分を指差す。そこには“件について何か問題があった場合、無条件で協力する”と書いてあった。
「…なるほど」
ダリアはそれしか言えなかった。
ーーあと三十分ほどでここに来られる。それまで待つ様に。
そう言われたダリアは先ほど以上にそわそわとしながら待った。
相談とはなんなのか、果たして自分に分かる事なのか、など悶々と考える。そして再び扉のノック音が聞こえ、ダリアは即座に立ち上がり訪問者を迎えた。
「待たせた」
「い、いえ!グラム・バッケン子爵が娘、ダリア・バッケンにございます!」
「聞いてるよ。ダリア嬢、今日は来てくれてどうもありがとう」
貴族と言えど国の王子と対峙できる様な身分では到底なく、その尊い存在に話しかけられている事にダリアはめまいを起こしそうになる。それを必死に堪えて、ダリアは深く頭を下げた。
「…大変申し訳ございませんでした!」
「え?」
「無粋な真似を…」
「ああ、あれは私が悪かったんだ。妙な念書まで書かせてしまってすまなかったね」
さらりと謝罪を受け入れ、むしろ“すまない”と返されダリアは唖然とした。
本当に気にもとめていない様子のジョシュアはソファにかけると、ダリアにも座る様に促す。ダリアは恐る恐るジョシュアと対面する様に座った。
「………」
そしてなぜか訪れる沈黙。ジョシュアは膝に肘を置き、両手を組んだ所に顎を乗せてなぜかテーブルの一点を見つめている。ダリアから話しかけていいものなのか分からずただ待っていると、後ろにいたブレーデンが「殿下」と声をかけた。
「あまり時間はありません」
「…いや、分かっているのだが」
「あなたのわがままにどれだけの手間がかかったとお思いですか」
(この人殿下に対してもこんな態度なのね…)
ダリアがある意味感心していると、ジョシュアは意を決した様に姿勢を解いて言った。
「君は恋愛経験はあるか?」
「っはい!?」
思わず失礼極まりない返事が口から飛び出してしまい、慌ててダリアは口を手で覆う。
(今、恋愛経験の有無について聞かれた?殿下が?私に?)
頭の中が疑問符でいっばいだが、もしそう聞かれたのならダリアは答えるしかない。
「…ございます。一度だけですが」
「そうか…!」
ジョシュアが綻ぶ様に微笑んだのを見てダリアは正直に答えてしまった事を少し後悔した。なぜならその一度きりの恋愛はあまりいい思い出とはいえないからだ。
その元恋人である令息とは、とある舞踏会で知り合った。積極的に、でも恋愛初心者のダリアを気遣ってあまり近付きすぎない様に絶妙な距離感で接してくれ、ダリアは素直に好意を抱いた。やがて二人は恋人同士となる。
しかしそれはたったひと月で終了となった。実はその令息がダリア以外に何人かの女性とも関係を持っている事がわかり、その恋はあっさりと終わった。今こうして思い出すだけでも、ダリアは気分が悪くなる。
以上の様な経験が、果たして王子が期待している様な事に応えられるのかと、ダリアは焦った。
そんなダリアの心境などつゆ知らず、ジョシュアは恐る恐るダリアに問うた。
「俺は…嫌われてしまっただろうか」
まず複雑な質問ではなかったことにダリアはほっとした。嫌われたーー誰に、というのは無粋だろう。もちろんあの件のメイドに、だ。
(あれだけこっぴどくフラれたのにまだ気にしてんのね)
と思った事は勿論言えない。どこまで言っていいのか分からず、ダリアは探り探りで言葉を継ぐ。
「それは…私には分かりかねますが」
「いや、その…いち女性として、好きでもない権力を持った人間に言い寄られるというのは嫌なものだろうか?」
「その様に言われましたら…はい」
「そうだよなあ…」
ダリアが肯定したとほぼ同時くらいにジョシュアは頭を抱えて嘆いた。
「いや…本当はあんな事を言うつもりなかったんだ。彼女は誠実な人で、常識もあって、そういう所が好きだった。だからこそ言うべきではないと思っていた…ただあの夜が彼女に会える最後の夜だったんだ。何も言わず送りだすつもりだったのに俺は…」
はあ、と大きくため息をついたジョシュアを見て、ダリアは例の苦い恋が終わった時の自分と重ねた。
深く傷ついて、あんな人間を好きになった自分が情けなくて、かなり落ち込んだ。だが恋人に浮気されたなどという話は家族には話せず、代わりに友人達に慰めてもらってダリアは徐々に消化していった。
(…殿下は意見を求めたいというより、ただ自分の想いを吐露したいだけなのかもしれない)
そう思ったダリアは言った。
「どういう方だったのですか?」
ダリアの問いにジョシュアが顔を上げる。その表情を見た瞬間、ダリアはこの選択が最良だったと感じた。
そのメイドはジョシュアが十代前半の頃から付いていた。自分より少し年上で、ちゃんと従者としての線引きはありながら、時折見せる彼女の素を見て惹かれていったらしい。
そんな話を少し恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに話すジョシュアを見て、本当にあの夜までずっと彼女への想いを秘め続けてきた事がダリアに伝わった。
(結局我慢がきかなかった自分の情けなさと、少しくらい自分を受け入れてくれるのではないかと思っていた恥ずかしさで、こうしてウジウジしているのね)
大方理解したダリアは遠慮がちに言った。
「その方が殿下の行動をどう受け取られたのかは分かりません。ですが一つだけ言えるとしたら…殿下はその権力を使って彼女を囲う事も出来たのにそれをなさらず、あくまで彼女の心を優先された。私はそこに殿下の誠実さを感じました。そしてそれは同じ誠実さを持つ彼女にも伝わっているのではないかと…」
「…そうかな」
「あくまで第三者の意見ですが」
「……」
ジョシュアが黙って再び一点を見つめた。それまで最良だと確信していたダリアが不安になってきた時、ジョシュアが優しく微笑みながら言った。
「…そうだといいな」
ダリアは何も言わず、優しく頷いた。
「ありがとう、少しすっきりしたよ」
「お役に立てて光栄です」
さあこれで帰れる、とダリアが安心したのも束の間、ジョシュアは「あともう一つだけいいかな」と言った。一瞬引き攣りそうになったが我慢して、ダリアは「何でしょう」と問うた。
「彼女にお詫びと祝福の意を込めて何か贈りたいんだが、どう思う?」
「それは…」
やめた方がいい。すぐにそう思ったがそれをどう伝えようか試行錯誤していると、ジョシュアはダリアの様子を見て察した様に言った。
「やっぱりやめた方がいいよなあ…」
そして再び頭を抱えた。どうやらこれが本題だった様だとダリアは気付く。振った相手から結婚の祝いなど疑問でしかないし、しかも相手は王子。せっかくの祝いの席に水を差すことになりかねないだろう。
だがダリアは状況は違えど自分を重ねてしまったことで、ジョシュアに対し少なからず同情心が湧いてきていた。本当は何も贈らない方がいいと思いつつも、これくらいならという最低ラインを探りそれを伝える。
「残るものでなければ…」
「残らないもの?食べ物とか?」
「食べ物…よりはお花はいかがでしょうか。門出を祝う花言葉を持つものも多いですし、旬が過ぎれば処分するだけです」
「なるほど…」
その時、ダリアは視線を感じた。それはジョシュアではなく後ろに立っているブレーデンのもので、表情からして「これ以上余計な仕事を増やすな」と言っているのが分かった。慌ててダリアは言葉を継ぐ。
「や、やはりやめた方がよろしいかと」
「いや、いい案だと思う」
すっかり乗り気になってしまったジョシュアにブレーデンは言った。
「お待ち下さい、殿下。たかが辞めていったメイドに祝いの花を送るのですか?あなたはそれで良いかもしれませんが、そのメイドに妙な噂が立ちますよ。王子から直々に祝われる様な関係とは、と」
「…そうだった。私はまた同じ様な事を…」
自分の提案のせいで再びジョシュアが落ち込んでしまったと責任を感じたダリアは、慌てて次の提案をする。
「殿下からではなく、王宮名義にするというのは…」
「前例がない時点で特別扱いな事には変わらない」
速攻で返事がきて、ダリアは黙るしかなかった。そして訪れる沈黙。その沈黙に呆れる様にため息を吐いたブレーデンはまた新たな提案を出した。
「どうしても贈りたいというのなら、内々に渡すしかないでしょう。今回の件について知っている人間が直接彼女の元へ行って渡すのが最善かと」
そう言った後ブレーデンはダリアを見た。
「わ、私!?」
「行ってくれるのかい?」
ジョシュアが目を輝かせながらダリアを見た。
(どうして私が行かなきゃいけないのよ!)
勿論すぐにそう思ったが、ダリアの脳裏にあの念書がよぎる。どうしてきちんと確認しなかったのかと悔やんだが、今更どうにもならない。例え把握していたとしてもあの場は記名する他なかった上、この様な展開になると想像出来る訳がない。どちらにせよダリアはこうなる運命だったのだ。
ダリアは小さく息を吐いた。そして「…お引き受けします」と呟く様に言った。
それから一週間が過ぎ、ダリアは指定された場所で馬車を待っていた。あれよあれよという間にブレーデン主導で日程や行程が決まり、今日を迎えた。
ダリアは友人達と出掛けてくると行って家から出た。日帰りの為集合は早朝で少し怪しまれたが、何とかごまかしてここにきた。
何せこれは王宮が絡む特別なミッションだ。家族ですら事情を明かす訳にはいかない。
(とにかくこれが終わればお役御免よ!)
ダリアはそう気合を入れながら待っていると、一台の馬車がやってきた。早朝のため人通りは少なく、きっとあの馬車だろうとぼんやり見ていたダリアだったが、それが近付いてくるにつれて困惑の表情に変わる。
そしてダリアの前にその馬車が止まると、馬車を引いてきた御者が口を開く前にダリアが言った。
「ど、どうしてあなたが!?」
その御者はダリアの声に怪訝そうな顔を浮かべた後言った。
「言っただろう。この件を知っている人間は数少ないと」




