ギリ敗走敗戦
雨の日。 それは冒険者にとって憂鬱な日だ。 視界は悪く、体温は奪われ、足元はぬかるむ。だが今の俺にとっては違う。
ザアアァァァ……。
森に激しい雨が降り注ぐ中、俺は傘も差さずに歩いていた。 俺の頭上数センチのところで見えない音の壁が雨粒を弾いているからだ。 雨の日に濡れない。片手が塞がらない。煩わしくない。靴に染みてこない。 この快適さはどうだ。いやむしろ、周囲の水すべてが俺の武器(媒体)になると思えば、心強ささえ感じる。
本来こういう日は水系の厄介な魔物が多く出現する。先日のケルピーはその代表格だ。 水魔法を使える魔物は脅威だが、一方で人間の「水魔法使い」は戦闘では軽んじられる傾向にある。 理由は単純。コストパフォーマンスが悪いからだ。 実用的な威力を出そうとすると膨大な魔力を消費する。雨の日や水辺ならマシだが常にそう都合よくはいかない。【生活魔法】これが水魔法の立ち位置だ。
「ま、俺には関係ない話だけどな」
俺は物理法則で水を操る。魔力なんて一滴も使わない。 この雨空の下では俺は誰よりも自由だ。しかし、盗賊のボスに蹴られた脇腹がまだ微かに痛む。 俺は鏡の前に立ち、自分の貧弱な肉体を見つめた。
しかし、色々な実験を経て俺は一つの確信を得ていた。 水も、鉄粉も、空気も。この世界に存在するあらゆる物質は俺の「音(振動)」を伝える媒体であり、武器だ。 俺はただの剣士ではない。かといって魔法使いでもない。 その両方の性質を併せ持つ、この世界で唯一のジョブ。
「……行くか」
俺は腰に愛用の【共振細剣】を差し、ソロでの討伐依頼に向かった。 目指すは「廃鉱山のガーゴイル討伐」。 物理攻撃が通じにくい石の怪物を、俺の振動剣で切り裂く。本来なら今の俺のレベルで通用する相手でないが、俺には特異中の特異なユニークスキルがあるし、相手にとって不足はない。
***
廃鉱山の広場。 俺は5体のガーゴイルに囲まれていた。
「キシャアァァッ!」
石像のような質感の翼を広げ上空から急降下してくる。 俺は冷静にフルーレを構えフォノンを流し込んだ。
「……フンッ!」
俺は迎撃の一撃を放った。 キィィィィィィィン!! 剣と石が衝突した瞬間、耳をつんざくような金属の悲鳴が上がった。 ガーゴイルの腕が宙を舞う。切断は成功だ。だが――。
バキンッ!!
乾いた破砕音と共に俺の手の中にあるフルーレが根本から砕け散った。
「……なっ!?」
俺は目を見開いた。 折れた刃が回転しながら地面に突き刺さる。手元に残ったのは無惨なグリップだけ。 どうやらモノコックの剣では俺の超振動と衝撃の板挟みに耐えられないようだ。
「グルルァッ!」
残りのガーゴイルが好機と見て殺到する。 俺は思わず舌打ちし、とっさに懐の鉄粉袋をばら撒き、空気中の水分と共振させて【水蒸気爆発】を起こし、その隙に煙幕に乗じて何とか撤退した。
***
敗走の後、街に戻った俺は路地裏にある安酒場のカウンターの隅に陣取っていた。 周囲は冒険者たちの馬鹿騒ぎと安酒の匂い、そして紫煙に満ちている。
目の前のテーブルには無惨な姿になった相棒が横たわっている。 根本からへし折れたフォノン・フルーレ。そして回収してきた刃の欠片。隣の席では功績を上げた冒険者パーティが祝杯を挙げている。
「……脆性破壊か」
俺は欠片を指でつまみ、断面をじっくり観察した。 金属が飴のように伸びてちぎれたのではない。ガラスのように粉々に砕けている。 これは過度な硬化処理と高周波振動による金属疲労が招いた末路だ。
エールを一口煽り思考の沼へと沈む…
俺の能力は「振動」だ。 振動を効率よく伝えるには、物質は硬ければ硬いほどいい。ダイヤモンドが音をよく伝えるように、硬度は伝達速度に直結する。 だから俺は硬いミスリル鋼を選んだ。
だが、ここに物理的なジレンマがある。 「硬い」物質は、衝撃に対して「脆い」。 振動エネルギーを逃がす「あそび」がないからだ。 敵を斬った瞬間の反作用と俺が送り込む超振動。行き場を失ったエネルギーが剣の中で暴れ回り、結果内側から自壊させた。
「硬度を上げれば脆くなる。靭性を上げれば振動を吸収して切れ味が落ちる……。あちらを立てればこちらが立たず、か」
俺は指先でテーブルにこぼれた酒をなぞり図を描き始めた。 モノコックでこの矛盾を解決するのは不可能だ。 今の俺のスペックに、この世界の常識的な武器は耐えられない。
ならどうする? 振動を「伝える」部分と衝撃を「吸収する」部分を分けるか?
「……コンポジット…いやサンドイッチ構造……」
俺の脳裏に前世の記憶がフラッシュバックする。 現代建築の免震構造。ドリルの刃。様々な最新技術や素材が頭を駆け巡る。ふと思い出した。――博物館のガラスケースの中で見たあの美しい曲線。
「……そうか」
俺はハッとした。 それは極東の島国が生み出した世界で最も洗練された武器。 あれは単なる美術品じゃない。極めて合理的な「工学製品」だったのだ。
俺は酒で濡れた指でテーブルに断面図を描く。
寝る前に動画で何度も何度も繰り返し見たあの工程。外側を包むのは焼き入れによって硬度を極限まで高めた【皮鉄】。 これは俺の「振動」をロスなく刃先へ伝え、敵を切断するスピーカーの「ツイーター」の役割を果たす。
そして内側に包まれるのは、あえて焼きを甘くして柔軟性を残した【心鉄】。 これは衝撃と余分な振動を吸収する「ダンパー」の役割を果たす。
「硬と柔のハイブリッド構造。……これなら耐えられるか…」
さらに形状だ。 レイピアのような直線構造は、振動の「定在波」を生みやすく、特定の箇所に応力が集中する。 だがあの独特の「反り(カーブ)」はどうだ? 振動を滑らかに刃先へと流す「進行波」を作り出し、負荷を分散させる効果があるのではないか?
「……刀か」
答えは出た。 俺が必要としているのは西洋の騎士剣ではない。 音を支配し、衝撃を殺し、一瞬の切れ味に全てを賭けるための形状。
俺は残ったエールを一気に飲み干し、テーブルに銅貨を叩きつけた。 酔いは完全に冷めていた。 あるのはエンジニアが最適解を見つけた時特有の静かな興奮だけだ。
「素材だ。……最高の皮鉄と最高の心鉄がいる」
俺は折れたフルーレの残骸を懐にしまい席を立った。 向かう先は偏屈なドワーフの鍛冶屋だ。 彼にこの「異世界のロジック」を形にしてもらうしかない。
翌日。 俺は街一番の偏屈鍛冶屋、ガンテツの工房で熱弁を振るっていた。
~ガンテツの工房にて~
「……というわけで硬い『皮鉄』と、粘りのある『心鉄』を組み合わせた反りのある剣……『刀』を打って欲しいんです」
「ふん、まぁ理論は分かった。お前の言う『超硬度の皮鉄』ってのが曲者だ」
ガンテツは腕組みをして厳しい目を向けた。
「アダマンタイトじゃ硬すぎて粘りがねぇ。ミスリルじゃ柔らかすぎる。お前の言う振動に耐えつつ切れ味を維持できる金属なんて市場には出回ってねぇ」
「なら、どうすれば?」
「【ドラゴニア鋼鉄】だ」
ガンテツが告げたその名は伝説級のレアメタルだった。 北の高山地帯に生息し、岩や鉱物を主食とする【アイアンドラゴニア】。 大きさはサイほどだが、その体はダイヤモンド並みの硬度を持つ生体金属で覆われている。 その腹の中で数百年かけて消化・精錬され、不純物が極限まで取り除かれた鉄の塊こそがドラゴニア鋼鉄だ。
「だがな、奴らは不死身だ。魔法も弾く、剣も通らねぇ。過去に何十人もの手練れが挑んで傷一つつけられず殺られた。素材を手に入れるなら奴を殺して腹を割くしかねぇが……」
ガンテツは「諦めろ」と言いたげに首を振った。 物理防御力No.1の怪物。正面から戦えば、Sランク冒険者でも勝てないと言われる難敵だ。
だが、俺はニヤリと笑った。
「殺せばいいんだな?」
「あぁ? 話聞いてたか? 剣が通らねぇんだよ」
「任せとけ」
俺は工房を飛び出した。 勝算はある。
***
俺は市場へ向かいキャンプに必要な物資を買い集め、準備は整った。 荷物は重いが心は軽い。 俺は北の空を見上げた。
「待ってろよ鋼鉄竜。お前の体、俺の武器の糧にさせてもらう」
俺は重いリュックを背負い、誰にも告げずに街を出た。 目指すは北の連峰、【竜の顎】。 孤高のソロ・ハントの始まりだ。




